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第2章  人文・社会諸科学の視点による「みる」行為の位相

第2節 記号学的な視点から

分節化して「みる」

 前節においてカテゴリーによる視覚情報の処理方法については、本節に繰り越した問題 である。認知心理学で言うカテゴリーによって「みる」ということは、ある価値を基準に 切り取っていくということと考えられる。このような切り取っていくという作業を記号学 で言う「分節化」と捉えることができるのではないだろうか。

 ならばわれわれはどのようにして「分節化」を行って芸術作品を「みている」のだろう か。まず一つの絵画をカテゴリーによって「みる」ということはから考えていくことにし よう。たとえば深緑色に塗られたキャンバスの中に赤い円と白い円が多少の濃淡がつけら れた状態で重なっていたとする。それらを見たわれわれは赤い円を林檎、白い円を磁器の 皿、そして深緑の地をテーブルクロスという認識をする。つまりそれぞれの形体を言葉に 置き換えて認識している。

 このように、われわれは作品の中の要素を言語と関係づけながら「みて」いる。それは 芸術作品というものも、「言語の網(=形相)を投影させない限り、どこに区切りを入れ ようもない連続体であって、それ自体は体系とは無関係な存在であり認識し難いもの」

       (8)

だからである。

 また色についても同様のことが言えるだろう。 「赤という色の知覚は、700ナノメート ル付近の波長をもった光を目でとらえた結果」であるが、それにわれわれは「赤」という 言葉を割り当てる。したがって、そこにはさまざまな「赤」が含まれるのである。また

        (9)

「現実の視覚世界にある赤く見えるものからくる反射光は、決して虹の赤色のような単純 なスペクトル光ではなく、青や黄色に対応する波長成分を含んでいる」 。したがって、

      (10)

われわれが「赤」と呼んでいる色は無限に存在しているが、とりあえず「赤」という言葉 によって「白」や「深緑色」と区別し「分節化」しているのである。

関係において「みる」

 われわれのただ一つのものだけを「みる」ことはできず、必ず関係を伴って「みる」行 為を行っている。したがってひとつの作品であれば、その中にある個々のモチーフとモチ ーフ、モチーフと地、モチーフと描かれた空間、作品とフレームというようにその関係を 通して認識している。

言語において個々の語はあくまでも全体に依存しており、その大きさはその語を取り巻 く他の語によってしか決定されないように 、美術作品においても、描かれたモチーフ同        (11>

士の関係つまり差異対立関係によってわれわれは「みる」行為を行っているのである。

それでは差異対立関係において「みる」ということは、どういうことなのだろうか。先 に挙げた例で言うと、赤い円は林檎であり、白い円は磁器の皿であるというように、形体

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と言語とを関係づけていることが考えられる。この場合、形と言葉とを関係づけながら  「何が」描かれているのかが判明する。しかし林檎だけを見ていては、それが皿の上ヒあ るのか、テーブルの向こうに落ちているのか、宙に浮かんでいるのか最後まで分からな い。そこには林檎が「どこに」あるのかを解明する手がかりが必要であり、このような手 がかりが「みる」対象のコードなのではないだろうか。この場合、テーブルや床や皿との  「重なり」や「陰影」などを手がかりに、それぞれのモチーフの空間的位置関係を解読し

ていくことができる。絵画という二次元の世界から、三次元の世界を「みる」主体の内側 に再構築するためには、このような「みる」対象のコードを発見しなければならなくな

る。

 芸術作品をめぐって、他にさまざまな関係が存在すると考えられる。例えば目の前の作 品と同じ作家の他の作品との差異対立関係について考えてみることにしよう。この場合、

作家は「おなじ」であるが、作品が描かれた時間や主題は「ちがう」のである。したがっ てどの作品にも共通する要素、例えば筆致や色使いなどが「おなじ」という前提のもとに

「ちがう」要素が探し出される。この「おなじ」要素が、 「みる」対象のコンテクストに あたるのではないだろうか。この場合であれば、作家の持つ傾向性を前提に、それぞれの 作品としての独自性を読み取っていくのである。したがって「みる」主体は、作家の持つ 傾向性を「みる」対象のコンテクストとし、無意識であるにせよそれらを踏まえた上で

「ちがい」を亡い出していくのである。

 このような差異対立関係を使って「みる」ことによって、数々の芸術作品を構造化しな がら「みる」ことができる。先に挙げた例のように一人の作家、あるいは作家グループ、

時代、ジャンルというような位置づけができる。このようなカテゴリーによって構造化し ていくことは、合理的に「みる」行為行っていると言うことができるだろう。

 したがって、対象を「みる」主体との関係において「同じ価値を持つものとして、そし て同時に他の一連の対象なり現象とは異なる価値を持つものとして、意味づけていく」

       (12)

ことが「みる」行為なのである。

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第3節 芸術学的な視点から

 学校教育現場において鑑賞教育は「見方が分からない、知識がないから」 (教師Y)と敬 遠され、時には「ガタガタとこの線がどうたら分からんくせに言うてもしゃあない」 (教師 T)、あるいは「子どもにとったら、それがどうしたんや」 (教師E)と一蹴されてしまう

こともあり得る。これを教師たちの無関心的態度と結論づけることは容易であるが、むしろ あるアポリアに教師たちが気づいたためにこのような反応を示したと言えないだろうか。そ れは「みる」行為が現在形であるのに対し、「みる」時点では「つくる」行為は常に過去形 であるというアポリアである。このアポリアが芸術学において解決される道筋を検討してい くことによって、 「みる」行為が芸術学においてどのように認識されているのかを解明して いくことができると思われる。

芸術学の流れ

 芸術という考え方そのものは、ルネサンスの頃に始まり18世紀にようやく熟したといえよ う。18世紀も末になると勤勉を尊ぶ産業社会の小市民たちの間で、芸術はいわば美徳の仮疸 をつけた快楽となり、産業社会の発展と正比例して一般化されていったと思われる。英語の artやドイツ語のKunstがそのまま「芸術」を意味するようになったのもこの時期であり、

一言でいえば、現代人が「芸術」という言葉で思い浮かべるいっさいの通念が産みだされた のが19世紀であった。けれども美徳と快楽は本来対立する観念であるため、小市民の中でも さらに美徳派と快楽派とに分かれたのである。美徳と快楽というように芸術はその役割の単 純化を求められたが、そのことは芸術を本来あいまいな性格をもつ実生活というものとの対 立とへと導く結果になった。つまり19世紀が、 「芸術」と「人生」とを対置して考える二五 論を産む時代となったのである。

      (13)

 このような「芸術」に対する概念の形成と並行して、美学あるいは芸術学が近代の学問領 域においてどのように展開してきたのであろうか。

 バウムガルデン(A.G. Baurngarten)の『美学』の後1760・70年代の「シュトゥルム・ウ ント・ドラング(Sturrn und Drang)」運動において、美や芸術の非合理性、天才によ る創造性の自覚は一挙に加速した。やがて芸術の自立性を基礎づけると同時に科学や道徳に 対する芸術の体系的関連を明らかにし、美学を確立したのが批判主義の哲学者カント

      ロご(Kant 1724−1804)である。カントにとって美や芸術を問題にする美学(Asthetik)と は、バウムガルデン以来の感性論でもなく、美の客観的な学でもなく、 「美の批判(Kritik

)」でしかありえないという主張を基盤としたものであった。非合理的で主観的に思われる 趣味とか美的感情の中に普遍的あるいは一般的な性格を明らかにできるかという当時の課題 に対して、美の学としてではなく「美の批判」という形で趣味のア・プリオリな原理を発見

し、この課題に解決の糸口を見い出したのである 。       (14)

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 19世紀に入りドイツ観念論美学が実質的には芸術哲学となり、人間の創造的精神による芸 術の美こそ真の美と考えられ、すぐれた哲学的省察が産み出された。しかし19世紀も末にな

ると思弁的・哲学的美学に対する反省から、芸術の本質と美とを切り離して考える芸術学が 一般化されてきた。しかし新しい芸術現象とそれらを説明しきれない古典主義的芸術観はし だいに崩壊し、それに代わって当時の歴史意識の発展の影響を受けて芸術史に対する関心が 芸術学成立の大きな原動力となった。それまでの芸術史研究というと古代ギリシア美術を最 高の芸術と評価する古典主義的芸術観にもとづいて行われていた。またヘーゲルにおいて は、芸術を理念と形態との関係から考察し、芸術そのものの本質と芸術の歴史的発展とが、

統一的に把握されるようになった。ヘーゲルは芸術の本質を美と結びつけて探究したが、そ れに対して、美と芸術を切り離し、非形而上学的な立場から芸術独自の形成作用を基礎づけ ると同時に、近代芸術史の可能性を開いたのがフィードラー(K.Fiedler 1841−1895)で

ある 。

  (15)

フィードラーの純粋可視性

 1841年ドイツのザクセンに生まれたコンラード・フィードラーは、美学が芸術の全範囲 をおおいうるというそれまでの前提を否定し美学と芸術理論を区別した。また「みる」こと と「描く」ことを、精神と肉体、理性と感性というふうに二元論的には捉えてはいない。む しろ「みる」ことから「描く」ことへと発展し得る過程を、同一の一貫した視覚過程として とらえている。別の言い方をすれば、 「みる」ことが本来「描く」ごとを内包している、あ るいは「みる」ことは「描く」ことの不完全な形態と捉えていたのである。したがって、た とえば大空に一文字の雲がたなびくのを、われわれの眼がそれを「みる」ことによって実は 心中ではひそかにそれを「描いて」いるということなのである。フィードラーの非形而上学 的な芸術理論は、後に芸術学の提唱や美術史の源として発展していくことになる 。

      (16>

 当時の「広汎な教養階層」には、芸術が美徳と快楽との混合物としてしか理解されず、ま た「哲学的な主義主張」によって、 「感傷的」あるいは「知識的」といった対立でしか捉え られていなかった。このことを批判したフィードラーの「みる」行為の対する追求は、芸術 の有用性を否定し、さらに芸術のもつ感覚的な刺激をも否定したのである .そしてさらに        (17)

二元論、つまりそれまでの美学から解放し、新たに美学と芸術理論とを独立させることに よって、美術史上にも大きな影響を与えた。

 フィードラーはかの有名な「純粋可視性」について、次のように述べている 。        (18)

 われわれは通常、眼が提供するいっさいの現実素材を、他の領域の心的ならびに精 神的な生活へと持ち込むことに慣れ切っている。しかしながらこの習慣にあえて抵抗

して、われわれが自分の視覚活動を孤立させることができるならば、世界の事物は本 当の意味で可視的な現象なる。このような立場に身を置こうとすると、きわめてはっ

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