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162 彦根論叢第244詠

いる。特に最:大地主横山家では,14年155円から25年108円へと31%も落ちこん でいるほどである。こうしたA層の低落傾向に対し,耕作地主のB層3名(地 租40円〜80円に相当)は,上昇1・維持2で安定しており,地主自作のC層5 名(ほぼ地租20円〜40円に相当)も,維持8・下降1,D層の12名(ほぼ地租 10〜20円に相当)も維持6・下降1というように,全体として安定基調にある

といえよう。このように中上層に位置するB・C・D層が安定的経営を維持し ているのに対し,下層のE・F層はかなり激しい両極分解的傾向を示している。

E層36名(ほぼ地租3円〜10円に相当)は,上昇6・維持16・下降14と分解し,

F層30名(地祖3円以下に相当)も上昇11・維持13・下降6と両極に分解して いる。このE・F層の下降者20壷中12名は無所有者へと転落しているが,彼等 の多くは,零細自小作の小作人への転落というよりも,脱農化し町場や都市へ 流出していったものと思われる。それは,A層をはじめとする地主層がこの期 に土地兼併を進展させていないことからも判断できるが,大戦末期から20年代        3T)

にかけての諸職工・労働者・人夫等の労賃の高騰が進む一方,高率小作料の重 圧と物材費(肥料その他)の上昇でますます農業収益が不利化してゆく状況の 中で,脱農化が進展していったのである。そうした当時の状況を1921年6月21 日の『静岡民友新聞』は次のように描写していた。

 市街地に接続した農村は異調生活の程度も高く農業部門では当抵生活の余裕  がないのは事実で,農閑の時には荷車をひいたり大工人夫等の日雇稼に出る  と1日2円位の現金は入ってくるのだから汗水を垂らして働く農家は,気楽  で居て金儲が出来る方へ自然と傾いて行って遂には色々の商売気を出し折角  の百姓がこの有様になる。従って作物も収穫も少い訳で一層商売を替へて仕  舞ふというがだんだん多くなった。

 まさに「市街地に接続した農村」たる御殿場地域の状況を彷彿とさせるもの 37)周知の事実に属するので表出はしなかったが,近隣小都市沼津における労賃(日給)

 の推移をあげておくと以下のようである。1914年農作日雇54銭・大工70銭・石工70銭  ・日雇入夫50銭→1919年同62銭・1円76銭・2円・1円20銭,1921年同1円50銭・2  円50銭・3円・1円80銭(『静岡県統計書』による)。このように諸労賃の上昇とその  中での農業日雇賃銀の相対的低さは明らかである。

    「政党政治」確立期における地域支配構造(1) 163 表13 農村における階層別家族構成・

F E

D

C

B A

 1〜3人  4〜6人  7〜9人

ホダ  りい

10人以上

8戸 19

4 1

−ρ083

 0Q− 噌18ρ05

  1

0り白﹁0 01り自

1010

平均5・・人i6・・Z・巨4 Z・

4

出所)表11と同じ

注)東田中部落と東山部落の二農村部落について集計した。

であるが,E・F層は,家族構成からみても(表13)平均5.1〜6.1人と,7.3

〜7.6入を擁iするB〜D層と比べて少なく,最も流出人口の多い階層であるこ とがわかる。

 しかしながら注目すべきことは,E・F層の中には17名もの上昇者が存在し,

そのうち7名が農会品評会の入選者であるということである。相対的に少ない 家族労働力のもとに置かれたE・F層にとって,農村に留って沓底限人夫や大 工並の収益を確保してゆくためには,農会の唱導する農事改良事業に積極的に とりくみ,自己の農民的小商品生産者としての成長を図ってゆく以外に途はな かったのであろう。そしてその成長過程の前に大きく立ちはだかったものこそ,

高率小作料の存在にほかならな「かったのである。

(3)地主・小作関係の変化

 ここでは残された『大正10年御殿場町小作慣行調査』によりながら,当地の        38)

地主小作関係の内実に迫っていきたい。まず小作料の水準を確認すると,田で は小作料率52%,畑では麦及び玉蜀黍の場合33%,麦及び甘藷の場合18%であ り,全国平均の田53.5%(二毛作)・畑40%と比べ,畑における永準の低さが 確認できる。 「小作料騰落ノ趨勢」につい七は「些々騰貴ノ趨勢ニァリ」とし,

      39)

明治期以降の農会を中心とした「施肥及作物ノ品種改良耕作方法改良ノ結果土 38)御殿場町においては,いまだ『小作帳』等の地主経営文書が発見されていない。

39) こ・うした明治期の農会活動の実態については,前掲拙稿「日本産業革命期における   名望家支配」参照。

164 彦根論叢第244号

地肥沃トナリ其他耕地整理ノ結果多収穫ヲ得ルニ至」つたことをその原因にあ げているbだがこのような農業生産力上昇分に対する地主の小作料増徴の要求 は,現実には小作人側の抵抗に直面して,大きく後退せざるをえなかったので ある。それは特に従来から低水準にあった畑小作料について顕著に現れた。

「畑小作料ノ種類ノ変遷並其ノ傾向」には次のように記されている。

 ○明治40年頃迄ハ畑ノ小作料ハ殆ント大豆玉蜀黍等ニシテ変遷トシテ見ル程   ノコトナカリシモ近時大豆玉蜀黍等ノ栽培減少シ疏菜類等ノ栽培梢々増加   ノ傾向ニシテ是等が為国管物納困難トナリ金納トナルモノノ如シ。畑小作   金納ノ割合ハ七割。

 ○小作地二対スル負担過重トナリ相場二変動アルモ従来ノ小作料金額増徴困   難ニシテ毎年小作料金額ヲ決定スルモノニ在リテハ其ノ決定二際シ地主小   作人間二協定調べ難ク為二両者間ノ親善ヲ妨グルコトァリ。……現在ノ状   態ニチハ地主ノ収益少キヲ以テ弊害多シ。(傍点は引用者)

 このように,大戦期以降の疏菜栽培という新たな商業的農業の成長が,従来       40)

の物納小作料形態の維持を困難にさせ,さらに金納化した小作料の相場につい ても地主小作間に対立が生じ,「地主ノ収益少キヲ以テ弊害多シ」という状況 に立ち至っていたのである。そして小作人側に「適正な小作料水準」を要求さ せる根拠になったものこそ,人夫や大工・石工等の賃銀高騰と所得水準の上昇 を眼のあたりにして,「農業の不利化」を自覚し,せめて彼等なみの生活を保 障する自家労賃を実現したいという「V」の意識化で、あったことは,当地の労        41)

働市場の展開のあり方からみてもはや論をまたないであろう。

40)栗原百回目前掲書において,大正10年から昭和11年に至る代金納及び金納小作の全  国的動向を概観し,「西日本は小作料形態の正常な発展過程を辿って漸次代金納から  金納へと推移しつつあり,反対に東日本は旧慣的な金納小作の停滞と新たに代金納の  導入によって漸く正常的な発展過程に転化しつつある」とまとめている(栗原『日本  農業の基礎構造』,197頁)。これによれば御殿場の事例は西日本的な,かなり先進的  事例といえようか。

41)前述の都市的「雑業的」労働市場と農村労働力との給合のあり方,その中で小作農  民の「V」意識の高まりと争議への発展がみられる論理については,なによりも暉峻  衆三『日本農業問題の展開上』東京大学出版会,1970年,参照。ただし,農村が労働  市場へ包摂される中で,下層農が「V」意識を高め,それをペイさせるだけの小商晶

       「政党政治」確立期における地域支配構造(1) 165  では現実の小作料水準はその後どのような推移を辿ったのであろうか。まず A層の15町歩地主横山家の実納小作料は,田では1912年225俵→15年230俵→

20年200俵→21年160俵→25年155俵→28年130俵と推移し,20年代に入り一貫し て低落傾向に陥っている。畑も物納トウモロコシは1915年70俵→19年55俵→22 年50俵→27年42俵と漸減してゆき,28年からは物納形態は廃止されるに至って

 る う

いる。またB層の耕作地主の場合でも,1925年の所得税調査の際には「畑小作 金収入減少セリ。理由労働者ノ勢力強ク小作料等減少セリ」と記し,小作人側 の攻勢的姿勢のもとに従来どうりの小作料収取が不可能な状態に陥っているこ とが判明する。さらに御殿場町が行った田畑小作料割引率の調査によれば,田 畑とも1920年代後半には,前半に比し収穫高の増減率よりも割高な小作料が取 られることは不可能な状況が実現されていったことがわかる。例えば田におい

表14 田畑収穫高と小作料割引率

1921年

26年

28年 29年 30年

収穫増減率 小作料割引率

一150/o

一18

−15

−14

−16

[iiig

一5%

一18

−13

−14

︷=il −16

収穫騨率1小作料割引率

一25 0/e

o

a5

OAU

一150/e

o

000

出所)各年次『諸官衙照会綴』各年次より。

 生産者として労働生産性向上に油壷してゆくか,他産業労働者として離農を選ぶかの  二者択一の岐路に立たされ,前者の場合は「V」部分確保のために小作料減免争議に  立上ってゆくとする論理展開については,綿谷趨夫氏も前掲論文の中で鋭く指摘して  いた。こう考えてくると,20年代における農会や二二による農業組織化の問題も,小  農を農村に留らせ,脱農化させないだけの「V」確保を保障するための生産と流通部  面での合理化施策であったと訴えねばならないであろう。

42) 横山家「田畑小作料控帳」より。

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