大日本航空輸送会社についての報告書 1944年3月22日
筆者註:この報告書は青本には収録されていない。 筆者が三輪先生に依頼し特に国立国会図書 館憲政資料室のマイクロフィルムからコピーをとっていただいたものである。
大日本航空輸送会社は日本における政府支配の商業用航空会社である。 シュンペーター (「日 本及び満州の工業化 1930年−1940年」 の著者) によれば、 この会社は1939年に1億円の授権資 本金で設立された。 そのうち3720万円は日本政府によって出資予約されている。 払い込み済み 資本金は3380万円であり、 そのうち1250万円が政府出資であつた。
同社は在ニューヨークの日本の貿易商社を通じて下記のごとく買い付けた。
このうち$4421555−は40機の飛行機購入費であり、 残りの$1000940−は殆どエンジン、 エ ンジンパーツと諸材料に使われた。 船積は順調にすばやく行われた。 購入された飛行機は以下の 40機である。
日本商社のファイルから明らかなことは、 この会社は多くの−2型飛行機を1937年以前に ダグラス社より購入して運行しており、 またライセンスを持っていた中島飛行機の生産によるも のを購入していた。 1938年には立川飛行機によって製造されたロツキード14−3の購入を計 画していた。 米国から購入された多くの飛行機は、 実際には日本帝国陸軍または海軍によって購 入され支払われたものである。 (中略)
1937年8月26日付の三井ニューヨークから東京への電信にいわく、
ダグラス社はバイヤーの名前として中島飛行機または日本航空輸送を使用することを強く要 三 井 $3091723−
大 倉 2327329−
安 宅 3443−
合 計 $5422496−
14機 ダグラス −3
1機 ダグラス −4
25機 ロツキード 143 計40機
求している。
(中略) (筆者註:ダグラス社としては日本軍に直接売却したという実績を残したくなかったので あろう。)
25機のロッキード14−3飛行機の注文は立川飛行機の名前で注文された。 しかしながら大 倉のファイル11560と11650は、 飛行機は日本航空輸送に使用されることを明示している。 立川飛 行機はこの飛行機の製造権利を取得し、 少なくともこのタイプの10機が日本航空輸送のために生 産されたことをファイルから読み取れる。 (後略)
1. 三井オーダー (省略) 2. 大倉オーダー
(筆者註:16件あり、 目を引くものはロッキードタイプ143輸送機5機$491515−と20 機の同型飛行機$1532800−である。 注文は上述の通り立川飛行機を通している。 これに よると25機は合計$2024315−になる。 一方後述の神田大佐覚書では20機$1981110とし てあるから、 ここに書いてある5機491515−を加えると25機で$2472625−となる。 また 次表では25機$1942862−となっている。)
別2 報告書番号NY321
立川飛行機株式会社に関する報告書
(筆者註:この報告書は青本に目次のみ記載されており、 本文が落丁したものであるが、 三輪教 授がマイクロフィルムからコピーして筆者に渡されたものを用いた。)
Ⅰ. 序言
立川飛行機は日本陸軍航空の中枢神経とも言うべきものであり、 陸軍航空造兵廠立川支所の近 くに位置していた。 同社は陸軍の航空機工場であるといわれるほど陸軍と密接な関係を持ってい た。 1939年の従業員は1万人であった。
1937年から1941年12月の間に米国から購入した商品から、 立川がその活動を飛行機の機体 (エ ンジンを除く) の製造と組み立てに限定していることが分かる。
立川はロツキード製 14エレクトラの製造ライセンスを取得した。 (この飛行機は) 軍需用 にも適した高速の商業輸送機であり、 多数のこの輸送機が日本航空輸送会社のために製造された。
同社は半官、 半民の独占的な商業エアーラインである。 立川はまたロツキードが製造したこの飛 行機を、 多量にこの会社と日本陸軍のために買い入れている。
1937年1月1日以降、 日本の貿易商社を通じて米国から購入した商品は次の如くである。
(中略)
注文の大部分は大倉商事によって扱われた。
25台ロッキード14型輸送機 $1942862−
航空機部品及び材料 945134−
一般機械及び工作機械 217864−
合 計 $3105861−
これらの数字は大倉商事が他の貿易商社に比し立川と最も親密だったことを示している。
両者の関係は大倉商事東京の1937年12月29日付ニューヨーク支店宛手紙から、 ある程度読み取 れる。 (注文ファイル番号11718)
「この際貴方にお知らせしておくが、 ロッキードタイプ14−3の製造ライセンスを、 貴方 の思いもよらぬ非常に破格の値段で立川に提供する真の意図は、 立川はわれわれの関連会社であ ることによるものです。 貴方ご存知のとおり、 我が社の門野重九郎氏 (カドノチョウクロウ) は 立川飛行機の社長であり、 常務取締役横山氏は陸軍航空局を退職した元将軍であり、 堤氏は大倉 を代表する常務取締役であります。 貴方はこの件にかんする我が社のポジシヨンをよく知ってお いていただきたい。」
(筆者註:大倉合名が大倉鉱業に吸収合併されて大倉組総本社が発足した昭和18年3月に、 大 倉組総本社規定が作成された。 その中に 「大倉組総本社の統制に服すべき直系・傍系各社及び役 員を選出せる投資会社の範囲ならびにその役員の義務」 という一項がある。 この項は1) 直系会 社Ⅱ) 傍系会社Ⅲ) 投資会社の仕分けを行っており、 その中で立川飛行機は投資会社 (大倉直系 の会社または傍系の会社が投資し、 役員を送り込んでいる会社。) の範疇に入っている。 投資し た大元は大倉商事であり、 立川飛行機は払込済資本金3125万円、 そのうち大倉商事出資額は375 万円12%と記載されている。 これにさかのぼる昭和15年3月末決算書の記載では、 立川の払い込 み済み資本金は1675万円、 大倉商事の投資額は250万5千円で15%となっている。) (拙書 大倉 財閥の回顧 非売品、 平成14年 433、 469、 500頁参照)
Ⅱ. 出版物から得た情報の要約
立川飛行機は1924年に設立され、 石川島飛行機と名乗っていたが、 1936年に現在の名前となっ た。 その授権資本は1937年の400万円から1941年に2500万円 (内払い込み済2200万円) に増加さ れた。 主要な工場は立川町に創設されたものであり、 1937年から大拡張された。 そして砂川の新 工場は重要な位置を占める。 (後略)
Ⅲ. の機器の設置 (省略)
Ⅳロッキード 14 −3
立川飛行機は米国のロッキード社から買ったロッキード14型飛行機を組み立て、 飛行させるこ とに従事した。 ファイルによれば、 ロッキードからこの飛行機を30機買い入れた。 最初の5機は ビーチ飛行機会社ウイチタ、 カンザス州を通じて日本航空輸送によって注文された。 第二の注文 (注文番号11560) は20機で1937年11月15日に大倉商事がロッキードから独占的な代理店契約を取 得したのちに決定された。 大倉は1937年11月4日付東京からの手紙にあるように、 最初満州航空 へ納入するものと思っていたらしい。 その手紙は、 更に満州航空は日本陸軍と特別な関係を持っ ており、 多くのユンカースJU88飛行機を満州とドイツの経済協定により購入しようとしていた
大 倉 商 事 $3066332−
三 井 32039−
安 宅 3978−
山 武 3511−
合 計 $3105861−
ことを示している。 のちにロッキード製飛行機は立川航空機に引き渡され、 日本航空輸送を通じ て運行のため、 日本から満州航空に引き渡された。 しかし陸軍航空本廠が神田大佐を通じて航空 機の代金を支払っており、 この注文は陸軍によるものであることが明らかである。 (下線は筆者 による。)
(筆者註:) 神田大佐と大倉商事がニューヨークで交わした覚書によれば支払条件は次のよう になっている。
「第6条:購買品の代金は外国貨幣を以て定め本契約締結の際その二分の一契約品完納後概ね 二週間以内にその残額を支払うものとする。 前項の代金は左の換算率により円に換算し支払うも のとす。
前払金
本契約締結当日横浜正金銀行に於て公表しまたは証明せる電信売相場による。
後払金
物品完納当日の前項相場によるものとする。」
(筆者註:覚書は広島修道大学落合教授の発掘資料見による大倉の文書から引用した。)
ロッキードの従業員パーカー航空士とアップシヨウ機関士が、 航空機の日本への最初の出荷に 同行した。 モデル14エレクトラ (筆者註:ロッキード14−3飛行機のこと) の製造権利は、
大倉を通じて立川飛行機に渡された。 4500ドルの追加費用によってロッキードは完全な製造図面 を引き渡した。 立川の製造権利の取得は日本陸軍の完全な了解のもとに行われた。 第三の注文 (11650番) の5機は1938年3月14日に発注された。 売渡証、 輸出許可申請書、 滞空証明はすべて 立川飛行機が購入者であることを示しているが、 最終需要者は日本航空輸送であることがしばし ば現れている。
同じファイルに大倉東京からの1938年3月8日付手紙があり、 それによれば日本航空輸送は10 機のロッキード14タイプの輸送機の製造を立川に頼んでいる。 立川はその頃に、 この飛行機製造 のための材料と部品を購入するための外国為替割当許可を、 数ヶ月に亘って交渉している。 大倉 商事東京の1937年12月29日付手紙 (ファイル番号11718) によれば、 立川はこの飛行機製造のた めの政府補助金を逓信省から受け取ることになっている。 1938年2月25日付け大倉商事東京から の手紙は次のことを明らかにしている。 当初の計画は20機の飛行機と10個のモーターの資材と機 器を買うことであったが、 日本の外国為替状況は困窮しており、 許可が下りたのは7機の航空機 と2台のモーターの資材と機器を購入することのみだった。 注文は1938年の半ばに行われ、 立川 のエンジニア虎澤氏は1938年はじめにロッキード工場で製造技術を学んだ。 (筆者註:結論的に は20機の輸入ができたわけである。)
Ⅴ. 諸種のコメント
2000トンのファーレル・バーミンガムのプレス (大倉注文11807) は当時ドイツの国籍を持っ たバーミンガムのカール・カンシャーによって立川に据え付けられた。 (中略)
大倉のジョージ神崎はアメリカ生まれの日本人であり、 通訳として (大倉で) 働いていた。
(後略)
Ⅵ. 脚注 1. 省略
2. (前略) 陸軍と立川の間には緊密な関係があった。 一例をあげると大倉東京の1937年10月 6日、 注文番号11533工作機械についての手紙は次の如く書いている。
「われわれは現在この工作機械の輸入について政府の許可申請中である。 それは陸軍航空廠の 支援のもとに行われており 早かれ遅かれ、 間違いなく許可は下ります。」
(筆者註:日本では 「遅かれ早かれ」 というが英語では 「早かれ遅かれ 」 と いうらしい。)
3. 1937年5月4日付け大倉東京の手紙 (ファイル番号31)。
「立川飛行機は訓練用軽飛行機の製造を考慮している。 日本陸軍の慫慂によるもので若年航空 兵の訓練のためであり、 2座席のエンジン50−100を考えている。 (中略) 日本陸軍のニュー ヨーク駐在検査官である本田陸軍中佐は60機のロッキードモデル112を爆撃訓練機として研究し ている。」
4. 5. 6. 7. (省略)
Ⅶ. 注文と照会
1. 大倉注文 立川飛行機
(筆者註:多様な注文があり55件約300万ドル強にのぼる。 主なもの:
20機ロッキードモデル143輸送機 $1532800 5機の同型飛行機 $410062−
それらの部品 $125322−
7機の航空機用、 部品 $94540−
ライト・サイクロン・エンジン 12基 $135781−
などが目立つ。)
2、 三井注文 3、 安宅注文 4、 山武注文 5、 大倉照会 6、 高速機関工業の注文 (省略) 以上青本第二巻終了。