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福建南拳の歴史と文化及び国内外伝播の研究

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“ 五祖拳”、“ 南少林五祖鶴陽拳”、“ 松濤館流”、“ 剛柔流” を例として

翁 信 辉 ( 中国集美大学体育学院大学院准教授 )

一.福建南拳について (一)福建南拳の定義

(二)福建南拳の歴史源流

(三)福建南拳の歴史形成

第4節 研究発表(論文)

 中国武術自体、もともと兵家が生み出したものである。その中で福建南拳における歴史源流の 要素としては、大きく4つに分けられる。

 まず1つ目に、福建の歴史(文化)は、百越文化を基軸とし、中原文化の伝播による影響によっ て形成されていることである。

 2つ目に、元代から明代に発生した倭寇戦争の中で、兵家との交流がおこなわれ、福建南拳は 生まれたということである。福建南拳の発生に影響を与えた型として、『紀効新書』に河南少林寺 での「兪家棍」という流派の記載が残されている。これらの型は、倭寇戦争の勝利に貢献した兪 大猷によって伝えられている。

 3つ目は「反清復明」の後の歴史・事件に伴うもので、これを機に福建南拳が急速に広まった。

 4つ目は民俗や民芸に伴って伝播したものである。これに関して中国武術の文献に記載がみら れるのは宋~明代である。たとえば、泉州の「高甲戲」、唐代からの歴史を持つ舞踊「戈甲戲」である。

獅舞は地域によって3つに分かれる。北京は金色の獅子、広東は白い獅子、福建は青い獅子である。

青い獅子は「反清復明」を表して、清の軍隊と戦うことを意味する。そして、福建の獅舞は「刣獅陣」

または「宋江陣」という。

 宋代、「皇権不下県」の支配体制により、県以下は権力統治の外にあった。県以下は、村単位で

「宗族」および民団で統治しており、その小さい単位で武術が発達・保存されていた。

 空手の型の中に「チントー」という型があって、中国の行政区分である村の民団・「獅陣」の陣

(チン)に発音の源流があると考える。もともと福建省の村々には「宋江陣」という組織があった。

武術だけではなく、獅子舞など民俗芸能の担い手でもあり、お祭りなどで活躍する。その頭(かしら)

となる人物が演武する型は「チントー(陣頭)」と言う。

 「チントー」の型は特定の型ではなくて、その「陣頭が得意とする型」という意味である。実は 五祖拳の中にも「朕頭(チントー)」という型がある。源流をたどっていけば、空手の「チントー」

もどこかで「陣頭」につながってくるかも知れない。

 福建南少林拳の歴史形成の明確な記録として『海島逸志』(1806 年出版)《武乞氏》がある。

この文献にはインドネシアに関連する記録がある。オランダに攻められた際に、この島の人が兄 弟になった。また、船の航海で海賊に襲われたが、奪われたものを取り返してもらった。そのお  福建南拳は、主に「戦派」を中心とする南少林武術である。

 福建南拳は「戦派」と非戦派に区別され、さらに「戦派」は、三戦(サンチン)を中心とする 流派とそうでない流派に分かれている。

二.“ 五祖拳 ”、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の歴史と文化

(四)福建南拳の特徴

(一)“ 五祖拳 ”、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の誤解と学術の区分

(二)“ 五祖拳 ”、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の歴史

礼としてこの民族にその品物を差し上げたという話しがある。この民族について、 武術の先生を招い て、10 歳以上の子どもに太祖拳、羅漢拳、鶴拳、猿拳を教えてもらっていたと記録があった。

 「反清復明」運動の中で活躍したのは鄭成功である。鄭氏は厦門島と金門島を拠点としており、彼 の元に武術の英雄が数多く集まった。当時福建省にいた人の多くが、新政府である清朝と戦ったが、

その際、武術も発達したと推測できる。

 清末から民国初期にかけて勢力が広がった義和団や、「小刀会」が福建南拳の発展に関係ある。

 現代において中国武術は競技武術に特化している。日本のある研究者は現代の中国武術をみて、

日本空手にみられるような伝統的な要素はないとしているが、これは誤解である。

 1958 年、中国では競技武術としての南拳を制定するため北京から国家武術協会チームが福建に 派遣された。しかし当時、厦門と金門島間で戦争が勃発しており、チームは途中で広東省に派遣 先を変更した。そのため、現代中国武術の競技南拳の基準を広東南拳とし、さらに競技にふさわし い現代風に変化した。そのため福建南拳は古い要素を保持し、空手と類似した風格となっている。

 中国武術は「南拳北腿」といわれている。その中で福建南拳の特徴として3つあげられる。

まず1つ目は三戦(サンチン)である。三戦は「三戦にはじまり、三戦におわる、三戦練って死に至る」

といわれている。

 2つ目は、福建南拳は内家拳であり、つまり「後発制人」である。その特徴が生み出された理由 として、地理関係や住んでいる人の体格等が挙げられる。南拳は、北拳に見られる飛び出したり大 きな動作をしないことも特徴である。

 3つ目は歴史関係である。また4つ目は文化関係である。

 現在、福建南拳に関する研究はさかんである。福建南拳の代表的である五祖拳は、一般的に「太祖拳」

「達尊拳」「羅漢拳」「猿拳」「鶴拳」に細分される。

 現在普及している五祖拳は、南少林五祖鶴陽拳というカテゴリーにはまると個人的に考えている。

現在の五祖拳は、古い要素が抜け落ちている。古い技術・文化を色濃く残しているカテゴリーとし て南少林五祖鶴陽拳がある。

 沖縄の「唐手」は古い福建南拳、つまり「太祖拳」「達尊拳」「羅漢拳」「鶴拳」の影響を受けている。

1、“ 五祖拳 ” の歴史 “ 五祖拳 ” は、太祖拳、达尊拳、羅漢拳、猴拳、白鶴拳という 2、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の歴史

3、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の歴史伝承と形成

(三)“ 五祖拳 ”、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の文化(技術文化として)

1、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の風格特徴

2、技術体系 1)功法 2)拳套 3)中醫骨傷科

四、福建南拳と琉球唐手の伝承

五、まとめ

(二)国際的な伝播

 明代に河南省に伝播した「兪家棍」を兪大猷が伝えた。これは、もともと兵隊を訓練させるもの である。

 広東省には詠春拳があり、明から清代、民国に広がった。

 詠春拳は伝播時には拳名がなかった。拳師の出身地から名称付けた。地元の人はこの名称を使っ ていない。

早稲田大学に在籍している馬晟氏は、湖南省の「巫家拳」等武術は福建省から伝播したとしている。

1、“ 小林流 ”、“ 松濤館流 ” について

  “ 小林流 ”、「松濤館流」のそれぞれの型のルーツが判明している。たとえば、抜塞(バッサイ)の」

 型は太祖拳、鉄騎(ナイハンチ)は達尊拳、慈恩(ジオン)は羅漢拳、観空(クーサンクー)は  冊封使がもってきたということである。

  観空は大きい動作で、北拳の動作に近い。

       2、“ 剛柔流 ” について

  剛柔流は福建南拳の鶴拳が基本。いくつかの型には羅漢拳の要素も見られる。セーパイ、サンセー  リュウなどがある。

3、“ 上地流 ” について

  上地流は福建南拳虎尊拳が基本となっている。

 このようなシンポジウムは、はじめての試みであろう。これを機に幅を広げて、沖縄と福建との 共同研究を始めていけたらと考える。また、空手の研究に関する、国際研究チームの発足でき たらと考える。

 そして「空手(クーデー)」もしくは琉球「唐手(トーデー)」の考え方に戻って、世界文化遺産 の登録を進めてほしいと願います。

1、東南アジア(インドネシア 1806 年『海島逸志』の記録:太祖、羅漢、猴、鶴)

  インドネシアには4つの種類の福建南拳が伝播している。

2、琉球唐手

  14 世紀頃、琉球王国の古い時代に中華文化、宗教、武術が中国から伝播している。その中で  「閩人三十六姓」が、武術を習得して琉球王国へ持ってきたと推測できるものが琉球唐手である。

3、“ 南少林五祖鶴陽拳 ” の伝播

 南少林五祖鶴陽拳の団体「南少林五祖拳联谊总会」は、現在 40 カ国が加盟している。

三、福建南拳の国内外への伝播研究(国内外共同研究の希望)

(一)国内(河南省、広東省、湖南省など)の伝播

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