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B 軒  平  瓦

ドキュメント内   D 回廊外の建物の配置復元について (ページ 59-72)

 1 重弧文軒平瓦の変遷と所用堂塔

 a 重弧文軒平瓦の変遷

 重弧文軒平瓦にかぎらず、  7〜   世紀の軒平瓦の製作技法は、大きくは桶巻作り技法から一8 枚作り技法に変化する。畿内、なかでも大和の都城や寺院では、この技法の転換が奈良時代初 頭、平城宮造営時に起こったと考えられてき

     )1

た。しかし、平城宮・京の軒平瓦を詳細に検討す ると、奈良時代当初の平城宮・京軒瓦編年第Ⅰ−   期(和銅元年〜霊亀元年 708〜715年)に1 は桶巻作り技法が依然全盛で、一枚作りへの変化は平城宮・京軒瓦編年第Ⅰ−   期(霊亀元年2

〜養老五年頃 715〜721年頃)にはじま

     )2

る。

 また、桶巻作り軒平瓦では、瓦当文様の施文がどの段階でおこなわれるか、つまり粘土円筒 の状態で   枚分ないし 4   枚分を一度に施文してしまうのか、一枚ずつに切り離してから個々に3 施文するのかが編年の一つのポイントになる。都城の軒平瓦についてみれば、この施文手法の 変化は藤原宮期に起こっ

     )3

た。

 このように、軒平瓦の製作技法と施文手法は、基本的には、桶巻き作り・粘土円筒分割前施 文→桶巻き作り・粘土円筒分割後施文→一枚作り、と変化する。この変化は、山田寺の重弧文 軒平瓦にもあてはめることができる。

 山田寺の四重弧文軒平瓦は、A〜H型式に分類した。これを製作技法によってまとめると、桶 巻き作りで粘土円筒分割前施文をおこなう型式(A・B・CⅠ・D・E型式)、桶巻き作りで粘土 円筒分割後施文をおこなう型式(CⅡ型式)、一枚作りの型式(F〜H型式)の三つとなる。これ は、そのままおおまかな年代順とみなしてよかろう。

 さらに、桶巻き作りで粘土円筒分割前施文をおこなう型式、A・B・CⅠ・D・E型式の瓦当文 様を比較すると、A型式はAⅠ・AⅡ型式とも上から   本めの弧線(第 2   弧線)がほかより太2 い。これは、創建の山田寺式軒丸瓦の外縁に飾られた重圏文の特徴、外から   本目がほかより2 も太い特徴、と共通する。BⅠ・BⅡ型式あるいはD型式のなかにも、弧線の   条だけが太いも1 のはあるが、上から   本目が太かったり、中の 3   条がほかより太かったりして、AⅠ・AⅡ型式2 のように上から   本目が必ず太くなるようにはなっていない。したがって、AⅠ・AⅡ型式が山2 田寺の重弧文軒平瓦のなかでは、もっとも古い型式と認めてよい。

 そして、CⅠ型式やE型式になると、弧線の太さに全く違いがなくなっている。この   型式は、2 桶巻き作りで粘土円筒分割前施文をおこなう型式のなかで最も新しく位置づけることができる。

E型式は縄叩きをおこなうが、飛鳥地域の寺院で縄叩きが普及するのは、川原寺以降だから、こ の点でも   世紀前半代にはおきがた7

     )4

い。

 以上のように、山田寺の四重弧文軒平瓦は、A型式→B・D型式→CⅠ・E型式→CⅡ型式→F

〜H型式、の順に変遷したと考える。このうち、A〜CⅠ型式までが創建段階(石川麻呂造営期 と天智朝以降の造営再開期)、CⅡ型式以降が文武朝以降の修理や造替にともなうものと考える。

E型式は創建段階の末期かそれ以降で、CⅡ型式と大きな年代差はないだろう。

施 文 の タイミング

軒平瓦編年 の 大 枠

重 弧 文 の 文様の変化

 b 四重弧文軒平瓦各型式の所用堂塔

 平面分布から四重弧文軒平瓦の所用堂塔を推定復元する。均整唐草文軒平瓦などについては、

第Ⅴ章   Bで簡単に触れたのでこれを略し、重弧文軒平瓦についてくわしく検討する。各型式ご2 とに検討していこう(以下では型式を省略)。

四重弧文軒平瓦A 四重弧文軒平瓦AⅠとAⅡは、その分布に大きな違いがある。

 四重弧文軒平瓦AⅠは、東面回廊および南面東回廊で、倒壊した状態でみつかった屋根瓦の 軒先に並んでいた。これは、分布図にも明らかだ。これに加えて、四重弧文軒平瓦AⅠは、塔 の四周からもまとまって出土している。

 一方、四重弧文軒平瓦AⅡは、AⅠと同じように金堂と塔の間から多く出土しているが、塔の 東西と南からはそれほど多くは出土せず、金堂の東西から多量に出土する。回廊周辺からの出 土量も少ない。

 四重弧文軒平瓦AⅠとAⅡの平面分布の違いは、金堂所用の四重弧文軒平瓦AⅡ、塔・回廊所 用の四重弧文軒平瓦AⅠ、というように、それぞれの堂塔で創建軒平瓦が違っていたことを示 している。四重弧文軒平瓦AⅠとAⅡでは、瓦当幅に大小があって同じ屋根にのせるのは難し い。

 なお、四重弧文軒平瓦AⅠには、布袋   種類が使用されたが、そのうちで出土量の多い「布3 a」と「布b」とで平面分布を比較してみても、両者にそれほどの差はみえない。   2種の布袋は 時間差をもって使用されたものの、屋根葺きのおりには製品が各々混在して持ち込まれたと考 えてよい。

四重弧文軒平瓦B 四重弧文軒平瓦BⅠは塔の周辺と宝蔵東方の東面築地SA535周辺に分布する。

四重弧文軒平瓦BⅡも塔周辺にあるが、BⅠにくらべると金堂周辺からの出土もめだち、さらに 南門周辺ではこの型式がもっとも多数をしめる。

四重弧文軒平瓦C 四重弧文軒平瓦CⅠなかでもCⅠ   は、宝蔵の周辺からの出土がもっとも多1 い。この建物の創建軒平瓦でよい。宝蔵以外では、回廊内に散在する。四重弧文軒平瓦CⅡも回 廊内に散らばるが、CⅠにくらべると金堂周りにやや多い。

四重弧文軒平瓦D これも回廊内の金堂と塔の周辺に分布する。同じ桶で作られたBⅡに比較す ると塔周辺での出土数がやや目立つ。

四重弧文軒平瓦F 四重弧文軒平瓦FⅠが金堂周辺に分布する。瓦当幅が大きい点でも四重弧文 軒平瓦AⅡの補足瓦にふさわしい。

四重弧文軒平瓦G 四重弧文軒平瓦FⅠとは対照的に塔の周辺にまとまる。

 四重弧文軒平瓦E・Hおよび三重弧文軒平瓦は出土数が少なく、特定の建物との関連は薄い。

 以上、四重弧文軒平瓦各型式を所用堂塔ごとにまとめると、金堂はAⅡ、回廊はAⅠ、塔は、

AⅠとBⅠ、南門はBⅡ、宝蔵はCⅠ、がそれぞれ創建の軒平瓦にあたる。金堂にはその後、BⅡ やDが補足された。

    世紀、奈良時代には金堂にFⅠ、塔にはGが中心的に補填された。このときの修復は屋根瓦8 の差し替えにとどまらず、建物の塗り直しをともなった本格的な解体修理だった可能性が高い。

一方、回廊(東面と南面東)の創建軒平瓦AⅠには塗り直しの痕跡が乏しい。中門の創建軒平 瓦は回廊と同じAⅠ、講堂にはBⅡやDを葺いたと推定する。

AⅡは金堂 AⅠは 塔 と回廊所用

金堂と塔の 修 理 用

 2 桶巻作り四重弧文軒平瓦の製作技法

 山田寺から出土した四重弧文軒平瓦のうち、粘土板桶巻作り技法によって作られた四重弧文 A〜Eについて、その製作技法をまとめる。

 重弧文軒平瓦に限らず、桶巻作り軒平瓦の製作技法に関する研究は、ようやく最近になって 進められだした、といってよいだろう。この分野では、岡本東三氏や佐川正敏氏らが、主に法 隆寺西院伽藍創建軒平瓦(法隆寺式軒平瓦)を題材に技法の解明を進めてき

     )5

た。最近では、か つて須藤隆氏のおこなった研究成果に基づきつつ、山崎信二氏がさらに詳しくこの技法の実態 に迫ってい

     )6

る。

 以下では、山崎氏および、桶巻作り平瓦に関する佐原眞氏や五十川伸矢氏の研究、および丸 瓦に関する大脇潔氏の研究成   果を参照しつつ、山田寺から出土した重弧文軒平瓦の製作技法に  )7 ついて述べる。

 なお、軒平瓦凹面の上下左右は瓦当を下、狭端を上においた状態で記述する。

 a 四重弧文軒平瓦AⅠの桶と布袋(Ph.97〜99、F i g . 185〜187)

 四重弧文AⅠは狭端と瓦当の幅の差がほとんどない。つまり、瓦の平面形が長方形をしてい る。したがって、これを製作した桶は円筒形をしていた。類例は、川原寺や雷丘北方遺跡から 出土する重弧文軒平瓦や平瓦、あるいは檜隈寺の偏行唐草文軒平瓦(6641型式L種)がある。山 田寺の重弧文軒平瓦は、凹面にほとんど調整をおこなわないうえに、東面回廊を中心に大量の 完形品が見つかったおかげで、桶と布袋の復元ができた。

布袋 桶にかぶせる布は、多くの場合は筒状をしていたと考えられ、民俗例でもそのような例 が報告されている。  1枚ないし   枚の布を縫い合わせて腹巻きのような形にする。したがって、2 布の識別は布綴じ合わせ目と重ね合わせ部分、そして布端を固定する縫い目の痕跡を比較検討 することで可能となる。

 先述したように、四重弧文AⅠの布袋は   種類あり、これを布a〜cとした。3

布a(Ph.97−   〜 1   、F i g . 185− 3   ・ 1   )2  布aは左側(以下、左右は瓦当面を下にして凹面を みた状態でいう)に綴じ目痕、右側に折り山を縫いつけた縫い目痕がある。綴じ目痕はやや左 に、縫い目痕はやや右に傾くので、狭端に近づくにつれて両者の距離は若干開いてくる。よっ て、折り山は狭端側にやや幅が広くとってある。桶はほぼ円筒形だが、多少テーパーがついて いるのだろう。右側にある縫い目痕が   条の例と 1   条の例があるが、ともに綴じ目と縫い目2

(   条あるものはそのうち右側の縫い目)の特徴が一致するので、同じ布だ。 2  2条の縫い目があ るのは、あらかじめ縫い留めてあった糸を抜いたとは考えにくいので、途中で折り山の端を押 さえるため縫い足しをおこなった結果とみてよい。縫い目痕   条の例を布a 1   、 1  2条の例を布a  2

  とする。圧痕の観察から、布aを次のように復元す

     )8

る。

 布aは、重ね代の折り山をとって、針目がはっきりとみえない「ぐし縫い」で布を綴じ合わせ る。布a   はその折り山の端を右側の布に右上がり左下がりの「まつり縫い」でとめる。布a 1  2 は、綴じ目と縫い目の間にもう   条ぐし縫いをおこなって、折り山をしっかり固定させる。大1 脇氏に従って記号化すると、布a   が「綴じ合わせGSmr」1 、布a   が「綴じ合わせGSmr2 g」とな  )9 る。 

布袋識別の ポ イ ン ト

縫 い 足 し

ドキュメント内   D 回廊外の建物の配置復元について (ページ 59-72)

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