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近代における世界史と日本史の単元内容について 1 単元内容の関連概要

第2章 世界史と日本史における単元内容の関連と課題

第2節  近代における世界史と日本史の単元内容について 1 単元内容の関連概要

 最初に、山川出版社『詳説世界史』『詳説日本史』目次より、この単元の世界史と日本 史の関連内容を確認する。

それぞれ、関連する項自をゴシック太字で表記し、さらに矢印でつなぐ。

【日本史】

・第9章 近代国家の成立 1節 開国と幕末の動乱一 2節 明治維新と富国強兵

3節 立憲国家の成立と日清戦争 4節 日露戦争と国際関係

5節 近代産業の発展 6節 近代文化の発達

【世界史】

・第13章 アジア諸地域の動揺

1節 オスマン帝国支配の動揺とアラブの目覚め 2節 南アジア・東南アジアの植民地化

3節 東アジアの激動

・第14章 帝国主義とアジアの民族運動 1節 帝国主義と列強の展開

2節 世界分割と列強対立

3節 アジア諸国の改革と民族運動

【目次②】山川出版社『詳説世界史』 『詳説日本史』目次より作成

次に、山川出版社『詳説世界史』の教科書のより、単元内容を確認する。

第14章 帝国主義とアジアの民族運動 第3節 アジア諸国の改革と民族運動

●中国分割の危機●

 日清戦争での清の敗北をきっかけに,欧米諸国はきそって清朝領土内での利権獲得競争 にのりだした。シベリア鉄道の建設をすすめ,南進の機会をねらっていたロシアはまず,.

下関条約で日本が遼東半島を獲得すると,フランスとドイツをさそって日本に圧力を加え てこれを清に返還させ(三国干渉),その代償として清から東清鉄道の敷設権をえた(1896 年)。また,ドイツが宣教師殺害事件を口実に98年,膠州湾を租借すると,同年ロシアは遼 東半島南部を,イギリスは威海術・九竜半島を租借し,フランスは99年広州湾を租借した。

そのうえ,ロシアは東北地方,ドイツは山東地方,イギリスは長江流域と広東東部,フラ ンスは広東西部と広西地方,日本は台湾の対岸にあたる福建地方での利権の優先権を清に

認めさせ,各国の勢力範囲を定めた。当時アメリカ合衆国は,アメリカ=スペイン戦争で フィリピンを獲得し,中国市場への関心を高めていたが,進出の遅れをとりもどそうと,

国務長官ジョン=ヘイの名で中国の門戸開放・機会均等および領土保全を提唱した(1899

〜1900年)。そのため列国の中国分割の勢いは,ややゆるんだ。

 日清戦争敗北の衝撃のなかで,中国では,日本の明治維新にならった根本的な制度改革

(変法)を主張する意見が台頭した。その中心となった公羊学派①の康有為は,.儒享の祖で ある孔子の教えは守1日ではなく積極的な改革をめざしたものだとする新しい学説をうち出 し,立憲制などの改革をおしすすめようとした。彼はユ898年,光緒帝を動かしで政治の革 新を断行させた(戊戌の変法)。しかし改革に反対する保守派は,西太后と結んでク.一デタ

(戊戌の政変)をおこし,光緒帝は幽閉され,康有為や梁啓超らは失脚して日本に亡命し,

改革は3ヵ月あまりで失敗におわった。

注.

①.『春秋』の注釈の一つ「公羊伝」を重視する学派。社会変革・実践への志向が強い。

第14章 帝国主義とアジアの民族運動一第3節 アジア諸国の改革と民族運動

●日露対立と列強●

 同じころ,・中国では民衆の排外運動が激化していた。北京条約でキリスト教の布教が公 認され,布教活動が活発化すると,各地で反キリスト教運動(仏教運動)がおこ.った。とく

に日清戦争後の砕米列強の華北への強引な進出は,民衆の民族的感情を高めた。なかでも,

山東の自衛的郷村組織を基盤に生まれてきた宗教的武術集団の義和団は,「扶清滅洋」を となえて鉄道や教会を破壊し,宣教師や信徒を排撃した。義和団が北京城内にはいると,

清朝の保守排外派は,この運動を利用して各国に宣戦を布告した。各国は在留外国人の保 護を名目に共同出兵にふみきり,日本とロシアを主力とする8カ国の連合軍は北京を占領

し,在留外国人を救出した(義和団事件)。1901年,敗れた清は北京議定書(辛丑和約)に調 印し,巨額の賠償金の支払い,外国軍隊の北京駐屯などを認めた。

 義和団事件後,ロシアは中国東北から撤兵せず,朝鮮への圧力を強めた。日清戦争後の 朝鮮は1897年に国号を大韓帝国として皇帝の称号をもちい,朝鮮が独立国であることを示 したが,日本とロシア.はともに朝鮮の支配をもくろんで対立を深めた。イギリスやアメリ カ合衆国はロシアの南下の動きを警戒したが,当時イギリスは南アフリカ戦争に手一杯で 極東に兵力をさく余力がなかったため,日英同盟を結んで日本にロシアをおさえさせよう

とし,アメリカもそれを支援した。日本は両国の経済的援助を背景に対ロシア強硬方針を とり,1904年ロシアに宣戦した(日露戦争)。日本は,奉天会戦や巳本海海戦などで連勝し たが,長期戦にたえられるほどの経済力はなかった。ロシアもまた,第1次革命の勃発な どで社会不安部高まっていた。このため両国はアメリカ大統領セオドア=ローズヴェルト の調停で,1905年にポーツマス条約を結んだ。条約により,日本は韓国の指導・監督権,

遼東半島南部の租借権,南満州鉄道①の利権,棒大(サハリン)南半の領有権などをえた。

 ヨーロッパの大国ロシアに対する日本の勝利は,アジア諸民族の民族的自覚を高めたが,

その後の日本は,むしろ欧米列強とならんで大陸への帝国主義的進出をすすめた。戦後,

日本とイギリスとは日英同盟を維持しながら,それぞれロシアと1907年に日露協約・英露 協商を結んだ。これにより,日本の大陸進出は容易となった。

① 日本は東清鉄道支線の長春1旅111頁日間の利権をえて,南満州鉄道株式会社を設立し

た。

第14章帝国主義とアジアの民族運動 3節アジア諸国の改革と民族運動

●日本の韓国併合○

 日本では日清戦争前後に繊維産業の機械化が本格的になり,欧米への生糸輸出,中国へ の綿糸輸出などが日本経済をささえる重要な柱となった。しかし日本の近代産業の発展が 低賃金を武器としていたため,国内市場はせまく,日本は国外市場の拡大や,さらにそれ

をささえる軍事的拡張政策に活路を求めた。日本は韓国に対し,3次にわたる日韓協約

(1904〜07年)によって,統監府①の設置や韓国の保護国化など,実質的支配をおしすすめ た。これに対し韓国では,皇帝の高宗がハーグの万国平和会議に密使をおくって国際世論 に訴えたり,各地で民衆が武装抗日闘争(義兵闘争)をおこすなど抵抗をおこなったが,日 本は列強の黙認のもと,これをおさえ,1910年に韓国を併合した。日本はソウル(京城)に 朝鮮総督府をおき,憲兵による武断政治をおこ有った。

①日本政府を代表してソウルに常駐し,韓国の外交を監督した。日本の韓国支配をお しすすめた初代韓国統監の伊藤博文(1841〜1909)は,ハルビンで安重根(1879〜1910)に 暗殺された。

【本文②】山川出版社『詳説世界史』より抜粋

世紀

20

世界(西暦)

朝鮮で甲午農民戦争がおこる(94)

中国で変法運動がおこる(95〜98)

欧米列強の中国分割激化(98)

米、中国の門戸開放を要求(99)

義和団事件がおこる(OO)

北京議定書調印(01)

露で血の日曜目事件がおこる(05)

日本(西暦)

日清戦争(94〜95)

下関条約調印(95)

日英同盟調印(02)

日露戦争(04〜05)

ポーシマス条約調印(05)

日露協約調印.(07)

日本、韓国併合(10〜45)

【年表③】山川出版社『詳説世界史』巻末年表より作成

 【本文②】のゴシック体の太字部分が、世界史の教科書における日本に関する記述であ る。日本の時代は、明治時代にあたる。日本史の教科書記述では、日清戦争と三国干渉、

立憲政友会の成立、中国分割と日英同盟、日露戦争、日露戦争後の国際関係という順番で 構成されている。ここで紹介した世界史における日本に関する記述は以下の順番で構成さ れている。三国干渉、日英同盟、日露戦争、韓国併合である。表題こそ違いがみられるが、

構成の順番には日本史・世界史双方に大きな変化は見られなかった。

 次に、巻末に掲載されている年表を使用しこの単元を確認する。現状の世界史の教科 書の巻末年表は【年表③】になる。年表の内容を詳しく検証していくと、教科書の記述 には三国干渉の説明が出てくるのに対して、教科書の巻末の年表には三国干渉の項目を 確認できなかった。ここでも、教科書の記述と年表表記が一致していない事が判明した。

また、韓国併合に関する記述が少なく年表ではいき.なり、韓国併合という項目が出てく るので、そこに至る過程が年表から欠落しているので韓国併合に至る経緯を理解しづら い状況になっているのが現状である。

2 単元内容の関連課題

 目次・本文・年表の3つの側面から、単元内容を確認した。そこから浮かび上がっ一で きた課題について検討する。

 【目次②】を確認した結果、前項の大航海時代のように大きく章を跨ぐような形では ないので、比較的流れを把握しやすい単元である。しかしながら、幕末から明治にかけ ての内容が前項同様に章を跨ぐ形で構成されているので、内容を理解しにくくなってい

る。

 【本文②】を確認した結果、内容に関しては前項同様に少なく、もっと記述内容を反 映させてもよいのではないか。とりわけ、韓国は日本と隣国という関係である以上、交 流が盛んに行われることは必至である。学習指導要領の目標に掲げられた、「国際社会に 主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う。」という内容を達成するのである ならば、併合に至った経緯を日本史で扱うのとほぼ同様に世界史の教科書でも扱うこと が求められるのではないか。それは、巻末の年表にも影響してくる。

 【年表③】は日清戦争後から一日韓併合までの出来事を抜粋して作成したものである。

内容は、日本に関連のある項目に厳選した。この作成した年表をから浮かび上がってき た課題は、項目の少なさであろう。特に韓国併合に至る経緯は全く年表には反映されて いない。時折、日本と韓国両国が歴史認識の違いから衝突をするという事がある。大切 なのは、事実をしっかりと生徒に伝えるということである。そのため」にも、かつて韓国 を植民地化した日本はどのような経緯をたどって併合に至ったのかを世界史の授業でも 扱うべきではないだろうか。歴史学習は、年表作りであると以前に述べた。と同時に過 去の出来事から教訓を学び、二度と同じ悲劇を繰り返さないという事も学ばなければな らない。それは、次項で取り上げる「太平洋戦争」についても同様である。過去の出来 事から教訓を学び、それを未来へとつなげて行くことが歴史を学習することの意義でな

ないだろうか。あやふやな歴史認識では、再び同じ悲劇を繰り返す可能一性が否定できな いと考える。ただ、ここで述べている事は、何も自虐史観に傾倒することでなない。戦 後の歴史教育は、こと自虐史観に傾倒するあまり、自国に誇りを持てない日本国民を多 数生み出してしまった。具体的には、国旗・国家に敬意を示さない国民が少なからず存 在することや、国旗・国奉=軍国主義という認識を持つものも存在する。この認識をそ のままあてはめるならば、世界中の国家が軍国主義と言わざるを得なくなる。日本人と

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