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誠  司

ドキュメント内 『宗教研究』179号(37巻4輯) (ページ 39-43)

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卜 /     ラ  の 仏身論 

  

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八 かように事業ベ タ由 H@ ︵Ⅱの︶が広大であるから︑ 仏 は 遍満すると云われる︒そしてまさに彼は滅尽 しないから︑常住 

であるとも説かれる︒Ⅴ︵第十一喝︶ 

このように前述の道理によって︑一切処に︵ 受 用 ︐変化二見としてし顕現して利行をなすことが 広大であるから︑ 

また相続して輪廻のある限り住しても︑世尊は 滅尽しないから︑順次に仏は遍満し・常住である ︑と云われる︒﹂︵ ︐ ︶: 

この前文と註釈の意味は・要約すれば・ 智 法身は ︑ ㈲個々の 捻伽 行者の相続の中に在っても・ 受 用 ・変化の二 身と 

して顕現して為す利行が広大であるから︑かつ 又 ㈹刹那生滅するものであっても︑相続無尽であ るから︑順次に 遍 

満 ︑常住である︑ということである︒この解釈 の中︑智法身が 楡 加行者の相続の中に在りかつ 刹 邦 生滅する︑という 

如き解釈は︑理智不二の法身を説く摂大乗論等 には見出し難い︒この点は︑むしろ 理と 智を分つ 理を自性 身 即ち 

法身に・智を自受用身に配する 1. 成唯識論の 所説に類似している︒即ち成唯識論は自受用身の 性格について次の如 

く 説いている︒ 

け ﹁四智小品所依常政 無 ︐ 断尽ぺ 枚方 説為 ︒ 常 ︒ 非 :自性 常 ‑ 従 ︒園生致︒生者 帰 ︒ 滅 一向 記故 ︒ 不 ︒ 見 ︐色心 非 :無常 ‑ 故 ︒ 

然 四智見︑由:本願力 ‑ 所化有情 丑 ㍗尽期 ‑ 故 ︑窮 :未来際 荻グ断無 ︒ 尽 ﹂実正三一︑五セこ 

㈲﹁四智 品中 真実功徳︑ 鏡智所 ︒ 起常遍 色身︑ 摂 二目受用 ご ︵同五八上︶ 

㈲﹁ 又 受用身 摂 : 仏 不共有為美徳 り故 四智 品 実有 色心 皆 受用 摂 ︒﹂︵同五八 

これらの文によると︑ 自 受用身は・真実の心 即 ち 四智見と真実の色とから成り︵二︑三︶︑そし て 因縁生のものと 

して無常である二︶︑しかし︑所化の有情が無 尽期であるから無断無尽である二︶︒名称は自 受用身と法身と異な 

っているけれども︑この成唯識論の所説は︑ハリ ドラ のそれと同一趣旨である︒ 

次に︑法身 乏 その事業︵ Fw ︵ @ 片 hp ︒ カリ ︵ ヨ ︒ くせゆ で ひ さ ︶との関係について 楡伽行 派の所説と比較著 察しておこう︒ 

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法身が事業を有することは・前掲の法身の定義 の中にも説かれていたが︑なお﹁論 項 ﹂第三十 口 第四十個 一十 

セ 種の法身の事業が列挙される︶の前文に ︑次 の 如く定義されている︒ 

﹁世俗上︵ お ち 屯ぢ︑智 ︵法身︶そのものが︑ 受 周易等として顕現し生じて利行を為すのである から︑それ︵ 智 

法身︶の増上 力 ︵ どアゃ pa ︵ せゅ ︶に基づいて得られ た 所の︑所化たる衆生の顕現に関係する︵ 占宙 し ︶諸事業が ︑法 ︵ 駿 ︶ 身の ︵事業︶である︒﹂ 

と ︒この定義によると︑﹁法身の事業﹂或は﹁ 有 事業の法身﹂と云われる 場ムロ ︑その事業は ︑直 接 的にほ受用・ 変 

化の二身によって為されるのである︒しかし︑ その受用・変化 三 身 は ︑世俗上︑智法身の増上 カ に 基づいて顕現せる 

ものである︒従って直接的にほ三身 が 為す利行 も 根源的には法身の事業である︒と解するのであ る ︒このように受用 

・変化三身の為す利行を法身の事業と解すること ほ ︐摂大乗論等にも説かれている︒たとえば 無 桂秋に次の如く説か 

れる︒ ﹁ 問 ︒如説﹁法身非二八棟 境 一表句合 説 ︒ 盲得 ︐ 眼等 ‑ 能見︐法身 ‑ 為 ︒法身業︑︒ 

答 ︒ 見 ︐法身 ‑ 音曲:音大願 引発 勢力 成 : 満法 専 次第 発 ︐ 起 変化身用 れ由 此能令 ︐官符: 眼等 パ由 : 昔 資糧 引発勢 

力 証 :得法身 ‑ 任運 起 ︒ 用 ︒ 如 :機関 輪以 ︒末席︒ 本 ︒ 言 ︒ 見 :法身 実唯見 ︒ 化 ︒﹂︵大正三一︑四四六丁   

と ︒このように︑受用・変化三身の別行を法身 に 帰して法身の事業と解する点は︑法身の意味 内 容を異にしながら 

も ︑ハリ バドラと楡伽 行旅 は 一致している︒ 

以上が︑自性具より 別立 された︑いわゆる 智法 身の性格の大綱である︒ 

㈲受用身︵のり 旧 ヴァ 牡ォ牛ゅぜ酉 ︶ 

次に・第三の受用身について考察すると・まず ﹁ 論頚ヒ 第十二佑の前文に︑受用身が色身を自性 とし︑かつ相好を 

41  (291) 

  

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㈲変化身︵之が 円 〜 ヨゆ 宮方寸︑ 乙 Ⅱ日豊干 Fp ︶ 笘 ︶ 

最後の第四・変化身についてみるに︑先の受用 身の場 ムロと 同様に簡略な説明しか与えられていな い ︒即ち﹁論 頚ぬ  第三十三偶の前文に︑それが凡夫と共通なるも のであることを説き︑次いで 褐 文を挙げて註釈す る ︒即ち ︑ 

﹁ 八 それでもって生存 中 ︑世界のために平等に 種 々の利益を為す︑その︵ 身 ︶が牟尼の間断なき 変 化身である︒Ⅴ    

   所成  とし︑他方相好を福徳資糧新戒と解してい  6  点も︑それらと一致してⅤ  ︑る ︒︵ 2  6  ︶  受用身の性格である︒ 

        

  

  

      

  

  

  

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一 

︵ お ︶ 備えていることを説く︒そして︑以下の如く 褐 文を註釈している︒ 

﹁ 八 この三十二相と八十種好とを本質とするもの が ︑大乗を受用するから︑牟尼の受用身である ︑といわれる︒Ⅴ 

‑ 第十二 %‑ 

この三十二相と八十種好とを本質とするものが︑ 十地に入れる大菩薩とともに大乗の法を受用 す るという最勝にし ︵ 6 5 ︶ て 過失なき 喜と 楽を享受するから︑伝世尊の受用 鼻 である ピ  と ︒これと同一趣旨のことかコ大話伽第一章の中 にも述べられている︒そしてそこで は ︑受用身 が ﹁無量の福徳資糧 ︵ 7 5 ︶ によって 積集 された相好でもって輝ける身体を有 するもの﹂とも説かれている︒ ︵ 只 ミ し @ レ まず受用身が色身にして︑十地の菩薩とともに 大乗の法受用をなすと説く点は︑ 楡伽行 派の所説 と 同一である︒ し 

かし 楡 他行旅のごとく︑受用身を妙観察智の示現 とは なしていない︒また摂大乗論等では・相好 ほ 法身相応の功徳 と 

して受用身には配されていなこの相好を何 れの身に属せしめるかについては種々見解が分れ ている︒たとえば 戊 ︵ 臼 ︶ 唯識論は自受用身に帰し︑︵ 6  ︶ また空性論は三十二 相 のみを説いて・これを受用・変化の二色身に帰 属せしめている︒ 

この ょう に・相好の帰属する身について︑種々の 見解があるが︑﹁ 論頚し 及び釈の如く︑相好を 士カ等の功徳 法と  区別して色身に配する点は︑大智度論や金剛 般 看経論 釈 等と一致している︒そしてまた ハリバド ぅが ︑法身を智資糧 

(292)@ 42 

  

  

  

が卑,    

  曲目﹂ 

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の 仏身論 

  

  

  

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ドキュメント内 『宗教研究』179号(37巻4輯) (ページ 39-43)

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