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財産形成と泊浜生活センターの建築

ドキュメント内 Microsoft Word - 000_03_緒言 (ページ 107-159)

契約会が管理する磯からの水揚げはすべて契約会の基金となる。この保護区のほかに、規約第十一条 第三項に記されている海水浴場の駐車場管理、またはパラソルレンタルなどの事業が行われている。こ れらの事業でも年間 150 万円近くの収益をあげたことがあり、収益事業による総収入は多い年で 700 万 円以上に達していたという。ただし、近年は、海水浴客が少なくなり、保護区以外の収入は 30 万円程度 に落ち込んでいた。

また、歌津町内の多くの契約会では、スギ、カラマツ、ヒノキなどを植林した部分林を、2005 年の町 村合併を契機に伐木・販売したが、泊浜契約会では森林組合に見積もってもらったところ販売額が 1 億 4,800 万円に対して利益は 400~500 万円にしかならないということで伐採を見送った。

積み立てた基金は、先述したように冠婚葬祭など地区の生活の相互扶助に利用されるだけでなく、行 政支援が不足している部分にも使ってきた。街灯や防犯灯の維持管理、集落の合併浄化槽の整備や側溝

の補修などである。合併浄化槽の整備や側溝補修においては毎年契約会が行ってきた。海になるべく汚 い水が注がれないようにするための配慮である。

こうして基金が使われているのだが、泊浜契約会は契約会の会員に対して自治会費のように世帯から 会費を徴収していない。会費徴収を行っていないどころか、事業収益から支出を差し引いた繰越金を毎 年貯蓄し、その額、2006 年頃には約 6,000 万円に達していたのである。

泊浜契約会は、この貯蓄をすべて使って 150 人が寝泊まりできる生活センターを建設した。宮城県沖 地震に備えて避難所を建設したのである。

その背景には、次のようなことがあった。地区内に保育園兼生活センターがあったが、保育園の合併 により保育園機能は移転、その建物は生活センター機能のみとなった。しかし、耐震性を診断したとこ ろ、避難所としては問題があることがわかった。そのことから、契約会がそれまでに貯蓄してきた基金 を取り崩して、泊浜生活センター建設に至ったという。

写真:泊浜生活センター

6.震災と契約会の初動的対応

2011 年 3 月 11 日、東日本大震災が発生。泊浜地区では、日頃の防災訓練に従って避難行動が取られ た。漁民は、漁具や資材を高台に移す作業を行ったが、津波到達前には避難していたという。住民は、3 カ所の避難場に集まり、契約会の役員による点呼などが行われた。津波による犠牲者は 4 人である。う ち 3 人は一端避難したものの、津波第一波のあとに、自宅に貴重品などを回収に戻って、10 メートルを 超す津波に襲われたようである。

この津波によって 65 戸の住宅が全壊した。泊浜地区の約半分が被災したということになる。自宅を 失った住民は被災当日から避難生活が始まった。そこで機能したのが、先述した泊浜生活センターであ る。この泊浜生活センターにおいて 150 人(のちに 110 人)の住民が 60 日間の避難生活を送った。

ところで、泊浜地区は津波により道路が寸断されたため外部からの支援を受けられず、孤立状態とな った。しかし、契約会の役員がまとまって避難生活の対応を図る。

まず震災当日の夕方から、被災を免れた住宅から 30kg/袋×12 袋の米が生活センターに集められた。

水は水田用の井戸からポンプで汲み上げられ、漁業用のリフトで運搬され、集められた。水洗トイレも

使えるようにした。

さらに数日後には、お風呂も設置した。ボイルワカメを冷却する水槽を風呂釜にし、ワカメのボイル 用の湯沸かし器を使ってお湯を沸かし、重油においてはワカメのボイルのために準備されていた重油の ドラムタンクを回収した。漁港は津波で被災したものの、ワカメ養殖の収穫期に入ったところだったこ とから、こうした準備ができたのであった。

他地区の契約会については知り得ないが、泊浜地区では、以上のような初動的対応が図られた。震災 に備えた生活センターが拠点となり、契約会のコミュニティー機能が発揮されたと思われる。

7.漁村の復興に向けて

調査を行った時点(2013 年 7 月)では、地区内に仮設住宅が 30 戸あり、まだ完成していなかったが、

住宅建設も始まっていた。高台移転するのは 8 戸である。

多くの被災地では、住民流出が地域問題となっているが、泊浜地区では、3 戸程度の流出に止まりそ うである。

泊浜地区は、漁業世帯率が高い漁村であり、ワカメ養殖を営む若い漁業者も多い。そのことから、漁 村の復興への思いが強く、決断が早かったため、泊漁港の整備も歌津町の中ではもっとも早かったとい う。

しかしながら、調査時点で、カキむき処理場の復旧計画が決まらず、カキ養殖を営んできた漁業者の 中には養殖を断念する者も出ている。カキむき処理場は、共同利用施設であるが、再開者が少ないと自 己負担が多くなるため、そのような状態では再開の判断に悩む者がより決断しにくくなるという構造的 問題が生じる。牡鹿半島や唐桑地区などカキ養殖が盛んな漁村では、こうした問題があまり浮上するこ と無く早々とカキむき処理場の復旧が行われたものの、ワカメ養殖が盛んな泊浜地区では、それ以外の 漁業・養殖業に関して、こうした共同利用施設に関わる復旧の課題が表出するのである。

泊浜契約会は、海面に保護区を設けて収益事業を展開して、生活のコミュニティーを維持するための 役割を発揮してきた。だが、本調査が行った範囲では、実際に海面を利用しているにもかかわらず、契 約会と漁村内の生産のコミュニティーとの関連が見つからなかった。漁村集落の自治機能としてはあく まで「暮らし」「生活面」に関わるところだけだと思われる。

とはいえ、漁村復興は、仕事・生産面と生活面の両面から果たされるものである。本調査は、「結い」

「講」と呼ばれている伝統的な共同体に注目したが、それゆえに「暮らし」「生活面」の共同体の内容が 強く出たかと思われる。このように生活面に注目することも重要だが、それとは別に、生活のコミュニ ティーと生産のコミュニティーが漁村の中でどのような関係にあるのかを確かめていく必要があろう。

もちろん、過去の関係ではなく、今日的な局面においての関係である。このことは、これから進む、集 落移転を考える上で重要だと思われるからである。

8.おわりに・・・・今後の課題

周知の通り、漁村集落の復興についての調査研究はあまり進んでいない。そこで、繰り返しになるが、

最後に本調査から得られた今後の課題を列挙しておきたい。

第一に、漁業世帯率の高低や共同体の形成の違いに漁村集落の対応に差異が生じるという点である。

本調査の対象とした泊浜地区は 95%と極めて高い漁村である。そしてすべての世帯が契約会に属してい

た。一方で、他の契約会の詳しい現地調査を行っていないが、市街地化している伊里前契約会はそうで はないようである。漁業世帯率と契約会の組織率を指標にした見方であるが、両者の漁村集落の共同体 には差異が想定される。このことが漁村としての集団的対応にどのような対応の差異があるのかなど考 察する課題が挙げられる。

第二に、泊浜契約会のように共同体がしっかりしているとは言え、その中で意欲的な漁業世帯とそう でない漁業世帯の関係が生産面でどのような関係になっているかである。本調査ではその点については 掘り下げることはできなかったが、地区内には漁場利用をめぐり対立があることはたしかである。これ は当地区に限ったことではない。そのことが、生活のコミュニティーのなかではどのように処理されて いるかである。他の被災地では、漁場利用をめぐり漁民が分裂し、いがみ合う関係になってしまったこ とから、生活のコミュニティーまで分裂が及んでいるところがある。

漁村内の世帯間関係は簡単には把握できない。しかしながら、そのことを踏まえないで漁村計画が打 ち立てられて、漁村内の世帯間関係を悪化させる、あるいはより悪化させることもあり得る。生産面、

生活面そして防災面からも、漁村には一定の共同体機能を残す必要がある。もちろん、その共同体は従 来的な共同体かもしれないし、現代的な共同体かもしれない。そのことも含めて総合的に漁村の共同体 機能を研究していく必要があろう。

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