家内の安寧を祈る巫儀と祖先祭祀といった一
11) ポサルとは菩薩のことをいい、寺で下働きをする女性信者を指すが、巫俗の中で占いをし、シンバンを補助する役割を担う女性を指すことも ある。ここでいう文ポサルも巫儀を行ったり、占いをすることもあった Z はいった。
12) 七星祭は北斗七星を祀る巫俗儀礼で人間の寿命を司る神であり、済州島では他地域と違って単独の儀礼を行う。電子辞書内の『韓国民族文化大百科事典』の七星祭項目を参照。
13) Z は 40 数年前のことで寺の名前は覚えていないとのことだった。
マイノリティ空間の記憶をどう伝えるか
年の「祈り」のサイクルをこなしていた Z に転 機が訪れた。1976 年、一年の運勢を見たとき、
今年はとても運勢が悪いので陰暦の 1 月 1 日に 家で「プルサするように」とチェックポンハル バンから言われた。それで、タンゴルとしてい る金シンバンに巫儀を依頼した。すると、金シ ンバンは答えを渋った。金シンバンは Z のよう に謝礼が少ない巫儀を年初に行うと、一年中収 入が少なくなると考えたからだと、Z は思った。
30 年間、ずっと金シンバンと一緒に巫儀を行う なかで親密な関係だと思っていた Z にとって、
謝礼が少ないという理由でためらった金シンバ ンの行為が、とても悲しく腹立たしかった。そ こで、いつもは一度の巫儀で 1 万 5 千円謝礼と して渡していたのを、「今回は金シンバンに 3 万 円渡すので、その代わり文ポサルを連れてこな いでほしい。手伝いは私
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がするから」と頼んで、
金シンバンの了解を得て巫儀を済ませた。
Z は、多くの在日コリアン 1 世の女性たちと 同じように生活力のある女性であった。自宅で 既製服をまつる「マトメ」を内職としていたが、
内職とはいうものの Z の収入は、夫が町工場で 得る給料より数倍あった。それはもちろん、彼 女一人の労働だけではなく、家族総出で手伝っ たためだ。重要なところは Z がまつるが、夫は ボタン付けをし、子どもたちがポケットや袖な どをまつり、また糸取りも行っていた。毎日仕 事に追われながら、4 人の子どもを育てつつ、家 族の安寧を願う儀礼を継続することに Z は、少 し疲れていたのかもしれない。
このことをきっかけに、Z は金シンバンに巫儀 を依頼することを止めた。ちょうどその頃、近 所にいる知人から「保険の先生」を紹介された。
Z の話では、知人が言うのにある生命保険に入 ると販売員の女性が災いから守ってくれるとい うのだ。ちょうど、巫儀を行うことに疲れてい た Z は「プルサすることをせんへんでもいいい うたら入るわ」といい、知人に連れられて出か
けて行った。ある喫茶店に行くと「先生」と呼 ばれる年配の女性がいて、Z が思いを話すと、そ の女性は「大丈夫よ」といった。その言葉がな ぜか Z に安堵感を与えた。以後、息子をはじめ とする家族全員の名前の生命保険に入り、毎朝 4 時に自転車に乗り「保険の先生」の入れてくれ たコーヒーを飲みに喫茶店へ通い、代金を払い、
心配事を話して、「保険の先生」からの助言をも らって帰ってくるという生活を続けた。Z にとっ て「保険の先生」へ通うことは、巫儀を行うた めに費やす物心両面での負担が無くなったこと と、Z の悩みを聞いて適切な答えを出してくれる 相談者を得たことであった。
10 年くらい前に「保険の先生」が亡くなり、
現在は喫茶店に通っていないが、以前のような 巫俗儀礼が復活することはなかった。このこと について Z は「先生の神様が守ってくれるから」
といい、「日本の神さんも済州島の神さんも、神 さんは一緒や」という。
4.まとめ
ここまで、一人の在日コリアン 1 世女性の「祈 り」の実践とその変遷を見てきた。島村恭則は 生活世界のなかで展開される行為を「生活当事 者が自らをとりまく世界に存在するさまざまな 事象を選択、運用しながら自らの生活を構築し てゆく」(島村 2010:279)とし、それを<生き る方法>と定義した。本稿で扱った Z は、子ど もの病気などの困難に向き合ったとき、相談す る姉妹や親族がいなかった。また日常の生活に 追われ、在日コリアンたちによる出身村の親睦 会への参加のような同郷ネットワークがなかっ た。慣れない異郷の地で Z は精一杯生きていた。
だから、危機的な状況において(子どもの病気 など)Z は生まれ故郷の済州島と結びついた巫 俗儀礼によって克服しようとした。身近なシン バンを選択し、済州島では行わなかった河岸で
大阪済州人の祈り
の堂祭や時にはシンバンの真似をすることで「祈 り」を運用しながら、自らの生活を構築してきた。
そして、移住の期間が長くなることによって近 代社会のシステムである生命保険制度から発生 した「保険の神」への祈りを受容し、自らにとっ て必要な相談者を得たのだ。他方、済州島に行っ たときには夫の村へ行き堂祭を行うなど、生得 的な文化と近代的システムから生まれた文化の 狭間を行き交いながら、「祈り」のサイクルを日 常的実践へと変化させていった。Z にとっての<
生きる方法>が巫儀の実践や「保険の先生」と の交わりのなかから明らかになった。
注
1) ここでいう「祈り」とは、極めて個人的な願い事をもっ て神に祈る行為を指していう。
2) インフォーマントの Z は筆者の母である。前述し たように巫儀を依頼する側の調査は難しいため、筆 者は幼いとき巫儀に参加した記憶があり、そこから 母に対するインタビューを試みた。インタビューは 2009 年 8 月 13 日と 2010 年 4 月 18 日の二回に渡っ て Z の自宅で行った。
3) シンバンは漢字では神房と書き、巫俗儀礼を行う シャーマンを指す。朝鮮半島ではこのようなシャー マンはムーダンと呼ばれているが、済州島ではシン バンと呼んでいる。
4) ポッパルタンと Z はいった。それが何であるかは本 人に聞いてもいまひとつはっきりしないのであるが、
空襲などで爆発した残骸を回収する仕事を請け負お うとしたようだ。当時は鉄などが不足したようで、
鉄を回収して売れば一儲けできると考えたといって いる。Z は結局許可が下りなかったといったが、こ の許可の出どころが日本政府なのか、GHQ なのか Z 自身が分かっていないようだった。ただ、当時この ような儲け話はいろいろあったようだ。
5) 出産・産生を扱う神として朝鮮半島ではサムシンハ ルマン(産神おばあさん)という。サムシンは三神 もしくは産神、ハルマンはおばあさんという意味だ。
サンシンハルマンは 12 歳までの子どもを守る神であ る。
6) サンシンハルマンに祈りを捧げるための儀礼をいう。
7) 朝鮮半島のシャーマンには 2 通りある。一つは世襲
制のシャーマンであり、今一つは降神巫である。こ の降神巫になるときに必ず病にかかるのだが、この 病を巫病という。
8) 済州島の村は海辺の村と山側の村との間を中山間村 といった。
9) 龍王宮については、飯田 (2002) や金 (2005) に詳しい。
10) ポサルとは菩薩のことをいい、寺で下働きをする女 性信者を指すが、巫俗の中で占いをし、シンバンを 補助する役割を担う女性を指すこともある。ここで いう文ポサルも巫儀を行ったり、占いをすることも あったと Z はいった。
11) 生駒山を中心に仏教と朝鮮の巫俗が習合した寺院が 存在する。この何々寺と名乗っているが、中身は仏 教的な信仰と巫俗儀礼が共存するものを一部の研究 者やマスコミが「朝鮮寺」と呼んでいる。このこと については、宗教社会学の会(1985)に詳しい。
12) 七星祭は北斗七星を祀る巫俗儀礼で人間の寿命を司 る神であり、済州島では他地域と違って単独の儀礼 を行う。電子辞書内の『韓国民族文化大百科事典』
の七星祭項目を参照。
13) Z は 40 数年前のことで寺の名前は覚えていないとの ことだった。
参考文献
飯田剛史(2002)、『在日コリアンの宗教と祭りー 民族と宗教の社会学』、世界思想社。
宗教社会学の会(1985)、『生駒の神々―現代都 市の民俗宗教』、創元社。
金良淑(2005)、「済州島出身在日一世女性によ る巫俗信仰の実践」、『韓国朝鮮の文化と社会 第 4 号』、風響社、14-54 頁。
島村恭則(2010)、『<生きる方法>の民俗誌―
朝鮮系住民集住地域の民俗学的研究』、関西学 院大学出版部。
宮下良子(2005)、「越境するシャーマニズム−
在日コリアン一世女性の事例分析」、『韓国朝 鮮の文化と社会第 4 号』、風響社、55-85 頁。