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訓練のインストラクター

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―キリスト者の「アート」―

1. 訓練のインストラクター

ヘブル人への手紙を味わう

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る⾔葉です。そのことばは「訓練」ということばです。「訓練」、神の教育としての訓練です。ギリシア語の動詞「パ イデノー」と名詞の「パイデイア」の両⽅が使われています。全部で 9 回。

新改訳・・・・・・・訓練、懲らしめ

⼝語訳・・・・・・・訓練

新共同訳・・・・・・鍛練、鍛える 回復訳・・・・・・・取り扱い、訓練 フランシスコ会訳・・訓練

●⼝語訳を取り上げたのは、「訓練」ということばで統⼀されていて分かりやすかったからです。神の訓練、御⽗

の訓練、これを忘れたり、軽んじたり、ないがしろにしてはならないというのが、今回のメッセージです。

ヘブル人への手紙を味わう

120 うに訓練を与える⽅でもあるのです。

●⼀昔、「巨⼈の星」というアニメがありました。星⼀徹という⽗、そして星⾶雄⾺という⻑男、そして⺟はなく、

姉の星明⼦が⺟親的存在。⾶雄⾺は⽗⼀徹によって、幼年時から野球のための狂気じみた英才教育を施されます。

たとえば、⽣来右利きでありながら箸や鉛筆を左⼿に持たされたり、筋⼒増強を⽬的とした⾝体装着型器具を常に 使⽤して⽣活させられたりと、⽗は息⼦の⾶雄⾺に数々の試練を与えました。まさに“野球の⻤”のような存在。そ んな⽗に対して息⼦の⾶雄⾺は野球と⽗を恨みながら育ちます。しかし次第に、野球の素晴らしさを知り、読売ジ ャイアンツ⼊団を⽬指す決意をする。そしてライパルの存在によって、さらに⾶雄⾺は⾶躍していくわけです。

もちろん、これは架空の話です。しかし、⽗性的教育というものがなにかをよく表わしていると思います。そんな

⽗親が現代滅多に⾒られなくなりました。というのもそんな強い⽗親がいなくなったということでしょうか。

●聖書の神は訓練を施される神です。申命記 8 章 2〜5 節参照。

8:2 あなたの神、【主】が、この四⼗年の間、荒野であなたを歩ませられた全⾏程を覚えていなければならない。それは、

あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの⼼のうちにあるものを知るためであった。

8:3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを⾷べさせられた。

それは、⼈はパンだけで⽣きるのではない、⼈は【主】の⼝から出るすべてのもので⽣きる、ということを、あなたに わからせるためであった。

8:4 この四⼗年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの⾜は、はれなかった。

8:5 あなたは、⼈がその⼦を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを、知らなければならない。

●特に 5 節。「あなたは、⼈がその⼦を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを、知らな ければならない。」とあるように、その訓練とは、荒野での「苦しみ」を通して神の⺠として育成するためのもの でした。ここではっきりしたいことは、私たちが信仰的な⾃⽴をはかることができるように、神はご⾃⾝の⼦であ る私たちを取り扱われるということです。これは神の⼦である者に対する、⽗の必然的な育成プログラムなのです。

申命記のメッセージとは、神が選んだ者に対してどこまでも真実をもって愛するということと、その無条件の選び の愛(これは⺟性的な愛にたとえられます)を⼟台としながら、神に対して、⾃発的、主体的、⾃⽴した信仰をもつ よう決断を迫るメッツセージを記したのが申命記です。ですから、8 章 5 節のみことばもそうした視点から理解し なければなりません。つまり、そのような⾃⽴的信仰を育むための厳しさを伴う訓練なのであり、その厳しさの背 後にある⽗の愛を理解しなければなりません。⽗性的な愛は、通常、⺟性的な愛よりも理解しにくいことなのです。

ちなみに、ヘブル⼈への⼿紙の中で、「主を仰ぎ⾒る」というキーワードの他に、もう⼀つのキーワードがありま す。そのキーワードとは「成熟」です。「成熟を⽬指して進もうではないか」という勧めのことばがあります。こ の成熟は、⽗性的教育が施されることなしにはあり得ません。

2. ⽗性的教育を受けた旧約のモデル(ダビデとヨセフ)

ヘブル人への手紙を味わう

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●さて、ここから、実際に神の「⽗性的教育を受けたモデル」を⼆⼈紹介したいと思います。⼀⼈はダビデ、もう ひとりはヤコブの息⼦のひとりであるヨセフです。

(1) ダビデ

●最初のモデルとして取り上げるダビデの⽗性的教育は、不条理な現実、⾃分と関わったものが殺されるという現 実の中での取り扱いでした。ダビデは愛される者という意味ですが、ダビデがイスラエルの王となるという預⾔を サムエルを通して与えられますが、ダビデの苦難はそこからはじまります。これはダビデがやがて神の代理として の王としてふさわしく整えるための神の訓練が始まったということです。

●サウル王の嫉みによって、⾃分に対する殺意が確認された後、彼は早急に⾝⼀つで放浪の旅を余儀なくされまし た。その逃避⾏、おなかが減って、アヒメレクという祭司のところに⽴ち寄ります。そして怪しまれないように、

嘘までついて、いくつかのパンと武器を⼿にします。ところがそこにエドム⼈ドエグという⼈物がいて、そのやり とりを⾒聞きしていたのです。ドエグがなぜそこにいたのかは記されていませんが、ダビデがそこにやってきて、

パンと剣をもらっていったという事実をドエグはサウル王に告げるわけです。それを聞いたサウル王は、アヒメレ クの⼀族を(ひとりを除いて)皆殺しにします。

●反勢⼒となりうる疑いがある者に対して粛清するというのが普通の王のやり⽅です。⾰命を起こした指導者が最 初にすることはしばしばこのことです。祭司アヒメレクはダビデが訪れたことで、⾃分にはなんにサウル王に対し て反抗的な⼼がなくても、ダビデとかかわったというだけで殺されてしまいました。ドエグがどうように報告した のかは記されていませんが、本当の事実を伝えず、誤解したままを報告したのかもしれません。あるいは、ドエグ の得になるような意図で伝えらたれのかもしれません。あるいは、ダビデとアヒメレクはなにかたくらんでいると いうような・・。あるいは、サウルの嫉妬が、ダビデとかかわる者はすべてこうなるという⾒せしめとしての⾏為 だったのかもしれません。いずれにしても、そこには、悪を誇り、欺く者の破滅を図る⾆、善よりも悪と偽りを愛 する座向きの⾆がありました。

●しかし、この現実はダビデに対する神の訓練であったのです。その神の訓練に対してダビデはどう受け⽌めたの でしょうか。詩篇 52 篇によればこう記されています。「神の恵みは、いつも、あるのだ。」(1 節後半)と。なんと いう強い驚くべき確信でしょう。表⾯的に考えているだけならば、到底、出てこない告⽩です。

●さらに続いて、ダビデは神を⼒とせず、⾃分の富や、⾃分の悪に強がる者たちが威勢を上げている現実の中でこ う⾔います。

「しかし、この私は、神の家におい茂るオリーブの⽊のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みにより頼む。」(8 節)

●そして、極めつけは、「いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。」です。なんというダビデの霊性でしょう。

不条理とも⾔える現実を乗り越えて、それに気落ちせず、神に失望することなく、「神の恵みは、いつも、あるの

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だ。」 あなたはこのように告⽩できますでしょうか。この告⽩を呼び覚ま すことこそ、神のきびしい⽗性的な訓練の⽬的なのです。

(2) ヨセフ

●神の⽗性的訓練を受けたもうひとりのモデルを紹介しましょう。それはヤ コブの篇愛した息⼦ヨセフです。⽗ヤコブの愛した妻はレアではなく、ラケ

ルでした。そのラケルから⽣まれたヨセフをヤコブは他の兄弟に勝って寵愛しました。そのことがほかの兄弟にと っては⾯⽩くありません。そのためにヨセフは兄たちの計らいによってエジプトに売られてしまいます。

●エジプトに売られたヨセフは主⼈のポテファルの寵愛を受け、家の管理を任されますが、ある時、ポティファル の妻は若いヨセフを誘惑しようとします。しかしヨセフはそれを断固として拒絶したために、その事実を隠ぺいし ようとしたポテイファルの妻の計らいで、ヨセフは牢屋に⼊れられてしまいます。濡れ⾐を着せられてしまいます。

何年もの間、事実は明⽩になることなく、時が過ぎています。

●兄たちによってエジプトに売られたこと、あたかも⾃分がご主⼈の妻を誘惑したかのように濡れ⾐を着せられて 牢獄にいれられたヨセフ。神はいったいどこにおられるのでしょう。ところが、そこにも神の恵みは、いつも、あ ったのです。神の⽗性的訓練が隠されていたのです。やがて、ヨセフはエジプトの王に信任されて、国の政策を実

⾏する⾸相に抜擢されます。しかしそれがこのヨセフの物語の結論ではありません。ヨセフ⾃⾝が神の⽗性的訓練 の意図を明らかにしている箇所がありますので、そこを読みたいと思います。

●その箇所は、実は、兄たちがいるカナンの地が飢饉に襲われ、エジプトに⾷料を求めてやってくるはめになりま した。その⾷料を頼む相⼿が、かつてエジプトに売った弟のヨセフだったのです。そんにことが明らかになったあ とで、ヨセフは⾃分に起こった苦難の意味をこう⾔いました。創世記 45 章 4 節以降

4 ヨセフは⾔った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。

5 今、私をここに売ったことで⼼を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより 先に、私を遣わしてくださったのです。」

●なんという霊性でしょうか。神の⽗性的訓練であったとしっかりと受け⽌めているのです。これが信仰の成熟で あり、⾃⽴なのです。この信仰をヨセフのうちに確⽴させるために、神はヨセフを苦難の中に放り込みました。こ うした例をみても、⽗性的訓練を理解することはなかなか難しいということが分かります。

●ここにひとつの写真があります。織物の表と裏の写真です。⇒次ページ

●美しい織物の表は、神のご計画ですが、その織りなす裏地はなにがおられているのかわからない状態です。私た

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