• 検索結果がありません。

現代における世界史と日本史の単元内容について 1 単元内容の関連概要

第2章 世界史と日本史における単元内容の関連と課題

第3節  現代における世界史と日本史の単元内容について 1 単元内容の関連概要

 最初に、山川出版社『詳説世界史』『詳説日本史』目次より、この単元の世界史と日本 史の関連内容を確認する。

それぞれ、関連する項目をゴシック太字で表記し、さらに矢印でつなぐ。

 【日本史】

r第10章 近代目本とアジア 1節 第一次世界大戦と日本 2節 ワシントン体制

3節 市民文化 4節 恐慌の時代 5節 軍部の台頭

【世界史】

・第15章 二つの世界大戦

1節 第一次世界大戦とロシア革命 2節 ヴェルサイユ体制下の欧米諸国 3節 アジア・アフリカ民族主義の進展

4節 世界恐慌とファシズム諸国の侵略 5節 第二次世界大戦

6節 第二次世界大戦

【目次③】山川出版社『詳説世界史』『詳説日本史』の目次より作成

次に、山川出版社『詳説世界史』の教科書のより、単元内容を確認する。

第15章 二つの世界大戦 5節 第二次世界大戦

●独ソ戦と太平洋戦争●

 1941年6月,ドイツは独ソ不可侵条約を無視して,イタリア・ルーマニア・フィンラン ドとともにソ連を奇襲し,独ソ戦がはじまった。ドイツ軍は年末にはモスクワにせまった が,ソ連軍は大きな損害を出しながらも押し返した。これを機にソ連はイギリスと同盟を 結び,43年にはイギリス・アメリカなどとの協調を深めるため,コミンテルンを解散した。

 短期戦に失敗したドイツぽ,戦争経済をささえるため東・西ヨーロッパの占領地から工 業資源や食料をうばい,数百万の外国人をドイツに連行して強制労働につかせた。また,

支配地域にも人種主義政策を強制し,多数のユダヤ人やスラヴ系の人びとをアウシュヴィ ッツなどの強制収容所で殺害した。ドイツの支配に反抗して,各地でレジスタンスや武装 抵抗運動(パルチザン)が組織された。

 一方,日本は日中戦争の長期化で国力を消耗させたので,状況を打開するため南方への

進出をくわだてた。1940(昭和15)年9月,フランスの敗北に乗じてフランス領インドシナ 北部こ軍を派遣し,また三国防共協定を日独伊三国同盟へと発展させた。41年4月には北 方の安全確保のため日ソ中立条約を結び,フランス領インドシナ南部にも軍をすすめた。

 この聞,アメリカ合衆国は中立をまもっていたが,1941年3月武器貸与法によってイギ リス・ソ連などに武器や軍需品をおくり,反ファシズム諸国支援の姿勢を明確にした。ま た,日本の南方進出を牽制して日本への石油供鈴を停止し,イギリス・中国・オランダと ともに「A B C Dライン」を形成して対抗した。1941年初めからの日米交渉がゆきづまる と,同年12月8日,日本軍はハワイの真珠湾(パールハーバー)にある米海軍基地を奇襲し,

マレー半島に軍を上陸させて,アメリカ・イギリスに宣戦し,太平洋戦争に突入した二  開戦後半年間で,日本は,マレー半島・香港・シンガポール1インドネシア1フィリピ

ン・ソロモン諸島を占領し,ミャンマーを征服した。日本は「大東亜共栄圏」をとなえ,

占領下のフィリピン・ミャンマーでは親日政権を設立させ,またインドネシアでは親日組 織をつくらせ,インドシナ・タイには日本との協力を声明させた。日本国内では開戦後,

軍部の権力が強大になり,言論や報道がきびしく統制された。また,すでに1930年代末か ら「創氏改名」などの同化政策が強められた朝鮮では、開戦後日本の支配が過酷さを増し,

労働力不足をおぎなうために.労働者が日本本土へ強制的に連行され,戦争末期には徴兵 制も適用された。

 東南アジアの占領地では,当初,日本を欧米諸国の植民地支配からの解放者としてむか えたところもあった。しかし,日本の占領目的は資源収奪とそれに必要な治安確保であり,

軍政のもとで,日本語教育や神社参拝の強制など,現地の歴史や文化を無視した政策がお こなわれた。さらに,シンガポールやマレー半島,フィリピンでは住民への残虐行為や捕 虜をぶ<む強制労働が多発したため,住民の激しい反感をよび.日本軍は各地で抵抗運動 に直面した。工業基盤の弱い日本は長期戦遂行能力に欠け,1942年6月,ミッドウェー海 戦で大敗すると、戦争の主導権を失った。

第15章 二つの世界大戦 5節 第二次世界大戦

●ファシズム諸国の敗北●

 太平洋戦争開始とともに,ドイツ・イタリアもアメリカ合衆国に宣戦し,日本・ドイツ・

イタリアらの枢軸国(ファシズム陣営)と,アメリカ・イギリス・ソ連ら連合国(反ファシズ ム陣営)の戦争となり,文字どおりの世界大戦になった。1942年後半から,連合国軍は総反 撃に移り,43年初めソ連軍はスターリングラ]ド(現ヴォルゴグラード)でドイツ軍を降伏

させ,一方アメリカ軍は日本軍をガダルカナル島から撤退させて,以後太平洋地域の日本 軍をつぎつぎと破った。北アフリカに上陸した連合軍がイタリア本土にせまると,イタリ ア国内では,軍部やファシスト党内部からもムッソリーニに反対する動きがあらわれ,43 年7月,ムッソリーニは国王に解任され,ファシスト党は解散した。同年9月,連合軍が イタリア本土に上陸すると,イタリア新政府(バドリオ政府)は無条件降伏を申し出た。

 1941年8月のローズヴェルト・チャ』チル会談で発表された大西洋憲章は,その後ソ連 など26カ国が加わり,42年1月の連合国共同宣言で戦後構想の原貝1」として確認された。43 年11月,ローズヴェルト・チャーチル・・介石のカイロ会談で対日処理方針を定めたカイ

ロ宣言が発表され,さらにローズヴェルト・チャーチル・スターリンのテヘラン会談では,

連合軍の北フランス上陸作戦が協議された。これにもとづいて44年6月,アイゼンハウア

』指揮下の連合軍はノルマンディーに上陸した。連合軍は8月にはパリにはいり,ド=ゴ Lルは臨時政府を組織した。45年2月,米・英・ソ3国首脳はクリミア半島のヤルタで会 談し,ヤルタ協定を結んでドイツ処理の大綱,秘密条項としてドイツ降伏後のソ連の対日 参戦などを決めた。連合軍の空襲で多くの都市や工業施設,交通網を破壊されたドイツは,

45年には総くずれになった。4月 麻qトラーは自殺してベルリンは占領され,5月7目,

ドイツは無条件降伏した。

 太平洋戦域では,アメリカ軍が1944年中にサイパン島とフィリピンのレイテ島を,45年 2月にはマニラも奪回し,4月沖縄本島に上陸した。同時に日本本土への爆撃を強めたの で,主要都市や住民は大きな被害をうけた。4月にローズヴェルトが急死したため,大統 領に昇格したトルーマンは,7月チャーチル(途中で労働党のアトリーと交替)・スターリ ンとポツダムで会談し,ドイツ管理問題を協議するとともに,日本の降伏を求めるポツダ ム宣言①を発表した。アメリカは,8月6日広島に,さらに9日に長崎に新兵器の原子爆 弾を投下して,両市を壊滅させた②。同時に,ソ連はヤルタ協定にもとづき,日ソ中立条 約の規定を無視して,8月8日日本に宣戦し,中国東北地方をはじめ,朝鮮・棒大に軍を

すすめた③。日本の降伏直訓のアメリカ合衆国とソ連の軍事行動は,戦後世界で主導権を にぎろうとする意図があった。日本は8月14日ポツダム宣≡を受諾して降伏し,15日国民 にも明らかにした。6年にわたる第二次世界大戦はおわった。

①ポツダム宣言は,はじめアメリカ・イギリス・中国の名前で発表され、のちソ連も参 加した。宣言は,日本軍の無条件降伏要求や,降伏後の日本の処劃こついての基本方針を 明らかにした。

②原子爆弾によって,広島では被爆後5年間に20万人以上,長崎では14万人以上の市民 が死亡し,現在も後遺症に苦しむ人びとがいる。

③ソ連は1945年4月,日ソ中立条約破棄を日本に通告したが,規定では条約は破棄通 告後1年聞は有効であった。なお、ソ連に降伏した軍人,さらに一部の居留民あわせて 約60万人がシベリアなどソ連各地に長期間抑留され,悪条件下での労働で多くの死者を

出した。

第15章 二つの世界大戦 5節 第三次世界大戦

●大戦の結果●

 第_次世界大戦は,東アジアにおける日本,ヨーロッパにおけるイタリア1ドイツのフ ァシズム諸国家が,国内危機を他国への侵略で解決しようとし,ヴェルサイユ・ワシント ン体制を破壊する動きからはじまった。国際連盟による集団安全保障体制がくずれるなか,

当初はドイツ1イタリアがヨーロッパで.日本が中国でそれぞれ別にはじめた侵略戦争は,

1941年の独ソ戦と太平洋戦争の開始とともに,世界戦争へと一体化し.た。

 連合国側がはやくから反ファシズムをかかげ,大西洋憲章によって新しい戦後秩序を示 して,多くの国ぐにの支持を集めたの1こ対し,ファシズム諸国家は自国民の優秀さをとな え,それぞれの支配圏確立をめざすだけで.ひろく世界に訴える普遍的理念をもたなかっ た。さらに,ファシズム諸国の暴力的な占領地支配は、占領地域民衆のひろい抵抗運動を よびおこした。その結果,ファシズム諸国は事実上全世界を敵にまわすことになって,敗 北した。第二次世界大戦の犠牲者は軍人・民間人をあわせて数千万人にのぼるといわれて いる。それには,人種的・宗教的差別による追放や大量殺害もふくまれ,戦後も各地で多

くの難民をうんだ。

関連したドキュメント