第七章 手術シミュレータ
7.5 高品質画像のリアルタイム生成方式
7.5.1 黄斑前膜症の増殖膜剥離モデル
7.2 節で記述したように, 本論文では黄斑前膜症と加齢性黄斑変性症の二つの症例を対象として手 術シミュレータを構築し, 高品質画像のリアルタイム生成に関する実証を行うことにした. 手術とい う非常に高度な品質が要求される映像を, 手術練習を行うにあたり充分な応答速度を持って生成す るためには, 物理現象を忠実に模擬することのできる精密なモデルを基にして, 映像品質を劣化させ ることなくリアルタイムに画像を生成することのできる高速なモデルを考案する必要がある. 本節
では, 黄斑前膜症の手術シミュレータを構築するにあたり, 高品質な映像を生成するためには膨大な 時間を必要とする増殖膜剥離を対象として, 映像品質を劣化させることなくリアルタイムに立体視 画像を生成する方法について記述する.
通常, 自由曲面の変形を扱う場合には, 有限要素法や質点バネモデルが用いられる[63]. 有限要素法 とは, 対象物を細かな要素に分割し, 各要素における変形が全体としてどの様に影響を及ぼすのかを 調べて, 細かく分割された多数の要素から成る物質の変形を取り扱うものであるが, 各要素の変形処 理には膨大な計算量が必要とされることから, リアルタイム応答には不向きであると言われている.
一方, 質点バネモデルは細かく分割された各要素にある程度の質量を与えると共に, この質量を持つ 点(質点)の間をバネで結合する. 物質の変形に応じてバネの長さも変化するので, バネの変位に応 じた内力が発生すると仮定して, 物質の変形を取り扱うものである. 例えば, 一枚の増殖膜を有限要 素法あるいは質点バネモデルにより各要素に分解すると, 図 7‑8(a)のようになる. 図において, ハ ッチされた部分が増殖膜の内部を表し, これを有限要素法あるいは質点バネモデルで扱えるように, 細かな要素に分解したものの外周を太線で示す. 基本的には四角形あるいは三角形で構成される要 素の集まりとなる. 図 7‑8(a)に示す全ての要素に対して逐一質点とバネ力に基づく運動方程式を解 いていたのでは非常に時間がかかり, 高速に変形画像を生成することはできないので, リアルタイム に画像を生成するためには分割する要素の数を減らして, 図 7‑8(b)のような構成を考える. 図 7‑8(a)及び(b)の太線を比較すると明らかなように, 画像生成のリアルタイム性を重視して物質の構 成要素数を削減すると, 画質が劣化していることが分かる.
(a)
(b)
x
a b
眼球後部 増殖膜
(0,0,-R) z= -R
a' b'
Y Z
R -R
X Y
0
a' b'
α
図7-8 モデル分割数と画質の関係 図7-9 増殖膜モデル
そこで, 画質を劣化させることなくリアルタイムな画像生成を実現するために, 図 7‑9 のような増 殖膜のモデル(高速膜剥離モデル)を考える. 図 7‑9 は, 図 7‑8(a)と同じ分割数で増殖膜の要素を 構成している. しかしながら, 増殖膜内部の点全てに対して運動方程式を解いていたのでは, リアル タイムな応答性能を実現することはできない. 従って, 分割数は同じであるが, 変形計算を行う重要 点を抽出し, この重要点に対する計算のみを行う. 眼科手術において膜の剥離を行う場合, 膜の外周 部分に触れて周辺部を少し持ち上げた後, 持ち上がった部分を摘んで膜を剥離する. このとき重要と なる点は膜の外周部分であるが, 眼底網膜上に接着している増殖膜を剥離するためには, 増殖膜と網 膜との接着部分を調べなければならない. この接着部分が広いと, 網膜と増殖膜との癒着力が大き く, 膜は剥がれにくい. 膜を剥離するにつれて接着部分が小さくなり, 癒着力も下がるため, 膜は剥 離し易くなる. 図 7‑9 において●で示した点が増殖膜の外周部分を構成する点であり, ○で示した点 が網膜との癒着を示す境界線を構成する点である. 増殖膜モデルを作成する際, 膜を構成する格子上 の点を全て与えるのは困難であるため, 大きな丸(●及び○)を与えると, それらの間を補間して自 動的に小さな丸(●及び○)を生成するようにしている.
ここで, 増殖膜上の点 a を摘んで図中の点 b の方向に膜を持ち上げることを考える. 点 a 及び b か ら z=‑R 平面上へ下ろした垂線の足を a 及び b とする. ここで, ab及びa'b'を含む平面を考える.
この平面はX軸とα の角度をなしているから, この平面を Z 軸周りに時計方向へα だけ回転すると XZ平面に一致し, 図 7‑10(a)のように表される.
X
a b
(0,0,-R)
z= -R r
q Y Z
R -R
o p
X Y
0
a'
b'
α p q
L
(a)
(b) s
t u
v
図7-10 膜剥離モデル
点 a から点 b まで円孤を描きながら膜を持ち上げたとすると, その膜剥離における回転中心 p を求 めことができる. 点 p は z=‑R 上にあり, 点 a 及び b より等距離にある点である. また, 点 a も元々 は z=‑R 上で点 p から点 a あるいは点 b と等距離にある点 o に存在していたとする. すると, 増殖膜 と網膜との接着境界線上の点 q も点 p を中心にして回転し, 線分 bp 上の点 r に移動すると考えられ
る. ここで, 点 q と点 r がバネで結合されていたと仮定すると, この距離が大きくなり弾性限界を超 えると, バネは切断されて膜の復元力は失われることになる. 従って, 線分 qr がある一定の閾値を 超えると膜は剥がれて, 増殖膜と網膜との接着の境界点は点 q から点 p へ移動する. この様子をXY 平面に投影したものが図 7‑10(b)である. この場合, 線分 pq と直交する直線Lに対して折れ曲がる 形で増殖膜は変形する. また, 増殖膜と網膜との境界部分は点 s 及び t(薄くハッチされた○印)に 移動する. また, 点 a の移動に伴って増殖膜の外周を構成している点も移動するため, その移動量を 計算する. 直線Lと交差する点より左下にある部分の外周は変化しないから, 直線Lと交差する点(u 及び v)で移動量が0となるように, 各点の移動量を比例配分にて計算する.
上記のようにして増殖膜の外周部分及び網膜との接着境界部分の点が求められるので, これらの点 を基に他の点の補間計算を行うことにより, 増殖膜を構成する全ての点の位置を求めることができ る. このように, 膜を構成する全ての点に対する計算を行うのではなく, 膜剥離という特性を考慮し て重要な点を抽出すると共に, 重要な点に対してのみ変形計算を行い, 他の点に関しては重要点から の補間計算にて移動量を計算することにより, 画質を劣化させることなく, 高速に画像を生成するこ とができる. 結果としての図及び性能評価については, 7.6 で述べることにする.