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対象症例

ドキュメント内 CG38.PDF (ページ 96-101)

第七章  手術シミュレータ

7.2   対象症例

前節では, 充分な医学的知識を習得することのできる環境を考慮して, 手術シミュレータの対象を 眼科手術としたが, 眼科手術にも大きく分けると前述した4種類の手術が存在する. この中で, 眼科 医が最初に取り組むのが白内障である. 白内障は, 年齢と共に硬くなった水晶体を人工レンズと置き 換える手術であり, 眼科手術の中でも最も症例数が多い手術である. また, 死後硬直しているとはい え, 豚眼を用いた練習が行える状況にあるため, まず白内障で一流の手術技量を身につけた後, 他の 手術を行うのが一般的な教育方針となっている. これに対して, 他の三つ手術はどれを取っても困難 な手術であるが, 特に網膜・硝子体手術は対象となる範囲が広く, 網膜剥離のように動物の眼には発 病しない人間特有の病気が多い. 従って, バーチャルリアリティ技術を使用した手術シミュレータの 開発が他の手術に比べて強く要求されているため, 網膜・硝子体手術を対象手術として手術シミュレ ータを構築することにした.  

しかしながら, 網膜・硝子体手術を対象手術としても, 個々の症例はそれぞれ異なるため, 具体的 な症例を設定し, しかも個々の症例に依存する多様性を取り除いて, 対象とする症例を単純化しなけ れば, 手術シミュレータとして取り扱うことのできるモデルを作成することはできない. そこで, 網 膜・硝子体手術の中でも比較的頻繁に現れ, しかも動物眼を使用した練習が困難な次の2症例を対象 症例として取り上げることにした.  

   

1) 黄斑前膜症:眼底中心部(黄斑部)にある血管がつまった後に破裂して, その破裂した部分に は新たな膜(増殖膜)が生成される. この生成された増殖膜は, 例えば手に擦り傷を負った場 合にできるかさぶたのようなものであり, 体表面上に生成したかさぶたは自然に剥がれてなく なるが, 眼内に生成したかさぶたは自然には剥がれず, 放置しておくとさらなる増殖を繰り返 す恐れがあるため取り除かなければならない. このように黄斑部の網膜上面(あるいは前面)

に増殖膜が生成される症例を黄斑前膜症と呼ぶ.  

 

2) 加齢性黄斑変性症:黄斑部に増殖膜が生成されるという点では黄斑前膜症と同じであるが, 黄 斑前膜症では網膜上面に増殖膜が生成されるのに対し, 網膜の一部が盛り上がり, その中に増 殖膜が生成する点が異なる. 年齢を重ねるにつれて黄斑部が変形することにより生ずる症状で あるため, 加齢性黄斑変性症と呼ばれるが, 網膜の下に生成された増殖膜を取り除くことが主 目的であるため, この手術は網膜下手術と呼ばれる.  

   

上記では対象となる二つの症例を取り上げ, それぞれの症例の特徴について述べた. 次に, 対象 となる症例の手術手順について概略を述べることにする[ 6 2 ].

<黄斑前膜症の手術手順>

1) 麻酔:眼球の奥に注射して麻酔を施す局所麻酔が基本である. 従って, 眼球には麻酔がかけら れているために手術中の痛みは感じないが, 手術中も患者の意識はあり, 術後, 医師が患者に 話しかけて眼を動かせることにより, 手術の最終確認を行うこともある. 但し, かなりの痛み を伴うことが予想される場合などには全身麻酔を施し, 術中は患者の意識が全くないことも ある.

2) 開瞼:人間は自然な状態では瞬きをしたり, 瞼を閉じたりするが, 術中は常に瞼を開けた状態 を保たなければならない. そのために, 開瞼器という器具を使用して強制的に瞼を開く. 眼の 幅(瞼裂幅)が小さい人は瞼を大きく開くことができないため, 瞼を少し切開して眼を大きく 開かせることもある.

3) 結膜切開:瞼の根元部分の膜を結膜といい, 眼の瞳以外の大部分を覆っている膜(強膜)を露 出するために, 結膜を切開する. 360 度にわたる円状の切開と, 強膜を部分的に露出させるた めの部分切開とがある. 当然のことながら出血を伴うために, 電気コテ(焼灼器)で止血する.

4) 制御糸:瞼を強制的に開かせると共に, 眼があまり動かないようにするための糸をかける. 通 常は, 眼の耳側にある筋肉(外直筋)と鼻側にある筋肉(内直筋)の2箇所に制御糸をかける

, 360 度にわたる円状の結膜切開を行った場合には, 眼の頭側にある筋肉(上直筋)及び足

側にある筋肉(下直筋)にもかける.

5) 強膜切開:強膜刀と呼ばれる先の尖ったメスで, 外直筋の下方に穴(強膜切開創)をつくる. こ の場合, 強膜切開創より眼内に存在する硝子体が流出する恐れがあるため, 止金で抑える. 出 血した場合には焼灼器で止血を行う.

6) 灌流液注入:後で述べるが, 眼内に存在する硝子体を切除吸引して, 眼外に取り出す. 眼内に ある硝子体が除去された分だけ眼圧が低下するので, 眼圧を一定に保つために, 灌流カニュ ーレという装置を上記にて設けた強膜切開創より挿入し, 術中, 外れないようにナイロン糸 で縫合/固定する. その後, 灌流カニューレより, 灌流液(通常は生理的食塩水)を眼内に注入 し, 術中, 眼圧を一定に保つ.

7) 強膜切開:上記同様, 強膜刀にて強膜を切開し, 左右の術具を挿入するための強膜切開創を設 ける. 強膜切開創を設ける位置は, 患者の頭を12時とした場合に, 2時と10時の位置である. また上記同様, 眼内の硝子体が流出しないように, 止金で抑えておく.

8) レンズリング装着:網膜・硝子体手術は, 眼の奥の手術であるために, 眼(角膜)の上にコン タクトレンズを置き, このコンタクトレンズを通して眼内を観察する. レンズリングとはコ ンタクトレンズを置くための金属の輪であり, 術中外れないように縫付ける.

9) 術具挿入:左右の手に持つ術具を挿入する. 右利きの医師は通常, 左手にライトガイドと呼ば れる術具を持つ. 眼内は真っ暗であり, 術中, 手術室の明かりも消されるために, 何の光もな い状態となる. このような状況の中では, 左手に持つライトガイドが唯一の明かりとなり, 眼 科外科医はこのライトガイドの明かりのみを頼りにして, 眼内の様子を観察する. 一方, 利き 手である右手には, 症例に応じて様々な術具を持つ. 黄斑前膜症の場合は, 後述する硝子体切 除吸引と増殖膜剥離が主な作業工程となるため, 硝子体切除吸引を行うための硝子体カッタ , 及び増殖膜剥離を行うためのピーラーと鑷子が主な術具となる.

10) コンタクトレンズ設置:助手がレンズリングの上にコンタクトレンズを置くと, 眼内の手術が 開始される. コンタクトレンズには様々な種類のものが存在し, 通常は, コンタクトレンズの 表面が水平にカットされているものを使用する. このコンタクトレンズでは, レンズを通過 する光が屈折することなく直進するため, 眼底中央部を観察することができる. 一方, レンズ 表面が斜めにカットされていると, カットの角度に応じてコンタクトレンズを通過する光が 屈折し, 眼底周辺部を観察することができる. また, 硝子体切除吸引により除去された硝子体 の代わりに生理的食塩水を注入する場合と, 特殊なガスを注入する場合とでは, これらの物 質の屈折率が異なる. このため, 硝子体の代わりに注入されている物質の屈折率に応じて, 眼 内の様子をより明確に観察するための様々な種類のコンタクトレンズが用意されている.

11) 硝子体吸引切除:上記にて挿入したライトガイドと硝子体カッターの先端が硝子体の中に入 っていることを確認してから硝子体切除吸引を始める. 足元に用意されているフットスイッ チの一つは手術顕微鏡の視点位置, フォーカス, ズームなどを調整するためのものであるが, もう一つ別に用意されているフットスイッチは硝子体切除吸引のための吸引圧力調整用であ る. 従って, フットスイッチを押下すると硝子体カッターの先に取り付けられている刃が稼

動し, 刃の部分に触れている硝子体はカッターの吸引圧力によりカッター内部に吸引された 後に切除され, カッターの内部を通過して眼外へ排出される. フットスイッチの踏込み量に 応じて吸引圧力が変化するので, 硝子体同士の癒着が強い部分では吸引圧を上げ, 逆に, 硝子 体と網膜との癒着が強い部分では網膜剥離を引き起こす可能性があるため, 吸引圧を下げる. 硝子体切除吸引の順番としては, 水晶体後方部分から始め, 手前にある前部硝子体, 中央部分 にある中央硝子体の切除吸引を済ませた後, 網膜に近い後部硝子体の切除吸引を行う. この 間, 眼内にある硝子体をくまなく切除吸引するために, レンズ表面が斜めにカットされてい るコンタクトレンズと交換したり, コンタクトレンズを回転させることによりカット面の方 向を変更させたりすることにより, 眼内のあらゆる部分を観察しながら硝子体切除吸引を行 う.

12) 増殖膜剥離:黄斑部上面に生成している増殖膜の剥離を行う. 増殖膜は薄く透明な膜であり, 所々に網膜との癒着個所が存在する. 丁度, 和紙の上に張られたセロハンテープを剥がす動 作に類似している. 膜の周辺部分に探りを入れて, 掴みやすそうな個所を見つけると共に, 発 見された掴みやすそうな個所をさらに少し持ち上げることにより, 容易に全体の膜を剥がす ことを試みる. そのために, 2種類の術具が用意されている. 一つはピーラーと呼ばれる術具 であり, 注射針の先端を少し折り曲げたような器具である. この折り曲げられた先端部で, 掴 みやすそうな個所を探すと共に, その部分を少し持ち上げる. もう一つの術具は鑷子と呼ば れる術具であり, ピンセットに似た器具である. 術具を持つ手元の部分に鑷子の先端部を開 閉させるスイッチがあり, このスイッチを押下することにより, 鑷子の先端部が閉じるよう に設計されている. この鑷子を用いて, 先ほどピーラーで少し持ち上げられた増殖膜の個所 を掴んでゆっくり剥がすことにより, 増殖膜を剥離することができる. 剥離された増殖膜は そのまま眼外へ排出される.

13) 網膜剥離復位:網膜が眼底から剥離している個所があれば, その部分をレーザーにより眼底に 接着する. この際, 次の加齢性黄斑変性症のように, 網膜の下に生理的食塩水が入り込んでい る場合は, 灌流カニューレより特殊なガスを眼内に注入し, 網膜下に入り込んでいる生理的 食塩水を眼外へ排出した後, レーザーによる接着を行う.

14) 器具除去:左右両手に持つ術具を眼内から取り出すと共に, コンタクトレンズ及びレンズリン グを外す.

15) 強膜縫合:上記にて作成した三つの強膜切開創を縫合する.

16) 結膜縫合:取り付けた制御糸及び開瞼器を外し, 切開した結膜を縫合する.

<加齢性黄斑変性症の手術手順>

本症例の手術手順は黄斑前膜症の手術手順とほぼ同一であり, 異なる部分は 12) 増殖膜剥離の みであるため, この部分についてのみ手順を記述する.

ドキュメント内 CG38.PDF (ページ 96-101)