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神の聖さにあずからせるための訓練とは・・

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―キリスト者の「アート」―

2. 神の聖さにあずからせるための訓練とは・・

―注⽬すべき⼆つのことば(1, 4 節)―

●私たちは実に多くの神の訓練を必要としているのではないでしょうか。そのことを認める者は幸いです。霊の⽗

ヘブル人への手紙を味わう

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の訓練は⾁の⽗親以上の⽅ですから、その訓練のレベルは同じではないはずです。もっとレベルの⾼いものだとい うことは容易にうなずけます。⾁親の⽗のレベルをはるかに凌ぐ⽅でなければなりません。つまり、訓練が厳しい と感じられなければならないのです。というのは、神との私たちのかかわりを妨げるパン種(ふくらし粉)が、多く、

そして私たちの⼼の奥深くに潜んでいるからなのです。

●ヘブル 12 章でこれまであまり⽬を留めなかった部分に、今回は注⽬したいと思います。それは、ヘブル 12 章 1 節、4 節です。ゆっくりと読んでみましょう。信仰のレースを⾛る上で、「まつわりつく罪を捨てて、私たちの前に 置かれている競争を、忍耐をもって⾛り続けようではありませんか。」ということばが 12 章 1 節にあります。また、

「あなたがたはまだ、罪と戦って、⾎を流すまで抵抗したことがありません。」と 4 節でも記されているのです。

実は、この流れの中に神の訓練のことが語られているのです。

●つまり、⾔わんとすることはこうです。

霊の⽗は、私たちが「まつわりつく罪を捨てさせるために」訓練(懲らしめ)を与えるということです。霊の⽗は、

私たちが「罪と戦って、⾎を流すまで抵抗したことがないので」訓練するということです。この「まつわりつく罪 を捨てさせる」「罪と戦って、⾎を流すまで抵抗する」というこの⼆つのことばを外して、今回の主題である神の

「きよさにあずからせる」というみことばを解くことはできません。つまり、そのみことばを正しく理解すること ができません。「まつわりつく罪を捨てさせる」「罪と戦って、⾎を流すまで抵抗する」ことがどういうことかを、

問わなければならないのです。

●たとえばもし、私たちが、あることが思ったように運ばない時、あるいは⼈に⾃分の気にさわるようなことを⾔

われた時、怒りっぽく反応することはないでしょうか。別にそれが悪いことだと思わず、当然の反応だともし思っ ているならば、霊の⽗は「ご⾃分のきよさにあずからせるために」、何度も同じようなことを経験させるはずです。

この罪の問題に鋭く光が当てられるような訓練を御⽗から受けていないとすれば、あなたは真の神の⼦どもとはい えないかもしれません。霊的に⽬覚めるとは、⾃分がもしかしたら、砂上の楼、つまり、砂の上に楼閣を築いてい るかもしれないと気づくことです。そのことに気づくために、神は今も愛する者を、⾃分の罪に気づかせ、それを 捨てさせ、罪と戦うことができるように懲らしめるのです。

●果たして、こんな⽗性の役割を果たしてくれる⽅がこの世にいるでしょうか。この世の⽗は「⾃分が良いと思う ままに」懲らしめますが、霊の⽗は、「私たちをご⾃分の聖さにあずからせようとして、徹底的に懲らしめるので す。」 それはとりもなおさず、「私たちの益のため」なのです。⽗の⼦に対する愛のあかしなのです。御⼦イエス に対する御⽗はそのモデルです。「神が多くの⼦たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを 通して全うすることは、万物の⽬的であり、また原因でもある⽅として、ふさわしいことだったのです。」このみ ことばには深い意味が隠されていると思います。⼈間の背後で罪の中にいる私を喜んでいるサタンに対して、その

⼒から私たちを救い出す⽅は、罪との戦いと無縁な⽅ではありえません。御⽗は御⼦を天から遣わし、この世の罪 にまみれたただ中に置くことによって、その戦いに勝利することを求められました。キリストにある私たちも罪と の戦いから解放されたわけではありません。「まつわりつく罪を捨てさせ」「その罪と戦って抵抗する」課題がある

ヘブル人への手紙を味わう

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のです。この戦いに⽴ち向かうことができるために、御⽗は私たちを訓練されます。

●現代のバシリア・シュリンクという⼥預⾔者は、『変えられたいあなたに』という本の中で、鋭く、⼈間の内に 潜む罪に光を当てています。主イエス・キリストの⼗字架の⾎潮がなければ、とても⾒つめることができない罪ば かりです。

1. 無頓着・なまぬるさの罪 / 2. ⽴腹・いらだち・怒りの罪 / 3. 利⼰主義・けちの罪 / 4. 抑圧・ゆううつの罪 / 5. ぼんや り・空想の罪 / 6. 不信・不信仰・落胆の罪 / 7. 不和・苦々しい思いの罪 / 8. 不従順の罪 / 9. ひやかし・あざけりの罪 / 10.

批判・さばきの罪 / 11. ⼈の関⼼をひき、認められたいという願いの罪 /12. おしゃべりの罪―⼈の関⼼と注⽬を引きたいとい う願いがその根にあります。ですから、すでにイエスから引き離されているのです。おしゃべり好きの⼈はイエスとの交わりが 希薄になっている証拠です。主との交わりが希薄であればあるほどおしゃべりがしたくなるのがこの罪です。 /13. 卑怯の罪 / 14. 反抗の罪 / 15. 妬み・嫉妬の罪 / 16. ⾁欲の罪 / 17. 短気の罪 / 18. 軟弱・怠惰・安逸な⼼・無気⼒の罪 / 19. 貪欲・

むさぼりの罪 / 20. 多忙の罪 / 21. 情け知らず・愛の⽋如・あわれみの⼼の⽋如の罪 / 22. ⾼ぶり・傲慢の罪 /23. 独善・⾃

⼰正当化の罪 / 24. 中傷・ゴシップの罪 / 25. 尊敬の⽋如の罪 / 26. 詮索の罪/ 27. ⼗字架・苦しみを避けようとする思いの 罪 / 28. 神経過敏の罪 / 29. 思い煩いの罪 /30. この世への愛と隷属の罪 / 31. 分裂をもたらす⼝論の罪 / 32. 権⼒欲・⽀配 欲の罪 /31. 偽善・ごまかしの罪 / 32. 我意・わがままの罪 / 33. 感謝の念の⽋如の罪 / 34. エゴイズム・⾃⼰中⼼の罪 / 35.

うぬぼれ・虚栄⼼の罪 36. 嘘・虚偽・隠し事の罪 /

おわりに

●私たちの信仰が砂上の楼閣とならないために、今回の 12 章 1 節と 4 節にあるみことばを今朝、⼼に刻みつけま しょう。聖霊は私たちに神との間に障害となっているものを、不必要なものを取り除くべく教えてくださいます。

ゆっくりと⾃⼰を⾒直し、聖霊の導きに従うなら、私は神にあって新しくされたものだという意識がより鮮明にな ってくるものと信じます。⾃分がクリスチャンなのかどうかわからなくなるときは、すでに神の訓練の中にありま す。神は障害となっているものを私たちに気づかせようとしておられます。⾃分の信仰がどこか違っているのでは ないかと思わせます。その気づきから訓練ははじまります。聖霊様は紳⼠な⽅なので、強引で、強制的なやり⽅で はなく、私たちが気づいて認め、新しくなることを助けてくださいます。

●紳⼠な⽅だからといってそれに胡坐をかいていると、サタンが喜びはじめます。聖霊様が真に紳⼠な⽅なのは私 たちが弱い存在だからです。⼈には優しく、しかし⾃分には厳しくあることからはじめて⾏きましょう。ひとたび 私たちの「⼼」が神のみことばによってきよめられ始めるならば、⼼に「楽しみ」が湧き出し、⼈⽣に新しい喜びと

⼒が与えられるのです。

●罪との戦いを決定するのは⼀回⼀回の勝利や失敗ではなく信仰による忍耐です。ですから「まつわりつく罪を捨 てて、私たちの前に置かれている競争を、忍耐をもって⾛り続けようではありませんか。」と 12 章 1 節にあります。

「忍耐をもって、⾛り続けること」、つまり、信仰によって戦い続けることが求められています。そのようにして 罪による要塞は崩され、罪の鎖から解き放たれることができるのです。そのことを信じましょう。

ヘブル人への手紙を味わう

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No.25

平和を追い求める

はじめに

●今回の聖書のテキストはヘブル⼈への⼿紙 12 章 14 節です。この 1 節のみを取り上げます。

「すべての⼈との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。」

このテキストを良く⾒ると、「平和」(Peace)ということば、「聖められること」(Holiness)ということばが⽬に着 きます。それにもう⼀つ、「追い求める」ということばが「平和」と「聖められること」の双⽅にかかっています。

前回でも神の⽗性的教育(⽗性的訓練)について 2 回にわたって学んだように、今回と次回では、「追い求める(追求)」

というテーマで、私たちが追い求めるべき⼤切な⼆つの事柄ついて順に学びます。「平和」にしても、また「聖め られること」にしても⼤きなテーマです。今回は前者の「平和」というテーマに絞って考えてみたいと思います。

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