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水質管理研究の独自性

ドキュメント内 11QA002T 西林勝吾 (ページ 46-65)

―ピグー的伝統でもなく、コース的伝統でもなく―

本章では、「ピグー的伝統」、「コース的伝統」に対するクネーゼの水質管理研究 の独自性を示すことを目的とする。まず外部不経済としての水質汚染に対し、主流派 経済学が提示してきた二つの主な処方箋、いわゆる「ピグー税」と「コースの定理」

の議論を簡単に振り返る。そして、それらを批判的に継承し、より現実の課題に即し た議論を展開したクネーゼの水質管理研究を概観し、その理論的な意義を確認する。

最後に、クネーゼの水質管理研究が現代における水資源管理の現状と課題に対してど のような示唆を与えるのかについても、後の自然資源経済論によって示されたビジョ ンに即して若干の検討を加える。

1. 課題の設定

1-1. 経済学における水質汚染

前章で論じたように、水資源管理は水資源の量・質の二つの側面から考えられなけ ればならない。両側面は密接に関連し合っており、それぞれ切り離して考えることが できないということは言うまでもない 主流派経済学において、水質汚染は外部不経 済と認識されてきた。外部不経済は経済学的効率性の達成を阻害する一要因である。

効率性の達成を至上目的とする主流派環境経済学は、この阻害要因としての外部不経 済を内部化すべく、処方箋を提示してきた。その処方箋の中で最も代表的なものはピ グー的伝統とコース的伝統によってそれぞれ示されてきた、いわゆる「ピグー税」と

「コースの定理」である。「ピグー税」と「コースの定理」の存在感は、昨今の主流 派環境経済学による水質管理の議論においても健在である。主流派環境経済学は水利 用が外部不経済を内部化する際に障害となる要因を、水に適正な価格が設定されてい ないことに求める。その上で消費者理論や環境評価論を用いながら水の適正利用価格

(シャドウ・プライス)を推定し、情報の非対称性・不確実性の理論などミクロ経済 学の応用分野に引きつけながら、その上で各主体への課税や水資源の市場設立によっ て効率性の達成を図る(Goetz and Berga 2006; Pashardes, Swanson and

Xepapadeas 2002)。あるいは、市場設立・市場取引を妨げている取引費用をいかに 削減し、市場設立・市場取引を実現して効率的な水資源配分の達成を図るかについて 議論する(Shaw 2005)。

こうした主流派経済学による議論が、水質汚染問題を経済学的に捉えるうえで一定 の貢献を果たしたことは事実である。しかし一方でこれらの議論は、他の主流派経済

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学と同様多くの非現実的な前提条件14を必要とする。主流派経済学によるアプローチ の限界を踏まえ、より現実の水質汚染問題に即した議論を展開した論者が、1960年代 を中心に経済学の立場から独自の水質管理研究を築いたクネーゼであったことを確認 することが本章の主旨である。以下ではまず、「ピグー税」と「コースの定理」の議 論を概観する。次にそれらの議論を批判的に捉えたクネーゼの議論を検討する。

1-2. ピグー税

序章で述べたように、環境破壊の問題において最初に経済学的視点を提示したのは

A.C.ピグーである15。ピグーはその主著、『厚生経済学』(Pigou 1932)の中で、汽

車の火の粉と森林の例を挙げ、いわゆる外部不経済論を示していた。ピグーによって 示された枠組みによれば、外部不経済とは社会的限界費用が私的限界費用を上回り、

両者の間に乖離が存在することによって生じる16。両者の乖離によって効率性が損な われ、それが外部不経済として認識される。つまり、外部不経済論は、水資源の汚染 を効率性の損失(つまり死荷重)と捉える。

では、ピグーによる外部不経済論は、水資源の汚染(による非効率性)に対しどの ような処方箋を提示するのか。それは政府が市場に介入し、社会的限界費用と私的限 界費用の差額である外部費用と同じ額を汚染者に課税することで、効率的な水準に汚

14 「自然資源経済論の理論的基礎に関する試論」(山下 2012)では、非現実的な前提条 件の一つである財の代替可能性(非固有性)を切り口とした新たな環境経済学のあり方 を、環境経済学アプローチとして議論している。

15 環境経済学に関する文献でこの名前が引用されないことはほぼあり得ない、と言ってよ いほどピグーは外部不経済論の始祖であると一般的に理解されている。しかし『厚生経済 学』では、環境汚染問題はほんのわずか一部分で触れられているに過ぎない。また外部性 についても、本文中では「外部経済」(external economy)という言葉が一度出て来るの みで、「外部不経済」(external dis-economy)という言葉は一切使われていない。ピグ ーの議論が外部不経済論と見なされるようになった契機は何か、ピグーの外部不経済論な る議論がいかなる先行研究からインスパイアされたか、ピグーが意図した外部不経済の対 象・範囲は何かなど、ピグー自身が『厚生経済学』の中で論じた外部不経済の詳細を明ら かにし、ピグー自身の議論とピグーの枠組みをミクロ経済学的に継承した外部不経済論で ある「ピグー的伝統」の違いを学説史研究によって区別する必要がある。しかしそれは本 章の範囲を超えるため、他稿での課題とする。

16 『厚生経済学』の中では、外部不経済は社会的限界純生産物私的限界純生産物の乖離に よって生じる、と表現されている。

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染度を制御しようとするものであった17。これが一般に「ピグー税」と呼ばれるもの である。したがって、外部不経済論による水資源管理の目標は、水資源を汚染するこ とによる社会的限界費用と私的限界費用に関する情報を政府が完全に把握し、両者を 一致させる額を汚染者に課税し、効率的な汚染水準を実現させることである。

1-3. コースの定理

コースは、ピグーによって提示された外部不経済論を批判した(Coase 1960)。批 判の主なポイントは、資源配分の非効率を生む外部不経済への処方箋として、市場へ の政府の介入をほぼ無批判に承認していることである。

コースは、汚染を外部不経済と捉えるのではなく、権利配分の問題として捉えた。

外部不経済論においては、汚染問題は、AがBに損害を与えているのであり、したがっ て如何にしてAの汚染を最適な水準に制御するか、という一方向的な捉え方となる。

しかしコースによれば、汚染問題は相互的な性質を持っている。すなわち、Aの汚染 を最適水準まで制御することによるAの損失を無条件に正当化しない。そして、Aに汚 染を伴う活動を行う権利を与えるか、それともBに汚染されていない環境を享受する 権利を与えるかという問いを設定し、両者のうち、より取引費用の少ない状況を選択 すべきだと主張する。コースによれば、権利は生産要素(個人にとっては財・サービ ス)であり、社会的厚生を最大化する権利配分が実現されるべきなのである。このよ うにコースにとって汚染は権利配分の問題であり、したがって主体間の利害対立の問 題である(詳細は第3章に譲る)。

こうした視点から、仮に取引費用がゼロであれば、汚染者と被害者との自発的交渉 によって、汚染者と被害者の初期権利配分がいかなるものであっても、効率的な資源 配分が達成される、とコースは論じた。効率的な資源配分が達成されれば、実現され た権利配置がいかなるものであっても、効率的という一点において違いはない。これ が「コースの定理」と呼ばれるものである。この「コースの定理」が、コースの真意 とは無関係にJ.スティグラーが定式化したものであることには言及しておかなければ ならない。

では、「コースの定理」が水質汚染問題に示す処方箋はどのようなものになるの か。例えば河川の上流域で工場が経済活動を行い、下流域で市民が生活している場 合、工場と住民では河川の利用権をめぐって利害が対立し得る。工場は工場排水の排 出場所として河川を利用したいし、市民は飲料水の確保、レクリエーション等できれ

17 ピグー自身は、国家による課税(補助金)の正当性を主張しているが、どの水準まで汚 染を制御すべきか、また課税の適切な額について言及していない。

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いな水を利用したいからである。工場が工場排水を河川に流せば、外部不経済が発生 する。このとき、法律によって工場の排水権、市民の環境権(きれいな水を享受する 権利)のどちらが認められていても、工場と市民両者が全く取引費用をかけずに交渉 を行うことができれば、効率的な資源配分が達成され、外部不経済は生じないことに なる。水の利用権に対する限界便益が一致する点で利用権の価格が設定され、それに 基づいて権利の取引が行われるからである。この二者モデルを一般化したものが、汚 染問題の市場取引による解決として、今日に受け継がれている。

1-4. クネーゼによる議論

ピグー的伝統、コース的伝統とは立場を異にし、分析対象を水資源の質の管理に絞 り、より現実に即した議論を経済学の立場から行おうとしたのがクネーゼである。ク ネーゼは、ドイツ・ルール川流域を管理する水管理組合の水資源管理について詳細な 検討を行い、それを経済学的に理論化しようと試みた。クネーゼは、水資源の汚染を 外部不経済の問題として捉え、そして市場・企業・公的な自治組織の三つをガバナン ス制度の選択肢として挙げ、取引費用を基準として最適な水質管理の在り方を模索し た。以下、節を改めてクネーゼによる水質管理研究を検討する。

2. クネーゼによる水質管理研究 2-1. ルール川水管理組合

クネーゼによる水質管理研究を検討する前に、クネーゼがどのような現実を見て議 論を展開したのか、確認する必要がある。以下、クネーゼが自身の理論のモデルとし て取り上げた事例である、ルール川流域の水管理組合について簡潔に述べる。なお、

本節で扱うのは、あくまでクネーゼが見た当時のルール水管理組合である。

ドキュメント内 11QA002T 西林勝吾 (ページ 46-65)

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