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4-1 背景と目的

4-1-1 運航実態調査の必要性

序論では、自動車交通と同様に船舶においても経験の差があることを指摘した。経験と いっても何年間船舶の運航に関わったかといった年数的経験と、どのような大きさの船舶 を運航している、または運航したことがあるかといった船舶船型に関する経験がある。渕・

古莊・藤本・臼井(2007)は操船方略判断が年数的経験に伴って向上していることを示し、

渕・藤本・臼井・岩崎(2008)は年数的経験に伴って判断時機が変化していることを示し ている。渕・藤本・臼井・広野(2010)は避航判断時機が経験する船舶の大きさによって 異なることを示し、渕・臼井・藤本・広野・持田(2010)は経験する船舶の大きさによっ て許容する船間距離が異なることを示している。しかしながらこれらの先行研究は全て質 問紙調査であり、現実の船舶運航場面において調査したわけではない。

実船を用いた研究としては、高速船と一般船舶の見合いについて実船実験を実施した研 究がある(宮崎・沼野・田中・伊藤,1996)。これは当時開発されていたテクノスーパーラ イナーに関する研究で、高速船の船速は45ノットと非常に高速であり、高速船という特殊 な状況に関する実験調査であった。この研究では高速船と低速船 2 種(500 トンクラスと

5,000トンクラス)との比較がなされている。この研究の中で低速船2種の視点で高速船に

対する衝突の脅威について評価した結果を比較すると、5,000 トンクラスの評価者の方が 500トンクラスの評価者と比べて早期に脅威を感じていると解釈できる。

その他の実船研究としては、400トンクラスの練習船とその搭載艇である小型ボートを用 いて衝突不安を感じる時機を調査した研究がある(八田,2002)。この研究では練習船と小 型ボートを衝突する進路で航行させ、不安を感じた時機を測定している。実験参加者は 3 名と少数ではあるが、不安を感じる時機は経験している船舶の大きさを基準にしている可 能性、ならびに大型の船舶経験者ほど不安を感じる時機が早い可能性を指摘している。

このように実船を用いた研究結果は質問紙調査と同様の傾向を示しており、船型が判断 時機に影響を及ぼしていることが考えられる。しかしながら、これらの実船研究はその実 施にあたって多くの労力と費用を費やしたものと思われるが、特別に用意された環境であ った。そこで、より普段の海上交通状況を観察することで、普段の船舶の行動と操船者の 判断に関する調査が望まれる。海上交通流や海上交通量といった海上交通工学に関する陸 上からの海上交通観察研究は多いが、この方法では操船者が意図をもって判断し実行した 行動なのか判別はつかない。よって船上で実船の航行を観察する必要があるが、そのよう

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な研究は少ない。それは大橋・久宗・川崎(2009)が指摘するように、過酷な船舶運航ス ケジュールのために研究者が現場に入ることが極めて困難であることや、自動車交通のよ うな交差点がないといった海上交通の特殊性のために非常にデータが取り難いためである。

4-1-2 目的

調査Ⅰとして、実際の海上交通を観察するために、まず教育研究目的で運航されており データ収集が行いやすい神戸大学大学院海事科学研究科附属練習船「深江丸」に便乗し調 査を行った。次に海運会社数社に依頼し 2 隻の商船に便乗し調査を行った。本章ではこれ ら3隻に便乗して得た避航操船の観察記録結果を分析する。

調査Ⅱとして、会社名および船名を明らかにしない条件で公表の了解を得られた、ある 海運会社の運航船舶での便乗事例について記す。この航海では便乗中の船舶が瀬戸内海を 航行中に他船と接近した相互関係になった。相手船の運航会社が特定できたため、便乗船 舶を下船後直ちにインタビュー調査を運航会社に依頼し、同日中に相手船船長にインタビ ュー調査を実施した。

本章では、これらの実際の運航実態調査から、現場における衝突回避操船の問題を考察 することを目的とする。

4-2 【調査Ⅰ】 避航操船の観察

4-2-1 方法

a)記録方法と記録項目

便乗時に、実際に行われた避航を記録した。避航記録の例をFig. 4-1に示す。

記録は上段にどのような避航がなされたか略図で記した。略図には進路と航過(真正面や 真横を相手船が通過すること)したときの距離、相手船の情報を記した。略図左上に“C/good”

との記述があるが、これは曇りで視界は良好であるとの意味であり、本来一つ下の“周囲 の状況”に記すべき情報である。

下欄に数値が記録されているが、左側は自船の針路をどのように変更したのか、右側は ARPA(Automatic Radar Plotting Aids:自動衝突予防援助装置)が示す衝突を回避する相手船 の情報である。避航を考えたときと実際に避航したときのデータを取るべく、表の見出し にはそのような記述となっているが、実際には避航を考えたときというのは操船者の申告 が無ければ判断できず、操船に集中している操船者が忘れずに調査者に申告するこ

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Fig. 4-1 避航記録の例

とができなかった。したがって表見出しの記述とは異なるが、左欄には実際に避航したと きに自船が針路をどのように変えたのか、右欄には避航した時の ARPA が示す相手船の情 報を直ちに記録した。多くの数値が並んでいるが、本章では避航時機を示すTCPA(Time to

Closest Point of Approach:最接近までの残り時間(分))に注目する。TCPAは最接近までの

残り時間であるが、CPA(Closest Point of Approach:最接近距離 Distanceを明記してDCPA と表す場合もある)の値が小さければ、衝突までの残り時間を意味する。

略図欄に“Pass”と記録されている数値は、相手船が航過する時の相手船までの距離(以 後、航過距離という)であり、記録としては真正面である船首方向を行き過ぎたときの航 過距離(船首航過距離)と真横である正横方向を行き過ぎたときの航過距離(正横航過距

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離)が、その時の船舶の遭遇状況によって記録された。船首航過距離はデータ数が非常に 少数であるため、本章では正横航過距離に注目する。

調査および記録は操船経験が豊富である著者が行った。

b)避航操船を観察した船舶とその時期

避航操船を観察した船舶は、教育研究目的で運航されておりデータ収集が行いやすい神戸 大学大学院海事科学研究科附属練習船「深江丸」、船舶安全サービス(株)が運航監査を行 っていた(株)マリーンリンク運航船「ひびき丸」、井本商運(株)運航で(株)イコーズ が管理するコンテナ船「まや」であった。

神戸大学大学院海事科学研究科附属練習船「深江丸」では、四国を一周する研究航海の うち瀬戸内海航行中に調査を実施した。コークス運搬船「ひびき丸」では、名古屋から豊 後水道を経て北九州への航海中に調査を実施した。コンテナ船「まや」では、新門司から 瀬戸内海を通って神戸までの航海中に調査を実施した。

Table 4-1にそれぞれの主要目と乗船時期を示す。「深江丸」をFig. 4-2に、コークス運搬

船「ひびき丸」をFig. 4-3に、コンテナ船「まや」をFig. 4-4に示す。

避航操船の観察は、避航時機と航過距離であった。その点において瀬戸内海といっても 特別な規定は無い。また「ひびき丸」では、名古屋から豊後水道を経て北九州への航海で あったが、便乗時太平洋はうねりが高く、他船と相互関係になった海域は主に伊勢湾と豊 後水道から関門海峡にかけてであり、他の 2 隻の航路である瀬戸内海と海上交通の輻輳度 等の状況は同様と見なすことができる。

Table 4-1 各船主要目と便乗時期

総トン数 全長 全幅 便乗時期 主な航路

深江丸 449t 50m 10m 2006年9月9日~15日 瀬戸内海 2008年3月6日~11日 瀬戸内海 2008年9月4日~10日 瀬戸内海 2009年3月6日~11日 瀬戸内海 2009年9月3日~9日 瀬戸内海 ひびき丸 14,851t 146m 25m 2009年8月7日~9日 名古屋~北九州 まや 748t 91m 14m 2009年11月26日~27日 瀬戸内海

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Fig. 4-2 神戸大学大学院海事科学研究科附属練習船「深江丸」

Fig. 4-3 (株)マリーンリンク運航 コークス運搬船「ひびき丸」

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Fig. 4-4 井本商運(株)運航(株)イコーズ管理 コンテナ船「まや」

4-2-2 分析 a)「深江丸」について

便乗中、昼間に調査者が船橋(船の操縦席)に滞在して観察を行った。調査時に深江丸 の運航に携わった航海士は5名であった。5名のプロフィールをTable 4-2に示す。

操船者AおよびBについては、「深江丸」の運航にしばしば関わっており、全長 300mク ラスの外航大型船の操船経験がある。操船者C、D、Eの操船経験は「深江丸」のみであ り、Cについては「深江丸」の運航に常時関わっている。操船者Dについては、「深江丸」

の運航にしばしば関わっている。操船者Eについては「深江丸」の運航に臨時に関わって いる。

深江丸では、船橋において航海計器であるレーダーおよび ARPA を自由に使用すること ができたため、避航時のTCPAを含む ARPAデータおよび正横航過距離を記録した。正横 航過距離は、避航後に新たに生じた他船との関係などの理由によりTCPAの記録数よりも記 録数が少ない。

「深江丸」については、操船者別および後述する相手船別にTCPAおよび正横航過距離に ついて分析する。

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