1節 近世の鯨類知識によるナガスクジラ属の分類 2節 東洋捕鯨が定着させた鯨類和名
3節 アンドリュースの鯨類調査の再評価
4節 日本における近代鯨類学の形成とアンドリュース
1節 近世の鯨類知識によるナガスクジラ属の分類
近世日本の大型鯨類の知識、すなわち近世鯨類学は主要な捕獲対象であったセミクジラ、ザトウ クジラ、コククジラを中心に知識の集積が進んだが、捕獲が難しく死ぬと沈んでしまうため回収困 難であったナガスクジラ属の知識は現在と比べて著しく不足していた。近世の文献でナガスクジラ 属の鯨類を「ザトウクジラに似ている」と表現しているのはナガスクジラ属の鯨類の捕獲は稀であ り、比較対象となる似た特徴を持つ鯨がザトウクジラであったためである(粕谷・山田 1989:
60)。そして日本の近代鯨類学の大きな課題のひとつがナガスクジラ属の知識を深めることだっ た。本章の課題は日本における近代鯨類学の形成であるが、最初に近代沿岸捕鯨の初期に主要な捕 獲対象種であったナガスクジラとシロナガスクジラの呼称の固定を中心にナガスクジラ属の鯨類認 識について考察する。
現在の生物学の知識では、日本の沿岸に回遊するヒゲ鯨はセミクジラ、コククジラ、ザトウクジ ラ、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、ニタリクジラ、カツオクジラ、ツノシマク ジラ、ミンククジラの10種、大型の歯鯨はマッコウクジラ1種である。おもに捕鯨個体を用いて研究 が進められてきた大型鯨類について、この認識に至るには近代捕鯨開始からおおよそ1世紀を要して いる。ニタリクジラが日本近海を含む北太平洋に分布することは1950年代に判明(大村 1953)、
ツノシマクジラ(
Balaenoptera omurai
)が新種記載され、ニタリクジラとされてきた鯨が沿岸域 に分布するカツオクジラ(B. edeni
)と沖合を回遊するニタリクジラ(B. Brydei
)の3種からなる こと明らかとされたのは21世紀初めのことであった(Wada et al 2003)。ナガスクジラ属の生物 学的種分類という課題は近代初期だけでなく20世紀をとおして存在したのである。序章で述べたとおり、ツノシマクジラとカツオクジラの2種はニタリクジラに含めて議論を進める。
本節では日本の近代鯨類学の土台となった近世鯨類学の大型鯨類の分類について簡潔なまとめを しておく。近世の鯨図説(福本 1960: )の個々の詳しい分析は省き、近世鯨類学の総説といえる2 つの文献に沿って検討する。ひとつは、大槻清準が1808(文化5)年に著した「鯨史稿」(大槻 1976)で、近世鯨類学の到達点とされる(福本 1960: 189‒192、大矢 1976)。もうひとつは服部 徹が1887(明治20)年に前編、1888(明治21)年に後編を出版した『日本捕鯨彙考』(復刻版:
服部編 2000)で、こちらは「本邦古来の鯨書中より項目によって適合適所を選択し当時の定説に 照らして編集したもの」(細田 2000)と評価されるとおり、近代の出版でありながら記述内容は 近世鯨類学を集大成したものとなっている。
「鯨史稿」は大型鯨類について西海や紀州の鯨図説、本朝食鑑や和漢三才図絵、日東魚譜や海鰌 譜などの記述を一覧表にまとめて検討した結果、西遊旅談の5種が最も正確と判断し、そこに自身の 平戸での聞き取りから得た5種のなかの2種にはそれぞれ2品があるという知識を加え、5種7品と結 論した。品は種の下位分類のように見えるが、2品あるとした長須の本文では「長須に2種あり」と 述べており(大槻 1976: 129)、種と品の階層性を意識していたのかどうか疑わしい。マッコウク ジラは真甲鯨と表記し本物の鯨類から区別を「附」としている。大槻の分類は六鯨から歯鯨のマッ コウクジラを本物の鯨5種から除外して別にカウントしたもので(前掲書: 101‒106)、六鯨説の変 形といえる。
5種7品の内容は、脊美、座頭、長須、兒、鰯の5種、2品とあるのは長須の白長須と似タリ、そし て兒鯨の青サキとシヤレである。まず長須について考察する。長須は2品といいつつ描かれた図は1 つのみであり、座頭鯨が黒く描かれているのに対し白抜きで背びれは尾柄に近くに小さく寝た形で 描かれておりシロナガスクジラを思わせる。長須全体の説明の最後に引いた「白長須と云ありまた 小さきつれを似タリという」という「唐津捕鯨図説」の表現はシロナガスに対して小型の個体はす べて含むようにも読める。ただし、「唐津捕鯨図説」すなわち唐津藩士木崎攸軒(盛標)が安永2
(1773)年に描いた「小児の弄鯨一件」の原文は「長須鯨 但し此内に白長須と云ありまた小さき つれを似たりという」であり(中里 2005: 105 中里は「小たり」と翻刻しているが誤り)、2品
ではなく長須、白長須、似たりの3品とも読める。ヒゲに関する記述は「座頭同然」という西海の鯨 図説を引いている。これが色を差すのならば黒色でシロナガスクジラの特徴を言い当てているが、
何を意味しているかは不明である。体長15尋(22.5mまたは27m)はシロナガスクジラに近い(前 掲書: 129‒134)。似タリは、「鯨志」を引用したうえで「此鯨総て白長須に似たり、ただし灰色」
と体色を異なる点と結論している。油の産出の記載で比較すると、白長須は紀州の鯨図説を引用し て400樽、それに対して似タリは「鯨記」より100樽から大きな個体では300樽という記述を紹介し ている。似タリの油産出量は樽が同一単位とすれば白長須より少ないが幅が広く、南極海捕鯨のシ ロナガス換算(BWU)のシロナガス=2ナガス=2.5ザトウ=6イワシを用いると300樽はナガスよ り大きく、100樽はナガスとイワシの間となる。油の産出に関する近世鯨類学の記述から似タリの特 定は難しい。似タリの記述では「鯨記」から冬の「食物鰯なり」とする。これはニタリクジラを思 わせる。白長須では食性を記述していない。本論での結論は、「鯨史稿」の白長須はシロナガスク ジラであり、似タリはナガスクジラとニタリクジラを混合した記載というものである。
一方、兒鯨は図が2つ描かれ「兒鯨ノ一青鷺」および「兒鯨」と題されている。前述の一覧表や本 文では兒鯨の下位分類風に記されているのは「青サキ」「青鷺」「シヤレ」で図の表題と一致しな い。2つの図はよく似ており、両者ともに白抜きで描かれ、頭部と下顎、背の中央部に黒色の斑点 が付けられている。違いは青鷺の方が若干大きく描かれている程度である。本文では、名前の意味 を鯨志の「鯨中にあって最細小」という説明を用い、和漢三才図絵を引いてヒゲは白く長さ1尺5‒6 寸(45‒48cm)、また鯨志から喉や下唇に短毛があると正しく記している。青鷺については、油が 白く良質でヒゲは白くて長さ2尺(60cm)に達し、紀州の鯨図説から通常の体長が5‒7尋(1尋は 1.5または1.8m、1.5mで計算すれば7.5m‒10.5m、1.8mならば9‒12.6m)であるのに対し、青鷺は 10尋(15mまたは18m)ほどあるとしている。本文の最後で青サキとシヤレの識別点に言及し、同 形同色ながら背の尾に近い場所に「刻折 キレコミ」を有するものをシヤレ、無いものが青サキと述 べるが、図では違いが描かれず、根拠となる文献や聞き取りについては言及がない。大槻の説明で は青サキとシヤレの違いは不明であるが、紀州の鯨図説から(大槻 1976: 135‒142)、コククジラ の大型個体の呼称と示唆され、青鷺とシヤレはともにコククジラと読める。
近代に出版された『日本捕鯨彙考』(服部編 1887)が採録した大型鯨種は、近世で六鯨とされ た背美、小、座頭、長簀、鰯、抹香の6種類であり、近世鯨類学の共通理解を踏襲している。近代の 出版物らしく、近世鯨類学の鯨類名に学名と英名とを比定している。ただし、学名はイタリックで はなく正体(正立体)で記されている。活字どおりに記すと、RIGHT WHALE. Balaena antarctica 背美鯨 セミクヂラ、CALIFORNIA GRAY WHALE, OR DEVIL-FISH. Rhachianectes glaucus 小 鯨 コクヂラ、HUMPBACK WHALE. Balaenoptera antarctica 座頭鯨 ザトウクヂラ、SULPHUR BOTTOM OF PACIFIC. Sibbaldius sulfureus 長簀鯨 ナガスクヂラ、PIKE WHALE.
Balaenoptera arctica 鰯鯨 イワシクヂラ、SPERM WHALE. Physeter macrocephalus 抹香鯨 マ ツコクヂラとなる(服部編 1887: 41)。また鯨の図は近世の文献は誤りが多いため西洋の文献も参 考にしたといい(同: 2)、実際、近世鯨類学の鯨図とは異なる写実性が見られる。大型鯨類のうち 種と判断できずに保留した呼称は「能曾鯨」(のそくぢら)のみである。コククジラの異名である 青鷺とシヤレについては年齢による外部形態の違いと断定しており(同: 55‒57)、この点は画期的 である。
『日本捕鯨彙考』(服部編 1887)は階層化した近代鯨類学の分類体系の図を掲げ、六鯨と小型 鯨類を「学術上の定則に従い」分類している。すなわち鯨類を哺乳動物のうちの游水類(Cetacea)
とし、鯨科(Balaenidae)、壺魚科(Physeteridae)、海豚科(Delphinidae)の3科に分け、鯨科 には背美鯨と小鯨を含む正鯨属(Balaena)、座頭鯨と長簀鯨および鰯鯨を含む鰭鯨属
(Balaenoptera)の2属、壺魚科には抹香鯨を含む壺魚属(Physeter)1属を置いている。ちなみに 海豚科は海豚属(Delphinus)と一角魚属(Monodon)の2属で一角魚属には本邦産なし、大魚喰
[オキゴンドウ]は海豚属としている(服部編 1887: 41)。しかしながら、分類体系を解説するの は「動物学上に関係し本書の主旨に反する」として意見や解説はしていない。また、この分類体系 や科属名の典拠は記されていない。『日本捕鯨彙考』は、近代鯨類学あくまで日本の近世鯨類学の 総仕上げであるとの立場をとり続けた。
個別の鯨種の記述に戻ると、セミクジラの記述は詳しく価格や利用法など産物としての特性に加 え、観察記載は眼球や胎児に及び(同: 47‒50)、ザトウクジラでは母父鯨が子を伴い来るという理