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第 1 に都市銀行の第三次オンライン・システムなどシステムが巨大化・高度化した。経済性や技術面、標準化、社 会的なシステムの構築などの面から、

個々の企業には手におえなくなってきた

_。

 第2に企業内の情報システム部門は収益を上げる製造営業部門から離れた間接部門であり、_

バブル後 の不況によって経費削減が迫られた。

_

 第3に米国でアウトソーシングが流行していた。特に1989年のコダックとIBMのアウトソーシング契約は「コダック・エフェク ト」として話題になった。

 このような、情報システムの業務を社外の専門会社に一括委託するアウトソーシングが日 本国内でも多くの企業で合理的であると判断され、外部委託と 共に無用となった情報システム部門の子会社化や売却も多数行なわれた。政府も SI・SO

制度(経済産業省が運営していたシステムインテグレータの登 録制度と、特定システムオペレーション企業等の認定制度。

2011

3

31

日付けで廃止

)

を作り後押しした。

29 北山聡(2013) http://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/1072/1/komyu37-04.pdf

 米国に対して、日本のユーザー企業はクライアントとしてシステム開発を外注・丸投げする傾向が強い。特に政府調達において、丸投げは顕著で、一部のシ ステムインテグレーターがITゼネコン化する弊害が出ている。また民間でも、情報システム部門の弱体化による企画力や発注能力の低下が問題になっている。

2009年4月1日から強制適用される工事進行基準や政府調達制度の改革により、過度の丸投げを抑制しようという動きが進んでいる。

 建設業界をモデルとしてIT業界の構造が作られた経緯があるため、SIer各社による巨大な下請構造が作られるに至っている。米国とは異なり、1社毎にオ ーダーメイドで独自色の強い業務システムが組まれることが普通であるが、過去に開発されたシステムに関しては設計資料が失われていることが多く、前例踏 襲で既存のシステムを限界まで活かし続けると共に、場当たり的な改修が重ねられて新システムへの移行が更に難しくなり、システム刷新時にはプロジェクト が炎上する確率が高くなっているという、古色蒼然とした業界である。

■銀行オンラインシステム

 日本経済は高度成長を続け企業の海外進出、金融自由化、市場取引の業務量増大があり、その後にはバブル経済と称される経済規模の拡大があり業

務の多様化と大幅な業務量増大を展望し第三次オンラインシステムを構築した。第三次オンラインシステムもメインフレーム機を主要業務(勘定系)に

活用しつつ市場取引については、その頃に発表されたサーバーを利用して実現された。また、営業支援システム、BIS規制、資金管理システム等と多くの 機能が実現された。なお、大手金融機関のIT戦略により勘定系処理を二台のメインフレームで稼動させる場合もあるが、勘定系システムのアーキテクチ

ャーは処理層とデータベース層に加え端末層の三層構造である。(図 2

参照) 情報系システムの一部についてはWEB系三層構造アーキテクチャーが 必要に応じ追加される場合があった。

 第3次オンラインシステム:第3次オンラインシステムは、業務プログラムの改修はあるが、基本的な部分は構築当時の構成のまま、ハードウェアの更新と制 御系ソフトウェアのバージョンアップを経て現在に至っている。利用可能なメモリ量が64~128MB

と大幅に増え、機器の命令処理スピードも向上するという

「ITの技術革新」が起こりました。このため業務プログラムは、コンパクトでメモリ使用量も少ないアセンブラから、COBOL

PL/I

といった当時の高級言語

でも開発可能になりました。生産性が向上したことで、700

万ステップもの業務プログラムの開発に成功しています。この当時は、全体で約

230MIPS

の機 械で月間

5400

万件程度の処理を行っていました

30

30 日本 IBM「FinTech 時代、銀行系システムはどうあるべきか(1):若手が知らないメインフレームと銀行系システムの歴史&基礎知識」

https://www.ibm.com/downloads/cas/RJW08W8A

3.国内の情報の産業化

情報の産業化その1(明治~1950

年代。主に電信・電話を対象。)

1869年電信創業

1889年公衆用市外通話の取り扱い開始 1890年電話創業

1899年長距離市外通話サービス開始(東京-大阪間)

1899年日本電気株式会社設立。 ウェスタン・エレクトリック社との合弁会社であり、日本初の外資系企業として通信機を製造。

1920年市内通話の度数料金制施行

1923年古河電気工業株式会社と独シーメンス社が富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)を設立 1925年日本無線電信株式会社設立(国際通信の民有国営政策への転換)

1933年富士電機、ステップバイステップ自動交換機の自社開発第一号機を逓信省に納入

1935年富士電機の電話部所管業務(交換、伝送)を分離し、富士通信機製造株式会社(現・富士通株式会社)を設立

〇国営事業として開始

アメリカで電話が発明されたのが1876年(明治9年)。その翌年、日本は世界に先駆けてこれを輸入しているが、それから電話事業創業まで13年もかかった のは、官営か民営かで議論を重ねていたためである。官営論を進めていたのは工部省、民営論を進めていたのは渋沢栄一をはじめとする実業家たちである。