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C 丸  瓦

ドキュメント内   D 回廊外の建物の配置復元について (ページ 72-77)

 1 年 代 比 定

 a 行基丸瓦

 行基丸瓦は以下の   つのグループに再編成でき、山田寺式軒丸瓦などとの比較で年代が特定、3 あるいは推定できる。

行基丸瓦AⅠa・AⅡa・AⅣa 当時、これらは叩き工程後におこなう凸面のナデ調整を非常にて いねいに仕上げるAⅣaを目標としていたが、AⅠaとAⅡaでは筒部凸面のごく一部に叩き目の ナデ残しがたまたま生じてしまったと推定される。焼きが硬質で、色調が青灰色を帯びる特徴 は相互に共通し、これは石川麻呂造営期に製作された山田寺式軒丸瓦A・B・D種と一致するの で、その段階の丸瓦と考えることができる。

行基丸瓦AⅡb・AⅡd これらは行基丸瓦AⅠa・AⅡa・AⅣaと比べて、叩き工程後の凸面のナ デ調整を大幅に省略するので、凸面が凸凹のものが目立ち、ほとんどが斜格子叩き目を残して いる。法量をみても、先に述べた行基丸瓦AⅠa・AⅡa・AⅣaと比べて、全長が平均で   ㎝小3 型化する(F i g . 106・107)。焼きがやや軟質となり、色調も表面と芯が不均質となる特徴は、窯 での焼成温度の低下を示す。これらの特徴は天武朝造営期に製作された山田寺式軒丸瓦A・C・

F種と一致するするので、その段階の丸瓦と考えることができる。

行基丸瓦AⅢ これは前述した   つのグループと比べて、焼き質がきわめて軟質であり、結果と2 して凸面の風化がもっとも顕著である。焼き質と色調、そして凸面に縄叩き目を施す特徴は、

奈良時代に製作された山田寺式軒丸瓦A・C種と一見共通するが、奈良時代の大和ではすでに行 基丸瓦はほとんど製作されていないので、天武朝造営期の搬入品とみるてお

     )1

く。

 b 玉縁丸瓦

 玉縁丸瓦は以下の   つのグループに再編成でき、山田寺式軒丸瓦などとの比較と従来の丸瓦6 研究の成果に基づき、年代が特定、あるいは推定できる。

玉縁丸瓦BⅠa・BⅡa・BⅣa これらは量的に玉縁丸瓦の主体をしめる。

 BⅣaが当時の調整上の目標であり、BⅠaとBⅡaは叩き具の差こそあれ、筒部凸面の格子叩き 目の一部をナデ残したにすぎない。玉縁がすぼまらず、肩凹面側の屈曲が強いという飛鳥・白 鳳時代の丸瓦の特徴をもつ。

 さらに、BⅠa・BⅡa・BⅣaは行基丸瓦AⅠa・AⅡa・AⅣaと同様に、石川麻呂造営期製作の 山田寺式軒丸瓦A・B・D種と一致する焼き質と色調をもつので、その段階の丸瓦と考えること ができる。

玉縁丸瓦BⅡb・BⅢb  1 これらは叩き具の差こそあれ、玉縁がすぼまらず、肩凹面側の屈曲が 依然として強いものを主体としながら、玉縁がややすぼまり、肩凹面の屈曲がやや緩やかにな る個体も出現する。つまり、これらには玉縁丸瓦BⅠa・BⅡa・BⅣaと比べて型式学上、新しい 特徴が出現している。これらは焼き質と色調の点で、行基丸瓦AⅡbと同様に、天武朝造営期製 作の軒丸瓦A・C・F種と一致する特徴をもつので、その段階の丸瓦と考えることができる。縄 石川麻呂期

の行基丸瓦

天 武 朝 の 行 基 丸 瓦

石川麻呂期 の玉縁丸瓦

天 武 朝 の 玉 縁 丸 瓦

叩き目をもつBⅢb   は本薬師寺などからの搬入品の可能性があろう。1

玉縁丸瓦CⅢb 本丸瓦においてのみ認められる粘土紐巻きつけ技法などの特徴は、藤原宮の丸 瓦にも存在する。量的に非常に少ないので、その段階の搬入品であろう。

玉縁丸瓦BⅢb   〜 2  6 これらは玉縁がすぼまり、肩凹面側の屈曲が緩やかになり、凸面叩き具 が格子叩き目からすべて縄叩き目に変わるという、BⅡbとBⅢb   より型式学的に新しい特徴を1 もつ。

  BⅢb   〜 2   ・ 4   の法量(平均筒部長33㎝、F i g . 107)はBⅡbとBⅢb 6   とほぼ一致するが、BⅢ1 b   は①、②ともそれらより 5   ㎝ほど長くなる(平均筒部長36㎝、F i g . 108)3 。

 BⅢb   〜 2   ・ 4   の焼き質と色調は、山田寺に搬入された平城宮式軒丸瓦とも共通し、凹面の6 布目がすべて密なので、奈良時代から平安時代前期に位置づけられる。

 BⅢb   ①・②の焼き質と色調は、それぞれ鬼面文鬼瓦A・B種(前者は天平宝字年間の製作、5 後者は天平宝字年間〜平安時代初期と推定)と一致する。BⅢb   ①・②は筒部長がともに長く、5 共通する特徴をもつので、両者に長い時間差があったとは考え難く、ともに天平宝字年間から、

平安時代初期にかけての修理用丸瓦の可能性あると考える。

玉縁丸瓦BⅢb  8 本丸瓦は凹面の布目が粗いという、ほかの丸瓦にない特徴をもつ。これと凸 面調整の粗さと玉縁側縁凸面よりのケズリは、平安時代中・後期の丸瓦の特徴であ

     )2

る。

玉縁丸瓦BⅢb  7 本丸瓦は布目が密になっており、製作時に各種の特徴的な吊り紐を使用して いるので、中世の丸瓦であ   る。  )3

 BⅢb   ①は法隆寺Aタイプの吊り紐をもち、これを丸瓦部とする右三巴文Aの特徴からみて、7 鎌倉時代前期(13世紀)初頭である。②と③は法隆寺Bタイプの吊り紐をもち、玉縁凸面の側縁 を肩口を含めて軽く面取りするので、室町時代前期(14世紀)後半である。④は法隆寺Cタイプ の吊り紐をもち、凹面に小判状の内叩きを施すので、室町時代中期(14世紀末〜15世紀)に位 置づけられる。

 2 所用建物  

 a 石川麻呂造営期の丸瓦

行基丸瓦AⅠa・AⅡa・AⅣa 回廊・中門所用の山田寺式軒丸瓦D種の丸瓦部は行基と玉縁があ り、前者の特徴は行基丸瓦AⅠa・AⅡa・AⅣaと一致する(Ph.86−19・20)。また、行基丸瓦 AⅠa・AⅡa・AⅣaの分布からみると、多くが回廊から出土している(別図16)。したがって、

これらは主として石川麻呂造営期の回廊・中門創建瓦と考える。

 AⅡaやAⅣaのなかには、金堂と塔に分布するものが若干ある。丸瓦の広端幅が17㎝〜18㎝以 上あり、金堂所用の山田寺式軒丸瓦A種の瓦当径に十分対応できる丸瓦もある。また、これら のなかのAⅡa   とAⅣa 2   は、筒部の厚さが20〜25㎜と非常に厚手である。したがって、行基丸2 瓦AⅠa・AⅡa・AⅣaのなかには、石川麻呂造営期の金堂用に製作されたものもあった可能性 がある。

 なお、AⅣaのうちヘラ記号「 ⇒ 」(矢印   )をもつものは、天武朝造営期創建の南門付近に2 集中的に分布する。これは天武朝造営期の回廊や中門の修理において屋根から下ろされたもの の再利用であろう。

本薬師寺な どから搬入

奈良〜平安 時代の丸瓦

中世の丸瓦

回廊・中門 所用の丸瓦

玉縁丸瓦BⅠa・BⅡa・BⅣa 法量の数値のばらつきが大きいのは、石川麻呂造営期に建設さ れた金堂・回廊用の丸瓦とともに、一部製作されていた塔の丸瓦を含んでいるからである(

106)。法量のグラフを分布との関係でみると、広端幅約17〜18㎝を境にそれより大きい金堂用、

それより小さい回廊用と塔用が区別されていたことがわかる。

 さらに分布との関係で筒部長をみると、金堂用は36〜39㎝、回廊、塔用は30〜36㎝が主たる 目安であったことがわかる。したがって、BⅣaの場合、BⅣa   は金堂用、BⅣa 1   は回廊・塔用2 ということになろう。ただし、塔用のBⅣa   とBⅡaは山田寺式軒丸瓦B種とともに窯付近に放2 置(貯蔵)され、天武朝造営期に再利用されたと考えられる。

 b 天武朝造営期の丸瓦

行基丸瓦AⅡb・AⅡd 分布が東回廊全体におよんでいるので、天武朝造営期の回廊・中門修理 瓦と考える(別図17)。金堂と塔に分布するものが若干あり、広端幅が16〜20㎝と数値に幅があ るので、金堂の修理と塔の創建に供給されたものもあった可能性がある(F i g . 107)。

行基丸瓦AⅢ 分布は東面回廊全体におよんでおり、とくにその南端に多く分布する(別図17)。 量的にはAⅡbやAⅡdを若干上まわり、回廊や中門の中心的修理瓦と考える。塔に分布するも のが若干あるので、塔に供給されたものもあった可能性がある。

玉縁丸瓦BⅡb・BⅢb  1 BⅡb   の法量の数値のばらつきはBⅡa、BⅣaと比べてやや小さくな1 るが、複数の堂塔の丸瓦を含んでいることは明らかである(F i g . 107)。その法量のグラフを分 布との関係でみると、広端幅約18㎝を境にそれより大きい金堂(天武朝修理)用、それより小 さい回廊(天武朝修理)用と宝蔵(天武朝創建)用、大垣(天武朝に瓦葺きか)用が区別され ていたことがわかる。

 さらに分布との関係で筒部長をみると、金堂修理用は33〜36㎝、回廊修理用は30〜36㎝、宝 蔵・大垣用は30〜33㎝が主たる目安であったことがわかる。金堂修理用の丸瓦は、天武朝造営 期にも使用された山田寺式軒丸瓦A種に接合する。宝蔵用の丸瓦は、山田寺式軒丸瓦C種に接合 する。回廊用の丸瓦の一部は、山田寺式軒丸瓦のF種に接合して使用したと考えられる。大垣で は軒丸瓦を葺いた可能性は低いが、南門は大垣用の丸瓦と山田寺式軒丸瓦C種を葺いた可能性が ある。

 天武朝造営期完成の塔と講堂の丸瓦のうち、山田寺式軒丸瓦C種と組む天武朝造営期製作の丸 瓦は、回廊に分布するBⅡbのうちのやや大振りのものであった可能性が考えられる。BⅢb   の1 法量の数値幅はBⅡbと比べてさらに狭く、BⅡbの宝蔵用と大垣用の法量に近い。これらの建物 などに補足的に葺いたのであろう。

 c 文武朝前後の丸瓦

玉縁丸瓦CⅢb 本丸瓦は分布上使用堂塔を特定することは困難だが、その法量がBⅡbの金堂用 に匹敵し、出土数が少ないので、金堂補足用と考える。CⅢbは技法上藤原宮期のものであり、

藤原宮かその瓦窯からの搬入品と考えられる。なお、文武朝に大官大寺からも軒瓦(6231C−

6661B)が少量搬入されている。

 『続日本紀』には、大宝   年(703) 3  2月に持統天皇の四十九日の法要を山田寺でも行ったこ とが記述されている。玉縁丸瓦CⅢbなどの山田寺への搬入は、その法要に先だって行われた小 規模な修理と関連する可能性がある。

F i g . 金堂・回廊

・塔用丸瓦

回廊・中門 修理用丸瓦

金堂・回廊 修理用丸瓦

宝蔵・大垣 用 の 丸 瓦

ドキュメント内   D 回廊外の建物の配置復元について (ページ 72-77)

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