第1節 米台関係と中国代表権問題
1、「現状維持」と対米関係におけるジレンマ
米国による台湾海峡の固定化は、中華民国政府による台湾確保を可能とした一方で、中 華民国政府の中国における正統性と、「光復大陸」(大陸への帰還)のリーダーとしての蒋 介石の権威あるいは正統性とに大きなジレンマを投げかけていた。本節では、「光復大陸」
の放棄を合意する現状維持を原則上は肯定できない中華民国政府とその最高指導者蒋介石 が、いかにして実質的次元において米国による現状維持を確保したのか、そして、それに よって生じる矛盾のなかでいかにして「光復大陸」という目標を標樗し続けたのかを考察 する。
周知のように、中国大陸での国共内戦に敗北した後、蒋介石率いる中華民国政府は台湾 を最終基地として巻き返しをはかろうとした。そして、−一旦失った米国の支持を再び獲得
しうる状況が、朝鮮戦争の勃発を劇的な契機として出現したのである。政策転換以前の米 国の対中政策は、国務省と軍部との間で意見が分かれ紆余曲折をたどっていた。1949年1 月、中国国民党はまだ最終的に台湾へと撤退してはいなかった。この時点において、米国 の国務省と軍部では台湾を共産主義の支配から守ることの重要性においては共通していた が、その実現手段と台湾における政治権力の主体については、大きく意見が分かれていた。
統合参謀本部内では、中国共産党による台湾解放は至急のことではなく、友好的な台湾政 府を維持できるように、適切な外交的経済的手段で共産主義を阻止することは可能である との立場であったという1。これに対して国務省は、米国が領土もしくは基地の獲得によっ て直接台湾にコミットするよりも、むしろ現地における反ソ政権の育成を図る方が賢明だ
1冷戦初期の米国の中国政策と台湾政策について、軍部と国務省の意見対立軸に米国の政策決定を分析し たものとしては、湯浅成大「冷戦初期アメリカの中国政策における台湾」『国際政治』第118号(1998 年5月)、46−59ページ、衰克勤「「米華相互防衛条約の締結と『二つの中国』問題」『国際政治』第118 号(1998年5月)、60−83ページ、松本はる香「台湾海峡危機[1945−551と米華相互防衛条約の締結」
と考えていたが、その主体としては国民党も台湾人民も弱体であると判断し、とりえず台 湾における非共産主義の地方政権を支持するとの立場であった2。米国が中国国民党をその 主体として台湾の確保を図るのか、あるいは他の地方政権の育成を図るのかという問題は、
敗色の濃くなっていく蒋介石にとって死活的な問題となっていった。すなわち、台湾の確 保という次元と、蒋介石の中華民国政府を支持するという次元は、米国の政策において別 問題であったのである。
同年2月、米国政府によってとられた政策は、国務省の立場が強く反映されたものであ った。そこには、非共産主義の地方政権の育成をはかること、それを実現するための経済 援助プログラムの必要性と限定的な政治的コミットメントという方針が作成されていた3。
トルーマン(Har r yS.Tr uman)大統領は、現時点において軍事的手段を用いることに 反対する国務長官アチソン(DeanAc hes on)の意見を支持し、NSC37/2の補足文書と して、既定方針に下記の点を付け加えた。そこには、①米国高官の派遣による台湾省政府 との交渉、②効率的な経済援助のための経済協力局(ECA)使節団の派遣、③将来に備え ての台湾人運動家との接触、④台湾における軍隊の展開は一切行わないなどの事項が含ま れていた4。この段階における国務省と軍部は、台湾を中国に渡すべきではないとの方向で
一致していたが、国務省は中ソ離間を視野に入れて将来における共産党との和解をも見据 えた上で、国民党にも共産党にも台湾を渡すべきではないと考えていた。すなわち、中華 民国政府の支持という次元では、蒋介石は米国からの支持を獲得してはいなかったのであ る。また、軍事的コミットメントについては、国務省としては情勢の変化があったとして
もこれ以上のコミットメントを避け、米艦隊や訓練使節団の撤退、および台湾放棄をも可 能性としてもっていた。しかし、一方の軍部としては、これがまさに最低限のラインであ
『国際政治』第118号(1998年5月)、84−102ページ、他参照。
2NSC37/1,J anuar y19,1949,U・S・Depar t ment of St at es ,Ebr el gnRel at l ons of t het hl l t edof St at es
(以下、mt Lgと略す),194現vol .民meEbr Ebs t :CnLna,Was hi ngt onD・C・:Uni t edSt at e Gover nment Pr i nt i ngO臨c e(以下、USGPOと略す),1974,PP.270−275・
3NSC37/2,Febr uar y3,1949,j bl d,PP.281−282.
4NSC37/5,Mar chl ,1949,j bl d,PP.290・292.
った。すなわち、軍隊の展開は行わないということは戦闘行為を行わないことを意味して おり、むしろ訓練施設や艦隊を台湾に移動させて将来に備える配備展開をする必要がある
と考えていた5。
1949年8月の時点で、アチソンは、共産党による武力解放が差し迫った場合、米国は 進駐してまでコミットするほどの軍事的価値が台湾にあるのかどうかについて疑問をもっ ていた。これに対し統合参謀本部は、米軍にとって必要なのは日本・琉球・フィリピンと 連なるオフショア・アイランド・チェーンの堅持であり、台湾の問題はその防衛という観
点から総合的に考え、状況次第では公然たる軍事力行使もありうるとの立場をとり6、蒋介 石を中心とする国民党軍との関係を復活し、彼らに台湾を防衛させるしかないとの立場を
とっていた7。
1950年1月5日、トルーマン大統領は、現在議会の議決を経て継続中の援助以外は国 民党政府に対する軍事援助は行わないとの声明を発表した8。しかし、将来の介入の可能性 は、残していた。続いて1月12日、アチソンはナショナル・プレスクラブにおいて、台 湾はアメリカの防衛ライン(def ens i veper i met er )の外にあると述べたが、その裏側では 軍事援助も継続され、ラスク(Dean Rus k)極東担当次官補と軍の将官たちとの間では、規 定の枠内で援助の幅を広げる努力が行われていたという9。
1950年朝鮮戦争勃発により、米国の政策は急展開する。米国は台湾海峡への第七艦隊へ の派遣を決め、いわゆる「台湾中立化」を宣言した。しかし、この「台湾中立化」に含ま れている軍事的中立についても、国務省と軍部とでは意見が異なっていた。すなわち軍事 的中立とは、国務省にとっては「台湾の凍結」であったが、軍部にとっては「台湾侵攻の
5国務省と軍部の意見対立についての詳細は、湯浅成大「冷静初期のアメリカの中国政策における台湾」
前掲、48−50ページを参照。
6J CS1966/17,AugLus t 9,1949,J CSGeogr aphi cFi l e,1948−1950,Box22,N4.
7湯浅成大「冷戦初期アメリカの中国政策における台湾」前掲、50−51ページ。
8蓑克勤によれば、「「今の時点において」との表現は、統合本部の要請によって挿入され、将来の介入 の可能性が残されたという(「米華相互防衛条約の締結と『二つの中国』問題」前掲、61ページ)。
9湯浅成大「冷戦初期アメリカの中国政策における台湾」前掲、51ページ。
阻止」を意味していたのである10。その最大の相違点は、蒋介石と国民党へのコミットに ついてであった。国務省は、孫立人ら親米的立場の将軍など蒋介石以外の幹部や台湾自治 運動などの第三勢力による親米的政権の成立に期待をかけ、信託統治の模索も含め、台湾 移転後の国民党政府を台湾を統治する唯一の主体とは見なしていなかった。一方軍部は、
将来の大規模な軍事的関与が不可能であるならば、最も効率的な方法として国民党軍の活 用を考慮していた。しかし、結果として、時間の経過とともに台湾における第三勢力の拡 大も中ソ離間の可能性も、さらには国連による信託統治の可能性も低下し、国務省の期待 が実現する可能性は消失していった。そして、その一方中国共産党による台湾武力侵攻が 短期的に起こる可能性が低下して軍部の思惑も外れた結果、米国政府にとっては蒋介石を
中心とする政権を支持する以外に選択肢がなくなっていた11。
その後の米国は、51年5月アジア全般に関する政策文書(NSC48/5)として、「中国 をソ連から引き離す」ことを目標として、そのために「中国を孤立化させる方策」を決定 した12。その一万、52年3月(NSC128)には、台湾を共産主義政権には渡さないこと、
台湾の親米政権の支持や第七艦隊の派遣継続などの内容が盛り込まれた13。すなわち、米 国は、中ソ離間による将来の中国共産党政権との関係の可能性を見据えた中国政策と、台 湾の共産政権からの保護という台湾政策というダブル・スタンダードをとっていたのであ る。第七艦隊の台湾海峡への派遣により、台湾を確保するという次元での米国の立場が明 確にされたが、もう一つの次元、すなわち正統性争いという国共内戦の次元において中国
共産党と中国国民党のうち後者を選択したというよりも、台湾の政治主体という次元にお いて他の主体よりはとりあえず中国国民党を選択したというものであった。
台湾及び国民党政権の支持という意味においては、充分なものではなかった。そして、
その後の台湾中立化解除から米台相互防衛条約締結までの米台関係は、米国による状況の
10同上、53ページ。
11湯浅成大「冷戦初期アメリカの中国政策における台湾」前掲、56ページ。
12N SC48/5,M ay17,1951,m Ug,1951,VO 1.6As handt hel bc動par t l ,USGPO ,1978,P.33・
13NSC128,Mar c h22、1952,mt LS1952−1954,VV1.14,(乃hl aandこねpan,USGPO,PP・20q21.