2・26事件以降、陸軍というランドパワーに牛耳られ てきた日本であるが、戦後はアメリカというシーパワーに よって武装解除され、外交的には、再度シーパワーの一員 になった。しかし、日本内部には陸軍の残党および「2章 日本人の形成」の項で説明したシベリアから渡来した北方 モンゴロイドのDNAを受け継ぐランドパワー(主に東日 本に住む)が根強く、これが結実しシーパワーに反旗を翻 したのが田中角栄以降の田中派、中川一郎、金丸信などで あり、鈴木宗男に連なる系譜である。田中による日中国交 回復はその白眉であり、彼がロッキード事件により潰され た事は、シーパワーたるアメリカが彼の政策(日中国交回 復、資源外交)をどう見ていたかを物語る。
反対にシーパワーは吉田茂、岸信介、佐藤栄作から中曽 根康弘に連なる流れである。現在の清和会に代表されるい わゆる台湾派である。田中角栄以来のランドパワーの総本 山である橋本派の影響力が落ち、こう見てくるとシーパワ ーにとって、「好ましからざる」ランドパワーが駆逐され ていることが理解できよう。2000年10月に発表された、
「 米 国 と 日 本 : 成 熟 し た パ ー ト ナ ー シ ッ プ に 向 け て 」
( The United States and Japan: Advancing toward a Mature Partnership )と題する報告は、ブッシュ政権の 国務副長官に就任したアーミテージが深く関わったもの。
いわゆるアーミテージレポートにおいて、高速道路や橋と いった彼らの利権に基づく社会インフラ整備の中止を求め ていることは興味深い。彼らは現在ではマスコミによって
「抵抗勢力」という呼称が与えられているが、その本質は ランドパワーである。ランドパワーにも使い道はある。韓 国や台湾には帝国陸軍出身者がかなりの層でおり、彼らと のチャネリングをやらせればいいのだ。アメリカには気づ かれない程度で。余談ではあるが北朝鮮は大日本帝国陸軍 の鬼っ子であるという気がする。
(1)冷戦
戦後、アメリカ傘下のシーパワー国家として復興への道 を歩む日本であるが、ここで冷戦と中国の共産化という神 風が吹いた。また、戦前のブロック経済が戦争を惹起した ことへの反省から自由貿易体制が模索され、伝統的に保護 貿易をとってきたアメリカでさえ市場を開放し、あまつさ え360円という対日復興レートでもって日本の経済復興を 支援してくれた。かつ、中国市場を争って対日戦に勝利し たアメリカであるが、共産化の結果、肝心の中国市場を失 いセカンドベストとしての日本市場を育成する方針を打ち
出した。これは、日米安保と対米輸出を国家存立の基盤と した、いわゆる吉田ドクトリンといわれるものである。
さらに、ソ連の台頭、海洋への進出を封じ込めるための 戦略拠点、いわゆるリムランドの位置に日本が存在した事 も見逃せない。アメリカとしてはソ連の海洋への進出を封 じ込めるために日本を支える以外の選択肢はなかったので ある。戦後の復興、繁栄とはこれらアメリカの世界戦略、
日本の地政学的位置といった、所与の条件の産物であり、
日本人はそのことを決して忘れるべきではない。決して
「勤勉」だからという理由のみでここまで来る事ができた のではないのである。さらに大事な点を再度強調したい。
冷戦とは資本主義vs共産主義ではない。シーパワーたるア メリカがユーラシア大陸外縁部(スパイクスマンの用語で 言えばリムランド)の日本、イギリスを基地にして大ラン ドパワーたるソ連の大西洋、太平洋といった海洋への進出 を封じ込めたのである。このことは冷戦期のNATO(実質 米英)の戦略によって、証明される。冷戦とは主に欧州を 舞台に戦われた。NATOの戦略はこうだ。
もし、東欧から、ソ連およびワルシャワ条約機構の機甲 師団が西独に進出してきたら、西独奥地に戦車部隊を引き 込んで戦線が延びきった時点で反撃する。万一通常戦力に よる反撃が不首尾に終わった場合、西独、フランスを見捨 てて限定核攻撃(中短距離核)でワルシャワ条約軍、およ び東欧を攻撃し、反撃にソ連はSS20(中距離核)を仏独
に打ち込むということである。どちらに転んでも、アメリ カは仏独といった資本主義国を守ろうとしていた訳ではな いのである。仏独もそれは十分承知しており、フランスの NATO脱退時のドゴールの有名な言葉「アメリカ人はニュ ーヨークを犠牲にしてもパリを守るわけはない」に繋がり、
西独はGSG9という特殊部隊を結成し、もし、西独駐留米 陸軍が西独政府の許可なく、パーシング(短距離核)を発 射しようとしたら、突入して阻止する使命を帯びていたの でる。この、独仏を犠牲にして、イギリスを守るというの が、冷戦期、アメリカの戦略であり、リムランドの重要性 を物語る。パーシングがイギリスではなく、西独に配備さ れた真の理由をおわかりいただけたであろうか。冷戦とい っても単純ではないのである。この事は、近い将来、極東 有事の際、リムランドたる日本を防衛線にして、韓国を見 捨てる可能性を示す。在韓米軍撤退はこの文脈で考えるべ きである。
冷戦期に登場した核兵器と戦略ミサイルは、地政学を無 用の長物にしたという意見がある。しかし、相互確証破壊
(MAD : Mutual Assured Destructionのことであり、冷戦 期に米ソでとられた核戦略である。米ソともに相手の第一 撃に生き残り、相手を確実に破壊しうる第二撃能力を持つ 事によって、相互に核兵器を使用できない状態とした。そ のために、防衛兵器を制限する必要も認められ、ABM条
約が締結された。第二撃能力は主としてSLBMによって維 持される。SLBMは潜水艦発射型の弾道ミサイルであり、
射程に特に定義はない。潜水艦は隠密性を有しているため、
これに搭載した核ミサイルは核戦争が起きて、先にICBM 発射基地を破壊されても、報復攻撃を実施できる「第二撃 能力」としての効果を発揮する。現在、アメリカ、ロシア、
イギリス、フランス、中国が保有しており、このうち、イ ギリスとフランスは核抑止力をSLBMのみとする戦略をと っている)が達成され、核が実質的に「使えない」兵器と なり、大国間の戦争を抑止したことが、結果として地政学 的観点からの「封じ込め」政策を生んだと言える。核ミサ イルの登場はむしろ、地政学の必要性を高めたのである。
(2)プラザ合意
1980年代まで、上記の冷戦構造の中、日本に対する保護 育成方針をとってきたアメリカではあるが、ベトナム戦争 以後、財政的にもたなくなり、大幅な戦略の変更に踏み切 った。
これが製造業をあきらめ、金融業により利益を上げると いうことであり、さらに国債を発行してその大部分を日系 機関投資家が買うという構図、つまり日本の資本でアメリ カを運営するということである。日本経済がおかしくなっ たのは1985年9月のプラザ合意以降である。プラザ合意と
は、1985年9月にニューヨークのプラザホテルで開催され たG5(先進5カ国蔵相中央銀行総裁会議)における「ド ル高是正のための協調介入」に関する合意である。プラザ 合意後、円相場は「1ドル=260円台」から「1ドル=120 円台」に急騰した。要するに、当時の「円安ドル高」を
「円高ドル安」に誘導しようというのがプラザ合意であっ た。
昭和59年末には、円・ドルレートは1ドル=251円のド ル高円安であった。これは第二次オイルショックによって 国際資金をアメリカに集中させた結果である。1985(昭和 60)年に五カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)がニュー ヨークのプラザホテルで開かれ、
(i) 経済政策の協調をいっそう進める。
(ii) 為替レートの適正化のため、より密接に協力する。
(iii)保護主義に反対する。
で意見の一致を見た。というよりも押し付けられたとい うのが真相であろう。この、「為替レートの適正化のため、
より密接に協力する」が問題であり、特にドル高を是正す るため、アメリカを含めて各国は協調してドルを売り、円 とマルクを買うという「協調介入」をするという趣旨の共 同声明を発表した。日銀は大量のドルを売って円を買うと いう操作を行って、前日比11円90銭高の1ドル=230円10 銭となり円は急騰した。昭和61年1月には1ドル=200円 となったがこれまでは各国が合意したドル高修正である。
その後、アメリカ政府高官のドル安容認発言の「口先介入」
でドル安は進み、昭和62年2月には1ドル=150円台とな り、「誘導されたドル安」が「勝手に下がるドル」へと変 質した。そして、パリG7は次の骨子の共同声明(ルーブ ル合意)を行った。
(i) 各国は現行水準程度で為替相場を安定させるため、
緊密に協力する。
(ii) これ以上の急激な為替相場の変動は、各国の経済成 長と構造調整を阻害する。
(iii)現在の為替相場は各国経済の基礎的条件とおおむね 合致した範囲内にある。
政策協調の一環として、日本は内需拡大対外黒字削減の ための財政金融政策を続け、アメリカはGNPに対する財政 赤字比率を圧縮し、西ドイツは減税規模を拡大するこのル ーブル合意によって、円・ドルレートはしばらく安定し、
1ドル=140円台が厚い壁と見られていた。しかし1987年 のブラックマンデー後、ドロールEC委員長の「アメリカ は1ドル=1.60マルクを切るドル安を検討している」と、
アメリカのニスカネン前経済諮問委員長代理の「ルーブル 為替安定合意の明確な中断が望ましい」の発言から、ルー ブル合意による国際協調体制の足並みの乱れを読み取り、
ドルは売られ、1ドル=140円の壁はいとも簡単に破られ、
昭和63年には東京市場は1ドル=121円となり、1ドル=
100円時代の到来が、にわかに現実化した。