く診 療 科〉
第 一 内 科
こ こ 数 年毎 年約6 � 7 名 の 新 入 医 局員 が あ り 、 卒後研修 を 受 けて い る 。 開 院 当 時 に は研修 医 が 1 人 も お らず、 次 の 年に や っ と 2 名 の 研修 医 が入 っ て き た そ う だ が、 そ の 頃 と は 全 く 変 わ っ て き た 。 ま ず、 い わ ゆ る オ ー ベン ネ ー ベ ン の 制度が 変わ っ た 。 研修 1 年生 は 夏 休み 明 け ま で 1 人 の オ ー ベン がつ き 、 手 と り 足 と り で研 修が 行わ れ、 主と し て オ ー ベン の 専 門 の 分野 を 重点 的 に 診 る こ と に な る 。 第一内科の よ う に 、 対象疾患 の 多 い 科 で は 一 つ の分野だ けに 偏る の
は充分 な研修 と は い え な い 。 そ こ で、 夏 休み以 後 は 副病棟医長が 管理す る こ と に な り 、 以後 は 種々 の 疾 患 の 患者 を 診 る こ と に な っ た 。 そ れ ぞ れ の 疾 患 の 専 門 の 副病棟医長が指導 す る こ と に な る 。 ま た 2 年目 の 他科か らの 研修医 に と っ て は 、 初 め か らオ ー ベン は お らず、 副病棟医長の 指導 の も と に 各 患者 を 診 る 。 副病棟医長 だ が、
ト ッ プの 朝 日 病棟医長 の ほ か に 3 月 3 1 日 現在 7 名 お り 、 以 下の よ う に な っ て い る 。 糖尿病 と 内 分 泌 (沢、 山 崎) 、 呼吸器 (丸 山 、 川 崎、 吉
田 ) 、 腰原病 そ の 他 (堀、 沢崎) 。
教授 回診 は以前 同様金 曜に 行っ て い る が、 新 患 紹介は だ い ぶ様 変わ り し た 。 現在 は 週2 回新 患 紹介を し て い る が、 l 回 に つ き 3 � 6 名程度 で新患 1 人 に つ き 15分間 の 発表 と 討論が あ り 、 回診前 に 行い 沢 副病棟医長が司会 を し て い る 。 ま ず以 前 の よ う に 黒板 に 内 容を 記載 す る こ と を や め 、 カ ル テを 直接 プ ロ ジ ェ ク タ ー で ス ク リー ン に 投影す る よ う に な っ た た め 、 カ ル テへ の 記 載が厳密 に チ ェ ッ ク で き る よ う に な っ て き た 。 た と え ば、 ア ナ ム ネ の 取 り 方な ど に 関 し て も 、 研修医 は 小林教授 の 適 切な指導 を 受 ける こ と が で き る よ う に な っ た 。 各症 例に 関 す る 討論 は研 修医 に と っ て 貴重 で あ り 、 ア ン ケ ー ト 調査 で も そ の よ う に 出 て い る 。
さ らに 研修 医 の 教育 に 主眼 を お い た セ ミ ナ ー
を 毎 週金 曜に 行っ て い る 。 こ れが分か り や す い た め 好評で、 専門分野の 違う 医 局員 に と っ て も 結構勉強 に な っ て い る 。 ま た 、 研修医 は 1 年間 で最低 1 回 は 学会や地 方会 で症 例を 発表 す る よ
う 義 務 づ けられ て お り 、 こ の 時 に ス ラ イ ド作 製、 発表練 習と 副病棟医長が大活躍す る 。 医 局 秘書 さ ん達 に も 本格的 に お世話 に な る 。 本番 で の 発表 も 見応 え が あ る し 、 そ れが 週2 回 あ る 新 居、発表 の 技術 に も 反映 さ れ て い る 。 こ れで、 1 年生 と し て は 満点 と は い か な く て も 、 合格点 に お ま けが つ く よ う な ケ ー ス が多 く な っ た 。
医 局員 が だ い ぶ増 え た た め 医 局運営 は 大 変だ が、 良 い こ と も い ろ い ろ 出 て く る 。 開 院 当 初 は 教授以外 は 全員 月 に 4 回 ほ ど 当 直 が あ っ た わ け で、 当 時 の 浅沼助教授 も 当 直 に 入 っ て い た 。 現 在 は 、 ス タ ッ プ全員 に 回 っ て く る 救急 当 直 を 別 に す れ ば、 講師以上 は 当 直 か ら外 さ れて い る 。 さ らに 1 人 当 直 は 終わ り 、 必ず研修医が 副直 と し て つ く 2 人制 に な っ た 。 大学の 当 直 は 何 か と 気 を 使 う こ と が多 く し ん ど い が、 2 人制 に な っ た の は そ の 意味で大 き な 進 歩だ。
ま た 小林教授 の 専門 を 反映 し て 、 糖尿病 の 患 者 に 対す る 医 師 +コ メ デ イ カ ル が一体 と な っ て の 治療体制 が整 い つ つ あ る 。 ナ ー ス の カ ン フ ァ レン ス に 糖尿病担 当 副病棟医長や 主治 医が参 加 す る よ う に な っ て 、 全体的 に い ろ い ろ な 意味で 活発化 し て い る 。
外来で も 動 き が あ る 。 5 日 間患者 さ ん に 対 し ア ン ケ ー ト 調査 を し た と こ ろ 、 患者 さ ん が診 察 室 の 前 で待 つ 時 間 は 平 均 で 1 時 間 を 超え て お り 、 中 に は 2 時間 を は る か に 超え て い る 場合 も あ っ た 。 そ こ で診察開始時間 を 含 め た 完全 予約 制 に 変更 す る こ と に な り 、 5 月 よ り 第一 内 科が パ イ ロ ッ ト ケ ー ス と し て 実 行す る こ と に な っ て い る 。 患者 さ ん の 待 ち 時 聞 が こ れで大幅 に 減 る こ と だ ろ う 。
以 上 の よ う に 一 内 の 最 近 の 変化 は め ざ ま し く 、 特 に 研修 医 の 教育体制 は ほ と ん ど整 っ た 。 今後 更に 一 層 の 発展が期待で き る 。
第二内科
第二 内 科 の 沿革 に つ い て は 内 科学第二講座の 開 講10周 年記念誌 に 昭和60年 ま で の も の が記載 さ れて いる が、 全学規模 の 記念誌 に は 十分触れ ら れて い な い の で、 こ の 機会 に開 講時 に さ か の ぼ っ て概略 を記す こ と に する 。 講師以下の人事 に つ い て は 本誌 内 科学第二講座 の項 に 記 し た 。
昭和52年 4 月 1 日 の 内 科学第二講座の開 設か ら 附属病院が開 院する 昭和54年10 月 15 日 ま で、
第二 内 科 の 診療 は 富 山 県立中央病院 内 科お よ び 富 山市民病院 内科 を 間借 り する 形で行わ れ た 。 開 院 に 先立 ち 4 月 1 1 日 に 杉本恒明教授 は第二内
科科長 を併任 し た 。 10月 1 日 に 浦岡忠夫助手が 講師 に 昇任 し 、 飯田博行が講師 に 任用 さ れ、 そ れ ぞ れ初代 の 病棟医長、 外来医長 と な っ た 。 10 月 15 日 の開 院 当初、 第二 内科の 病棟 は 西 5 階病 棟 に あ り 、 病床 数25、 ス タ ッ プ 1 1 名 の 体 制 で あ っ た 。 外来診療 は 翌日 日 か ら開 始 さ れ、 初 日
第 5 節 附 属 病 院 l臼
の 外来患者 は41名、 入院 1 名 で あ っ た 。 昭和55 年8 月 1 日 病床が35床 に 増床 さ れ、 56年 4 月 30 日 に は 現在 の 東 5 階病棟 に移 転 し 、 50床 (う ち 3 床 は 共通病床) に 増床 さ れた 。 昭和58 年 6 月 1 日 付で杉本教授が東京大学へ転出 し 、 水村泰 治助教授が科長事務取扱 を 命ぜ ら れた 。 1 1 月 1
日 篠 山重威教授が着任 し 科長 を併任 し た 。 平成 4 年 1 月 1 日 付 で篠 山 教授 が 京 都大 学 へ 転 出 し 、 飯田助教授が科長事務取扱 を命ぜ ら れた 。
4 月 心拍監 視装置 を 設置 し 集 中治療 ( 2 名 ) に 対応で きる 設備が整 い (551 お よ び552号室) 、 心 疾患 を対象 と し た 集 中 治療 が開 始 さ れた 。 12月 1 日 井上博教授が着任 し 科長 を併任 し た 。 平成 5 年 5 月 神経内科専門 医が着任 し 、 長 ら く 途 絶 え て い た 神経 内 科 の診療 が再開 さ れ、 現在 の診 療 は循 環器、 腎 ・ 高血圧、 神経内科 と開 院 当 時 の 分野 を 担 当 し て いる 。 外来、 病棟医長 は開 院 当 初 は講師 を こ れ に 任 じ て い た が、 現在 は 助手 が毎年交代 で務 め て いる 。 (井上 博)
最近10年間の診療実績
年 度 日百平日60 61 62 63 平成 1 2 3 4 5 6 *
外 来 新 恵、 数 2, 1 1 7 2, 235 2, 285 1, 816 1, 420 1, 384 1, 655 1, 882 2, 169 1, 9 1 1 入 院 患 者 数 357 415 363 351 328 363 360 405 389 345 心 臓 カ テ ー テ ル 検 査 89 86 97 108 84 64 57 123 1 2 1 1 1 1
P T C A 2 1 2 1 2 7 13 1 7 18
P T 恥f C 4 6 4 8 5 8 7
電 気 生 理 学 的 検 査 57 79 91 70 46 60 60 63 50 60
ア プ レ ー シ ョ ン 1 15 12 29
ホ ル タ 一 心 電 図 690 679 807 796 778 771 765 802 916 1, 186 ト レ ッ ドミ ル負荷試験 724 1, 039 1, 134 947 684 690 655 781 603 699
Jし、 コ二 コ 図 847 996 不明 1, 261 1, 133 1, 153 1, 459 1, 438 1, 660 1, 738
腎 生 検 84 59 60 77 56 47 36 47 32 31
P T C A : 経皮 的冠動脈形成術、 P T M C : 経皮 的僧帽弁交連切開術 * 平成 7 年 3 月 途中 ま で
第 3 章 講座等 の沿革
第三 内 科
第三 内 科の 誕生 は 昭和54年 4 月 佐々 木博 科長 の 発 令に よ る も の で、 同年10 月 の 附属病院 の 開 院 と と も に 西 6 陪病棟 (第一外 科、 第三内 科) を 中 心 に 実質的 な ス タ ー ト を 切っ た 。 初代 の 病 棟 医 長 は 中 野講 師 で、 病棟 婦長 は 森 山 で あ っ た 。 昭和56年東病棟の 完成 と と も に 第一外 科が 東 6 階 に 移転 し 、 第三内 科は 現在 の 西 6 階病棟 47床 ( 他 に 共通 6 床) と な っ た 。
消化器疾患 と 血液疾患 を 専門領域 と す る た め 入院患者 の 多 く は 肝疾 患 、 胃腸疾患、 醇 ・ 胆道 疾 患 で、 と く に 富 山 県 に 血液 内 科医が少 な い た め に 血液疾 患が多 く 、 常時入院患者 の 約半数 を 占め た 。 し か し 、 開院 し た 当時は 血液学 の専門 家 が い な か っ た た め 、 福井医 科大学第一 内 科の 中村教授や 金沢医 科大学血液免疫学 の 紺田 教授 に ア ドパ イ ス を お願 い し て 診療 を 行 っ て き た 。 昭和62年10 月 か ら血液学 を 専攻し た 山 崎 ( 徹) が助手 に 任じ られ、 血液疾 患 の 入 院 患 者 数 は 年々 増加 し た 。
昭 和 6 3 年 8 月 に 佐々 木 科長 が 病 院 長 ( 副学 長) に 就 任す る に 伴 い 、 井 !こ恭一 副科長が 科長 代行 に 任命 さ れた が、 平成元年 9 月 か ら岡 山 大 学か ら渡辺明治 科長が 着任し た 。 以来、 毎朝 8 時30分か ら朝 回 診 (総回診 も 同時刻 か ら) が開 始さ れ、 入院患者記 録用 紙 の新設、 関連病院責 任者会議 な ど 患者 サ ー ビ ス と 診療効率 の 向上 が 図 られ た 。
昭和61年10 月 か らは B 型慢性肝 炎に 対 し て 、 ま た 平成 4 年 1 月 か らは C 型慢性肝 炎に 対 し て イ ン タ ー ブ エロ ン ( 1 F N ) 治療が保険診療 と し て 許可さ れた の を 機会 に I F N 治療 の た め 入 院 例が急増 し た 。 平成 4 年か らは 厚生省特 定疾 患 「難治性肝 炎」 調査研究班か ら 「 劇症肝 炎治 療施設」 と し て 指 定さ れ、 現在渡辺 科長 は そ の 研究班員 と し て 人工肝臓 の 開発 に 取 り 組ん で い る 。 ま た 昭和62年 4 月 か ら肝細胞 婚の 治療 と し て 養子免疫 (LA K ) 治療が試 み られ た が そ の 効果 が弱 い た め 、 清水助手 らに よ り 平成 6 年か らは よ り 特異性 の 高 い C TL治療 が試 み られ て い る 。
昭和60年頃か ら上部消化 管疾患 に 内視鏡的 マ イ ク ロ 波 凝固 ( 高度先進医療) に よ る 治療 が行 わ れ、 昭和63年か らは 超音波内視鏡 に よ る 診 断 法 も 積極 的 に 取 り 入 れ られ る よ う に な り 、 当 病 院 は 平成 6 年 7 月 よ り 特 定機能病院 と し て 許可
さ れた 。 平成 6 年1 0 月 に 村嶋助手 らは 輸血部 の 協力 の も と 白血病や 悪性 リ ン パ 腫な ど に 対 し て 末梢血幹細胞移植 と 自 家骨 髄移植 を ス タ ー ト さ せ た 。 さ らに 斎藤講師 が 中 心 と な り 心身 医 学 の 診療 が開始 さ れ、 神経性食思不振症 な ど 心 身症 の 患者が増加 し た 。
平 成 2 年 4 月 よ り 卒後 臨 床 研 修 制 度 が 変わ り 、 2 年 目 は 第一、 第二内 科を そ れ ぞ れ 6 カ 月 間 ずつ ロ ー テ ー 卜す る 方式が採用 さ れ、 さ らに 平成 6 年 4 月 か ら臨床研修委員会発刊 の 「卒後 臨床研修 の 手 引 き 」 に 基 づ い た 研修が実施 さ れ る よ う に な っ た 。
最近の延外来患者数、 延入院患者数、 病床 稼 働率、 死亡者数 と 剖検率 は 、 平成 2 年 は 18, 551 人、 1 7, 963人、 104 .7% 、 38人、 52 .6 % 、 3 年 は 17, 055人、 1 7, 951人、 104 .4 % 、 45人、 40 .0
% 、 4 年 は 18, 730人、 18, 507人、 107 .9 % 、 37 人、 37 .8% 、 5 年 は 19, 273人、 17, 854人、 104 .1
% 、 36人、 47 .2 % と な っ て い る 。 な お 、 そ の後 の 病棟医長 は 藤倉、 市 田 、 山 崎、 康 山 、 樋 口 、 宮林、 若林 と な り 、 病棟婦長 は 山 口 、 佐竹、 室 谷、 境、 五十嵐と 代 わ っ た 。 ま た 外来診療 は 開 院以来 2 年毎 に 診療 日 が 変更 さ れ て き た が、 平 成 3 年 4 月 よ り 週2 回 ( 月 、 水) と な り 、 外来 の 混雑 を 緩和 す る た め に 外来 の 内 科診察室 を 15 室 か ら25室 に 増設 し た 。
平成 2 年 か ら教 官経験者 を 中 心 に 富 山 赤 十字 病院、 富 山 済生会病院、 社会保険高 岡病院、 高 岡 市民病院、 糸魚川 総合病院 な ど の 関連病院 に 出 向 し 、 主と し て 消化器疾患 の 診療 レベル の 向 上 と 後期臨床 研修 医 の 指 導 に 大 い に 力 を 発揮 し て い る 。 な お 、 富 山 県栄養代謝研究会、 富 山肝 臓 セ ミ ナ ー 、 富 山 県血液疾患 研究会、 富 山 県 I B D 研究会 な ど第三内 科に 事務 局が置 か れ た 研 究会が地域 医療 レベル の 向上 に 貢 献し て い る 。