戦後初期の農業拡大計画
第2次大戦後, イギリスは戦H寺中の海外投資の喪失, 戦H引責務の累杭, さら には交易条件の必化によって国際収支の困難に悩まされた。 しかも戦後初JVJの 世界の食料需給はきわめて逼迫した状態にあった。 そこで政府は国民の食料を 調達するため, また輸入を節約して国際収支を改善するために, 農業生産を拡 大して食料自給率の向上をはかる必要に迫られた。
1945年から51 年までの労働党政権JVJを通して食料は欠乏状態を続け, -11寺は 戦時rllよりも不足することがあり, 食料統制と害IJ当配給はi以後も引き続き実施
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された。 政府は凶内および海外から大量に食料を購入し, 食料流 jill を組織化し,
f!lIï絡を統制した。 炭産物の大半は固定価絡で政府に購入され, 農業省にはIl:_注 された農産物全体の市場が保証された。 一方, 食料の消費者1111ï絡は政府の食料 補助金によって低く押さえられた。 そのため政府の財政負担は巨額に達したが,
それは食料価絡を低水準に安定させるための社会経済政策の結果であって, 股 業サイドに原因があるとはいえなかった。
1947年に農業法を成立させた労働党政府は, 同年8月のドル不足を契機に
「農業拡大4カ年計画」を発表し. 1951年度までに農業の純産山高を戦前水準 の50%増にまで引き上げることを目標に尚げた。 ドル不足のもと, 農産物輸入 に費消される外貨は消費的消費とみなされ節減が求められた。 それが地産計画 となってあらわれたのである。 その目的達成のため農産物価絡を15 %から20%
引き上げて, 農業者に生産費のよ首加を補償するとともに, 地産に必要な新胤の 資本投下に大|幅な援助を与えた。 表1 - 3からもわかるように, この計lilliはお おむね目的を達成し. 5年間に純産出高は戦前のほぼ150%になった。
この時期政権を担当した労働党は, かつて農村にほとんど基盤をもたず, 農 業政策の経験も乏しかった。 しかし, 労働党は固定filfi絡, 生産目標, 保証rlf場 tlJlj度などの採用に対して, 他の保守的諸政党よりもはるかに積極的であった。
その点では農業者の要請に応えることができた。
1951年に政権を獲得した保守党もしばらくは農業の拡大政策を統けた。 1952 年のf!Jfi絡審議では. 11}伎のドル不足の影響を受けて, ドルの節約になる炭産物 の増産を重要な柱に渇げた。 政府は農業純産rBを以前の60%増にまで引き上げ る 「新4カ年地産計画」 を発表し, とくに|勾畜, 小麦, 飼料作物の生産に重点 をおいた( Williams, 1960 )。
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表1 - 3 1947年農業拡大計画の目標と実績 ( ì以前平均= 100)
1943/44 1946/47 1951/52 1951/52 実績 実績 目標 実績
作物(作付面積)
小麦 187 111 160 115 大麦 192 238 279 205 燕麦 153 148 156 119 馬鈴薯 192 197 129 145
目It菜 124 130 131 127
畜産物(生産量〉
牛乳 96 107 123 129
�I� 51 84 152 121
牛肉 83 93 110 107 羊肉 79 72 77 75 豚肉 32 33 92 107 農業純産出 125 119 150 147
出所: Whetham (1955)
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2. 固定価格制から不足払い制へ
ところで, 保守党政府の方針は食料についての統制や配給fnlJを廃止し, 白山 市場にもどすことであった。 さらに政府は, それまで労働党によって採用され てきた生産の計画化からも手を引き始めた。 このfI寺以降, 政府とNruの方針 は鋭い差異をみせ始めた。 NF'Uの要望によって直ちに新しい長jVl 政策樹立の ための検討会が閃かれたのであるが, 話し合いは進まなかった。
Nruは, 1945年に価絡審議が開始されて以来, 審議の前提とされてきた生 産計画の継続を望んだ。 生産計画はNruにとっては非常に有効な戦略手段で あった。 生産計画達成のためにはかなり高い価格が約束される必要があった。
このもとでNF'Uは, もし政府と国民が十分な援助を提供しないならば必要な 食料は得られないであろう, と警告してきたのである。 しかし政府は1954年頃 になると農産物ごとに生産目標を設定するのではなく, 当而どの部門の生産を
fttlばすことが望ましし1かを一般的に示すだけにとどめるようになった。
結局, 1954年の価格審議では, 穀物(小麦, 大麦, 燕麦)および肉畜(牛,
羊, jJ家)については不足払い方式が導入された。 つまり農業者は最も高い市場 価格を求めてその生産物を販売し そうして実現された111場価絡の全国平均が 何Jj絡審議で決定された保証価絡を下回った場合, その不足分が販売量(飼料穀 物である大麦, 714麦については作付面積)に応じて, 政府補助金の後払いによ り埋め合わされるシステムである。
不足払い方式には伯l別農業者の販売量(ないし作付[町積)についてのIE惟な 数値, および個々の農産物についての正確な平均1tlfi 1各の数値が必要であるo 1[�1 々の農業者が手にする市場価格は様々であるが, j農業者は全て単位量(lfIT柏)
山たり同級の不足払いを受ける。 そのため農業者は, 生産量の明大とともに,
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生産物の品質を維持し, できるだけ高い(dlî絡で販売しようとすることになった。
穀物および肉畜の生産者にとっては, 市場制絡に補助金を}JIJえた報酬を最大す るためには, どのような販売方法を講ずるかが重要な課題ーとなった。
牛乳, 馬鈴薯, 卯の保証は生産者のマーケティング ・ ボード、を通じて実胞さ れた。 それぞれのボードは審議 ・ 決定された保証価格を生産者に支払うのに必 要な資金を補助金として交付されたが, 支持費用の一部はマーケテイング ・ ボ ード自体が負担することになった。 牛乳の場合, 保証価絡は引き続き従来の基 地で決定されたが, 保証の対象となる乳量に一定の制限が加えられることにな った。 その数量を必えて生産された牛乳は価格保証の対象とはならないという ものである。 これは政府が, 農業法の規定にもとづいて, 農産物の保証数量を 制限した最初の例であった。
3. 価格引き下げ.と「農業の長期保証J
ところでは50年代半ばになると, 一部の農産物には過剰生産が現れ始めた。
卵, 豚, 牛肉の場合がそうである。 これらの農産物の生産過剰には政府の政策 もかなりかかわっていた。 すなわち, 食料が欠乏し配給制が実胞された1940年 代に, 生産地強をはかるため大幅な価絡引き上げがなされ, 結果として生産過 剰となったのである。
そのため195411:の1,lIî絡審議では, 初めてのことであるが, いくつかの炭産物 についてこれまでとは違った対応がなされることになった。 豚と牛乳について は, これ以上のJIQ産をおさえるために保証価絡が引き下げられた。 卵は生産に 必要な労働貨や物JIオ費が著しく増大したにもかかわらず保証価絡は耐え世かれ た。 穀物については, dT場の自由化がはかられ, 固定(dfi械は廃止され, 披低保
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�,E (illi桁が導入された。 df場価絡がこれをF 回った場合, ド111]った分を政府が保 証するというものだが, 最低保証(dfi 1各は従来の固定úlfi 1各 よりも低いものであっ た。
このとき以来, 農業者は農務大臣に対して不満や不信を強めることになった。
1947年農業法のもとでは, 農務大|をは1,Jfi絡審議のたびに非常に広い範聞で(,Ilj絡 を変更できる権限を与えられていた。 たしかに畜産物については, 前述のよう
に, 3 '"'"' 4年先までの最低価格が保証されていた。 しかし, その最低価絡は,
1947年の発足当初から, 毎年定められる実際の佃i格より意識的に低く設定され てきた。 農業者たちが生産の拡大を奨励されていた聞は, そして4年先までの 止産目標が彼らの前に置かれていた間は, N F Uの指導者も農業者一般もその ことについて真剣に呉をl唱えることはなかった。 実際の保証(dli絡が設低水準ま で落ちることなどとても考えられなかったからである。
しかし1954年の価絡審議にみられるように事態が変化すると, 農業者の考え 方も変ってきた。 固定した水準での将来の最低価絡の保証は, 1947年農業法の 基本精神であるところの「将来に対する確信」を生まないで, むしろ不満と不 信の原因となった。 また年ごとに価格が大|隔に変化する可能性のある価絡審議 の制度自体も農業者の間で疑問視されるようになり, 政府自身も(ùfi絡審議のJ[
介な手続きに代わる何らかの価絡決定機怖を望むようになっていた。
1956年のíilfi絡審議でNFUは政府の決定に承認を与えることを恒斉し, 両者 の聞に決裂が生じた。 この審議のあと政府は, 新たな(ùfi 1各決定の機椛と長J9J保 証について, N F Uとの協議にとりかかった。 この協議の成果は, 1956年11)1 に 公表された臼者 「股業の長期保証J で概説され, のちに1957年「炭業法 l に
盛り込まれた。
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この長JVJ保証によれば, 政府はし1かなる年にも審議対象農産物の保�lE総似を 前年に比べて2.5%以上削減しないこと, 個々の農畜産物の保証価格を年に4
%以上引き下げないこととされている。 そのうえ畜産物の保証価絡については,
どの3カ年の期間をとってもその問に9%以上引き下げることはできないと決 められた(MAFF, 1956)。 こうして, 新しい保託方式は畜産物について3'"'-' 4年先までの最低価絡を発表する必要をなくし, 将来の価格を現行の価絡にl直 接結びつけた。 農作物についても費用その他の状況の変化が迅速に反映される ように, 価格審議で決定された保証制lí絡がすぐさまその年の収穫物に適則され ることになった。 これらの措置に加えて, 農場の長期的改良に投下される資本 の3分のlを政府が補助する資本助成金の制度も新設された。
4. 1958年の「小農計画」
ところで, 向li桁審議で解決できなかった基本的な問題として, 農業者間の生 産規模や所得の稿差という問題がある。fiIG絡補助金の3分の2近くは専業j造業 在の約3分のlが受け取っており, しかも彼らの多くは相対的にみて宮俗であ った(Lloyd, ] 957 )。 また政府の農業支持貨川には1ifli栴保証のみならず凶接 補助金もかなり多く含まれており, 表1 -4に示すように, それが占めるさIJ令 は年々地)JIIしつつあった。 具体的には, 肥料, 石灰, 凶場1JI:ノ'.K , 給水, J農場改 良, サイロ, 仔牛飼育, 牧草地の耕起などのための制助金がそれであった。 こ れらの直接補助金についても, 肥料や石灰を最も多く使用し, 最も多く牧草地 を耕起し, 最もしばしば土地改良を行う大規模経営ほどそれを十分に享受する ことができた。
このように{illi桁審議では, 農業者の規伎の大小や投資量の差にはほとんど配
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