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鮎  の  宿

ドキュメント内 08flN7„”“ƒ†E…O…›…r…A.QX (ページ 62-66)

(副会長・医療法人 美杉会 理事長・大阪)  

佐藤 眞杉

 この数年,鮎の季節に訪れる宿がある。

 京都から小1時間,安 曇 川 に沿った鯖街道

あ  ど  がわ

を北上すると人里離れた朽木

村の山中に着く。

く つ き む ら

 鯖街道は往時,京と日本海をつなぐ幹線道 路で,若狭名産のサバを塩漬けにして,人の 背で京へ運んだところからこの名がある。現 在は国道367号線という。

 朽木村には比良山の登山口があり,すぐ横 に周囲の風景に馴染んだ佇まいの料亭がある。

もと登山客の旅館が改装されたものと聞く。

料亭の軒先の溝には清流が豊かに流れ,小さ な水車が回っている。

 部屋へ通されてお茶を出されたところで気 分がホッと寛ぐ。仲居さんは素朴だが,にこ やかに落ち着いた物腰である。浴衣が用意さ れている。

 風呂場はゆったりした檜造りで,浴槽の縁 一杯に湯が張られている。もったいないと思 いながら贅沢に湯を溢れさせ,しばらく現実 を忘れる。

 料理が出る部屋は広く格式を感じさせる日 本間である。前面に庭園が開き,池の中には,

料理に使われる鯉がひしめくように泳いでい る。

 まず,京都風の洗練された前菜,鯉の洗い,

熊の身入りのすっぽん鍋などを味わう。熊は 香ばしい匂いがあり,思いがけず美味である。

お目当ての鮎の塩焼きは笹の葉を敷き詰めた 大皿に盛られて登場する。琵琶湖から遡上し て目の前の安曇川で釣られたものという。

 酒は斜めに切った青竹に入れて,キンキン

に冷やされている。鮎は頃合いを見計らい,

その後2回運ばれる。さすがに満足する。

 仕上げは鮎の炊き込みご飯である。和服が すらりと似合う若い女将が熱々の小さな釜の 中で鮎をほぐし,おこげも混ぜましょうか,

と聞きながら笑顔で給仕してくれる。

 鮎に堪能し,酒が程よく回ったところで山 の静けさに包まれて眠る。

 翌朝はゆっくりと宿を出る。

 昨年は8月に琵琶湖の北岸を回って伊吹山 に向かった。伊吹山は標高1377

m

ながら麓か ら眺めるとなかなかの威容を示す。

 17

km

のドライブウェイの終点から頂上ま では40分かけて歩く。その途中は,全山が高 山植物の色とりどりの花におおわれて見事だ。

 山頂に着いても歩いてきたのでやはり暑い。

いささか閉口したものの,かき氷を 掬 いなが

すく

ら近江平野の景観を満喫した。

 山を下りると関ヶ原の古戦場に出る。意外 に狭い。新幹線から眺めていた時は,東京寄 りに隣接する不破郡の小盆地を古戦場と思い 込んでいた。

 湖畔のホテルで夕食をとり,黄昏の中を名 神高速道路で帰路に着いた。

 秋には, 鮎の宿 に,京都で開かれた全国 介護老人保健施設大会に来賓で出席された山 本修三会長を案内させていただいた。

国会の攻防

(顧問・衆議員議員)  

清水 鴻一郎

 暑中お見舞い申し上げます。

 この随筆が発行される頃,私はどうなって いるのかなと考えながら書いています。私は 病院理事長であるとともに京都第三区から出 ている衆議院議員でもあります。書いている この時期は6月下旬ですが,7月か,8月か,

はたまた任期満了の9月か,どちらにしても 3カ月以内に総選挙が実施されることになり ます。

 選挙結果は如何に? 私としては努力ある のみなのですが,最近の自民党の不人気には 流石に閉口します。もちろん私も責任は大い に感じていますが,小泉内閣時代の聖域無き 構造改革で,硬直した予算配分にメスを入れ たのはよかったのですが,命に関わる社会保 障費まで大幅削減したものだから,医療崩壊 を始めとして社会保障制度のあちこちにほこ ろびを生じ,にっちもさっちも行かなくなり 国民の不安は極限に達しているのが現状です。

この不安にどう答えていけるのか,政権与党 に与えられた課題は重い。

 今その課題にどこまで応えられるのか,少 なくとも応えるメッセージを伝えることがで きるのかが総選挙の勝敗の分かれ目になると 思います。今も今年の政策方針を決める「骨 太2009」を決定するのに,「骨太2006」を踏ま えてと言う言葉を入れるか否かで,自民党を 二分した論争になっています。2006を入れ ると言う意見の方々の言い分はこの旗を降ろ すと,財政規律が保てなくなり公共事業を始 めあらゆる分野から予算要求が出てきて収拾

がつかなくなるため,限界にきている社会保 障費はその例外として予算措置は十分配慮す ると主張するのです。一方,2006を入れるな と言う私も含めた方の言い分は,総理大臣も 代わり,まして昨年9月のリーマンショック 以来,3回にわたる補正と2009年度の予算 で合計75兆円の大型の景気対策を実施して きました。6月には21年度の補正予算で「地 域医療再生基金」として3,100億円の基金が 用意されました。このような状況で財政規律 にこだわり2,200億円削減を明記しないのは 理解ができませんし,国民とりわけ医療関係 者を始めとする社会保障関係者には納得して もらえる話ではないと主張しています。

 この結末がどうなっているのか,更に私自 身の総選挙が実施されているのか,その結果 は? 次々と考えていると冷や汗が出てきた のでここらで終わらせていただきます。

海軍の町・よこすか余話

(社会福祉法人 日本医療伝道会 衣笠病院 病院長・神奈川)  

鈴  木   博

 坂を登ると眼下の街並みの向こうに海が広が る。海に面して絶壁となっているこの高台の公 園は,かつて東京湾防衛のための日本陸軍――

海軍ではない――の砲台が置かれていた跡地で ある。ここ横須賀市中央公園からは横浜,川崎,

東京,房総半島が一望できる。公園内には巨大 な平和モニュメント,日清戦争からさきの大戦 までの地元戦没者慰霊塔があり,その一角に大 戦の勝者であった米軍人の銅像が置かれている。

台座には「デッカー司令官」と刻まれている。

胸像の見つめる先には「猿島」と呼ばれる東京 湾唯一の自然の島が浮かぶ。かつては,日本海 軍の要塞として機能していた周囲1.6キロの無 人島である。「よこすか」の海から忽然とこの 島が消えたら,なんと間の抜けた景色になるだ ろう。

 横須賀に隣接する横浜では,今年,150年前 の開港を祝ってさまざまなイベントが催されて いる。鎖国日本に米国の大統領国書を携えたペ リーが黒船で横須賀・浦賀沖に現れ,久里浜に 上陸して江戸幕府に開国を迫ったのはその6年 前の1853年のことである。やがて日米修好通 商条約が締結し,1859年に横浜など5港が開港 したのである。条約の批准書交換のため日本側 使節団を乗せた米軍艦に同行した幕府の軍艦が ご存じの勝海舟を艦長とする咸臨丸で,1860年 に浦賀から出港している。福沢諭吉,ジョン万 次郎らも乗船し,幕府初の太平洋往復航海とな ったとされる。このようにして横須賀は幕末の 開国の歴史を間近に見,そして,明治以降は第 二次大戦終結に至るまで,わが国最大の帝国海

軍基地として君臨してきた。今日「よこすか」

は米海軍基地の町であり,現代版黒船である米 第7艦隊の主力艦,原子力空母ジョージ・ワシ ントンの母港となっている。

 米海軍の横須賀進駐当初,町は敗戦に打ちひ しがれ,風紀は乱れ,衛生状態は劣悪で,荒廃 しきっていたそうである。1946(昭和21)年に 胸像の主,ベントン・

W・デッカー大佐が米海

軍基地司令官としてこの地に着任。4年間在任 中に横須賀市の経済・産業・社会面で多大な指 導力を発揮し,横須賀の戦後復興に大いに貢献 したのである。クリスチャンだったデッカー司 令官は旧日本海軍の建物を利用して,キリスト 教系の3つの学校,2つの病院,1つの児童福 祉施設の開設にも着手した。衣笠病院はこの事 業のひとつとして1947(昭和22)年に創立され た。大佐の勤務交代が噂されると,横須賀市会 はマッカーサー元帥に「横須賀全市民に愛され 尊敬されているデッカー大佐を当市発展のため に現職に留まらせてほしい」と嘆願書を送った とされたほどの人物である。

 胸像は彼の偉業を讃えて横須賀商工会議所に より後年1959(昭和34)年に建てられたもので ある。戦後日本の復興に貢献し,市民から敬愛 されて銅像を残された米軍人は国内広しといえ ども他にいないであろう。わが病院創設にかか わってきたその人の胸像のもと,しばし緑陰に たたずみながら猿島に目を移し,近代から大戦 を経て今日に至った「よこすか」に想いを馳せ た。

ドキュメント内 08flN7„”“ƒ†E…O…›…r…A.QX (ページ 62-66)

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