• 検索結果がありません。

首里手系空手と「中国少林武術」及び「白鶴拳・五祖拳」との比較

ドキュメント内 名称未設定-1 (ページ 67-70)

津波 清(浦添市空手道連盟会長)

 私が最初に中国武術と交流する機会を得たのは 1984 年である。那覇市と中国福州市が 1981 年(昭 和 56 年)5 月 20 日那覇市と福州市の友好都市締結がなされ、そのよしみもあり、1984 年(昭和 59 年)

10 月 27 日「中国・沖縄交流武術大会」が那覇市民会館大ホールで開催された。私はこの大会に「沖 縄伝統古武道保存会(文武館)」の一員として参加する機会を得たのである。

 以後 1996 年(平成 8 年)7 月 26 日に開催された那覇市制施行 75 周年・福州市友好都市締結 15 周年記念事業「中国・沖縄交流武術大会」まで、数回にわたり中国武術と交流する機会があった。

このような交流をとおして、中国武術と首里手系空手との関係について検討する機会があったが、

なかなか核心にせまる分析と結論を得るまでに至らなかった。首里手系空手と中国武術との関係を より深く調査し分析する機会を得たのは 2012 年 4 月からである。

 2012 (平成 24 年)年度から 3 年計画で浦添市が企画した「琉球空手のルーツを探る事業」で、

中国泉州市の武術協会及び泉州市の南少林寺、嵩山少林寺を訪問する機会を得た。この事業は沖縄 空手と中国武術との関係について学術的に研究することを目的としており、両者の関係性について どこまで検証することができるかを課題とした。

(1)泉州市における調査

 2013 年(平成 25 年)2 月及び 10 月の 2 回泉州市において「白鶴拳」「五祖拳」との比較研究、

武術交流、文献調査を行った。首里手系空手では「五十四歩」など「型」の名称で中国武術の影響 を受けたと思われるものが多いが、一致するものはなかった。首里手系空手の中に「セーサン」と いう型がある。これは唯一「白鶴拳」の「十三太保」に類似する名称であるが、呼吸法・拳の使用 法に大きな差異が認められた。首里手系空手の鍛練型として「ナイハンチ」があるが、これに類似 する鍛練型は「五祖拳」「白鶴拳」の中には見い出せなかった。

 演武線は首里手系空手とも共通するものがあった。手技では首里手系空手は「ティヂクン(正拳)」

を活用しての突き、受け、肘当てなどが多用されるが、白鶴拳や五祖拳では開掌による護身技や攻 撃技が多用されている。

 器具を使用しての鍛練法として、沖縄空手は「マキワラ」を使用して「ティヂクン」を鍛えるこ とが一般的だが、「白鶴拳」の本部道場「永春白鶴拳史館」や「南少林寺」では「マキワラ」に相当 する鍛練具はなかった。体練すなわち相対しての小手鍛えなどは、共通するものが見られた。

 首里手系空手と白鶴拳、五祖拳とは型の成り立ちに大きな差異が認められ、独自の発展過程を得 て現在に至っていると思われる。

(2)嵩山少林寺における調査

 2014 年(平成 26 年)10 月 18 日 ~22 日の間、嵩山少林寺視察及び修業僧との武術交流、第 10 回中国鄭州国際少林武術祭競技会視察を行った。嵩山少林寺は案内者の延宏法師に、映画やテレビ などのマスメディアで紹介された堂内や拳法を修練している壁画などつぶさに解説していただいた。

嵩山少林寺は唐の時代、王朝の窮地を救った 13 人の僧侶の話はあまりにも有名だが、以来さまざ まな変遷を得て現在に至っている。延宏法師の案内で僧侶たちが修業した堂内で実際の鍛練法につ いて指導を受けた。僧侶たちが力強く足で踏み慣らした、すさまじい鍛練の跡が印された煉瓦敷き 一.中国武術との出会い

二.調査と分析

の床は空手を修業する者の心をとりこにした。首里手系空手の鍛練型であるナイハンチの鍛練法と 足を内側に振り上げてから力強く踏み込む鍛練法には、非常に共通する要素があった。立ち方も騎 馬立ちであり、ナイハンチの立ち方と共通している。ただナイハンチの型に共通する套路は確認で きなかった。しかしこの鍛練法は 14 世紀以前に泉州や福州に伝播し、首里手系空手に影響を与え たと思われる。時期は確定することはむつかしいが、沖縄と中国の国交が開始された 14 世紀後半 福州や泉州の人々(久米三十六世)が移住しており、このころすでに伝播したとも考えられる。

 達磨大師は僧侶の仏教修業に耐えうる体力養成のために、拳法を奨励したといわれている。松濤 館流開祖冨名腰義珍や沖縄小林流開祖知花朝信は、脆弱な身体を鍛練するために空手を始めたとい われている。富名腰や知花の師である糸洲安恒も、心身を鍛練する目的で空手を奨励している。拳 法や空手の修業は社会的貢献や厳しい仏教修業に耐えうる心身の鍛練を目的としている点で共通す る。

 第 10 回中国鄭州国際少林武術祭競技会では古流の拳法の競技も観戦したが、沖縄空手とはまっ たく異質なものであった。ただ演武線は少林寺の修業僧の演武同様、横の動きを中心にしており、

この点ではナイハンチの演武線と一致するものがあった。

 以上の分析から、嵩山少林寺における拳法の鍛練法が泉州に伝播し、首里手系空手のナイハンチ の鍛練法に影響を与えたと考えられる。ただ型の構成は類似するものがないところから、後日沖縄 独自で開発されたものと推測する。

(3)文献調査

 「琉球空手のルーツを探る事業」に伴い、泉州市武術協会より『五祖拳譜』『泉州南少林文存』、ま た鄭州市武術協会より『第 9 回中国鄭州国際少林武術節』『鄭州体育』の寄贈を受けた。『泉州南少 林文存』には泉州における武術の発展史などの研究成果が克明に収録されており、事業受託者の「ス ペースチャイナ」に一部翻訳していただいた。泉州は中国における南の玄関口として栄えたところ であり、仏教はもとよりキリスト教、イスラム教なども伝来したところである。港町という性格上 常に海賊対策を強いられ、宋の時代に少林武術も伝来したようである。北宋年間に詠まれた詩に「泉 南到処少林風」がある。沖縄と国交を開始した 1372 年ころは、すでに少林武術が盛んに行われて いたことがうかがえる。沖縄の朝貢船や留学生が約 1 0 0 年間中国への玄関口として利用したのが 泉州であった。琉球国の渡航者が泉州に滞在した期間に、中国武術に接する機会があったことは容 易に推測できる。

 首里手系空手と中国武術とはどのような関係があるのだろうか。究明されるべき課題として常に 私を悩ましてきたテーマである。『沖縄空手 秘伝「武備志新釈」(渡嘉敷唯賢、1995.11.20)』に は「五十四歩」「卲霊寺流」「卲林寺流」などの沖縄空手に関連する用語も登場するが、手技や薬方 に関するものであり、「型」に関連する内容が皆無である。また、パッサイやチントウなど中国語や 福州語と関連する研究報告もあるが、パッサイは獅子舞との関連語、チントウは「型の名称」「拳法 家の最高の型」の二つの意味に解釈できるという報告など、首里手系空手が中国伝来の拳法である と結論づける根拠は出てこないのである。

 沖縄は 12 世紀のグスク時代に按司と呼ばれる群雄が割拠し、14 世紀に北山、中山、南山の勢力 圏に統合される三山時代を迎える。「おもろそうし」に中山の英祖王のことを謡った「おもろ」があ る。武者姿のたくましい英祖王を讃えるもので、日本中世の武士の武者姿のいでたちを想起させる。

このころ、大和武士の闘争術の影響が色濃く表れていたことをうかがわせる「おもろ」である。

三.沖縄空手の発祥に関する一考察

 このように、沖縄の置かれた地理的・歴史的・文化的背景を考慮に入れると、首里手系空手は日 本の武士団の闘争術の影響や泉州・福州を介して影響を受けた中国武術が融合し、独自の武術とし て発展してきたのではないかと考えられる。そしてその源流の地は、最初に中国と国交を開いた中 山の拠点「浦添」であったと考えている。

嵩山少林寺にて武術交流の様子

招聘者の方々と「津波道場」にて記念撮影

招聘者の方々と「津波道場」にて交流の様子

ドキュメント内 名称未設定-1 (ページ 67-70)