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随 想

ドキュメント内 金沢医科大学報第129号 (ページ 49-56)

来し方を振り返って

総合医学研究所 分子腫瘍学研究部門教授 

竹上  勉

来 し 方 を 振 り 返 っ て み る に、

あっと言う間に20年が過ぎた感 が し ま す。1986年1月 に 東 京 都 神経科学研究所から本学(研究 所:当時は熱帯医学研究所)に着 任したのですが、最初から冬の 嵐にみまわれ、列車が敦賀で止 まったり、雪が「下」から降るの

にも出会い、「暗いなー」という空を見上げ、少々ため 息も出、さらには冬の雷にも驚かされました。金沢の 冬、初体験での雷の音はまるで「洗礼」を受けたよう なものでした。

しかし、春の訪れと共に空の明るさも増し、小生の 小さな研究室も次第に試薬、細胞培養器具等も揃い、

ウイルス研究もできるようになり、少しづつ軌道にの ってきました。現在まで続いている研究材料はフラビ ウイルスですが、その一つの日本脳炎ウイルスを用い た試験管内ウイルスRNA合成系の確立、新分離ウイ ルス株(石川株)の全長ゲノム配列解析あるいはC型 肝炎ウイルスの蛋白NS3発現ベクターの構築とその 発現による細胞形質転換能の発見等の成果を得ること もできました。  

研究を一緒にやってくれた仲間には日本人の他に、

インドネシア、中国、チリ、フィリピンなどの外国か らの助っ人が、数えて見ますと10人を超す数となり ました。宗教、文化は異なっていても言葉さえ通じれ ば互いに理解し合えるものだということもあらためて 勉強することができました。それは中国姉妹校等の国 際協力が継続された本学の学術振興計画のおかげでも あります。また、医学英語、生命の科学、微生物関連 等で医学教育にも携わることができまして、楽しんで 学生と接することができたことは喜びであります。さ らに毎年の夏には白山にも登ることができたこと、時 に学生たちと登ることができたことは二重の喜びでし

た。

これまでの20年を見ますと、最初が暗かった分(冬 の空に関しましてはこの暗さがお酒を飲むにはいいの だ、と金沢2年目から思っていましたが)、その後の 多くの方々からの励まし、刺激をいただいたことは気 持ちを明るくさせ、大変嬉しく思うことです。感謝致 します。金沢医大における役割も研究、教育さらに橋 渡し役等々と増している現在、新たなる気持ちで向か う所存です。よろしくお願い致します。

放射線診断治療学教授 

東  光太郎

このたびは、20年の勤続に際 し過分なご高配を賜り厚くお礼 申し上げます。

振り返りますと大変短く感じ ますが、1979年に金沢医科大学 を卒業後、山本 達教授(現学長)、 宮 村 利 雄 教 授、 興 村 哲 郎 教 授、

浜田重雄助教授、西木雅裕助教

授、利波久雄先生のご指導で放射線科にお世話にな りました。その後1990年に山本教授のご配慮で米国 ミシガン大学に留学させていただき、幸運にもFDG PETの第一人者Wahl先生と出会うことができまし た。

帰国後、金沢循環器病院にサイクロトロンとPET が導入され、北国がん基金研究助成のご援助で1994 年から肺癌患者のFDG PET検査をスタートしまし た。このころ同僚の大口 学先生と呼吸器内科学の南 部静洋先生が中心となり肺癌カンファランスが発足 し、また、病理学の上田善道教授がご着任され、肺癌 研究の大きな原動力となりました。上田教授は肺癌の 増殖能を免疫組織化学染色法で測定し、これをもと にFDG PETで測定した肺癌の糖代謝と増殖能の関係 を調べることができました。また、病理学の勝田省吾 教授のご配慮で、実験室の機材や消耗品を自由に使 わせていただきました。肺癌のDNA flow cytometry は泌尿器科の池田龍介先生と総合医学研究所の村上

20 年の勤続に思う

金 沢 医 科 大 学 報 50

【随想】

学先生に、肺癌組織の処理は生化学の長尾嘉信助教 授に、肺癌の臨床研究は呼吸器外科佐久間 勉教授、

佐川元保教授、呼吸器内科学栂 博久教授にご指導 いただきました。現在はReal-time RT-PCRやDNA microarrayによる肺癌遺伝子群の解析を総合医学研 究所の竹上 勉教授と石垣靖人講師にご指導いただい ております。また、山本教授、利波教授には、終始研 究助成のご高配をいただきました。さらに、研究助成 センター事務課のみなさまにも終始多大なご協力をい ただきました。このように、この20年間に多くの先 生方にご指導いただき、心から感謝いたしております。

本当にありがとうことございました。

泌尿生殖器治療学助教授 

田中  達朗

昭和57年に金沢医科大学を卒

業し24年が過ぎました。最初の 4年は大学院でしたので今年勤続 20年となります。振り返ると大 学入学から30年間この内灘の地 で生活していたことになります。

福井の田舎から出てきた当時は 福井独特のイントネーションが

取れず(現在もそのまま残っていますが)気後れする こともありましたが、たくさんの恩師、友人に支えら れ最近は気にすることもなくなりました。

泌尿器科医になった当時は金沢医科大学病院が北陸 の中でほとんど唯一腎移植を行っていた病院でしたの で、北陸3県はもちろん京都の一部からも患者様が集 まり、月に2例程度定期的に腎移植手術を行っていま した。亡くなられた方からの腎提供があれば北陸3県 のどこにでも駆けつけて泊り込むこともありました。

私にとっては手術手技の向上や知識の蓄積にかけがえ のないものでした。元気に退院された方や不幸にも腎 臓が拒絶され透析に戻られた方々も明るく声をかけて くださったことで、反対に勇気をいただいたことが走 馬灯のようによみがえります。腎移植治療に関しては まだまだ改善の余地があり、今後も成績向上に向け研 鑽努力するつもりです。

泌尿器科に入局し多くの先輩方に指導していただ きました。津川名誉教授、鈴木現教授をはじめ医局員 の皆さんには医学的なご指導や人生の指南まで公私に わたり温かく接していただき、まがりなりにも泌尿器 科医としてここまでやってこれたことに感謝しており ます。この場をお借りしてお礼申し上げます。人員不 足が顕著となり大学を取り巻く環境は悪化しています

が、診療、教育、研究に努力を惜しまず頑張るつもり ですので皆様方の引き続きのご指導ご鞭撻をよろしく お願いいたします。

健康管理センター講師 

釘抜  康明

このたび、勤続20年を表彰い ただき、支えてくれた家族や周 囲の皆様に本当に感謝いたしま す。私自身もこれほど長く勤務 するとは思ってもおりませんで した。ひとえに働く環境を良く して下さった周囲の方々による ものと考えております。

本来、私は協調性などなく、自分のやりたいことだ けをするような性格でした。医科大に勤め、まず自分 の力のなさを知り、先輩方、同僚の温かい目があって の今日と思っております。しかし、20年といいまし ても医学の進歩は著しいものがありました。診断・治 療においては遺伝子レベルにさえ及ぶようになり、医 療機器も工学系の知識が必要となるようなものまで出 現しています。でも、実際私たち医療に携わる人間が 一番変化を感じるのは、インフォームドコンセントな どの人間に対する考え方ではないかと、私自身は考え ています。この中にはチーム医療を含め、人と人との 関係、これが近年特に医療現場で変化したのではない でしょうか?

本学においても、垣根を越えたカンファランスなど も多くあるように聞いておりますし、実際、院の内外 を問わず誰でも参加可能なCPCなども運営されてい ます。また、医療過誤の問題にしてもチームとして取 り組み、未然に防ぐようにしたいものと思っておりま す。

このほか、老人医療などについては、もちろん病気 を治せればそれに越したことはないのですが、病気と いかに上手に付き合っていける指導ができるかが、こ れからの医療現場に必要ではないかと考えています。

最後になりますが、これからも金沢医科大学の一ス タッフとして一生懸命努力し、本学に恥じない医療人 として働くため、皆様方のご指導をよろしくお願いい たします。

走り続けて 20 年

21世紀集学的医療センター事務課課長  

濱中 豊

ご 縁 あ り ま し て、1985年7月 金沢医科大学に入職し、あっと いう間の20年間が過ぎ去りまし た。私が勤めた部署を振り返っ てみると、①広報室(役員秘書 室、当時課長:松田悦二課長)、

②総務課、③教務課、④教学課、

⑤TAサポート課、⑥出版課、⑦

人事厚生課、⑧学長室(事務室)、⑨企画調査室、⑩ 学長室(事務室)、⑪病院長室(事務室)、⑫21世紀集 学的医療センター事務課(現在)であったと思います。

一つの部署には、平均1.7年という短いスパンでの勤 務ではありましたが、担当課長はじめ課員の方々から いろいろなことを学ばせていただき、今の自分がある のは、多くの人たちのお陰であることに気づかされま す。時に意見の食い違いや対立のようなものがあった り、若さ故に傲慢で生意気な点もあったことは、退職 された先輩方から昔話として聞くこともあり、今更な がら、自分の未熟さを感じています。

さて、各部署での思い出を紹介します。教務課時代 は、医師国家試験の合格率向上のために特定試験(卒 業延期生のみの試験も含め21回)作成に明け暮れ、退 学寸前の学生に涙して励ましたことが多々ありまし た。TAサポート課時代は故村上理事長のそばで新オ ペレーティングシステムWindowsを初めてさわらせ ていただき各種ソフトを利用する機会も与えていただ きました。

学長室(事務室)では、大学院開設準備に関わり大 学院を一専攻に改編し、生命医科学専攻(当時として は画期的なことであると評価されたそうです。準備委 員長:勝田省吾教授)を設置した作業はおおよそ半年 間のかぎられた期間の中で進められ、よく働いたと自 分なりに感心しています*(もうこんな仕事はできな いかもしれませんが)。現在

の 部 署 に あ っ て は、21世 紀 集学的医療センター(集学的 がん治療センター、生活習慣 病 セ ン タ ー の 新 設:21世 紀 集学的医療センター松井 忍 教授)の開設に向け多方面の 方々に支援をいただき何とか 形づくることができほっとし

ています。また、開設記念式典(H18.10.1)には、森 喜朗元首相、北村代議士、谷本県知事、梅田県医師会 長、小泉金沢大学病院長はじめ、関係各位にご臨席を 賜り盛大に開催し成功裏に無事終えることができたこ とも良き思い出であります。

終わりになりますが、金沢医科大学が今後ますます 発展していくためには、大学に人が集まることが極め て大切であると感じます。そのためには仕事の多さや 困難さ、お金の多少の格差などに比べて “勝る何か”

があることが重要です。皆さんは、金沢医科大学に勤 務していて良かったと言えますか。金沢医科大学が好 きだという気持ちを持てますか。今の自分は次の時代 を繋ぐ役回りの一人として、“勝る何か” を作り上げる ために、「スタッフ全員への感謝」と「笑顔で応える態 度」を大事にしたいと思っています。

研究助成センター事務課課長 

上田  正博

大学卒業後、医療関係で自分 にできる社会に役立つ仕事をと 志し、製薬会社で4年間営業を 経 験 し ま し た。 そ し て20年 前、

知人の薦めもあり、縁あって26 歳の年に本学にお世話になるこ とになりました。約一週間の研 修後、病院の「医事課」に配属さ

れたのですが、その当時は手書きレセプトから電算化 への変換作業の真っ只中! 何も分からない状況下で 勤務1日目から言われるままに残業! それも深夜を とおり越し帰宅したのは翌朝5時でした。これは大変 なところに入ってしまった。この先大丈夫かなと不安 でいっぱい。それでも何とか多くの先輩方に優しく、

時には厳しく指導していただき、病院職員として4年 間勤務させていただきました。

平成3年8月に「研究助成課」という聞き慣れない課 に配置換え。それも仕事の内容は、科研(※)。カケ4 4 ンって何4 4 4 4? そんな状況でそれまでの端末入力がメイ ンの仕事が一変、「とにかくワープロとデータベース 桐

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を覚えなさい!」。また、それまでの大所帯の「医 事課」とは違い課長以下全員で3名。掃除、雑用等な んでもしなくてはなりません。それから約12年、組 織改正で名称が「大学院・学術交流課」、「ハイテクリ サーチセンター事務課」、「研究助成課」、「研究支援課」

と変遷したのですが、仕事内容はずっと科研をメイン とする研究助成業務でした。

平成16年4月に組織改正で研究助成業務は「総合医

大学院生命医科学専攻 イメージの原型をデザイ ンしました。

ドキュメント内 金沢医科大学報第129号 (ページ 49-56)

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