はじめに
この時期の実践は,大正自由主義の影響を受け,それを発展させていこうとする傾向を 有している。その一方で,昭和10年代に入ると次第に時局の影響が強まり,指導の画一化 が目立ってくる。
その両者のせめぎあいが常に存在したことは、昭和の初期の国語教育の専門雑誌に掲載 された諸論文から窺える。一方,単行本は時局を強く意識しており,大正自由主義からは 距離をおいた形での個別研究・実践の試案紹介が中心となっている。後者の代表は神保格 の数々の著作であり,朗読教育に絶大な力を発揮した。
大正期の流れを受け,児童の表現を追求した実践家としては、柏熊俊司をあげることが できる。柏熊は千葉で実践を開始し,国民学校には私立成城小学校の教師になる。柏熊の
『話し方の指導研究』(東苑書房 昭和10年)においては,聞くことと話すことの融合した 指導へと発展した指導試案が提示された。さらに,児童が表現した話が記録されていると いう特色を持っている。
次に,お話教育の発展としては,池袋の児童の村小学校の実践を峰地光重が『野方話方 教授細目と教授資料』(徳岡優文堂 昭和10年)として著わしている。実験的な私立小学校 という特殊な形態であるものの,お話教育の詳細な記録が残されている。どのようなお話 をどのような形態でどのように指導したらよいのかということが記録された貴重な内容で
ある。
一方,言語学者として既に名高い神保格は,話しことば教育に関係し,教師に対する指 導書を多く著わしたことは注目に値する。また,児童への朗読指導を理論的におこない,
実技指導も実践的にもおこなったと推察できる,多数のレコードが残されていることも意 義深い。児童の生の声を録音して教材として用いたことは特筆すべきことである。一般の 教師にとっては,標準語を話す児童によるレコードのような模範朗読が,一つの指導の指 針になっていたことであろう。
とりわけ,音声に関する関心は,特に時局との関わりから標準語指導として次第に高ま りがあった。ラジオのアナウンサーの話しことばが重視されていったのである。昭和6年 前後には上田万年,岡倉由三郎,東条操,新村出,そして国語教育と深く関わりを持った 先の神保格などがラジオのアナウンサーに対する講師として指導にあたっていた。特に神 保格は,国語教育の立場から,国定の国語読本の音声化に際しての文章の読みぶりに関し て,詳細な記述を残している。音声化の方法を統一するために誰が読んでもわかりやすい ような文字表記の仕方なども工夫しており,神保格の朗読教育に関する関心の高さがうか
がえる。
一方,当時は各地域で,国定国語読本の読みぶりを示すもの,児童が直接レコード録音 に参加したものが,発売されていた。
ラジオ聴取により,直接,音声言語に触れることが可能になったことは,さらに話しこ とばの教育を推進することとなったのである。各地域の番組の中に,児童向けの楽しい番 組が存在し,その中で児童の綴り方の音声化や国語読本の朗読指導が放送されていたので
ある。結果として,次第に音声としての話しことばを重視する全国的基盤が培われていっ たのである。
第一節 前期からの話しことばの指導の発展と継承
(1)昭和初期の社会状況と話しことば指導
前後の時代に比して,不振であったとされる昭和初期ではあるが,新しい実践者の存在 が皆無であったわけではない。全国的な実践雑誌に,昭和初期の話しことば教育に関する 実践は散見するのである。野地潤家は「昭和初;期,とくに昭和5年(1930)ころから昭和11 年(1936)ころにかけて,話しことばの教育面では,注目すべき成果があいついでまとめられ た。」(『話しことば教育史研究』門門社昭和55年 p648)と評価している。
なかでも,管見の限りではあるが,全国的な実践が掲載されていたものは東京高等師範 学校附属小学校の雑誌『教育研究』と千葉春雄主幹の雑誌『教育・国語教育』である。
『教育・国語教育』は昭和6年,千葉春雄の主幹で始められた,昭和初期に誕生した雑 誌である。当時は,昭和初期の生活綴方の唱道と,大正期の純文芸的な精神という二つの 対照的な流れが存在した。これらとのかかわりから,郷土読本や地方ごとの鑑賞文選など が盛んになりつつあったこの時期に,千葉春雄は対照的なこれらの流れを統合する雑誌の 発行を目指したのである。
心ある実践者は,話しことば教育をも含め,一方的な教授型から学習者を尊重するもの へ,知識偏重から生活経験の重視へという方向を模索しはじめていた。雑誌『教育・国語 教育』は,そういった意識に支えられた数少ない雑誌の一つであった。しかし,昭和12年 5月31日に文部省の『国体の本義』が刊行されて以後,次第に教育会にも皇国主義の強大 な力が及ぶようになる。その結果,この雑誌も次第に目標の画一化の様相を呈し,思想統 制としての役割を担う国語教育雑誌へと変貌していくことになる。
しかし,そのような限界を持ちつつも,現場の実践者の要求に応じた特集を次々と企画 した。その中には話しことば教育も扱われていた。
昭和9年の増刊号「国語教育の方法学的研究」中でも話しことば教育の項目は取りあげ られており,国語教育の領域として明確に意識化されていたことがわかる。内容的には,
神保格,東條操,小野直,中野佐三などによる言語解説が多くを占める。いまだ理論的な 解説の域を脱しえない段階にあった。
一方,同雑誌の論考をまとめた読方教育実践叢書のシリーズの三巻目に昭和9年11,月発
行の『話し方・聴き方教育の野際研究』(厚生閣書店)は,千葉春雄が編集にあたり,谷川徹 三,柏熊俊司,蓮佛重壽,下山良治,佐々井秀緒山川胤美,石坂清則,河上民裕,山田 正美,平野武夫の10人による独立講座の形をとっている。ここには,教師の指導法研究の あり方が簡潔に実践に即して,微細に記されているのである。それぞれが具体的な国語教 室の実践を想定しており,話しことば教育を試みることが可能な形態で記されている。
その中に,「話聴教育の重要性とその實践機構」を平野武夫が執筆している。これは,316 ページから367ページもあり,図解が多様に用いられた実践論文になっている。この中で,
次のような技能的陶冶目標の図解がある。(p.341)。当時のこの方面の指導のねらいを示す 雛形として提示されている。
なお,ここでいうところの陶冶に関しては次のように述べられており,技能との密接な 関係を読み取ることができる。
話聴教育の一面が,自己の思想感情を外的に投射して,これが自己を離れて存在し 得る客観的存在となす自己表現にあるとするならば,その活動は明かに創造の活動で
ある。これが陶冶は即ち技能陶冶である。勿論こSでいふ技能の陶冶は極めて広義の 意味であり、「創造的に外界に発動する一定の堪能」を意味ものなることは既に述べた 所である。(中略)受容→練習による習慣的態度→発動(技能)、之が吾々の精神の無限に
くりかへされる循環運動である。(pp.341〜342)
「技能的陶冶目標」の図
(二 話聴教育の目的 p.341)(注
る。)
以下の図は資料意図を踏まえた有働の作成によ
「一一一形式的陶冶
」 1
實質的陶冶 能力陶冶一一L一生活態度の陶冶
II ll
一一1文化受容一音即言語による ⇔聴三州カー野方⇔ 1日本國膿 l I 思想(文化)の僧門 1 精神酒養
l l 1 2日本文化
話聴教育 1一志下文化T縫承襲展 (談話力) 精神酒養 I I 國民文學」 } 3日本丁語
1 ↓ i 精神酒養
L2文化創造一音聲言語による⇔二子能カー話方⇔ 4日本言語
思想感情の表現 趣味性陶冶
ll 1−1
II
技能的陶冶←一一一一一一一一一一形式的陶冶
さらに指導実践方案が次の図のように示されている。
特筆すべきは、教育指導の内容が「日常談話正確指導」「特殊的言語生活の指導」「趣味 的言語生活の指導」に分類されていることである。取立て指導としては、「特殊的言語生活 の指導」が該当しており、教師が何を指導すべきかが、「発表」「音読」「対話・会話・問答・
討論」など広範囲に触れている点である。さらに、「聴会指導」も含めており、聞くことの 指導にも目配りをみせているのである。こういつた先駆的な実践を試みていたことは,昭 和初期の成果であり,驚くべきことである。
「指導実践方案」の図
(四 話聴教育の方法pp.364−365)
話題教育指導組織1日常談話生活指導2特殊的言語生活の導指3趣味的言語生活の指導
1日常生活指導
「一言葉遣評早見
談話一「一1話者一襲表一 1 教師一指導一一十談話力L2聴者一聴會一一
2特殊的言語生活の指導
「一町方標準見
l r1話者一獲表一一「1取材一「
l l ト2腹案一十「1自作一繰返T・1音讃一_
l l L3話術一 l L2口述(暗諦)一→
I l I L2他作丁1繰返丁1音讃一一一→一「1教師「
l l l l L2口述(早言雨)一→L2見回⊥表現指導
平目 I L2即席一一口述一一 ! ↑ 聴l l 【 1
1 教師一(指導)一一十1質疑磨墨「 「獲表カー一一」 l l ト2感想襲表十一下話・會話丁談話力 I
l L3批評意見」 問答・討論」 L聴會カー「 [ 1 H
L2聴者一一一・「1直観一「 】↓