第 5 章 盛京時報における中国保全論
5.2 陸羯南の観点体現
5.2.1 文明立場
陸羯南は西洋の文明観から中国保全論を提唱した。この文明観も日本近代史に おける重要な思想である。盛京時報にはこの文明観の跡が見える。自分が文明国と 認識していた日本はこの視点から日本を誇り、ロシアを批判した。
5.2.1.1 文明国の理念宣伝
世界各国は文明を崇拝し、中国も自国の文明化を掲げていた。
「论国家弭变之良法」②:况今世界各国,均以文明相竞争(今現在世界各国はす べて文明を通して競争をしている―筆者訳)
① 盛京时报[N],1907-6-5
② 盛京时报[N],1907-6-19
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「论排外之误国」①:变其野蛮之行为,进为文明之手续(野蛮の行為を変えるのは 文明化に必要な段階である。―筆者訳)
この文明概念の宣伝を通して非文明国の中国が文明国と対抗しないように勧め た。
5.2.1.2 ロシアの文明性を否定
ロシアとの言論上の対抗を一つの目的として創刊された盛京時報において、ロシ アを批評する内容は重要な一部である。中国に対して文明の重要さを強調した上で、
ロシアは信用できない国であるという宣伝をしていた。
「论俄国背约举动」②:俄国倘以文明先进之国自居,则遵照章约,可以昭公允也,
而今则如此,其陋不亦甚哉。且其专横之手段,各国皆知之,独中国不知。(もし ロシアが文明先進国と自称するなら、公約を遵守すべきであるにも関わらず、ロシア は公約違反を誰に知られても構わないという態度をとっている。しかし、このようなロシ アの態度は非常に醜いものである。ロシアが専横な手段を取っているのはどの国も知 っている事実だが、中国だけ知らないでいる。―筆者訳)
「论俄国民党要求政府允许之两大要件」③:独怪夫素号文明,以国民自期待者,
乃亦缤缤纷纷,若喜若狂,若脱縲紲,出黑暗地狱中者。而与一身天赋人权,被 践踏至极地,而不知合死力以经营之((ロシア)は常に文明国と自称している。国民 もこの文明を期待するあまり、地獄から救われたように喜んでいる。しかし、天賦人権 をロシアは必死に守るどことか、足で踏んでいるような状態にある。―筆者訳)
「论俄政专制之流毒」④:彼俄国所称为文明法家,乃斥东亚黄种为劣性。岂有文 明国,而有此野蛮政府,出此残暴行为焉。(ロシアは文明法制国と自称し、黄種人 は劣れる民族と批判している。文明国にはそんな野蛮な政府や残忍な行為があるわ けがないだろう。―筆者訳)
「论俄官焚死华人之惨毒」⑤:文明如俄国,乃出此灭贼新法,推是法也。贼在哈
① 盛京时报[N],1907-5-1
② 盛京时报[N],1907-3-5
③ 盛京时报[N],1907-5-7
④ 盛京时报[N],1907-4-13
⑤ 盛京时报[N],1907-4-14
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尔滨,则举哈尔滨而悉焚之可也;贼在俄国,则举俄国而悉焚之可也;贼在地球,
则举地球而悉焚之可也。然而有是理哉,今文明各国法律,最重生命财产之自由。
而俄员乃轻蔑人之生命,践踏人之财产,视等儿戏不少顾惜,以野蛮之行为作俄 国之代表。(文明国としてのロシアは新た敵を滅ぼす方法を出した。この方法から推 測すると、敵はハルピンにいれば、ハルピンを全部焼けばいい。敵はロシアにいれば、
ロシアを全部焼けばいい。敵は地球にいれば、地球を全部焼けばいい。しかし、これ は道理に合わないだろう。今現在の文明国の法律によれば、命と財産の自由が最も 大事だと思われている。ロシアの人は命を軽視し、人の財産を踏みつけることを児戯 と見なし、野蛮の行為はロシアの代表だと言えるだろう。―筆者訳)
これらの文章によって、ロシアは決して文明国ではないと主張し、中国がロシアを 警戒すべきだと強調もした。ロシアに関する様々な報道や論述を通して、ロシアの野 蛮のイメージを作りだした。
5.2.2 現状維持
陸羯南の中国保全論は現状維持にたどり着いた。盛京時報を覗くと、現状維持を 表現する内容はだいたい二種類がある。一つ目は清廷擁護と革命阻止であり、二つ 目は立憲主張という点である。清廷擁護、革命阻止と立憲主張は日本が清朝統制の 維持を望み、中国の時局の大きな変化を望まない意を表した。
5.2.2.1 清廷擁護と革命阻止
1906 年から 1911 年の間、共和制が成立されるまで、盛京時報は一貫して清廷を 擁護して革命に反対した。中国の君主制をそのまま維持してほしいという立場に立っ ていた。
「恭祝皇上万寿颂词」①・「大行太皇太后哀章」②・「恭祝皇上万寿赋」③をはじめと する多くの皇室を擁護する意を表した文章は少なくなかった。誕生日や元旦などの 重要な日には必ず上述のような皇室を賛美する文章が出ていた。
① 盛京时报[N],1906-10-18
② 盛京时报[N],1908-10-19
③ 盛京时报[N],1907-8-5
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辛亥革命の前後、革命党にいち早く革命を断念するよう勧告する内容の記事も多 く記載された。
「中国革命党宣言」①:其中词旨缪戾,殊属不法((宣言)の内容は荒唐で、道理に 合わない―筆者訳)
「敬告革命团」②:甘以人命为儿戏,以赌少数人之荣利也(人の命を児戯と見なし、
少人数の利益を追求した―筆者訳)
「论对待革命党之方法」③:杀人流血无量数(殺人と流血事件は無数にある―筆者 訳)
「论孙文不足危中国」④:亦不过借革命之名,以沾沾自喜耳(ただ革命という名を 借り、自惚れている―筆者訳)
これらの文章では盛京時報の立場がはっきり見えた。革命の宣言は虚偽であり、
革命は殺人行為、多くの人の利益が必ず損なわれるものだと見なした。
清廷擁護または革命阻止は中国の変局を避け、できるだけ現状維持をしようという 努力である。
5.2.2.2 立憲主張
革命を反対すると同時に立憲を促進した文章もある。
「论对待革命党之方法」⑤という同じ題名の文章で立憲の内容を含め、また「日本 浮田博士评论中国之时局」には中国は共和制に向かず、立憲君主制が唯一の進路 にほかならないという観点がある。
立憲のみ主張した文章のほうが多い。
「一千号之纪念词」⑥:盖本报唯一之宗旨,始则为企画宪政之成立,比明诏既颁, 则促宪政之进行(本紙の唯一の目的は憲政の成立を図ることである。現在憲法はす でに公布されたので、後は憲法にならってその実践を促すだけである。)
① 盛京时报[N],1908-5-29
② 盛京时报[N],1910-10-19
③ 盛京时报[N],1907-6-5
④ 盛京时报[N],1908-3-25
⑤ 盛京时报[N],1907-8-14
⑥ 盛京时报[N],1910-3-13
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その他、「论现今时代之恐慌」①には中国が自国の利益にのみとらわれては変法 はできないという意見が記載された。「泰晤士报之中国革命论」②はイギリスの新聞を 引用し、北京政府は憲政の成立をできるだけ早く行うべきとせき立てた。立憲を提案 するばかりではなく、盛京時報も具体的な指導方針を出した。「论中国宪法应如何 定」③という文章は立憲の具体案を提案した。
盛京時報は立憲に関する多くの記事を掲載し、立憲の提唱は共和国が成立する まで続いた。それはなぜなのか。やはり日本自身の政治制度を導入し、できるだけ清 朝の統制を守り、現状を維持するよう望むからである。