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日嘔 室 中 室 後 室
第 三 房
1.三
彩火舎香炉 緑釉水注片 緑釉水注片 貼花文水注5.灰
釉皿 I片第四一房
6.灰
釉多口瓶7.三
彩多 □瓶8.二
彩 片9
緑釉段皿I10.緑釉 唾 壷
第 五 一房
Ⅱ I I 瓶 片 椀
脚 納 細 掬 繭 釉
緑 緑 緑 三 白 緑
Ⅲ 士蜜士蜜 皿 唾 唾 釉 釉 釉 灰 緑 緑
α
■ 2
.3
︐4
5 6︐
.
灰 釉 椀 Ⅱ 青 磁 椀 白 磁 椀 片 緑 釉 香 炉 灰 釉 椀 Ⅱ 灰釉双耳瓶 緑釉椀I片(深椀)
27灰
釉 小 椀28灰
釉 椀 Ⅱ29灰
釉 皿 狂30
灰釉椀 I(深椀)31
緑釉椀(近江)32
二彩
片 第
六 房
椀 炉 I
磁 絡 脚
白 緑 緑
33
. 34
. 35
.
36.灰釉長頸壷
37.緑
釉 皿 Ⅱ38
灰釉広 口瓶39
緑釉
椀
40
緑釉
椀(完)
41
緑釉香炉蓋42緑
釉 椀 I 第七 一房
椀 瓶 椀
Ⅲ 小 I I 瓶 I I
続 釉 鰯 蹴 鰤 脚 続 測 嗣
灰 緑 灰 灰 灰 緑 灰 緑 緑
43 44 45 46 47 48 49 50 5︲
Ⅱ 炉 椀 香 釉 釉 灰
緑
54
緑釉
椀 Ⅱ
杯
脚 磁
灰 青
Fig.98 西僧房出土土器 (ゴチ ックは天禄床面出上のもの)
320
333
白 色 土 器
須 恵 器
灰 釉 陶 器
緑 釉 陶 器 磁 器
J
1
Tab.22
西僧房天禄床面出土土器個体数 (完形の もの)4房
中 室5房
中 室6房
中 室7房
中 室 復 原 個 体 数杯
AI
Ⅱ 皿
AI
I
BI
I
Ⅲ 椀
BI
Ⅱ
Ⅲ
1
4 9 4
1
3 (±2、 緑1)
0
0
3
12
28
0 1
︲ 4
9 1 1緑 0 2黒1■ 0
1
6 (白5、 灰1)
5 (±2、 黒3)
2 (黒)
1
(灰) 1
(黒)
※土、緑、黒、灰は土師器、緑釉、黒色土器、灰釉を示す 皿
BI…
土師器皿BI、 白色土器皿BI、 緑釉陶器皿BI
Ⅱ…土師器皿BI、 白色土器皿BⅡ 、緑釉陶器皿BI、 灰釉陶器皿
BI
Ⅲ…土師器皿BⅢ 、白色土器皿BⅢ、黒色土器皿
BI
椀
BI…
土師器椀BI、 白色土器椀BI、 黒色土器椀BI、 緑釉陶器椀BI、 灰釉陶器椀BI
工…土師器椀BH、 白色土器椀BI、 黒色土器椀BⅡ 、灰釉陶器椀
BI
皿…上師器椀B皿 、白色土器椀BⅢ 、黒色土器椀BⅢ 、灰釉陶器椀BⅢ
Tab.23
各房中室の食器構成房 では三彩多 口瓶・緑釉椀・緑釉皿
, 6房
では 白磁玉縁椀, 7房
では灰釉花瓶,二
彩鉄鉢 等 の 施釉陶器が床面か ら出土 してい る。 また,黒
色土器B類
の小型椀Bと
小型皿Bの
出土量が際立ってい る点 も他 の室 と異 な る点 で もあ る。
前述 の施釉 陶器 の多 くは
,仏
花器 と して個有 の ものであ り,ま
た前節で述べた よ うに,黒
色 土器B類
の小椀 と小皿は,セ
ッ トと して使用 された ものであ り,形
態的には金銅製六花器 の荘 厳 具 と相通ず る形 であ り,や
は り仏器 として使用 された もの と考 えることができよ う。こ うした 内容は
,前
室に小仏殿 が設け られ仏間 と して使用 された ことを物語 る。 この よ うな 想定は7房
前室 の床面か ら金銅仏 の台座,金
銅仏 の一部 と見 られ る仏像 片や銅製皿が 出上 して い ることか らも肯定 され よ う。中室は
,本
来,僧
の起居の場 であ り,遺
構 の節 で もす でに述べ られ てい るように,西
側半分 が床貼 りで東側が土間で東壁に棚が設け られていた。土器 の大半は本来 この棚に納め られてい た ものであ り,そ
れ らは,僧
が 日常 の生活 で使用 した食器 と灯火器 であ る。 ここでは,食
器構 成 の面か ら中室 に住 い した僧 の員数を割 り出 してみ よ う。中室 出土土器群は
, 1〜 2点
か らな る土師器,黒
色土器 の煮沸具 (甕),土
師器,黒
色土器, 須恵器 の調理 具 (鉢)と
食膳具か らな ってい る。食膳具 の大半は,土
師器が 占め,次
い で黒 色 土器,白
色土器,緑
釉 陶器,灰
釉 陶器 の順 とな る。焼物 の種 類 を超 えて,食
膳具を法量か ら杯1
1
(土) 4 (±1、黒2、灰1)
2 (黒)
0 2 (黒)
1 2±2上2黒1±2黒
中室の上器 群
2遺
物AI・ AⅡ ,皿 AI・ AⅡ ,皿 BI・ BⅡ
・BⅢ ,椀
I・ Ⅱ・Ⅲに分け,個
体数を ま とめ る と 表○ の よ うな構成 とな る。4〜 7房
中室 に残 された食器類 がすべ て往時 の ままであ る とは考 え難いが,表
○に示 した よ うに,皿 AI・ AⅡ
を除 くと,そ
れぞれ以通 った構成を取 ってい る ことが知 られ,失
なわれた 数 もさ して多 くはない と思われ る。今,量
的に バ ラツキのあ る皿A類
を除 き,仮
にそれぞれの 器種 の数 を最大公約数的 な数的操 作に よって,各
室 で使われていた元の数を復原すれば,杯 A
I(1)・ AⅡ (4),皿 BI(1)。 BⅡ
(2)。BⅢ (2),椀 I(2)・
Ⅱ(1)。 Ⅲ(1)と
な る。では
,上
の よ うに分類 した食器が実際の食膳 で どの よ うな用途を果 したかが問題にな るが,この点については
,14世
紀に作 られた『 慕帰絵詞』第2巻
の絵図 (Fig 99)が参考にな る。 絵 図 慕 帰 絵 詞 自体は,時
代的にはやや新 しいが,前
節 で述べた よ うに,西
僧房床面上器その ものがす でに中世 的な器種構成 を持 ってい る事か ら
,食
器 の用途に関 しては さほ ど大差はない と見 てさ しつか えなか ろ う。『 慕帰絵詞』は親鸞 の弟子覚如 の伝記絵巻 であ り
,第
二巻には,三
井寺南滝院 の厨 房 の 風 景 と僧正浄珍 と宗昭 (覚如)と
の食事 の風景が表わ され てい る。厨房 の棚や二人の前に うち並 べ られた衝重 の上には,土
師器 の食器が置かれてい る。食器は無高台の皿形 の器形で,大
・ 中・小 の三種 あ り
,大
(1)。 中 (1)・ 小(3)が
各衝重 に配 され てい る。大皿 の上 には
,飯
が盛 られ,小
皿 の上には副食が揃え られてい る。二人の前 の中皿 の内容に つ いては定かでないが,さ
らに料理を運んで くる小坊主 の衝重 の中皿には副食が入 ってい る。酒 の振 るまい もあ り
,浄
珍 の前 には,酒
杯をのせ る小 さな衝重 が も う一 つ配 され,そ
れには中 皿 と小皿各1が
の ってい る。高台付の椀 にあた る器種 と什を入れ る容器が見あた らないのは, 酒席 のため であろ うか。南滝院の食器 と西僧房 のそれ とを比較すれば
,大
型 の皿 が杯AI・ AⅡ
にあた り,中
皿 が杯AⅡ
・皿AIに ,小
皿 は皿AⅡ
に相当す る。 したが って杯AIと
杯AⅡ
に飯を盛 り,杯 AⅡ
のうち法量 的にあ ま り皿
AIと
変 らない もの,お
よび,皿 AⅡ
・AⅢ
に副食を盛 った と考えて よ か ろ う。椀 の用途については,南
滝院 の厨 房か らは何等資料 を得 ることが で きないが,他
の絵図等か らは什椀 と しての機能が考 え られ る。
副食用 の皿は
,献
立 に応 じて数が決定 され るが,食
器 と して最 も基本的 な坂盛器 と しての杯 と什を入れ る椀 の数に注 日すれば,想
定 した各 中室 の食器構成か ら導 き出 され る僧 の員数は 2 人 とな る。 この数は,他
の器形の,皿 BI・
Ⅱ等 の数 とも付合す る。摩たたび各中室の食器構成について考 えてみ ると
,皿 B類 ,椀
類 には若千なが ら緑釉 ・灰釉 陶器が あ る。 杯AIは
総数か らみ て も極め て少な く,特
にa群
の杯AIは
非常 に軽量 で も 。c 群 の皿AⅡ
ょ りも軽い。2人
の うちの1人
が,杯 AaIを
飯椀 とし,場
合に よっては 施 釉 陶 器 の椀,皿 Bを
使用 し,も
う1人
は杯AⅡ
を飯椀 とし,黒
色・土師器 の椀,皿 Bを
使 うこ とが予 想 され,
この食器構成は2人
の僧の身分 の違いを示 してい る といえ よう。5房
・6房
の後室か ら70個 体に近い数の上器類が出土 してい る。後室は 1.8×2.lmほ
どの後室の上器 狭 い空 間で
,西
側に棚が設け られ ていた可能性があ り,住
居空間 とは考 え難い。 また,出
土土87)『慕帰絵詞』第二巻は,
特別振舞いの場面であ り,
宗昭少年を歓 待 す る 普段の食事における
食器数 よ りも多いと考えるべ きである。
劾 壕イ
孝塩
器 の構成には中室 の ような まとま りは認め られず
,
したが って食器をは じめ とす る物品の格納 庫 として使用 された もの と考 えて よか ろ う。出土状況か ら僧房 (大房
)の
僧 の生活を復原 したが,そ
れは, 10世
紀後葉 のあ り方 であ り,奈 良時 代 の僧房のあ り方その ものではな課。想定 した僧房に消け る僧 の生 活 の あ り方 も
,今
後
,住
い方の変化,僧
房か ら子院生活へ とい うような観点か ら,更
に検討の余地を残す。付記 東 面 回廊 東辺 出土三彩 多 口瓶 (PL。 111469)
昭和49年10月 5日
,境
内を流れ ていた農業用水路改修工事に際 し,三
彩多 口瓶 の破片12片 が 出上 した。寺 。工事関係者か ら当研究所に三彩 出上 の一報が伝 え られた時には,す
でに工事が 終 り,土
管が埋設 され埋戻 されたあ とであ った。出土三彩片は釉が よ く残 り
,器
形復原可能な好資料 で,出
上場所 も明 らかであ り,早
い内に 層序・ 出土遺構 の性格を把 えてお く必要があ ったので,寺
側 と協議 し,昭
和50年 1月21日に,出土地点 の西側に南北
3.5m,東
西1.9mの
トレンチを設定 し発掘調査を行 った。調査 の結果,先 の工事 で確認 されていた東西溝 のな ご りとそれを切 る南北濤 の東肩を検 出 した。東西溝は痕 跡 として残 っていたにす ぎず
,工
事 の際 出土 した三彩 と同一個体 の破片が 出土 したが,伴
出遺 物が な く濤 の掘撃 の時期については決め手がない。工事お よび発堀調査 で発見 された破片は
,す
べ て接合可能 で全体 の約4割
の大 きさに接合で きた。肩部 よ り上位,子
口頸部の破片はないが,滋
賀県南滋賀廃寺出土例を参考に全体を復原 した(カ ラー図版)。本例は卵形の体部に外方に開 く脚台が付 き
,肩
部 の4ケ所 に子 口を持つ形 態 で,復
原総高35.4cm,残
存高28.3cm,胴
部最大幅24.2cln,脚
台高3.8cm,脚
台径 18.8Cmで
あ る。胴部の中位に2条
の沈線がめ ぐり,脚
台端部外偵1面に幅広 の縁帯がめ ぐる。灰 白色 の軟質のやや砂ぽい胎上 であ るが
,水
簸 された ものであろ う。製作の手順は以下 の如 く復原 で きる。① 日の開いた平底長胴形 の体部を ロクロの上 で成形 し,次
に正位 の状態 で胴部88)延長2年(924)正 月十 日の,
蓮院文書』大 日本史料 1‑5,
一一 一一 一一一 一一 一一一一一一一一・一
一一 一
一一 一一 一一一一一一一一 一一一一一 一一・ 一一一一一一一 一一一 一一 一一・一一一一一
・・一一一一一一一
・一
.
出 土 状 況
僧栄穏申状(『青 p.640)か ら│ま,
僧房 (大房・ 小子房を含む
)に
は10数人住 い し ていた ことが矢日られ る。製 作 手 順