5‑ 9才 10‑ 14才 15‑ 19才 20‑ 2 4才 25‑ 29才 30‑54才 55‑ 39才 40〜 44才 45‑ 49才 50‑ 54才 55‑ 59才
占0才以上
総 計 i 29 18 t ll
(昭和47年 7月現在 ) で 45才以上の人数についで 2番 目に多い。 転出者の 呂的別 に分けると .女 2人がki=婚のためを除 いては就職 'Dための転出 とをゥてい る。 25‑ 54才では .かな り男子の転 出が多い。女 子の転出
者比率
船の止か ら考えて .や仕 り結婚がその 日的になってい る.男子は 自分の俄兼 を祷てそれぞれ に大鮎を敗れた生活に入 ってい る。 dO才以上 の人が男女 ともひ とbず つい るのは .1家 あげて の 転出の中に含まれてい るQ̲・振出地は約80蕗ちか くが軌 山似内で,残 り2 0宙が他府県であるQ 他府県の中で もやは り都会 といわれ るものへの転叫者が多 く,院旗の兵価収 を比 じめ,大嵐 束軌 愛知の4府県 である。 駄 学者1名 を続いてすべて都市‑の成城 である。 また県内の転出地 をみれば,働山市が男女 と.もに多 く, 桃内‑の転出者数の約8口車,全転出者政の釣 d UaLを占めてい るo また町内での移加 もみ ら
れ る。
② Hj稼 ぎ
戯閑期 を利用 しての出稼 ぎが大部分で .期紬的に多い^ で15‑20日 .少ない人で 1年に 1通則 くらいであるD 出稼 ぎ(,Cよる収入は タバ コ朝敵 の もので壮ないに して も .出疎 さ、忙 よる収 入に頼 ってい るものでは 7.I,.ho 出稼 ぎに行 く地域 としては .近レ、場所で町内か ら
勝
りの山隈町 ぐら レ、で .遠 くになると .Li.ヱ金敷 か ら水&'‑Ijにかりた方面 .南東旺備 前市 か ら三石に かけての風道2号‑ 71‑
親を 中心 に した方面 忙 な.)てい る. 出稼 ぎの時柳になると.4‑ 5台の マイクE,バスが部落 tでtl かえ
に
くる。 壮 本としては主 忙土木陶係 で ,中忙比近い ところでエ 坊が ある時仰 出稼ぎ
に出ていく人 もあるn 細入 も出稼 ぎに出 るため樹入会に 上る行串 もおこなわれ な くなってい る。
( 3 )
過軒集落大屋のかかえ る問題過龍緬 大 臣のかかえる開放点を上げ るな ら前述の よ うに新規学卒 者の載市部への流 出に 上っ て村の人 口滅少 ,老齢 化が促進 され .さ らには
.
典薬校継者の確保の困難 とい !開港 をも生 じさせ てい る。 これ を将来 にわたって It・ク ロ的忙みた場 合 .大屋
忙おける出生率 の汝波 .死亡率の上昇 を 解 き .大屋の過疎化比 .tナtすか しすすめ られ てい くのである.実 際 .大 島では次 の ようを過 疎現数が み られ る。 ます第 1に .先業生蚤に従 串す る人 口が転 出な どに よヮて沸少 してか 9 .その ために利用 され ない せせにな っている耕地が み られる。一家を あげ て転出 した家 の 中には耕地 を他 の家の人 に売却 しないでい ってい る葡合 もみ られ る。務 2忙若 い人 たちがほ とん ど他の散薬につ き坂出 してい ってい るため
に.
農業生章 に従車する者の年齢が か な少
高 くTrってい る老夫婦 だけで生活 してい る京 などがか な bある。 この老齢化が大 きな問題 をひ きか こす。 つま D ,典薬集落 とい うのは農林省 の見解 に 上れば 「農業が鹿葉上相互に もっとも密漆に共 同 してい る鼓家集団 」である。 したが って農道 ,典兼 用碓排水施設 ,共用 林野 ,鹿襲 用の各種 呼物 や曲機具な どの利用 を通 じてか互いに協 同 しあっているだけでなく .ゆい ,手伝 い .または共 同作 業等 を通 じあるいは血作物の供 出または共 同出荷 など鼻薬経営のあ らゆ る面にわたる協力は もちろ ん の こと .冠婚葬祭その他 q)生 活面にまで密集にむすぴついている。 しか し人 口の叔少に 上ってこ
れ らの頓能 を果す ことが困難 と7約 .人 口の老齢化 VC上中て生産性 を現状 よb高 める ことは もちろ ん の こと維持 してい くことす ら困難 とな る。大
農に
かいては現状を縫持 してVlる状庸 Tdある。今後般大の問題は .若者が都 会に流れ てい って も .また生 活環境が より劣
喬
に怒って も .その土 地へ の執舟 か ら離村にふみ きれ をい入違。年 女 か 'て労働能力が失 なわれ てい く老人た ちへ の配慮 で あるD つま り端 的にい うならば老人間瓶 で あるD自治 省の人 口急減地域の央感帥壷の報告書 の中で も「現在 の人 口流 出傾 向が基本的 昭境地林業の他 在米 に劣る生産 性に起因するものでらり,この ままの扶潜 で拭 鹿業経営者 が確保 され 適正規模の姓乗経常 にみあう人口を成 して安定 すること抜必ず しも予想されなLi。むしろ人 。構成の老 化に よる出生率低下が若年 伯の急設な減少 を来た し,老齢化世帯の瓜林業から吃脱 落 (拳 家放村,保 安世帯‑ の転化な ど)の現 攻が 巡 行 し.こ
功
皇域山間部にかけ る28‑50戸未満の小 部落散在 という人 口配置からみても 社会生活,生産清 洲 こ軌、 噸 皮
にそq)困難 さを増 し,tP,,ひ地 域社会 とL,a 過,崩操を来たすのか相当に発生す るおそ れ があるとい わざるを得ない」 と指摘 している。いずれ VTLして も過疎 の社会的 膨廿の中で一一番大 きな閉店 と して急速にク ローズ7 ,7'して くるも
● ‑72‑
■
†
のは ,大屋 に とbの こされ た .あるいは戎 らざるを袖 なか った老^ への配慮 と対策で あ ろ う。
社会的野中 の もうひ とつ大 き夜間粒 として風土 保全 とくに防災へ の影智が あげ られ る。
そこで大屋の過疎化 と火災の鵬連についてみてみ よう。 幸 い,今 まで大 きな鬼災は発生 した こ と 表512‑13 大屋 の昼 間人 口 (ただ し冊天 の 日 )
45
5
さd O
〜
占 4 1 255
. 一
一 5 9 I さ 50 〜
5 4 1・ ■ ■ ‑
‑ 545
‑ ‑
4 90 0
‑
‑
40
〜
4 4 口0
55
〜
590 1
30
‑
540 0
2
5 ‑
2 90 0
2 0 ‑ 24
ロ 0
15 ‑ 19
0
8 ⊥ 0成学児お よび幼児を除 く
7 ン ケ ー ト調査IJEよる (9 ・47,7.24) (引用文献お よび参考文献 )
・ 熊落地理胡 座 窮 2春 木 内 借 裁
・ 日本の過疎地帯 今 井 幸 彦 (利 用 顎 料 )
● ア ンケー ト
・ 赤坂町春夏利用状況調査表 (4 4年度 )
‑̲7.1‑‑
は ないのだが表15か ら昼間の大屋の人 口‑
雨天の 日は. ほ とん どの就業 者牡. ̲‑ty木朋係 rz)労務であるため昼間の人 口 も辿 ってくるが.
きわめで 老 婦人 化 〃してい ることyC災づ く であろ うo 消防痛功 を消防団 に依存 してい る 大鹿 で払 人 口流 軌 旭外収入 を得 るた めの El厄い労務'JCよ り岡見 の確保 が幽難 で編柵者 や女子 によるtL 5ちゃん凸業 "な りdltt 5ち .pん消防 一'托煩 らざるを得ないので比か 、か と予想 できる。
過疎処務大屋払 まき忙施設や人見の不足 か ら住民の生活 と財産 が 日夜危禎 忙さ らされ ている とい うの仏 かかげ さであろ う。
)虜子
永計
江田
入し戸
第 4 牽 古 代 中 世 の 赤 坂 町
1
条 里 制 の 展 開(1)集塵制 の概略
例え げ 大 日本 百科
8 T
射 てよれば , 条 里制 とれ 「日本 古 代の 土 地 r/画制度 で あ り土 地 を約6 5 4 メ‑ トル (5 aD渉 ‑ム町. 1妙V:16尺) の机 で. 平面 南北 に LJ.画 しそ こt/こで きた 方形 の1区画 の.十地 毛̲ql・と呼 び, 塵 の 東 西列 を北 か ら軒、 1 T , 2 免
と名 つ け てV,く0 ‑1た ̲Q・̲の南 北 列 を取 両方 向('・:1男, 2塵 と名1+け てい くo段 は さ らl一休 lTgを約 1 0 9メ‑ トル (1町) e:とtn= d咋 介 し.方1町 (1坪 ) の土 地5dK分け るh
坪と川 )の 1隅 を酪 点と して.tE;行式 あ るい け 千 ,rv式に 1 坪か ら5Aの坪 寸で脚悉 (坪 並) i:つ け る0号 らI
r珊 tそ の一 刀 を ム歩 (‑'′)1 1,I‑ ト′レ) づつ 紗長く 10‑T分す る地 主即 地利 と.1iTJを12歩づつ5等 分 し. 他 の一 辺をZ等 介 した半折 貯)也 割 と‑/,iあ るO とITlが 粂Ei制地割 の 敵 中基 本 叩tjlの1尺 で あ る( ある 1段の 土 地は 坪 の境 界の 畔 あぜ) を軌 .‑51 (畔本 ,経本 ) とす る こ とに 上 一で何 や仲里 何 坪何 経 本 何 段 Flとい うよ うiこJ l ・
111:帆佗̲梓 示す ろ ことが できる
。
」 とあ るo 粂̲Q の 7JtT'舶 南北 を さす の か一 般 で あ るか手 ;
7JTnlにそ って約1口9メートル
それぞれ7段 \
半折劃
5一凸7 凸0 ソー2 2 ⁚∠ T封 「1日」 S NI)5 tJ tJ 二
図 4‑ 1‑ 1
41一つー lnリ ソー2 2 ハ∠目上
. メ.∫
∫ 1暫 軒 秤
54ノートル I
町.5d
b 〜 l 8 \ ‑ ) / ● 5 ‑ ‑ 4 ‑ノ レ
1 . . 串 i '
; l l . , 0 ; 5 5 5 1 2 5 ( 2 2 2 d 7 5 占 P d 2 2 1 91 0 1 1 1 5 482 595 o争 71 坪I
5 5 5 4 ' 2 8 2 2 1 6
10 4 1 78 5 2 9 2 5 1 7 l l 5
̲並行式 =:孟
多 重 地 割 の 鞍 略
‑75‑
こコ
V'ること もあるo 条里制は とく("=畿内. 漸戸内海治鼠 北九州 近江.薬 汲 越前な とで発達 し.
奥孔 問丸 LJJ陰 南九州に も部分的VCあるO 条里制の起源は不 明在所か多V,九 大Lまか tn=分け る と大化 改新 以前 とするものと,大化改新 お よびそれ以 後 とする もの とか ある。 たとえば平 城京 紘ナ.和平 野 条里制 の上(,{経営 されてV,るとい わh, ‑1た古噴時代の後期に カラスキの使用が始ま った ときそ の回転政教 を少 な くし労力をはぷ くため に長地yJ.の地割か成立 Lた とれ 大利朝廷の む輸領であ った屯倉 (みやけ) を中心に長地熱が成立 し, 大化 の改新 政府の班田僻軽にV,た って 半析蛮llが成立 した とか.条里 制的地割は大利朝廷の政柄的発展過程におV,て. 姓氏への桝課 の負 担の均等化を企画 した ものであるとか.また舌 代曲尺の耕作地が散在形捗 をとってV,るこ とかみ とめ られ ん,Dで鮭楽共同体の存在をみ とめ魚監制は村 落共同体成 員の利益を平等にす るための共 rh‑1耕地 の定期的別称制の適 制だ とかいわれてV'るが,結局比長地卿は大化の改新前か ら部分的に 行 別 っ加てV'た ら しV,那,区画黙然 とした祭 典制が発 達 したのは押合国家権 力の郵大 とIなった7 itL紀末の天丸 持 統勧 あた りでは ないかとV,われ る。 条里 制の分布は 8世紀 とろ(h=は全国におよ
〟.Til、掛軸^=妓大和.
i l t
汀.
を中心 と して.地 方的に比‑国の中心であ る国府 を中心 とし分布 して いるo このこ とも衆
鼎制が柁令国家 と軒接に馳係す ることを示 してV,るハ そ して との免 里全体は 水 田地帯 を中心 と して.長地塾は水 田に.半折封比屋数地. 島地に僻徴的であるo このよ うな条 里 制の桓源や施行細則については1 41世紀初 めまで記 さいはな く,条里制の施行 を知 りうる最古 の文献史料比地 図として.755年には じめて出て くるハ 天平7年 の弘福寺領.欝駁 国山田香河 二郡境田関 と呼ばれてV,るものである。 条里制は11世紀以 後は荘 園が発達 してVlく過笹 で急速 に1約 くず してい き. 条里 の呼び方 も15世紀ころ までは広 くもちV,られたが大樹 検地vtv,た っ てすたれ . 今日では地名 と して比散 在的忙しか残 っていなvlo しか し地割k の ものは.か 攻9痕 跡 かとどめ,封
潤 やため池 などが条里制に規制されてVlること も多いo(2)条 里制施行 の資料 と舶係地名 の残存状 況
「怖山脈の
歴史
」(ty上れたど.吉備地方の条里制
忙ついて の文両
紙 足守荘絵 図 (1 16 9年),別 冊 +神 社文苛
の
神主究陽朝臣某訴状 (1 195年),金LLJ等文笹の金山寺免 田下地和与状 (1 2 89年 ) ,仰 中国プ●上衣郡服部外囲 (12 9 8年以前) . な どが古V,もので あ り条 里制の 施行か 示 されてV,るn 条里制の過納分布比備 凱 備 中.
襲作の 5国と もEil府跡の十佃 に締
鑑 か淡であ り 多 (は河のeFL九にそ った平野地帯
LA=あるO 古吋i‑,古代 の寺院比 や神礼 の分布状況 と も一致 してい fJn これ らの地域はHや くか ら水 田幾案か騒け た古代にかけ る生産地城で あ9
,文化地域で もあ っ‑/Cとあるn 「剛 」頻出地史」に よれば漸戸付近にかける絶 技赤軒郡瀬戸町を中心 として 上道 郁平駄
浮 榊.玉jtの 5柑 赤紫郡市軌 高臥 高A.西山, ,r3取上 軽 部の雛村にわた ってお りqL川流域 に燭 してい ろ∩ 木嶋 抄 にかける赤坂 酌の蓉部肘 LO 臥 笹軌 優 部の 5村に あた9息‑ 7占‑