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備考 1 ) 足守町 'i場文
世事
「土地 名寄帳」
vc上り凱出作 表‑ 156‑
いま板野の纂合 につhてIIろと「第ユ1
要
」に示せれ る如 く土地 鮒 進行の ピー クは明治30 3F・前後LD時 点 にあ り ,む しろ明 治20年初 期以 降 の ことに屈 してh ろ点 が注 目まれ るので あっ た。その後30年中期までは一進一退 を示 し .さ した る変動はみ とめ られなhが明治30年末 以侍 一転 Lて土地 の焚 矢がかな り汝 しい度合で 進行 してい る。 明 治 3 0年中糊 といえば この地 方 で小作争熊 の恥 され る最初 の時声に相 当 してい るのであ るが ・ 応後 に検 討す ることに し たい。 ともか くか か る展鬼をは ら椀 か ら明始 .10年前半 までは士
地所:酎甥係のみか らみ て地 主的土地 所有 の肌進 がみられ ,それlこともなって地主的支配統 制横柄が出現す るこ とになった○か くして確立 した地 主制は土 地所有 関係に基礎づけ られて共同休的諸舶 孫を 自己に棚 盲せ , 機柵 称 こそ の支配を周鞭 させ ろことにそ ろ。藤 田をは じめ として硬野 ・関等 のLPTLl地主層はい ずれ も各 部落 に
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人 」を穀 粒す る。 これ ら引請人は各 村落ほか ナる地主屈 であ り,
「吋 」の有 力者で あ り ,水利 ・入 会地 LD管yJiにたす 卓T?ってい る人 々で あ ること・が鵜徴 的であ る. か くして宥/̲巨地主府は小作人を共 同体を つうじて機構的 tz:支配 して行くことにな る。 そ の支配 統 制の範囲は従来の 「付 」の舵紺 をは るか に こえ ろも,i)であ り .この広範囲 な支配 を 行政的にパ
ック7,プせん としたのが明治22年 の町村制施 行lこほ かな らない のであ るO
妻.q)藤 田家文等 「明治2 0年5J7所 得 届ケ抱 」によ るO 藤 田の場 合 も全曲民 層 が危機 にみ まわれ たと同様明治2 0年 lこは約66.6%tD土地 を攻当 として1.OOO円の借金を し てLへる点が ,行諭 との関係上江 田され よう。 怠お顔 旧家の分析 については太 田健一氏 の報告を参照 盲れたい。
以 上私 達は明沿30年代初 期までID時点 で寄生 地主制LO形砿過程 を検 討 したのであ るが .明 沿一大 It初 年 に731け ちこの地域の主蚤 な対抗 関係を土地所有 を指標 に して塵理 して おこ う。 そ LD瞭ナ で‡こ「村の概況 」で胎播 した理 由 に もとず Lへて柄 部平坦 地の代表 として足 守 ,北部山間 地 の福谷 を索材にして挽射 してお きたhoた だ総柄的 な資料が大 正期
順
の もの しか なかった LDで こU)点を あ らか じめお断 りしてfJ・かな くてはな らない。「 節12
度 」に .tろと次の特徴的 W.‑,点を結締す ることがrli盤 上う0 ll)小 作他事では明 治末一大 正初 期 の時点 で南 部平坦 地 の 足守は 61L)1 70%台を示 すの に対 して .北部 め祷谷 では 30‑ 10%台であ̲,て地主的土 地 所 有 L7)発展はあまb
み られな h こと。 (2)この点 ま小作 (自小作 を含め て )鹿家 の構成が足 笥て は 7 0%台にあ るrDiこ対 し神谷では 4 0%台であ ることと照応す る。 (3) 言 らに ,自小 作別戯家戸数 の うち′j、作AIま大正 1年 で .足守 が 2 9.4%を占め るめに対 し .福谷 では 5.3%
の低掛 伐 ってい ろ。 この ようIこ土地所有 鍋係 におけ る対照性は .足守が藤 田 ・板野 等の厚相 であり .ナでECのべ た如 く生産力段階 が明治2 0年 代す でに1,8石 .大 正初期 には2.2石 の線 に到退す る地域で あるa)に対 し .福谷は大 正初 期で卓え反収 1.3石 台の低 位にあ り.しか も畑 地 が'卓越す る地域 であ り地主 の土地 典故を抜荷的に不 可 能にす るほ ど生産力便 階は低,).った こ
とと照応 Lてい ろ。 即実 ,蒔田の境合 につい てみ て もそ の土地 賂併限界線 はほほ大井 で北限 を 而 してお り ,明治27年で約1.7反,iiの集坊をみ ちが30年以降 売却 し土地鵜掛はみ られ 禄h
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‑ 157‑
()であ る。即 ち山間地域 は 「勤 モス7/バ損苦 1恐 有之 ノ村 ニ シテ光 二得処 卜申 ス‑些少三瀬之 」 (蒔田家文:,iq「所 得金高上申
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」明 治26Tr・=)地奴 であ̲,たこ とに もとす くもの で あった。 か (して福谷村におけ る地主J
t71は大 正初 期3町以 上,Jjもuj5人 を数え るが小作地率 ・自小作別 鹿 家相成か らみ て寄生地主 ではを く.耕作地圭 であ・,た と考え られ るujであ った。 (4) 足守 の 場合 ,田の小作地瀦 上身畑 か大 正初畔 では高 く在って い ることは綿作 と関係があ るため と思 わ れ .大 正6年ま でそLD残 任があ らT)tしてh ちと唯 珊雀れ る。 この点 は藤 田 ・板野 の土地 恥位が】意外 に畑 が多L,1こ とに示されて h・少,ほ ぼ明 治・1 0年代甲卿 がその ピー クLこをってし,ろ。
第12表 (a) 小 作 地 碑 の 推 拶
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許出作 表。I
一・158‑
弟 12蓑 (b) 自小作別 腿家 戸数の推移
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