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司会は第l回、第E回の磯村尚徳氏のあとをうけ テレビ番組でもおなじみの児玉清氏がつとめた

催友会創立

80

周年記意事業

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学習院百継承すべき伝統と文佑 W

. .

  これからの学習院

開 催 に あ た っ

桜友会会長

賀陽治憲

Oblige 42 

﹂︑

正9

年︵

1920

年︶

︑学 習院 一ノ の同 窓会 は︑ 桜友 会の 名の もと に大 同団 結し

︑本 年︵

2000

年︶ で 創立 加周 年を 迎え まし た

この 歴史 を 振り 返る 時︑ 決し て平 坦な 道で はな か った こと は︑ 掌羽 田院 史

︑桜

友会

史を 紐 解く まで もな く︑ 皆様 ご周 知の こと と 思い ます

ここ に諸 先輩 各位

︑歴 代教 職員 の皆 様に

︑改 めて 敬意 を表 する とと もに

︑ 今︑ 現実 を正 しく 認識 し︑ 母校 学習 院 のた め新 しい 一歩 を踏 み出 すこ とが

︑ 私達 の責 務と 考え てお りま す

本年

︑第

3

の開 催と なり ます

﹁学 習院 の継 承す べき 伝統 と文 化﹂ を考 え る卒 業生 座談 会は

︑﹁ これ から の学 習 院﹂ とい うテ

l

マで 進め られ ます

担世 紀の 情報 化︑ 少壬 両齢 化︑ 国際 化が 進む なか

︑国 師百 五+ 有余 年の 伝 統と 文化 をど のよ うに 活か し︑ 学問 真 理の 探求 と︑ 社会 の繁 栄と 平和 に︑ い かに 寄与 でき るの かの 糸口 とな るよ う 期待 して いま す

末尾 にな りま した が︑ 本座 談会 開催 にあ たり 共催 をい ただ いた 学習 院︑ ま たご 協力 をい ただ いた 関係 諸国 体に 深 く感 謝申 し上 げ︑ ご挨 拶と いた しま す︒

北白川道久副会畏、高津寛常務理事と談笑する河野樽 文氏。日米安渉の経験をふまえた話が輿昧深かった

総合司会をつとめたフリ ナウンサーの勝恵子さん。懇 親会でも華やかさを演出した

出演者プロフィール

平井敏雄氏

学習院大学文学部ドイツ文明ヰ助手 学習院大学文学部ドイツ文学科 平 成6年卒

昭和41218日生。東京都出身。横浜市 立金沢高等学校を経て、平成23月学習院 大学文学部ドイツ文明ヰを卒業。平成6年4 月に学習院大学税人文科学研明ヰ入朱平成 94月大学院博士後期課程入学。平成10 9月にドイツ学術交沈会奨学金、第l回桜 友会スカラーシッフ奨学金を受け、 ドイツ パンベJレク大学留民平成124月、学習院 大学文学部ドイツ文明糊手として着任。

東京大学の出身ながら、

学習院大学教綬として貴 重な提言をいただいた坂 本多加雄氏

河野博文氏

資源エネルギー庁長官 学習院高等科 昭 和39年卒

昭和211l日生。東京都出身。昭和39 年学習院高等科を卒業の後東京大学総育学部 経 済 経 営 学 科 李 総 昭 和44年通商産業省入 省。日日59年ジェトロ・ニューヨーク・ジャ パントレードセン?一、昭和62年大臣官房参 事官、平成6年大臣官房審議官(産業政策局 担当)、平成7年資原エネルギー庁石,由部長、

平成8年機械情報産業局次長、平成同年基 礎産業局長を歴任し、平成II9月資原エネ Jレギー庁長官に就任。

今橋映子氏

東京大学大場完助教授 学習院大学文学部フランス文学科 昭 和59年卒

昭和3109日生。東京都出身。学習院 女子中等科、高等科、大学を経て東京大学大 学続(修士および博士課干IDにて比較文学を J丸この間パリ第四大学博士課程にてDE  A取 得。平成4年に東京大学にて博士号(学 術)取得。平成6年。著書r期 附 童 慣 日 本 人のパリ」によりサントリー学芸賞および,安 沢グローテ?Iキ拐JI貨を受賞。その他著書にr 子 知 育 旅 の 育 象」rパリ・貧困と街路の詩 学ー 1930年{ザ個人芸有議たち」がある。

坂本多加雄氏

学 習 院 大 学 法 学 醜 蝦 学習院大学助教授として 昭 和55年 着 任

昭和256月8日生。名古屋市出身。神戸で 育つ。昭和503月東京大学法学部卒業。 和55年3月東京大学大学院法学政,古学研究 科博土課程(日本政治思想、史専攻)修了。法学 博士。明日55年4月学習院大学法学割就台学 科 載 敵 抵 昭 和624月 同 教 抵 平 成46 年ハーバード大学客員研究員n平成4年著書

市場通車・秩序」てサントリー学芸賞、日 経絶斉図書文化賞受賞。平成B年著書「象徴 天皇帝l肢と日本の来歴Jにて読指摘賞受賞。

︑﹁

回の 卒業 生座 談会 は︑ 平成 凶年

メ − H

月四 日︑ 平成 日年 日月 日日 に つづ く第

3

﹁こ れか らの 学科 院﹂ がテ

l

マと いう こと もあ って

︑平 井敏 雄氏

︵平

6

︶︑ 今橋 映子 氏︵ 昭日 仏︶ とい った 若い 情

−代

の演 者を 迎え たの が 今岡 の特 徴と なっ た︒ ほか に資 源エ ネ ルギ ー庁 長官 とし て活 躍す る河 野博 文 氏︵ 昭却 高︶

︑鋭 い国 家論 など で知 られ る坂 本多 加雄 氏︵ 昭日 学習 院大 学助 教 授と して 着任

︶を 加え

︑司 会に はテ レ ビ番 組の 名司 会者 とし ても 知ら れる 俳 優の 児玉 清氏

︵昭 お独

︶が 当た った

︒ さま ざま な意 見が 出た が︑ 結局

﹁良 いも のを 守っ てい ただ きた いと いう

葉に 尽き るの では ない か﹂ とい う児 玉 清氏 のま とめ で終 演と なっ た︒ 終演 後は 小ホ

l

ルで の懇 親会 とな り︑ 学習 院の 将来 につ いて 語る 声が 引き つ づき 会場 のあ ちこ ちで 聞か れた

Photographer /ideki Siozawa 

児玉

jjFJ

学習院大学文学部ドイツ文学科 昭 和33年卒

本名/~tJll 膚昭和 9 年 l 月 l 日生。東京 都出身。昭和33年 3月学習院大学文学部ドイ ツ 文 明 梓 難。周年6月東宝映画期憂専属契 約。35年映画「別れて生きるときもJr黒い画集J rある遭難Jo4()年映画『戦場に流れる車九 42:年フリーとなり後はほとんどがTVの仕事 主な出演作品「花は干臼あ「東芝日曜劇場」

「ありがとう」 r思い出づくり」「白い巨塔」「素 E齢ままでJr賞釘〉日々」「獅子4精 代J

;可燃ゆJ「武田信玄J r大平記J「大地の子」。

清氏

43 Obli恒

e

︿司

会﹀

皇太子殿下・同妃殿下をお迎えして︑記念式典&祝賀会開催!

壇上向かつて左手に桜 友会長以下桜友会役員、

右手には学習院長ほか 来賓の方々が、そして 中央には皇太子殿下 同妃殿下がご着席され

桜友会の前身である学習院同窓会が設立されたのは

明治

3 3 年( 1 9 0 0 )のことでトあった。 その後大正 9 年( 1 9 2 0 ) に

現在の桜友会に改組された。 そのときから数えて、

昨年、平成1 2 年 (2 0 0 0 ) が8 0 周年の年にあたる。

この桜友会創立8 0 周年を記念してさまざまな行事が行われたが、

その集大成として、本年 1 月 2 0 日に、記念式典および祝賀会が 皇太子殿下、同知殿下をお迎えして、目白キャンパスで、開催された。

平成日年 1

月 初

日 ︑

創 立 百 周 年 記 念 会 館 に て ︒

Oblige 44 

"−円:・・・・・・・・・・・ ' -c-~

斡 姥 ジ・ ・ ・ . −− − " <

ヨ~由j;.-lilm・・一〈

賀陽治憲桜友会長と島津久厚学習院長が創立百周年記念会館前で両殿下をお出迎え

言己念式典は学習Rlb工百周年記念会館正堂で

||時から行われた。まず皇太子殿下・間企百投 下 が上中央にご着席。国数斉唱に引きつづ き、賀陽冶憲桜友会長の式総島港幻草学習 院長の干思未さらに来賓代表の岩崎英二郎成 践会会長の祝辞力三つづく桜友会貢献者に対 するJ欄倣授与式の後、院歌斉唱て等となっ f

昭和町年学習院大学 文学部史学科ご卒業の

皇 太 子 殿 下 も 会 場 へ ︒

喝 さ 8 0 周年

当日長年にわたって桜 友会活動に貢献された 各氏に桜友会より感謝 状が授与された。各氏 を代表してあいさつす

る東園基文氏

﹂ 皇太子殿下による

子 習 院 に 学 ん

﹂ で

と 題 し た 記 念 講 演

JUA

盆山 典に つづ いて 皇太 子殿 下 二三 日が

﹃学

習院

に学 んで

と題 し

た特別記念講演をされたが︑この講

演はユーモアたっぷりにご自身の学

習院 での 学校 生活 をふ り返 った もの で︑ 大変 興味 深い 内容 だっ

た︒

ほん

の一

部だ が︑ 以下 に紹 介し てみ たい

︽桜

友会 との 出会 い

︾初等科

6

年生 のと き桜 友会 主催 のバ ザー があ り︑

好奇心から出かけたが︑結局桜友会

とい うの はバ ザー をや ると ころ だと 忠っ て家 に帰 った

︽幼稚園時代︾生まれてはじめて同

じ世 代の 友だ ちと

一緒

に過 ごし たこ とは 貴重 な経 験だ った

︒通

学の 問︑

車から見える街の様子や景色も非常

に興 味深 く感 じた

式典後、約40分にわたって特別記念講演をされた皇太子殿下

︽初等科時

f ︑ 6

年生のとき徒翠疋

1

等をとれたことが自信となった︒

沼津の瀞泳教室で赤ふんどしをつけ

るこ とを 考え たと きに は何 とも いえ ない 気分 だっ た

︒剣

道部 の寒 稽古 の

後のお汁粉が格別においしかった︒

寒い小よく下ズボンで通学したと我

なが ら感 心し てい

る︒

︽中

等科 時代

︾運動会の騎馬戦で相

手を落馬させたときに骨折した生徒

がいて︑今でも悪いことをしたと思

って いる

︒沼 津務 泳場 のこ とを

﹁沼

津鑑別所﹂略してヌマカンと呼んで

いた が︑ 沼津 での 集団 生活 はよ い経 験に なっ た

合同

等科 時代

︾地用研究会で民宿を

経験できたことには感謝している︒

社会 問題 研究 会で はボ ラン ティ アで 目白 通り を清 掃し たこ とも あっ た︒

︽大

学時

3

制服がなくなったため

伺を

てい くか 困っ た

︒−

年生 のと き大 学の 入試 監督 のア ルバ イト をし

た︒

生ま れて 最初 で最 後の こと だ︒ お金 もい ただ いた

この ほか さま ざま なエ ピソ ード が

登場し︑あらためて母校の存在を認

識するひとときとなった︒

* 

* 

記念式典に際して桜友会活動に貢

献をされた各氏に戚謝状が贈られた︒

感謝 状が 授与 され たの は︑ 東園 基文

林友春・松.工莫・島津久厚・

黒田

長栄

・田

中雄 平・ 犬養 康彦 の各 氏︑ 当日 欠席 の堀

越善雄・

砂固 有紀 子

故大橋啓一

の各

氏 ︒

45 0助主~e

ドキュメント内 ミネヤナギJ! 恕 ~~~~~!~: 芝 生 命 に (ページ 37-43)

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