• 検索結果がありません。

1960年代の日中台関係

ドキュメント内 つくばリポジトリ (ページ 100-121)

1970年代初期の台湾の孤立化は、台湾の外交選択というよりも、中華民国政府の外交にお ける現実的選択の可能性、ケネディの国連における「二つの中国」という可能性、あるいはま た本章で見るように池田政権の「二重外交」などにかかわる60年代のいくつもの可能性が消 えていくなかで、国連脱退および国交断絶やむなしとの状況に追い込まれていったのではない か。それは本研究の一つの仮説でもある。60年代までの政治力学の一つの帰結として、台湾の 孤立状況が生まれた主な要因は、60年代における中華民国政府の外交自体の強硬性であった。

そして、その強硬性は、対外的には、中国との関係改善と台湾との関係維持を両立させる道を 模索する日本のト一つの中国、一つの台湾」の立場に対する牽制として、また対内的には、対 外的強硬姿勢を示すことによって、非現実化していく「光復大陸」の指導者及び政権がその威 信を確保するためのものであった。

しかし、そのなかでやはり中華民国政府の外交は、現実と理想のほざまで、原則重視の姿勢 と実質的妥協を可能にする外交によってその立場を保つほかはなかった。第2章で見たように、

60年代に入いりケネディ政権の「二つの中国」論、それに伴う対米協調路線の外交官の失脚、

続いて台湾に対する経済援助の停止など米台関係が動揺したのに伴い、台湾は特に経済を中心 として対日関係の拡充へと向かい始めた。その60年代の日台関係においても、日本における

「一つの中国、一つの台湾」、中国との関係改善と中国国民党政権の台湾への軟着陸など、い くつかの可能性が問われていた。

本章では、結果として実現しえなかった選択肢への努力に目を向け60年代の日中台関係を 考察する。すなわち、東アジアの国際政治の文脈において二者択一の選択を迫られた日本政府 は、現実に存在する二つの政府との関係をいかにして構築しようとしたのかという、いわば「失 敗した」側面の考察である。すでに序章において述べたように、これまでの研究では、60年代 の池田・佐藤時代における中国政策、すなわち「一中一台」の立場をも含めて模索された日本 外交に関しては、72年の日中国交樹立を−一つの結実点として構成する日中関係史において位置

付けられたことによって、マイナスの評価を与えすぎてはいなかったか。

そして、第5章において述べるように、日台断交に際して台湾側は日本の急激な政策転換に 対し「時間かせぎ」をして引き延ばすことさえもできず、結局のところ「静かに一才その変動を 受け止めるとの姿勢をとった。その要因の一つは、60年代の日中台関係のあり方に求められる

ものである。

第1節1960年代前半の日中台関係 1、日本における「二つの中国」論

近年の日本外交史研究における成果の一つである陳肇斌の『戦後日本の中国政策』1は、主に 米英の膨大な資料を活用しながら吉田から岸内閣の中国政策を分析したものである。その研究 において、日本の歴代内閣の共通点として、「二つの中国」もしくは「一中一台」の立場にた ち、「政経分離」を戦略的手段として中国問題に対処するという基本路線があったことを明ら かにした。陳は、戦後の吉田内閣から岸内閣までの日本の対中政策は、その基底に一貫して「二 つの中国」政策の発想が流れていたとする。すなわち、日本政府は、中国と台湾の分離状態に よる台湾の「確保」と日中関係の「打開」とを同時に実現することを望み、その手段として「政 経分離」を用いていた。そして、これら内閣はそれぞれ国際政治の文脈のなかで「二つの中国」

政策に失敗したと指摘される。すなわち、吉田から鳩山にかけての日本政府は、「二つの中国」

政策を進めるために米国を説得する必要があると考え、そのためにまずイギリスの支持を獲得 しようと工作した。しかし、イギリスは、対中政策の基本的な姿勢を米国とは異にしつつも米 国との協調関係を重視し、日本からの働きかけについて積極的に応じることはなかった。これ によって、日本の「二つの中国」構想は一旦挫折する。

また、岸内閣の「二つの中国」の姿勢は、「一つの中国」の立場をとる米国、中国、台湾そ れぞれの反対のなかで、対米関係の強化によって不信感をぬぐいながら中国大陸との経済関係

1陳肇斌『戦後日本の中国政策』(東京大学出版会、2000年)。

の強化を図ろうとしたが、最終的には妥協点を見出しえず、北京か台北かの二者択一を迫られ て挫折した。陳の注目すべき指摘は、この日本の「二つの中国」政策は、従来指摘されている

ような蒋介石の恩義論とは全く別のものであり、植民地台湾との歴史的な関係を引き継いだ戦 後の台湾との関係継続が基底にあったとする点である。すなわち、「日本政府関係者の台湾に 対する『親近感』は、普通言われているように終戦後寛大な対日政策をとった蒋介石個人に感 じた『恩義』ではなく、旧植民地台湾への『郷愁』から発したものである」として、その「郷 愁」に基づいて、「日台連合王国」構想を構想していたと考えるのが妥当だと主張する2。

当時の日本が旧植民地台湾の確保により連合王国の構想を実現させようとしていたのかど うかについては、英米との関係から日本の中国政策の限界を考察した陳の分析では十分に論証 されたとは言えない。しかし、少なくとも、蒋介石の恩義論については、陳の指摘するように 日本の台湾政策を規定した最大の要因ではなかった。後述するように、蒋介石の恩義論は、台 湾側の対日工作において、日本人に最も効果的に分かりやすく訴えかけることのできる手段で あった。そして、日本は、蒋介石率いる中華民国政府と台湾という存在を分けて思考していた

ことは確かである。その意味で、台湾の確保と中華民国政府支持とは異なる問題であった。

総じて50年代の日本の中国政策は、トっの中国」のもとで正統政府争いの文脈における北 京か台北かの選択よりも、むしろ長期的には「一つの中国、一つの台湾」の立場であった。す なわち、日本政府の主体的な取り組みとしては、この長期的な立場に立って、より短期的には 台湾人民による台湾統治よりも蒋介石率いる中華民国政府の台湾支配を是認し、中国共産党に よる「解放」を阻止することにより台湾の独立した存在を確保しながら、中国との関係構築を も模索してきたのである。したがって、それは短期的には「二つの中国」政策といえるもので あった。すなわち、日本政府は、中国の正統政府争いの文脈において、二つの中国政府の存在 を認めていく「二つの中国」政策をとりつつ、将来的には中華民国政府の台湾への軟着陸もし くは台湾人民の統治の実現による「一つの中国、一つの台湾」への可能性を模索していたので

2同上、104ページ。

ある。しかし、50年代のそうした日本の政策において、岸内閣の時代の長崎国旗事件は一つの 挫折となった3。

1960年代前半の中国は、周知のように50年代後半の大躍進政策の失敗により人民公社・大 躍進の急進的政策が修正された調整期にあたり、行政と外交の部門では劉少奇・郡小平・周恩 来がリードして孤立からの脱却と国際環境の整備が行われた時期であった。その対外政策は、

資本主義国であってもアメリカと何らかの対立・矛盾をもつ西欧・日本を「第二中間地帯」と して統一戦線を形成する対象とみなしており、これにともなって中国の対日政策は58年の交 流の中断から回復し、m貿易の開始と交流が再び活発化していったのであった4。一方、台湾 の中華民国政府は、第2章で述べたように、60年代前半は国連の中国代表権問題、モンゴル国 連加盟などをめぐり国際的地位の確保が微妙なf 鄭皆にはいっていた。また、この当時のアメリ カは、日本政府の中国政策に関しては、冷戦下における政策に合致した戦略環境を維持するこ とが中心的な課題であった。すなわち、①台湾の中華民国政府承認、②国連の中国代表権問題、

③日米安全保障体制の維持、④対中貿易におけるココム措置の徹底などを主な軸として、戦略 的目的が損なわれない限りにおいては、日中貿易には非介入との姿勢をとっていたのである5。

そうした国際情勢のなかで、日本は、政経分離政策を主張することによって民間貿易として の日中貿易の性格を強調し、日中貿易の拡大に懸念を示す米国及び台湾の中華民国政府、逆に 一層の日中関係の拡大を求める国内の対中貿易推進勢力からの圧力に対し、ある程度の距離を 保つことができていた。しかし、60年前後から外務省では、国民党政府が第三次国共合作や国 民党政府の崩壊というかたちで台湾支配を事実上放棄する事態の可能性をも考慮し、その際の

3長崎国旗事件をめぐる日中関係については、陳肇斌著『戦後日本の中国政策』前掲、26か一一308ページ、添谷 芳秀『日本外交と中国1945〜1972』(慶鷹通信、1995年)などを参照。

4中国の対外政策と対日政策の関係については、特に「中間地帯論」と対日政策については、岡部達味『中国 の対日政策』(東京大学出版会、1976年)、清水徳蔵『中国的思考と行動様式』(春秋社、1984年)、入江啓四 郎t 安藤正士編『現代中国の国際関係』(日本国際問題研究所、1975年)、増田弘・波多野澄雄編『アジアのな かの日本と中国』(山川出版社、1995年)、声慶耀『中共的統戟外交』(台北:幼獅文化事業公司,1984年)他 を参照。

5 日本の中国政策と米国との関係については、添谷芳秀『日本外交と中国1945〜1972』前掲、陳肇斌『戦後 日本の中国政策』前掲、緒方貞子(添谷芳秀訳)『戦後日中・米中関係』(東京大学出版会、1992年)、池井優「戦 後日中関係の一考察 石橋・岸内閣時代を中心として」『国際法外交雑誌』第73巻第3号(1974年11月)他を 参照。

ドキュメント内 つくばリポジトリ (ページ 100-121)

関連したドキュメント