第三章 話しことば教育の実践の雌伏期
第三節 話しことば指導の事例一朗読指導を中心に
国民学校期の教育政策の根本が皇国民育成であったことは明らかである。もちろん,そ れ以前から皇国民育成のための教育政:策は行われていたが,1941年(昭和16)3月1日付
けの「国民学校令」の発布により,さらにそのねらいは焦点化された。その施行規則第2 条には次のように記されている。
国民野口我が国ノ道徳、言語、歴史、国土国勢等ニツキテ習得セシメ特二国体ノ精 華ヲ明ラカニシテ国民精神ヲ酒養シ皇国ノ使命ヲ自覚セシムルコト(注1)
まさに、「皇国の使命」を第一義のこととして全ての教育が遂行された。国語科もまた,
次のように認識されることとなる。
皇国の道は種々の形相に表現されている。然し最も多く表現されているのは言語で ある。言語によって皇国の道を明らかにするのが国民科国語である。(注2)
こういつた言語認識を,戦前の皇国史観そのものであるとみなすことはたやすい。しか しながら,その今日的な意識をふまえながら,国民学校期にどのような教育の実態があり,
どのような可能性が展開されたのかを解明することこそが意義深いことになる。ブランメ ルド(注3)のいうように,今日の日本の話しことば教育を考察するためにも、通過しっっ
ある文明史の本流を相対化しつつ事実を見る必要がある。
たとえば,この時期に明治以来ほとんど前面に押し出されることのなかった国語科の音 声言語領域が,にわかに着目された経緯を,どのような史的な反省を込めて捉えればよい のだろうか。無論、国民学校期の資料性に対する疑義もあり,文献資料のみが事実を語る ものではない(注4)以上,今後はいわゆる聞き書きなども取り入れた調査手法が検討され ることにもなろう。従来の研究意識とは異なった枠組みが求められているのである。一方,
教育界では国際化のスローガンのもと音声言語の指導が脚光を浴びているが,過去の日本 において,国語教育との関連性が問われつつ,音声言語に着目した植民地での日本語学習 が話題となったのもこの時期なのである。(注5)。
つまり,国民学校期に関しては,時代的な限界性があるという声,また、過去の反省よ りも現在の日本語の国際普及を考えるべきという国語教育学以外からの指摘(注6)などに より、研究対象からはずされた遠い時代として規定されがちであった。とはいえ,今日で は,近代日本の言語認識および日本帝国の歴史的展開からこの時代を読み解く試みも言語 社会学の領域などで開始されてきているである(注7)。こういつた動向を見る限り,史的 な意識に立脚した,新たなる時代の読み込みが期待される。
以上の状況認識を踏まえ,本節においては,特に朗読の指導に着目して話しことばの指 導の自己表現に関する考察をおこなう。(注8)
(1)西尾実の話しことば指導の意識
西尾実は,1938年ごろから,国語教育における言語活動に対する目配りの重要性を説い ている。西尾の言語教育は,日常生活の中での地盤領域としてとらえるところにその特色 があった。まさに生活そのものの問題として,言語をとらえ始めていたのである。加えて,
それを学校教育のなかにいかに具体的に置き換えるのか,という問題にも言及している。
たとえば,従来の文字そのものを言葉とする考え方に対して,「音声語、身振語、行動語、
黙語を含んだ国語」といった意味を伴う,すなわち非言語をもその視野にいれた行為とし て説く新しさを持っていた。いわば,「言語、非言語といったものを統合する言語意識」を 提示しているのである(注9)。まさに,国語として何を扱うべきかという言語観を明瞭に 示しているのだが,注目されるのは,非言語をも対象とすることに加えて,「行為としての」
言語,あるいは,「活動としての」国語という意識である。これは,生きたことばに目を向 け,能動的なことばをも対象として国語を捉える姿勢を提示する。とりわけ,いち早く国 語教育の目的として「聞くこと,話すこと,読むこと,書くこと」の必要について述べて いる点は注目に値する(注10)。
また,西尾が「はなしことば」について強い関心をもったことの契機に1939年(昭和1 4)、日本語教育の視察のおりに幸臣学校教授として日本語教育の実践をおこなっていた山 口喜一郎との運命的な蓬遁がある(注11)。こういつた事情とも相まって,国民学校令施行 規則が公布された直後に,西尾は文部省嘱託という立場からかなり直載な主張をおこなっ ていく。とりわけ,音声言語との兼ね合いから言語観に言及している点が注目される。
近年,話言葉とか音声言語とかいふ言葉が用いられるようになり,これまで,書き 言葉のことであり,文字言葉であった惰性を破って,新しい見方は行われるようにな って来たことが喜ばしいことである。…中略…国民学校の国民国語も,一見ヨミカタ を出発点として話方を訓練しようとしているかに思われる。しかし,その本旨はさう でなく,むしろ話方の到達点として訓練しようとしたもので,これは話言葉の基準を 示したものと解すべきであろう。(注12)
ここではいまだ話しことばと音声言語との明確な弁別に至っていない。しかしながら,
これに続けて話しことばも国語で取り扱う「言語」なのだということを明言している。換 言するならば,文字言語と音声言語との両面からの国語の教育の価値を提唱したことにな
る。つまり,共時的な生きたことばを国語教育の対象として取り扱うことを示唆している のである。
後年,西尾が,国民学校期の時代を回顧して,時局に対しては「国語教育なることにお いて果たされる皇国民思想教育」に対する抵抗が国語科教育そして社会科教育にあった,
と吐露していることは興味深い発言である(注13)。教育のねらいとしては皇国民の育成を 謳いつつも,言語の教育としてのこだわりが存在していたと理解することができるからで ある。西尾は当時の実践状況に関しても,「現代における青少年の掛け声として生かす朗読 教育として実施しようとしていたことにも示されている,一種の革新的気運の拾頭してい た」ことが起こっていた,という述懐をしている。
では,実際のところ,今日の国語教育学で言われるところの朗読指導とは,どのような 点で位置づけが異なり,具体的指導においてどのような特色がみられたのか。先の国民学
校令施行規則において,「日常の国語を習得せしめその理解力と発表力とを養い国民的思考 感動を通じて国民精神を酒養するものとする」と規定されていたことが問題となってくる のである。
そこで,戦意高揚運動に利用されたとする「朗読」(注14)に焦点をあて,指導のありよ うに具体的に目を向けてみることとする。
(2)読むことの指導と朗読の指導との融合一田中豊太郎の試み
今日残されている具体的な朗読指導の資料は極めて乏しい。その中で,私立小学校にお ける特殊な実践形態については以前に考察を試みた(注15)。本節では,公立小学校におけ る朗読指導に絞って言及することにする。
具体的には,東京高等師範学校附属小学校訓導であり,雑誌『国民教育』にもたびたび 寄稿し,昭和16年に『国民学校国民科読方指導』(注16)『国民学校国民科話方指導』(教 育科学社)の著書を著していた,田中豊太郎の主張をたどってみることとする。
田中の主張の独自性は,朗読の位置づけを読み方指導の到達点とし,総合的な享受法を 目指していたことに端的にあらわれている。田中以前にも,日下部重太郎や大西雅雄らの 著作において,音読や朗読は盛んに取り上げられていた。しかし,田中はこれらの著書か
らは引用を殆ど行わない。それよりも国民学校の施行規則に則って,指導先行型の朗読指 導の方法論を主張しているところに特徴がある。
田中は,読み方指導との関連から,朗読というものを味読の位置に置いている。先ず通 読,次に精読そして味読という段階的な指導意識である。そして,最終的な指導に朗読を 位置づける。ところが,それは読みの多様性ではなく,あくまでも享受の方法としての位 置づけであり,言葉の意味の理解における読み手の個別性には触れてはいない。この点は 重要である。そのことは次のような記述に端的に示されている。
したがって,朗読を重んずることは,すでに精選されている文章,精選された言葉 を通して,自分が理解し,鑑賞した心持を,それらの文字・語句・文章を通して表現
しているものであるとみたいのである。(中略)かういふ意味で朗読をみて行くと,朗 読は人の書いた文章を読むことであるけれど,また自分の知識,自分の感情,自分の 理解,自分の鑑賞を表現して行く言葉にならないとも言へるのである。即ち,朗読は,
普通に文の内容を習得する,或いは文を味わひとるといふ習得のものでなく,表現者 の立場に立って読むいふことである(注17)。
テクストと読者との一体感を重視し,いわば表現するという心持ちという感動体験を前 面に押し出した読みが提示されている。読むことは声に出すことと直結され,「表現者」と 一体化することが目的となり,解釈の画一化につながる危険性を備えている。教材に対す る読み手の個別の解釈は排除され,朗読という手法が教材に対する読みを単純化し,能率