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5章

I- 1. 緒言

これまでの研究においては、グルコースをはじめとする種々の糖類がフィブリノーゲン のゲル化に与える影響について検討してきた。本論文中にも示したように、フィブリノー ゲンは糖と直接相互作用し、フィブリンゲル形成が糖の存在により制御される。これらの 効果は、糖類に限定された現象であるのかを議論するために、糖類以外の物質の添加効果 をタンパク質のリフォールディングや凝集抑制効果を示すNDSBを用いて検討した。

NDSBは、タンパク質の溶解性や熱安定性を増加させることや、凝集を防止する事によ り結晶生成を促進することが知られている。しかし、NDSBがタンパク質の凝集に及ぼす 効果はまだ充分に検討されていない。

本研究に用いたNDSB-195は、親水性のスル フォベタイン基と短い疎水基を持つ、両イオン 性化合物であり、疎水性基が短い(小さい)ため に高濃度でもミセルを形成しないという特徴を 持つ。

N CH3

CH3

SO3

H3C +

-図I-1 NDSB-195の分子構造

本研究における実験の実施項目は以下の通りである。

z 動的光散乱測定によるフィブリノーゲンのゲル化に対する影響の解析 z 合成基質を用いたトロンビン酵素活性の解析

z HPLCによるフィブリノペプチドの遊離測定 z CLSMによるフィブリンゲル観察

これまでの研究における糖類の添加実験と同様に、フィブリンゲル形成における

NDSB-195の添加効果を調べた。また、本研究は群馬大学SVBL非常勤研究員の小暮広行

博士との共同研究として行った。

I-2. 試料調製と測定法

〈試料調製〉

フィブリノーゲンおよびトロンビンの調製方法は、3-1節で述べたものと同一である。

フィブリノーゲン

ウシフィブリノーゲン(Sigma-Aldrich) 最終濃度 2.2 mg/ml

トロンビン

ウシトロンビン(Wako Pure Chemical Industries) 最終濃度 0.01 NIH units/ml

NDSB(non-detergent sulphobetaine)

NDSB-195(MERCK Co.)はPBSに溶解してフィブリノーゲン溶液に添加した。

溶媒 : Phosphate buffer salinePBS

PBS(リン酸緩衝液;pH = 7.4)は組成、136.89 mM NaCl, 8.10 mM Na2H PO4, 2.68 mM KCl, 1.47 mM KH2PO4 のものを調製して使用した。

〈測定法〉

動的光散乱測定およびHPLC測定は、本論文3章と同様の方法で測定を行った。

[合成基質を用いたトロンビン酵素活性測定]

合成基質には、Boc-Val-Pro-Arg-MCA(t-Butyloxycarbonyl-L-Valyl-L-Prolyl-L-Arginine-4- Methyl-Coumaryl-7-Amide ; PEPTIDE INSTITUTE, INC.)(図I-2)を用いた。

この合成基質は、冷凍保存されているので、試薬瓶の蓋を開ける前に室温に戻した後、

直接試薬瓶にDMSO(dimethyl sulfoxide) 840μlを加え、完全に溶解させた。この時の試薬 瓶中の合成基質溶液の濃度は10 mMである。これを目的濃度に、PBSを用いて希釈した。

合成基質溶液(DMSO溶液)は、密閉して遮光した状態ならば、-20℃で約1ヶ月は保存 可能である。

トロンビンが合成基質Boc-Val-Pro-Arg-MCAのアミノ基(Arg)のC末端部分(図I-2の矢 印で示した部分)を切断すると、蛍光分子部分(MCA)が切り離され強い蛍光を発する。

この蛍光は励起波長380 nmで励起することで460 nmに発光極大を持つ。合成基質溶液 にトロンビンを加えた直後からの蛍光強度変化の値(反応速度初期勾配)と合成基質濃 度の関係から、トロンビンの酵素活性を解析することが可能である。

本研究においては、トロンビンの最終濃度は0.01 NIH units/ml、合成基質の最終濃度は 20μM で一定とし、NDSB-195の濃度を4点(0.25, 0.50, 0.75, 1.00 M)変化させて測定を行

O O

CH3 HN

HN CH C CH

O O

CH3 CH3

N C O O

HN CH C CH2

O O

CH2 CH2 NH C NH2

NH C O

CH3 CH3

H3C C

O

O O

CH3 HN

HN CH C CH

O O

CH3 CH3

N C O O

HN CH C CH2

O O

CH2 CH2 NH C NH2

NH C O

CH3 CH3

H3C C

O

I-2 合成基質Boc-Val-Pro-Arg-MCAの分子構造。図中の矢印はトロンビンに よる切断部位を示す。

い、NDSB存在下における蛍光強度変化の値(反応速度初期勾配)と合成基質濃度の関係 から、NDSB-195のトロンビン酵素活性に対する影響を検討した。測定は、日立F-4010 蛍光分光光度計を用いて、励起波長380 nm、蛍光波長460 nmで行った。測定温度は37℃

±0.01℃で行い、合成基質溶液とPBSまたはNDSB-195溶液の混合液は、測定温度で約 10分間インキュベート後に測定を行った。また、トロンビンを加えた時をt = 0として、

蛍光強度の経時変化を観測した。

I-3. 結果と考察

NDSB-195(0.25, 0.50 M)を添加したときの散乱光強度の経時変化を、NDSBを添加しな いフィブリノーゲン-トロンビンのみの系(コントロールと表記)における結果と共に図 I-3 に示す。NDSB-195 を添加した場合には、散乱光強度はコントロールに比べて1/10 程 度しか増加せず、図I-4に示した40時間反応後の写真でも、白濁状態に顕著な差が確認さ れた。

elapsed time [min]

0 100 200 300 400 500 600

intensity [arbit. units]

1 10 100

Control

+ NDSB 0.25 mol/l + NDSB 0.5 mol/l

I-3 フィブリノーゲンのゲル化過程における散乱光強度の経時変化。NDSB-1950.25, 0.50 Mで添加。

通常、コントロールでは図I-4 Aのような 白濁したゲルが形成されるが、NDSB-195 を 添加すると図I-4 Cのような透明なゲルが形 成され、そして添加したNDSB-195の濃度に 依存して透明度が高くなることがわかった。

このことから、NDSB-195 の添加がフィブリ ンゲルのネットワーク構造に強く影響を与え、

NDSB-195 存在下では、コントロールよりも

均一なネットワーク構造を持ったゲルが形成 されることが示唆された。

I-5と図I-6に0.50 M のNDSB-195を添加したときの自己相関関数の経時変化と緩和 時間分布の経時変化を示す。散乱光強度の経時変化からだけでは、明確なゲル化時間(ゲル 化点)を見積もることができなかったが、自己相関関数と緩和時間分布の経時変化から、

NDSB-195を添加した場合のゲル化には、コントロールに比べて約10倍の時間がかかって

いることがわかった。これらの結果から、添加したNDSB-195はフィブリノーゲンのゲル 化(凝集)にも強く影響を与えていることが明らかになった。

t [ms]

10-3 10-2 10-1 100 101 102 103 104 g(2) (t)-1 [arbit. units]

10-3 10-2 10-1 100

5 min 60 min 120 min 210 min 540 min

I-5 動的光散乱測定によるフィブリ ノーゲンのゲル化過程における 自 己 相 関 関 数 の 経 時 変 化 。

NDSB-195 0.5 M存在下。)

decay time, τ [ms]

10-2 10-1 100 101 102 103 104 105 106

G(τ) [arbit. units]

0.00 0.01 0.02 0.03 0.04 0.05 0.06

5 min 60 min 120 min 210 min 540 min

I-6 緩 和 時 間 分 布 の 経 時 変 化 。

(NDSB-195 0.5 M存在下。)

A B C A B C

I-4 37℃で 40 時間反応後のフィブリ ン ゲ ル に お い て 観 察 さ れ た NDSB-195の添加効果。NDSB-195 の濃度は、A; 0, B; 0.25, C; 0.50 M

動的光散乱測定により、NDSB-195 の添加が フィブリノーゲンのゲル化に影響を与えること が明らかになった。このNDSB-195添加による 影響が、フィブリノーゲンとトロンビンのどち らとの相互作用に起因するのかを確認する必要 がある。そこで、まずはNDSB-195とトロンビ ンとの相互作用の有無を検証するために、合成 基質(MCA)を用いてトロンビン酵素活性測定 を行った。その結果を図I-7に示す。

合成基質(MCA)に対するトロンビンの酵素活性(V0:反応初速度)は、NDSB-195 の濃度 の増加に伴って減少したが、その減少量は徐々に緩やかになった。この結果から、

NDSB-195 はトロンビンの酵素活性に影響を与えてはいるが、完全には阻害していないこ

とがわかる。また、添加したNDSB-195はトロンビンの酵素活性に影響を与えることによ り、フィブリノーゲンのゲル化を遅延したと推測できる。

NDSB-195 がトロンビンの酵素活性に影響を与えていることが明らかになったが、

NDSB-195 存在下においてもゲル化が観測されていることから、さらにフィブリノペプチ

ド切断への影響を検証するためにHPLCを用いてFPA、FPBの遊離の検出を行った。検出 結果を図I-8に示す。図I-8 (A)はコントロール、(B)は0.50 MのNDSB-195を添加したとき の結果である。コントロールでは4つのピークが検出され、本論文3章に示した結果同様 に、1番目のピークがFPA、3番目のピークがFPBに対応している。一方、(B)ではNDSB-195

を0.50 M添加したことによりFPA、FPBの遊離が抑えられた結果となった。

また、HPLC測定用の試料調製において、通常のフィブリノーゲン試料(フィブリンゲル)

は3分程度の煮沸により凝集、白濁するが、NDSB-195を添加した試料は加熱しても凝集 せず、透明のままであった。このことから、NDSB-195 はフィブリンゲルの熱凝集を抑え ていることが示唆された。しかし、熱凝集が抑制されたことにより、次の操作の超遠心分 離においても沈殿物が明確でなかった(透明であった)ため、遊離したフィブリノペプチド を完全に分離することができず図I-8B)に示したようにFPA、FPBのピークが小さくなり、

NDSB conc. [ M ] 0.00 0.25 0.50 0.75 1.00 V0

0 5 10 15 20 25 30 35

I-7 合成基質(MCA)を用いたト ロンビン酵素活性測定に対す NDSB-195の添加効果。

さらにコントロールでは検出されないフィ ブリノペプチド以外のピークが検出された と考えられる。本実験の結果においては、

NDSB-195 の添加がフィブリノペプチドの

遊離にどのような影響を与えるのか、明確 な議論はできなかったが、NDSB-195 はト ロンビンの酵素活性を完全に阻害すること はなく、フィブリノペプチドを切除するこ とが明らかになった。

I-4に示したように、NDSB-195存在下 では透明なフィブリンゲルが形成され、動 的光散乱測定の結果からも、コントロール に比べて均一なネットワーク構造を持った ゲルが形成されることが示唆された。この フィブリンゲルのネットワーク構造を、本 論文3章と同様の方法を用い、共焦点レー ザー顕微鏡(CLSM)により観察を行った。

その結果、NDSB-195 存在下においては、コントロールのフィブリンゲルで観察される ようなネットワーク構造が観察されなかった。この結果は、NDSB-195 存在下において形 成されるフィブリンゲルのネットワーク構造が細かく均一であったため、コントラストが つかずコントロールで観察されるような CLSM 画像を取得することができなかったと考 えられる。

これらの結果から、NDSB-195はフィブリノーゲンにも作用してゲル化を遅延(抑制)し、

形成されるネットワーク構造にも影響を与えていることが明らかになった。

NDSB-195 の添加効果は、糖類の添加効果とは異なる特徴を持ち、その作用機構は本論

文中で考案したグルコースやデキストランの作用機構とは異なる可能性が示唆され、興味 深い結果となった。しかし、図I-8に示したようにNDSB-195存在下においては、従来の

retention time [min]

0 5 10 15 20 25

absorbance at 215 nm x103

0 50 100 150 200

retention time [min]

0 5 10 15 20 25

absorbance at 215 nm x103

0 50 100 150 200

(A) Control

(B) + NDSB 0.5M FPA

FPB

retention time [min]

0 5 10 15 20 25

absorbance at 215 nm x103

0 50 100 150 200

retention time [min]

0 5 10 15 20 25

absorbance at 215 nm x103

0 50 100 150 200

(A) Control

(B) + NDSB 0.5M FPA

FPB

I-8 フィブリノーゲンのゲル化に伴うフ ィブリノペプチドの遊離検出(HPLC)

の結果。Aコントロール、(B NDSB-195 0.5 M存在下。

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