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0 m 価一

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報8 (ページ 63-71)

+ 十

Rヨ 0 0 m 価一

+ +

41‑Ψ42

4号

溝 の延長 とも考 え られ るが、石の列びが明確 でな く、軸線 も若千ずれ ることか ら、別 の遺 構 と考 えた。本土坑 に多量 に含 まれている礫 は、失われた と考 え られ る

4号

溝 の南側部分、あ

るいは

5号

溝 に用 い られ ていた ものが廃棄 された ものであろ うか。

【19号土坑】(図16、 図版11)

AG‑8区

4号

溝 の南側 で検 出された。北側 を鉄管 の撹乱で破壊 されている。壁際に人頭 大 の礫が

3個

残 され てい る。底面 は平坦 で、埋±1層が

4号

溝 の埋土 に類似す ることか ら、そ の延長部分 の可能性がある。

(O V期

の遺構

本期の遺構は、基本層の3b・

3c層

を掘 り込んでお り、

3a層

に覆われている。層序 と時期 区分のところで述べた とお り、前者は文化元年 (1804年

)の

大火災直後の整地層に、後者は現 治15年 (1882年

)の

大火に伴い形成された層に、それぞれ比定できる。

AD列

より西側には1 号池が大きく広が っている。

 1号

池の北東角か らは

2号

溝が北に向か って伸びている。

AE一

6・

7区

では、

 1号

池の南側に隣接 して、

 1号

井戸が検出された。それ以外は、

2号

溝の周辺 に浅い落ち込みが数箇所確認 されただけである。

 1号

池は、その位置か らみて、Ⅳ期の

2号

を踏襲 し、新たに掘 り直 した可能性が高い。

 1号

池、

 1号

井戸をは じめ、本期の遺構か ら出土 した陶磁器は、19世紀前葉〜中葉のものが主体を占めている。本期の遺構の埋土か らは101点 の釘が出土 しているが、 うち100点は和釘である。

 1点

見 られた洋釘は、

 1号

池埋上の最上層 出土であ り、何 らかの理由で混入 した可能性が高い。 したがって本期は洋釘が普及する以前の 時期にあたる。

 1号

池の埋土〇〜③層か らは、明治三分金が出上 していることから、明治初頭 には

1号

池の機能は停止 してお り、埋め立てが行われていた と考えられる。

 1号

池の埋土に は、瓦や建具等の建築部材、ならびに陶磁器、漆器をは じめとする多種多様な生活用具が多量 に含 まれている。 これ らの廃棄物は、版籍奉還に伴 う勤政庁の設置 (1869年)、 廃藩置県に伴 う東北鎮台の設置 (1871年

)等

、朔治初頭に行われた、旧二の九殿舎の整理の過程で生 じた と 想定 される。

【I号 池】(図9・ 10・ 17・ 18、 図版13・ 14・ 15)

AD列

よ り西に大 きく広がる池跡である。

V期

2号

池 と重なる位置にある。調査時には、

両者の埋土の違いを十分認識できずに、

2号

池の底面 まで掘 り下げて しまってお り、池の輪郭 に関する記録が失われている。図17の平面図に示 した

1号

池の輪郭は、

 1号

池の広が りのなか で、

2号

池の底面 より深い部分を示 しているに過 ぎず、調査区西壁断面の観察から、実際には 図17に示 した輪郭 よりも西側に広が りを有 していた ことは確実である。

AF・ AG列

に始ける

1号

池の輪郭は、

2号

池を踏襲 していた と推定 され る。

2号

池 との違いでは、

2号

池の最 も深

い部分が調査区内ではな く、 よ り西方にあ った と推測 され るのに対 して、

 1号

池では、

AD一

5区

AD‑6区

の境付近 で最 も深 くなる。

2号

池 同様、

 1号

池 も北側に接続す る溝が確認 さ れ てい る。付随す る溝 の位置 も東に移動 していることか ら、

 1号

池 は、基本的に

2号

池 の位置 を踏襲 しつつ も、若千東に移動 ない し拡張 して掘 られた可能性がある。池は方形の落ち込みが 導 続す る形状 を呈 してお り、個々の落ち込みの底面 は平坦 である。壁の立ち上が りは比較的急 で、深 さも

1.5m以

上に及んでいる。埋土は、①層か ら⑩層まで、10枚に細分 された。埋土

③ ・⑤ ・〇 ・③層には有機質が多量に含まれてお り、 これ らの層からは、陶磁器・木製品をは じめ とする多量の遺物が出上 している。 とりわけ、埋土〇 ・③層には多量の木材・木製品が堆 積 してお り、それに挟 まれた埋土③層には炭化物が層状に認められる。埋土の上部は、有機質 の堆積物 と水成堆積 したと考えられる粘土層が互層になっている。また、埋土中には、アワビ

・ハマグ リ・シジ ミといった貝類 も比較的多 く見 られ る。

 1号

池か ら出土 した多量の陶磁器 は、大部分が19世紀前葉〜中葉の資料であ り、特に層位的な変化は認め られない。 このこと は、

 1号

池が本来の機能を停止 した と推定される19世紀中頃、 これ らの遺物が比較的短期間に 捨てられたことを示 していると理解 される。

2号

溝】(図10。 17、 図版13。 14)

AD‑3〜 5区

で検出された南北溝である。南端は

1号

池の北東隅に繋が ってお り、北側は 調査区外に延びている。上幅約1.6m、 下幅約0.4m、 深 さはお よそ

40 cmで

ある。溝の方向 は、N‑25° 一

Wで

ある。埋土は

3層

に分かれ、瓦片や炭化物 ・小礫を多 く含む1・ 2層 は人為 的な埋め戻 し土 と考えられる。

AD‑4区

の南側では、埋± 1層 と

2層

の層理面に、板材等が 堆積 していた。溝の埋土は、

 1号

池の埋土①〜③層に切 られてお り、池 よ りも先に埋め戻され た と考えられ る。

【1号 井戸】(図17・ 18、 図版13・ 14)

掘 り込み面は、

3b層

の下。円形の石積井戸である。井戸の直径は約1.lm、 確認面での掘 り方の直径は、お よそ

3.6mで

ある。井戸の側石には、長軸70〜

80 cm程

度のやや平たい石 が選ばれてお り、長軸を井戸の中心に向け、放射状に積み重ねている。掘 り方の中には、小礫 が多量に詰め込 まれてお り、上部には大きめの礫が含まれている。井戸は大部分が埋め戻され てはいるが、最上部は しば らくの間、窪地 として残 っていた と考えられる。窪地が最終的に埋 まるのは、

 1号

池の埋没 と併行 し、池の埋上の一部が入 り込んでいる。埋土からは、18・ 19世 紀代の陶磁器や漆椀が出土 している。含 まれ る陶磁器か ら、井戸が完全に埋ま りきったのは、

19世紀中頃 と推定 される。

6号

土坑】(図17)

AC‑3・ 4区

で検出された、不整形の浅い落ち込みである。西側を土管により破壊 されて

1   3

十 十

+

+

5980m

‑5960m

埋± 25Y4/2 暗灰黄色

 

シル ト

 

人頭大の円礫を多く合む

 

腎 劫

n

―‑59 50m 埋± 10YR3/4 暗褐色

 

ンル ト

角     鰐 土

【≧ 豆 茅 っ 変

:罫

咀智

jL± 25Y4/1 黄灰色

 

ンル ト

 

黄褐色ブロック・礫を多 く合む 上 面 に本片が残存

煮 :7ど

:彗

逸列 柱KⅢ 鋤

‑5920m

霊ンフレト

 

炭化物・ 小礫 。瓦 を多 く合む 霊ンル ト

 

黄褐色 ローム塊 を含む 埋±2層 10YR3/3 暗褐色

埋±3層 10YR3/3 暗褐色

1号池

米 軍 共 同 溝

6000m

炭化物層

‑5930m

0 0 m         米 軍 共 同 油       6 0 m

0       2rn

0       5rn

十    BZ   

2号 溝

17 

第9地点

V期

検 出遺構 Fig■7 Features of phase V at N 19

1サl「Ji⑦膳 1サ池〕L土④膳 E

1号井戸 図

18 

9地

V期

断面図 Fig■8 Cross sections of phase V at N19 斥

Om這

落号6蜘硼―加陣叫触蜘 避1lb層 19YR3″ 黒協色 ンルド 埋1lc層 7 5GY4/1 皓緑灰色 粘土 選1ld層 10YRvり 黒褐色 シルト 蛭±2層 10BG3'1 に言灰色 粘土質ンルト 礫.炭摺物を多(含む 1号池 理10 上部はにぶい責褐色ン″卜主体の整地層中部には自然推積したFiオリーブ粘i 質ンルトめ '下部は晴褐色・にぶい黄褐色ンルトの不均質な整地層で炭他物多い 埋土@ 上部は晴オ)―ダ灰色の水性堆積格上下訂嵌責構色砂質ン″卜の盛土 樫10 76W力 黒褐色 ン′フト 有機物層 炭化物を少量合む 選10 上部は暗オリーブ灰色の水性堆積粘上下部は暗楊也ンルトr盲榔物を合む

00mと

弼 ‖鰯

継 色 ン 統 ン

'「

''4塀

孫森 よ歩

tttttf板

埋土0 1oYR2湘 黒褐色 粘土質ンルト 下蔀に 木

llの層炭化物・礫を合↓ 埋10 10YR″,75Ⅵ/1 黒褐t.灰色 粘土質'砂質ンルト 炭他物層あ, 理虫9 1oYR″〕黒欄色 粘土質ンフント 板材,角.木,杉皮等を多量に合む 埋土⑪ 7冊Ⅵ/1 晴緑灰色 粘土質シルト 小BIIを合む グライイと

60 00rn

‑5900m ド

6000m6000m

1号池 2号池埋土③層

‑5860m

お り、南側 では

7号

土坑 に接 してい る。埋土 には人頭大 の円礫が多 く含 まれている。

7号

土坑】(図17)

6号

土坑 の南に接 して検 出 された浅 い落 ち込みで、西側 を土管 に よって大 き く破壊 され てい る。埋土か ら、大堀相馬産 の陶器小碗や堤焼 の乗燭等、19世 紀代前葉〜中葉 の遺物が出土 して ヤヽる。

8号

土坑】(図 17)

2号

溝 の西側、

AD・ AE‑4区

で検 出 された浅 い落 ち込みで、南側が土管 で破壊 されてい る。埋土か ら、19世紀前葉 に比定 で きる、鉄絵 山水文が描かれた大堀相馬産灰釉小皿が出土 し てい る。

9号

土坑】(図17)

AB‑5区

で検 出された浅 い落 ち込みであ る。東側 は調査区の東壁 にかか り、西側 は土管に よ り破壊 されてい るため、全体 の形状は不 粥であ る。土坑 として扱 ったが、 この部分の

3a層

には多量 の瓦が含 まれ てお り、そのため、その一部が落 ち込 んだ可能性が高い。

(6)Ⅵ

期 の遺構

明治 15年 (1882年

)の

大 火に伴 う

3a層

を掘 り込 んでいる遺構 で、陸軍第二師団に関連 した 遺構 であ る。調査時には、江戸期 の面 まで重機 に よる表土崇Jぎを行 ってい る。そのため、明治 以降の遺構 に関 しては、調査段階 で、江戸時代に遡 る可能性があると判断 した場合 に限 って、

遺構確認 ・精査を行 っている。本期 の遺構が部分的に しか存在 しないのは、上記 の理 由に よる。

【1号建物跡】(図19、 図版15)

AG‑4区

で検 出 された掘立柱建物跡 である。南北

3間

分、東西

2間

分 が確認 され てい る。

柱穴 の直径 は約

30 cmで

、隅 丸方形 を呈す る。柱 の痕跡 か ら、角柱 が使われ ていた ことが判 る。建物 の方 向は、

N‑24°

Wで

あ る。柱 間は、梁 と桁 で異 な り、梁間約92 cm、 桁 間約 76

cmで

あ る。直接遺構 の切 り合いは無いが、位置的には、

1号

柱列、

2号

柱列 と重複 している。

2号

建物跡】(図10。 19)

AF・ AG‑5区

で、根石が

4箇

所確認 されてお り、 この部分 に礎石建物が存在 していた こ とが判 った。試掘 の段階では、 さらに多 くの根石を検 出 しているが、本調査時 には、重機 に よ り表土 を除去す る際に削平 して しまった結果、

4箇

所 しか記録 にない。南側が米軍 の共 同溝 に よって破壊 されていることもあ り、根石が どの よ うな位置に配置 されていたか、全体像は不 明 である。調査 区の西壁断面か ら、それ らの根石の掘 り方は、

 1号

池 の埋土 を掘 り込 んでお り、

2a2層

に覆われ てい るこ とが判 る。残存す る根石 の位置か ら推定 して、建物 の方 向は、

E一

24°一N、 柱 間は約180 cmと思われ る。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報8 (ページ 63-71)

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