スポーツ科学委員会コーチング専門部会 山本 兼郎
<講義>
昭和42年埼玉国体時には選手で、上尾の県立体育 館で毎週強化練習を受けていた。
その後順天堂大学に進み、卒業後、イランで現地 ナショナルチームの指導をすることになり、ペルシ ャ語には苦労した。言葉が分からないために人を見 る目や、観察することが養われた。
日本に帰国後、順天堂大学体操部を指導すること になった。1年目から新人戦には勝てたものの、イ ンカレ優勝までは20年かかった。優勝の翌年には全 日本選手権も勝てて、日本1となった。この頃から 世界を目指すこととなった。
2002年には鹿島・冨田により体操4冠を制し、以 後、世界選手権やオリンピックの男子体操監督を務 めた。2004年アテネオリンピックでは男子団体金メ ダルを獲得して、念願の世界1となった。
体操界においてオリンピック選手になるのは2万 人の中の6人でしかない。その中でオリンピックに 何人かの順天堂大学の選手を出しているが、鹿島と 冨田はすばらしい綺麗な線を出せる良い選手で、空 中ですぐにつま先まで身体をのばすことが出来る。
練習からして試合を意識したものとなっている。
動画により両選手の演技を紹介した。
大学での指導では、1点目は自主性を育てる指導 をしている。体操は個人競技であり自ら行うもので、
やらされるものではない。小学生から高校生までは
確かにやらされるものだが、大学生は自主性が大事 である。指導者も忍耐する必要があり、すぐに指導 せず待つことも大事である。
2点目は長所を見抜くことであり、欠点を見つけ るのでなく長所を伸ばすことを行っている。その中 で欠点を直していく。指導者は観察眼を養う必要が ある。
3点目は技の指導は選手同士で行うことであり、
今の体操の技はどんどん難易度が上がっており、指 導者はその技を体験していない。運動感覚や、技の こつは選手同士で教え合うことが大事であり、指導 者はそれに加わり、自ら感覚で掴んでいくことが必 要である。
つぎに自信については、動じない精神力が必要とな る。それは練習で養われるもので、自分の演技に自 信を持つこと。それには練習しかないが、大きな夢 を持ち、小さな夢の実現をしていく。国際大会での 経験は島国日本では大きな意味を持つ。
動画により選手の演技のコーチサポートを説 明した。
海外選手の演技においてコーチが、失敗しそうな 演技にサポートする。マットの上に立っているコー チもいるが、審判からも見栄えが良くない。練習は ウレタンの入ったピットで行っているが、それを試 合などで出来る状況まで持って行かねばならない。
サポート無くできなければ駄目である。日本人選手 の良い例では、コーチは跳び付かせるだけで、落下 に対するサポートに付いていない。それだけ各選手 が自信を持った演技をしている。
第28回アテネオリンピックでは、団体総合で金メ ダルなど4つのメダル獲得をしたが、これまでの体 操競技の歴史を紹介する。
オリンピック男子体操の初参加は、1932年第10回 ロサンジェルス大会で5位、次の第11回ベルリン大 会では9位となり、第2次世界大戦で中断した。復 帰した1952年第15回ヘルシンキ大会で5位となり、
ソビエト連邦が優勝した。第16回メルボルン大会で は2位となり、女子体操も初参加した。1960年第17 回ローマ大会では参加5回目にして団体初優勝を成 し遂げた。参加後、28年かかっての初優勝で、奇し くもアテネ大会は、最後のモントリオール大会での 優勝から28年後の優勝となった。男子体操はこの28 という数字が良いようだ。
体操競技にはこの間、黄金時代があり、1960年か ら1978年の18年間に渡って王座に君臨した。これは 大変な記録であった。
その後、共産圏国家の時代が来て、1980年モスク ワオリンピック以降、国威発祥の場として、早期指 導と報奨金により選手を育成し成功を収めていった。
しかし、ドーピングなどの問題が起こってしまった。
体操競技のエポックでは、1997年に規定演技が廃 止、競技方法が改革され、スペシャリストが誕生し た。2006年には10点満点制が廃止され、スペシャリ スト時代の到来と、演技時間の増大を招いている。
団体戦の競技方法も変わり、予選が6人中5人演技 の内4人の点数、決勝も同じく6人中5人演技の内 4人の点数から、2001年からは決勝が6人中3人演 技の内3人の点数となった。したがって1人もミス できないシビアな状況となってしまった。さらに、
メイン会場では個人戦も含め、アップできなかった。
さすがに北京大会からは団体戦のみメイン会場での アップが認められるようになった。
ルール変更によりスペシャリストが増えている。
体型が違うので、あん馬はしない吊り輪のスペシャ リストや、逆に体型がすっきりしなくなってしまう ので、吊り輪はしないあん馬のスペシャリストがい る。各国でオールラウンダーが減り、スペシャリス トが増えている。あん馬での演技を比較すると、10 点満点制の2003年の大会で演技時間は32秒で26旋回 していたものが、5年後の10点満点を越える点数制 になった後は、演技時間は50秒で40旋回に増えてい る。鉄棒ではアテネ大会では平均演技時間33秒で15 旋回していたものが、北京大会では平均演技時間52 秒で23旋回に増大している。平行棒でも同様にアテ ネ大会では平均演技時間33.7秒で13.3演技していた ものが、北京大会では平均演技時間47.6秒で19.9演 技に増大している。その他の種目は調べていなかっ たり、演技時間が決まっているものなので省くが、
このように演技時間も増え、A 難度の技も増えると なると、技の習得に時間もかかり、ケガの恐れや身 体の負荷も増えてくる。これがスペシャリストを増 やしている。
アテネオリンピックについて、冨田と鹿島の両選 手がいることが大きかった。これまで日本はエース が1人だったが2人いると大変楽であった。しかも 体操史上初のあん馬の金メダルを鹿島選手が獲得し た。これは体操黄金時代でもなしえなかったことだ った。アテネオリンピックに向けて、協会では弱点 を明確化し、代表選手選考法にポイント制を導入し、
そしてナショナルトレーニングセンターが出来た事 による代表合宿を行った。また、オリンピック直前 に海外合宿を行い、時差調整し、さらにやる気を養 えたことが良かったようだ。
また本番でも団体予選を1位通過したことが自信 を生み、決勝も1位となることが出来た。この後で 問題となったのは、団体戦の競技時間が長かったこ とに加え、競技成績が良く取材に時間を取られ、さ らにドーピング検査に時間を取られたため、個人総 合に向けてのコンデショニング調整に失敗して、身 体が動かなくなってしまった。このため個人総合で の成績はあまり良くなかった。
最後に日本での選手育成の実態であるが、中学校 の部活動が減っており、地域スポーツクラブでの少 年育成に頼っている。このクラブ育成には早期指導 も出来て助かっている。その後、高校3年間、大学 4年間、選手育成をしている。
以上、アテネオリンピック大会を中心にお話をさ せていただきました。
<感想と質問>
○伊奈学園・体操競技 蓮見氏
各国でスペシャリストを育成している中で、日本で はどのように育成し選考していくのでしょうか?
→陸上競技では10種競技が「キングオブアストリー ト」といわれているように、体操競技も6種目が出 来て欲しい。ワールドカップ大会でも個人総合が無 く、種目別になっている。世界の流れはスペシャリ スト育成で、日本は後れを取っている。ポイント制 選考での人数を増やし、所属元での指導に力を入れ てもらうことになると思う。
○埼玉県体操協会 永嶋会長
講師の先生を高校の時指導したが、練習と試合を 一致させていた。練習と試合を一致できない選手を 直していく苦労はどうでしょうか?
→鹿島、冨田両選手とも練習が試合そのものとなっ ている。その練習を他の選手も見ておりお手本にし ている。出来ない選手は伸びないので、お手本とす れば良いだけである。自主的に練習することに任せ ている。両選手と一緒に練習することは、大学の他 の選手にとって財産だと思う。