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6 日

ドキュメント内 A  条坊 と伽藍 の関係 (ページ 61-66)

ト ー

ト L

I 仁 浴 Q

日 日 日

6 日 H H 回

贄 園 腰

/\

/\

日 鰯 /

日嘔

第 三 房

1.三

彩火舎香炉 緑釉水注片 緑釉水注片 貼花文水注

5.灰

釉皿 I片

第四一房

6.灰

釉多口瓶

7.三

彩多 □瓶

8.二

彩 片

緑釉段皿I

10.緑釉 唾 壷

第 五 一房

Ⅱ I I 瓶 片 椀

脚 納 細 掬 繭 釉

緑 緑 緑 三 白 緑

Ⅲ 士蜜士蜜 皿 唾 唾 釉 釉 釉 灰 緑 緑

α

灰 釉 椀 Ⅱ 青 磁 椀 白 磁 椀 片 緑 釉 香 炉 灰 釉 椀 Ⅱ 灰釉双耳瓶 緑釉椀I片(深)

27灰

釉 小 椀

28灰

釉 椀 Ⅱ

29灰

釉 皿 狂

30 

灰釉椀 I(深椀)

31 

緑釉椀(近)

32 

 

 

片 第

六 房

椀 炉 I

磁 絡 脚

白 緑 緑

33

34

35

36.灰釉長頸壷

37.緑

釉 皿 Ⅱ

38 

灰釉広 口瓶

39 

 

 

40 

 

 

(完)

41 

緑釉香炉蓋

42緑

釉 椀 I

  七   一房

椀 瓶 椀

Ⅲ 小 I I 瓶 I I

続 釉 鰯 蹴 鰤 脚 続 測 嗣

灰 緑 灰 灰 灰 緑 灰 緑 緑

43 44 45 46 47 48 49 50 5︲

Ⅱ 炉 椀 香 釉 釉 灰

54 

 

 

椀 Ⅱ

脚 磁

灰 青

Fig.98 西僧房出土土器 (ゴチ ックは天禄床面出上のもの)

320

333

白 色 土 器

須 恵 器

灰 釉 陶 器

緑 釉 陶 器

J

1

Tab.22 

西僧房天禄床面出土土器個体数 (完形の もの)

4房

中 室

5房

中 室

6房

中 室

7房

中 室 復 原 個 体 数

AI

AI

I

BI

I

BI

1

4 9 4

1

3 2、 1)

0

12

28

0 1 

︲ 4

 9 1 1緑 0 2黒1■ 0

1

6 (白5、 灰1)

5 2、 黒3)

2 (黒)

1

(灰) 1

(黒)

※土、緑、黒、灰は土師器、緑釉、黒色土器、灰釉を示す 皿

BI…

土師器皿BI、 白色土器皿BI、 緑釉陶器皿

BI

Ⅱ…土師器皿BI、 白色土器皿BⅡ 、緑釉陶器皿BI、 灰釉陶器皿

BI

Ⅲ…土師器皿BⅢ 、白色土器皿BⅢ、黒色土器皿

BI

BI…

土師器椀BI、 白色土器椀BI、 黒色土器椀BI、 緑釉陶器椀BI、 灰釉陶器椀

BI

工…土師器椀BH、 白色土器椀BI、 黒色土器椀BⅡ 、灰釉陶器椀

BI

皿…上師器椀B皿 、白色土器椀BⅢ 、黒色土器椀BⅢ 、灰釉陶器椀BⅢ

Tab.23 

各房中室の食器構成

房 では三彩多 口瓶・緑釉椀・緑釉皿

, 6房

では 白磁玉縁椀

, 7房

では灰釉花瓶

,二

彩鉄鉢 等 の 施釉陶器が床面か ら出土 してい る。 また

,黒

色土器

B類

の小型椀

Bと

小型皿

Bの

出土量が際立

ってい る点 も他 の室 と異 な る点 で もあ る。

前述 の施釉 陶器 の多 くは

,仏

花器 と して個有 の ものであ り

,ま

た前節で述べた よ うに

,黒

色 土器

B類

の小椀 と小皿は

,セ

ッ トと して使用 された ものであ り

,形

態的には金銅製六花器 の荘 厳 具 と相通ず る形 であ り

,や

は り仏器 として使用 された もの と考 えることができよ う。

こ うした 内容は

,前

室に小仏殿 が設け られ仏間 と して使用 された ことを物語 る。 この よ うな 想定は

7房

前室 の床面か ら金銅仏 の台座

,金

銅仏 の一部 と見 られ る仏像 片や銅製皿が 出上 して い ることか らも肯定 され よ う。

中室は

,本

,僧

の起居の場 であ り

,遺

構 の節 で もす でに述べ られ てい るように

,西

側半分 が床貼 りで東側が土間で東壁に棚が設け られていた。土器 の大半は本来 この棚に納め られてい た ものであ り

,そ

れ らは

,僧

が 日常 の生活 で使用 した食器 と灯火器 であ る。 ここでは

,食

器構 成 の面か ら中室 に住 い した僧 の員数を割 り出 してみ よ う。

中室 出土土器群は

, 1〜 2点

か らな る土師器

,黒

色土器 の煮沸具 (甕

),土

師器

,黒

色土器, 須恵器 の調理 具 (鉢

)と

食膳具か らな ってい る。食膳具 の大半は

,土

師器が 占め

,次

い で黒 色 土器

,白

色土器

,緑

釉 陶器

,灰

釉 陶器 の順 とな る。焼物 の種 類 を超 えて

,食

膳具を法量か ら杯

1

1

(土) 4 1、2、1)

2 (黒)

0 2 (黒)

1 2±2上2黒1±2黒

中室の上器 群

2遺

AI・ AⅡ ,皿 AI・ AⅡ ,皿 BI・ BⅡ

BⅢ ,椀

I・ Ⅱ・Ⅲに分け

,個

体数を ま とめ る と 表○ の よ うな構成 とな る。

4〜 7房

中室 に残 された食器類 がすべ て往時 の ままであ る とは考 え難いが

,表

○に示 した よ うに

,皿 AI・ AⅡ

を除 くと

,そ

れぞれ以通 った構成を取 ってい る ことが知 られ

,失

なわれた 数 もさ して多 くはない と思われ る。今

,量

的に バ ラツキのあ る皿

A類

を除 き

,仮

にそれぞれの 器種 の数 を最大公約数的 な数的操 作に よって

,各

室 で使われていた元の数を復原すれば

,杯 A

I(1)・ AⅡ (4),皿 BI(1)。 BⅡ

(2)。

BⅢ (2),椀 I(2)・

(1)。

(1)と

な る。

では

,上

の よ うに分類 した食器が実際の食膳 で どの よ うな用途を果 したかが問題にな るが,

この点については

,14世

紀に作 られた『 慕帰絵詞』第

2巻

の絵図 (Fig 99)が参考にな る。 絵 図 慕 帰 絵 詞 自体は

,時

代的にはやや新 しいが

,前

節 で述べた よ うに

,西

僧房床面上器その ものがす でに中

世 的な器種構成 を持 ってい る事か ら

,食

器 の用途に関 しては さほ ど大差はない と見 てさ しつか えなか ろ う。

『 慕帰絵詞』は親鸞 の弟子覚如 の伝記絵巻 であ り

,第

二巻には

,三

井寺南滝院 の厨 房 の 風 景 と僧正浄珍 と宗昭 (覚

)と

の食事 の風景が表わ され てい る。厨房 の棚や二人の前に うち並 べ られた衝重 の上には

,土

師器 の食器が置かれてい る。食器は無高台の皿形 の器形で

,大

・ 中・

小 の三種 あ り

,大

(1)。 中 (1)・ 小

(3)が

各衝重 に配 され てい る。

大皿 の上 には

,飯

が盛 られ

,小

皿 の上には副食が揃え られてい る。二人の前 の中皿 の内容に つ いては定かでないが

,さ

らに料理を運んで くる小坊主 の衝重 の中皿には副食が入 ってい る。

酒 の振 るまい もあ り

,浄

珍 の前 には

,酒

杯をのせ る小 さな衝重 が も う一 つ配 され

,そ

れには中 皿 と小皿各

1が

の ってい る。高台付の椀 にあた る器種 と什を入れ る容器が見あた らないのは, 酒席 のため であろ うか。

南滝院の食器 と西僧房 のそれ とを比較すれば

,大

型 の皿 が杯

AI・ AⅡ

にあた り

,中

皿 が杯

AⅡ

・皿

AIに ,小

皿 は皿

AⅡ

に相当す る。 したが って杯

AIと

AⅡ

に飯を盛 り

,杯 AⅡ

うち法量 的にあ ま り皿

AIと

変 らない もの

,お

よび

,皿 AⅡ

AⅢ

に副食を盛 った と考えて よ か ろ う。椀 の用途については

,南

滝院 の厨 房か らは何等資料 を得 ることが で きないが

,他

の絵

図等か らは什椀 と しての機能が考 え られ る。

副食用 の皿は

,献

立 に応 じて数が決定 され るが

,食

器 と して最 も基本的 な坂盛器 と しての杯 と什を入れ る椀 の数に注 日すれば

,想

定 した各 中室 の食器構成か ら導 き出 され る僧 の員数は 2 人 とな る。 この数は

,他

の器形の

,皿 BI・

Ⅱ等 の数 とも付合す る。

摩たたび各中室の食器構成について考 えてみ ると

,皿 B類 ,椀

類 には若千なが ら緑釉 ・灰釉 陶器が あ る。 杯

AIは

総数か らみ て も極め て少な く

,特

a群

の杯

AIは

非常 に軽量 で も 。c 群 の皿

AⅡ

ょ りも軽い。

2人

の うちの

1人

,杯 AaIを

飯椀 とし

,場

合に よっては 施 釉 陶 器 の椀

,皿 Bを

使用 し

,も

1人

は杯

AⅡ

を飯椀 とし

,黒

色・土師器 の椀

,皿 Bを

使 うこ とが予 想 され

この食器構成は

2人

の僧の身分 の違いを示 してい る といえ よう。

5房

6房

の後室か ら70個 体に近い数の上器類が出土 してい る。後室は 1.8×

2.lmほ

どの

 

後室の上器 狭 い空 間で

,西

側に棚が設け られ ていた可能性があ り

,住

居空間 とは考 え難い。 また

,出

土土

87)『慕帰絵詞』第二巻は,

特別振舞いの場面であ り,

宗昭少年を歓 待 す る 普段の食事における

食器数 よ りも多いと考えるべ きである。

劾 壕イ

孝塩

器 の構成には中室 の ような まとま りは認め られず

したが って食器をは じめ とす る物品の格納 庫 として使用 された もの と考 えて よか ろ う。

出土状況か ら僧房 (大

)の

僧 の生活を復原 したが

,そ

れは

, 10世

紀後葉 のあ り方 であ り,

奈 良時 代 の僧房のあ り方その ものではな課。想定 した僧房に消け る僧 の生 活 の あ り方 も

,今

,住

い方の変化

,僧

房か ら子院生活へ とい うような観点か ら

,更

に検討の余地を残す。

付記   東 面 回廊 東辺 出土三彩 多 口瓶  (PL。 111469)

昭和49年10月 5日

,境

内を流れ ていた農業用水路改修工事に際 し

,三

彩多 口瓶 の破片12片 が 出上 した。寺 。工事関係者か ら当研究所に三彩 出上 の一報が伝 え られた時には

,す

でに工事が 終 り

,土

管が埋設 され埋戻 されたあ とであ った。

出土三彩片は釉が よ く残 り

,器

形復原可能な好資料 で

,出

上場所 も明 らかであ り

,早

い内に 層序・ 出土遺構 の性格を把 えてお く必要があ ったので

,寺

側 と協議 し

,昭

和50年 1月21日に,

出土地点 の西側に南北

3.5m,東

西

1.9mの

トレンチを設定 し発掘調査を行 った。調査 の結果,

先 の工事 で確認 されていた東西溝 のな ご りとそれを切 る南北濤 の東肩を検 出 した。東西溝は痕 跡 として残 っていたにす ぎず

,工

事 の際 出土 した三彩 と同一個体 の破片が 出土 したが

,伴

出遺 物が な く濤 の掘撃 の時期については決め手がない。

工事お よび発堀調査 で発見 された破片は

,す

べ て接合可能 で全体 の約

4割

の大 きさに接合で きた。肩部 よ り上位

,子

口頸部の破片はないが

,滋

賀県南滋賀廃寺出土例を参考に全体を復原 した(カ ラー図版)。

 

本例は卵形の体部に外方に開 く脚台が付 き

,肩

部 の4ケ所 に子 口を持つ形 態 で

,復

原総高

35.4cm,残

存高

28.3cm,胴

部最大幅

24.2cln,脚

台高

3.8cm,脚

台径 18.8

Cmで

あ る。胴部の中位に

2条

の沈線がめ ぐり

,脚

台端部外偵1面に幅広 の縁帯がめ ぐる。

灰 白色 の軟質のやや砂ぽい胎上 であ るが

,水

簸 された ものであろ う。製作の手順は以下 の如 く復原 で きる。① 日の開いた平底長胴形 の体部を ロクロの上 で成形 し

,次

に正位 の状態 で胴部

88)延長2年(924)正 月十 日の,

蓮院文書』大 日本史料 1‑5,

一一

出 土 状 況

僧栄穏申状(『青 p.640)か ら│ま,

僧房 (大房・ 小子房を含む

)に

10数人住 い し ていた ことが矢日られ る。

製 作 手 順

ドキュメント内 A  条坊 と伽藍 の関係 (ページ 61-66)

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