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費用便益分析批判と環境政策の倫理的基盤

ドキュメント内 11QA002T 西林勝吾 (ページ 127-161)

1.序論

クネーゼは、1980 年代を中心に、費用便益分析批判を通じて環境政策の倫理的基盤 に関する議論を行なった。本章では、このクネーゼによる費用便益分析批判と、クネー ゼとその共著者らによって提示された環境政策の倫理的基盤に関する議論の整理を目 的とする。

クネーゼは、1960年代に水質管理の研究を中心的に行ない、1970年代には物質収支 アプローチの研究を中心的に行なった。前章まで検討してきた通り、それらの研究では、

共有的資源の管理において①維持すべき環境基準をどのように設定するか、②維持すべ き環境基準を達成する望ましい方法は何か、③共有的資源管理を行なう上で望ましい制 度・組織は何か、という問いが設定され、その問いに対し、工学‐経済学研究と制度研 究による二層構造、政策目標・政策手段・政策主体の組み合わせという制度的視点を有 した費用最小化問題として捉えるという論点が示されてきた。上記の問いを含む共有的 資源の管理は、集合的選択の問題に関わる。共有的資源は公共財的な性質を持っており、

共有的資源管理のあり方によってその利害関係者の資源配分、所得分配のあり方が左右 されるからである。すなわち、第5章で取り上げた共有的資源管理は域内(社会)に経 済的変化をもたらす。そもそも、物質収支アプローチの課題の一つには、地域レベルで の環境資源管理によって生じる便益と費用の分配問題が含まれていた。それはクネーゼ らの以下の引用文に表れている。

こ の [ 地 域 的 な 廃 棄 物 ‐ 環 境 の 質 の 管 理 (residuals-environmental quality management: REQM)の]モデルは、直接規制や排出課徴金などの代替的政策、費 用・環境の質のレベル・[廃棄物]管理計画のタイプの間の関係、そして一定の[環 境資源管理に関する]政策や戦略によって誰にとっての環境の質が改善され...............

、誰がそ...

いるという点は注目に値する。「ピグー税」や「コースの定理」を処方箋としてきた主流 派環境経済学は、環境評価をその研究の主要テーマの一つとしてきた。環境の便益や損害 が測定できるならば、発生した外部不経済を正確に内部化することだけが研究課題とな り、極端に言えば、「ピグー税」と「コースの定理」以外の処方箋を必要としなくなる。

一方で、環境評価そのものに対して問題提起を行なう研究も少なくない。それらの問題提 起を受け止め、改めて環境経済学について考えるとき、カップやクネーゼは、ヒントとな り得る議論を示していると言える。環境問題が抱える素材的特性に改めて目を向け、それ によって主流派環境経済学の前提を問い直すことは、環境経済学の多元性への貢献となり 得る。今、環境経済学説史研究に取り組む意義の一つは、この点にある。環境経済学説史 における、環境評価の不可能性を前提にした環境経済学の可能性については、今後の研究 課題としたい。

124 の費用を負担するのか..........

という、代替的政策に関する費用と便益の分配の分析....................

において、

司法・行政に関わる機関に役立てることを意図している。(Kneese and Bower, 1979 p.33)[傍点は筆者]

このように、環境資源管理は、それによって生じる便益・費用の分配問題を含み、一定 の地域内に経済的変化をもたらす。1980 年代を中心にクネーゼが行なった議論とは、

この変化した経済的帰結を、効率性を含む多様な倫理的価値基準によって、どのように 評価するのかということに関する問題提起である。本稿第5章4節で引用したように、

クネーゼは環境資源管理を行う望ましい組織・制度として「流域圏管理機関」=「地域 的環境管理機関」(ゲノッセンシャフト=コモンズ的管理)について「この制度は正義..

と衡平..

[justice and equity]の法的、政治的基準にも合致しなければならない」(Kneese

et al 1970, p.117)[傍点は筆者]と述べていた。本章で扱うのは、この「正義」と「衡

平」に関わる論点である。

経済学において、社会に経済的変化をもたらす政策や事業の是非は、一般に費用便益 分析によって判断される。費用便益分析では、ある経済的変化によって社会にもたらさ れる便益が費用を上回れば、その経済的変化は肯定的に評価され、下回れば否定的に評 価される。共有的資源管理や環境政策も、その例外ではない。

費用便益分析に対するクネーゼの倫理的観点による批判は、クネーゼの最初の著作

『水資源』(Kneese 1959)の段階で既に行なわれていた。しかし、本稿第 1章で見た とおり、『水資源』の主要課題は地域の生産と雇用の改善の達成に資する水資源の配分 問題であり、費用便益分析批判は、その時点では水資源管理研究をめぐる論点の一つと しての扱いであった。費用便益分析批判をクネーゼがはじめて主要テーマとして扱った 論文は、1973年に発表された「ファウスト的取引き」(Kneese 1973b)である。「ファ ウスト的取引き」では、原子力発電関連施設の建設は費用便益分析では判断できず、倫 理的な問題に属することが指摘されている。この論文で示された議論は、「便益・費用 分析と原子」(Kneese 1977)を経て、1980 年代に新たな展開を見せる。クネーゼは、

1980 年代を中心に、共有的資源管理や環境政策の是非を費用便益分析によって判断す ることの限界を指摘し、経済的変化を経済学的効率性からのみ判断するのではなく、経 済学的効率性も含めた多様な倫理的基盤から判断することの重要性を提起した。倫理的 基盤とは、ある経済的帰結を評価する価値基準を意味している。クネーゼは、経済的帰 結を判断する価値基準を功利主義、平等主義、エリート主義、パレート主義の四種類に 分類し、それぞれの観点から環境政策による経済的変化をどのように評価すべきなのか を検討した。

このような変遷を経たクネーゼの費用便益分析批判と倫理的基盤に関する問題提起

125

を明らかにすることが、本章の検討課題である。本稿の序章で述べたように、60 年代 の水質管理研究や70年代の物質収支アプローチとは違い、クネーゼの費用便益分析批 判と倫理的基盤に関する議論は先行研究ではほとんど言及されていない94。したがって、

80 年代を中心としたクネーゼの議論は、これまで明らかにされる機会はほぼなかった と言ってよい。クネーゼ環境経済理論の全体像を明らかにするという本研究の目的にと っては、本章の課題は重要なものとなる。

本章の構成は以下の通りである。2節では、まず、クネーゼの論文を参考に、費用便 益分析が水資源関連事業の意思決定のツールとして発展してきたことに触れる。そして、

クネーゼが『水資源』で、水資源管理に費用便益分析を用いることの限界をどのように 指摘したのかを確認する。3節では、「ファウスト的取引き」で、クネーゼが原子力発電 関連施設の問題を通じてどのように費用便益分析批判を行なったのかを扱う。4節では、

クネーゼが分類した四つの倫理的基盤を整理した上で、それら多様な価値基準を通じて クネーゼが環境政策をどのように評価すべきと提言したのかを明らかにし、5節で結論 を述べる。

2.水資源と費用便益分析

費用便益分析は、もともと水資源開発を評価するために1930年代のアメリカで開発 された。ニューディール政策の一環として行なわれたテネシー川流域開発公社の総合開 発や、アメリカ開拓庁および陸軍工兵隊などの水関連部局による洪水対策を含む水資源 開発事業などで、各事業の採算性分析に用いられたことが始まりである。学問分野では、

1950年代から60年代初頭にかけて水資源開発事業をめぐる政府活動の理論的基礎を、

費用便益分析の観点から研究する著作が発表され始めた。例えば財政学者として著名な O.エクスタインによる『水資源開発―事業評価の経済学』、J.ハーシュライファらに よる『水供給:経済学、技術、政策』、経済学者、工学者、水文学者から構成されるハー バード大学グループによる『水資源システムのデザイン』などである(Kneese 1989)。 『水資源』(Kneese 1959)でクネーゼが水資源管理における費用便益分析をどう捉 えているかは、本稿第1 章で述べたとおりである。乾燥地帯・準乾燥地帯である第10 地区において、水資源の安定的供給の確保を目的とした開発事業の正当性が経済的根拠 に裏付けられていることを連邦議会に示す意味で、費用便益分析は重要な役割を果たし たことをクネーゼは認めている。しかし彼は、水資源開発事業によって生じる便益と費 用に、有形便益・費用、無形便益・費用が含まれる点を根拠に、費用便益分析の限界を 指摘した。有形便益・費用には市場価値による評価が比較的容易なものが含まれ、無形

94 『環境政策の理論』(Baumol and Oates 1988)、「価格と謝罪を伴わない選択」(Vatn and Bromley 1994)などでの若干の言及が見られる。

ドキュメント内 11QA002T 西林勝吾 (ページ 127-161)

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