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飯舘村の概要

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上西 律子 UENISHI Ritsuko

19 日、最近はその前の土日)にて奉納され、「草野三匹獅子舞保存会」によって伝承されてきた。

 震災前に、こどもの獅子を作って獅子舞を指導してほしいという小学校からの依頼があり、獅子の制作 を計画している最中に震災が起こってしまった。震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、草 野集会所に保管されたままである。しかし全村避難により、保存会のメンバーは福島県福島市内、伊達郡 川俣町、埼玉県に避難、全員が村外での生活を余儀なくされており、芸能再興の目途はまったくない。

深谷地区

 福島市内の借上げ住宅にて「深谷民俗芸能保存会」会長に聞き取り調査を行なった。

 「深谷の田植踊」は、昭和 54 年に「飯舘の田植踊」として福島県指定重要無形民俗文化財に指定された。

かつては正月 13 日から、葉山神社・八坂神社・姥石神社より地区の全戸に舞い込む地区の大切な芸能で あった。一時中断していたが、平成 16 年の凶作を機に、豊作の願いを込めて 26 年ぶりに復活した。

 昔は青年団が中心となって運営していたが、平成になり、「深谷民俗芸能保存会」を結成した。保存会は 全戸会員で、担い手は 40 代から 50 代の人たちである。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、すべて深谷地区集会所に保管されている。全村避 難により田植踊の担い手は茨城県、栃木県、福島市内、南相馬市、伊達市、会津若松市などに避難している。

田植踊を復活させたいという要望はない。全員が避難しているため、集まること自体が困難であり、後継 者を育てることも難しい状況である。

伊丹沢地区

 「伊丹沢の田植踊」について、伊達市の仮設住宅にて、伊丹沢行政区長・「伊丹沢民俗芸能保存会」会長 より聞き取り調査を行なった。「伊丹沢の田植踊」は、昭和 54 年に「飯舘の田植踊」として福島県指定重 要無形民俗文化財に指定された。伊丹沢地区では、毎年正月に各戸に舞い込み、また綿津見神社の大祭 ( 3年に一度 ) では、10 地区が揃って奉納するのが恒例であったが、10 数年前から行なっていない。伊丹 沢の田植踊は 35 歳以下の若い人たちだけで奉納するため、震災前も保存のために続けることはなかなか 困難な状況であった。

 用具は集会所に保管されたままであるが、中断してから 10 数年、用具・器具などを点検していないので、

破損 ・ 放射能汚染などの被害の状況はわからない。

 伝承者の避難先は、福島市、伊達市保原の借上げ住宅が8割、南相馬市原町区、福島市飯野町、福島市 松川町の仮設住宅などである。田植踊復活が、地区の人々をまとめる機会になればとは願うが、現実には 非常に難しい。

 「伊丹沢の万歳」については、飯舘村老人クラブ連合会女性部長に聞き取り調査を行なった。

 「伊丹沢の万歳」は、戦前に会津から屋根葺きの職人が出稼ぎでやってきて伝えたと言われている。伝承 団体は伊丹沢民俗芸能保存会であるが、実際には老人クラブの女性部が中心となって活躍してきた。伊丹 沢では、万歳とともに手踊りもよく演じられていた。流れ山、二遍返し、俵つみ歌、麦搗歌の他、八木節 ( 笠踊り )、花笠音頭、壁ぬり音頭などがレパートリーであった。

 衣装や道具はほとんどが手作りであり、伊丹沢の集会所と各自宅に保管されている。震災による用具破 損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、特に大切な道具や映像記録・写真は自宅から避難先の仮設住宅に移管 されている。

 「伊丹沢の万歳」は、いつでも機会さえあれば復活できる状態である。伝承者たちは避難中ながらも仮設 住宅の中で助け合って暮らしており、芸能の復活が今後の生きるための支えとなっていくように思われる。

この調査をきっかけに練習を再開しようという気持をもたれている。

小宮地区

 川俣町の借上げ住宅にて、「小宮民俗芸能保存会」会長とそのご家族に聞き取り調査を行なった。

 「小宮の田植踊」は、昭和 54 年に「飯舘の田植踊」として福島県指定重要無形民俗文化財に指定された。

小宮では正月の 14 日から 15 日の明け方まで踊る。大正と昭和に中断と復活をくりかえしており、会長ご 本人の 40 歳の厄払い ( 平成 11 年 ) として、正月の年始会に小宮コミュニティセンターで踊られたのを最 後に中断している。

 伝承団体は、昭和 49 年までは青年会で、以降は「小宮民俗芸能保存会」が中心となっており、全戸加 入で運営されてきたが、この保存会は、震災のために平成 24 年 3 月に無期限の休会が決定されている。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、現在もすべて小宮コミュニティセンターに保管し てあり、保存状態はよい。避難先は伊達郡川俣町、会津若松市、相馬市の仮設住宅、福島市内、南相馬市 原町区、伊達市保原町、東京などで、これから集まることは不可能であると思われる。踊りは現在も覚え ているが、復活は困難である。

宮内地区

 福島市内の借上げ住宅にて、宮内行政区長に聞き取り調査を行なった。

 「宮内の宝財踊り」は、綿津見神社の例祭・例大祭に踊られ、飯舘村7行政区が持ち回りで務めてきたも のである。伝承団体として「宮内芸能保存会」があり、宮内区内全戸加入である。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、宮内地区集会所に茶箱に入れて保管されている。

避難先は福島市松川仮設住宅、福島市飯野町、相馬市である。宮内地区では住民に呼びかけ飯坂温泉で懇 親会を行なったり、宮内の集会所に日中帰って説明会をしたりしているが、住民は帰村に対しての希望を 失いつつある。集まったときに宝財踊の復活についても積極的に話していきたいという。

飯樋町地区

 「飯樋町の田植踊」について、福島市内の借上げ住宅にて飯樋町行政区区長に聞き取り調査を行なった。

地区住民の6割は福島市飯野町、伊達郡川俣町、伊達市などに避難しており、県外への避難はない。

 「飯樋町の田植踊」は、昭和 54 年当時休止していたために、県指定には含まれなかった。正月 14・15 日 に大雷神社への奉納を中心に行なわれる芸能であったが、戦時中より長く中断しており、戦後一時復活し たが再び中断、平成 21 年 2 月の飯舘村芸能発表会 ( 中学校体育館 ) で演じたのが最後である。伝承団体は

「飯舘町田植踊保存会」と「飯樋地区芸能保存会」であったが、震災後住民全戸が避難中であり、芸能の復 活は望めない。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、現在も飯樋町集会所に保管されている。しかしこ の集会所の天井は被災して一部崩落した。仮修復はしたが、そのままになっている。

前田・八和木地区

 「前田の神楽」について、現在は伊達郡川俣町にある「いいたて自治会きつつき会事務所」にて、「前田 神楽保存会」会長に聞き取り調査を行なった。

 「前田の神楽」は、嘉永年間 (1844 〜 1853) に記録が残る古い芸能である ( 飯舘村の村史に記載 )。山津 見神社分社の愛宕神社の祭礼で演じられるもので、春 6 月 24 日と秋 9 月 24 日の 2 回であったが震災前 はどちらか 1 回、また年始会 1 月 3 日にも演じられてきた。伝承団体は「前田神楽保存会」、現在会員 13 名で、全戸加入ではなく、氏子の希望者が入会することになっている。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、集会所にケースに入れた状態で保管されている。

また保存会会員のうち、東京に1名、福島市に2名、伊達市に4名、伊達郡川俣町に3名が避難しており、

神楽を復活させたいが、避難先から集まれる場所と練習する場所がない。

 愛宕神社の鳥居は被災して倒壊、社殿は修理中であり、平成 25 年3月中に完成の予定である。25 年 6

月の例祭に神楽も復活させたいという希望を持っている。

 「八和木の田植踊」について、伊達郡川俣町の借上げ住宅にて「八和木田植踊保存会」会長に聞き取り調 査を行なった。

 「八和木の田植踊」は、昭和 56 年に「飯舘の田植踊」として福島県指定重要無形民俗文化財に追加指定 された。1 月 13 〜 16 日までかけて、大雷神社から地区内の全戸に舞い込み踊られるもので、昭和の 20

〜 25 年間は中断していた。昭和 55 年ごろに復活、平成 2 年にも復活して演じられた。七福神と田植踊が 一緒に踊られる貴重なものである。伝承団体は「八和木田植踊保存会」で、全戸 ( 被災前 26 戸 ) 加入である。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、八和木集会所に衣装と太鼓が保管されている。地 区の避難先は、福島市内、福島市松川仮設住宅、伊達郡川俣町、福島市飯野町仮設住宅、伊達市、相馬市 である。こういう状況のときこそ田植踊をやりたいと思うが、集まることができないのでできる状況では ない。

大久保・外内地区

 日中の立ち入りが許されている飯舘村内にて、「大久保外内行政区長・飯舘村行政区長会会長」に聞き取 り調査を行なった。

 「大久保の田植踊」は、昭和 54 年に「飯舘の田植踊」として福島県指定重要無形民俗文化財に指定された。

小正月の 14 日を中心に、中断しながらも、2 〜 3 年おきにやっていた。明治以降は冷害で3年に1度くら いに凶作となったため、田植踊を3年おきに行なうこととなった。戦後は昭和 35 年に一度行なっただけで、

昭和 50 年に一度復活した。10 年ほど前にも一度復活させ発表会に出演し、その直後、伝承団体の「大久 保芸能保存会」は解散された。

 発表会に出演後、楽器や衣装は各戸で保管しているため、被災状況は不明である。地区住民は、福島市内、

伊達郡川俣町の借上げ住宅、福島市松川仮設住宅などに避難しており、借上げと仮設が半々の状況である。

除染がすすまなければ、山からの放射能汚染はますますひどくなり、この問題が解決しなければ帰村は困 難である。芸能の復活は現在 40 〜 50 代の伝承者が、そういう気持ちにならないと無理である。

 「外内の手踊り」は、大雷神社の大祭 (3 年に一度 ) で披露するもので、震災前はイベントなどにも積極 的に参加してきた。伝承団体は戦前までは青年団、その後「外内手踊り保存会」が中心となり、全戸加入(震 災前は 28 名)である。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、すべて集会所に保管されている。震災後は平成 24 年 10 月福島県文化センターで公開し、移転先である川俣町の小学校でも積極的に指導、学習発表会で公 開した。今後手踊りをこどもたちが継承し発表していくための機会が欲しい。発表には経費がかかるので、

支援の必要性を痛感している。

上飯樋地区

 日中の立ち入りが許されている飯舘村内にて「上飯樋芸能保存会」会長に聞き取り調査を行なった。

 「上飯樋の宝財踊り」は、原町の鳥居大工が昭和 7 年三峰神社鳥居落成式に奉納し、その折に上飯樋にも 伝えられたと言われている。震災前は 5 月の連休の期間に大雷神社大祭で演じられてきた芸能である。ま た村内での芸能大会にも積極的に出演した。伝承団体は「上飯樋芸能保存会」で、上飯樋地区の全 50 戸中、

保存会員は 30 名ほどであった。

 震災による用具破損 ・ 放射能汚染などの被害はなく、すべて集会所に保管されている。地区住民の避難 先は、相馬市、福島市松川仮設住宅、伊達郡川俣町、福島市内、伊達郡国見町などで、県外避難はない。

地区の人々がこのようにばらばらになってしまったが、現在の被災後のことを考えれば、自由に避難せず、

もっと計画的にまとまって避難するべきであった。

 平成 23 年が大雷神社の例大祭であった。次は 4 年後なので、27 年にはぜひ宝財踊りを奉納できればと

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