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第 44 図 Ⅳー B 区 143 号竪穴住居跡・カマド実測図(1/60、1/30)

も壁から 85㎝突出す るが、左袖先端は掘 りすぎている。

  燃 焼 部 は 逆「 U 」 字状に 10㎝壁を掘り 込み、その奥壁から 60㎝手前に石製支脚 を置く。石製支脚は 少し掘り窪めて設置 し、粘土で固定して いた。支脚前面では 硬化面を確認した。

 支脚周辺で土器が ま と ま っ て 出 土 し、

須恵器壺もあること から、カマド廃絶時 に意図的に廃棄され たものと想定される。

カマド埋土は灰褐色 粘質土に焼土・炭を 多量に含む。またカ マド下層掘り込みを 確認した。

出 土 遺 物( 第 38 図 13 ~ 24)

 13 ~ 15 は 土 師 器 壺である。13 は内外 面粗めのナデ調整を 施し、胴部が窄まっ た小型丸底壺。外面 には黒斑あり。14 は外面全面及び口縁部内面まで二次被熱を受けた中型壺で、口縁部は弱く内湾 する。胴部は偏球状で、外面はナデ、内面下位にはケズリを施す。内面上位には粘土継ぎ目痕が残る。

外面底部にはスス、内面下位にはコゲが付着する。15 は内湾する口縁部の直口壺である。内面は 頸部までケズリを施す。16 は土師器甕で、外面は丁寧なナデを行い、内面頸部までケズリを施す。

 17・18 は土師器高坏である。17 は口縁端部を内湾気味に強く折り曲げる。屈折部は鈍い稜で、

粘土接合痕も確認できる。基本的に内外面は横ナデであるが、坏部内面のみナデ前のハケが残る。

内面に黒斑があり、内外面には二次被熱痕が認められる。

 19 は小型の土師器多孔式甑で、口径 20.9㎝、底径 7.6㎝、器高 18㎝に復元できる。口縁部は弱く

7.5m

7.5m

7.4m

7.4m

1m

0 14

20

P2

P3

P7 P4 P1

P5

20

17 19

14 22

P8 P6

-8

-16 住140

住140

住142

住142

3m

0

外反させ、把手は外れているが、体部に挿入す る形態で、2ヶ所に付いていたと考えられる。

底部には2㎝程度の孔を6ヶ所外→内に焼成前 穿孔を行っている。外面はハケ、口縁部内外面 は横ナデ、内面体部中位はケズリ、内面体部下 位はナデを施す。外面には黒斑、二次被熱痕が あり、内面下位にはコゲが付着する。20 は手づ くね土器で、内面にはナデの稜が残る。

 21 は須恵器壺口縁部である。口縁外端部には ナデ凹線を施す。22 は須恵器直口壺である。全

体的にシャープなつくりではない。胴部内面には工具痕及び指押さえ痕が認められる。焼成も不良。

23・24 は混入品である。23 は弱い凸レンズ底の弥生後期甕底部。外面には黒斑あり。24 は弥生後 期器台下部片である。外面には黒班あり。

 出土遺物及び切り合い関係から、古墳時代後期後半に属すると考えられる(大庭)。

144 号竪穴住居跡(図版 13、第 45 図)

 調査区の中央南端に位置し、45 号土坑に切られる。住居南側の大半は削平を受けるが、規模は 東西 5.6 m以上、南北は西壁中央にカマド硬化面があったとすると 4.4 m程度の、長方形住居跡に なるか。深さは北西隅で 0.25 mを測る。主軸方位はG.N.より 54°西に傾く。

 西壁から 90㎝手前で、径 50㎝ほどの硬化面を検出し、カマドが存在していたと考えられる。床 面ではピット5基検出し、位置と深さからP1・2が主柱穴の4本柱の住居跡になるか。北東隅で 天地逆で出土した土師器坏(26)は、本来床面直上にあったと考えられる。住居埋土は灰黄褐色粘 質土で、住居床下掘り込みを1ヶ所確認した。

出土遺物(第 43 図 25 ~ 28)

 25・26 は土師器椀状坏で、いずれも外面底部には手持ちヘラケズリを施し、内外面にはスリッ プを塗布する。26 の内面には横ミガキを施す。27 は土師器高坏坏部で、屈折部の稜は鈍い。外面 には黒斑あり。脚部とは付加法により接合するものである。28 は高台付須恵器坏身で、混入品。

 出土遺物から、古墳時代後期後半に属すると考えられる(大庭)。

145 号竪穴住居跡(第 45 図)

 調査区中央の北東寄りに位置し、120 号住居跡、46・47 号土坑に切られ、138 B号住居跡を切 る。138 B号住居跡とは切り合い関係を誤り、先に 138 B号住居跡を掘削してしまった。壁として 検出できたのは北壁のみで、深さは 0.1 mを測る。規模は東西 4.2 m以上×南北 3.9 m以上である。

 床面ではピット 10 基を検出し、位置と深さからP1・2が東側の主柱穴列となると思われるが、

西側の主柱穴は不明である。住居北側で焼面を検出し、カマドが存在した可能性がある。住居埋土 は灰褐色粘質土である。

出土遺物(第 43 図 29 ~ 31)

 29 は土師器甕である。頸部は締まり、口縁端部はさらに水平方向に屈折させ、口縁端部はナデ 文中写真 18 144 号住居跡付近(南から)

により窪む。内面は頸部までケズリを施す。外面には黒斑があり、ススも付着する。

 30 は須恵器坏身口縁部で、外面には厚く自然釉が付着する。31 は須恵器𤭯で、体部上位には粗 いカキ目を巡らす。

 出土遺物から、古墳時代後期末に属すると考えられる(大庭)。

第 45 図 Ⅳー B 区 144・145 号竪穴住居跡実測図(1/60)

P5 26 P4

P2

P3 落ち

P1 土45

6.8m 土45

焼面

焼面

焼面

6.8m

P1 P3

P7 P4

29

P5

P8 P6 P10 P9

P2

住138B 土47 土46

住120

145

144

住145

カクラン

カクラン

8.0m

8.0m-30

-29 土45

3m

0

146 号竪穴住居跡(第 46 図)

 調査区の北西側に単独で位置する。規 模が小さく不整形であるが、他の土坑と も形態が異なることから、ここでは住居 として報告する。平面形は L 字状を呈し、

東西 2.71 m、南北 2.3 m、深さ 0.2 mを測り、

南東側が僅かながら一段高くなる。床面 ではピットを確認したが、主柱穴になる かどうかは不明である。ごく少量の遺物 が出土した。

出土遺物(第 47 図)

 1は土師器高台付坏の高台片で、高台 は断面方形を呈する。胎土は精良で、焼 成はやや良好である。色調は黄白色を呈 する。2は須恵器坏の口縁部の小片であ

る。胎土は精良で、焼成も良好である。色調は灰白色を呈する。

 出土遺物から、時期は8世紀前半と推定される(下原)。

(4)掘立柱建物跡

9号掘立柱建物跡(第 48 図)

 調査区の南西隅に位置する。規模は2×2間の総柱建物で、

柱間の心々距離で桁行 3.09 m×梁行3mである。当初は建物

跡となることに気付かず、ピットとして掘削したため、柱痕跡は平面ではとらえていないが、北西 のピット3基で柱痕跡の一段深い掘り込みが認められる。柱穴は径 0.25 m~ 0.4 m、深さ 0.1 ~ 0.3 m前後の円形のピットで構成される。方位はG.N.より10°西に傾く。柱穴埋土は灰褐色粘質土である。

 出土遺物で図示できるものはないが、埋土及び主軸から、近世以降に属すると考えられる(大庭)。

(5)土坑

29 号土坑(第 49 図)

 調査区の北東側に位置し、120・122 号住居跡を切る。長さ 1.99 m×幅 0.86 m、深さ 0.35 mを測 る。埋土は暗灰褐色土である。特に目立った出土遺物もなかったが、規模や形態などから土壙墓の 可能性もある。

出土遺物(第 50 図1・2)

 1は土師器短脚高坏の脚部片である。筒状部は裾広がりで、裾部との境付近で割れている。内外 とも磨滅し、調整は不明瞭である。本来は 120 号住居跡に伴っていた土器が、土坑の掘削に伴い混 入したものと考えられる。2は瓦質の擂鉢で、口縁部内面を肥厚させる。外面はナデ調整、内面は タテハケ調整の後に7本を単位とする擂り目を刻んでいる。

 時期は、僅かな遺物から 12 世紀から 13 世紀頃と推定される(下原)。

 第 46 図 Ⅳー B 区 146 号竪穴住居跡実測図(1/60)

第 47 図 Ⅳー B 区 146 号竪穴住居 跡出土遺物実測図(1/3)

2m 0

7.9m

7.9m

0 10cm

1 2

31 号土坑(図版 13、第 49 図)

 調査区の東側に位置し、18 号溝 に切られる。規模は東西 2.4 m×南 北 2.52 m、深さ 1.49 mを測り、最 初に擂鉢状に掘削し、さらに中央を 径 1.5 mほどの範囲で深掘りする段 構造を呈する。井戸枠などの痕跡は なく、湧水も認められなかったが、

溜め井状になっていた可能性もあ り、18 号溝とも無関係ではないか。

深掘りされた部分が底面を含め方形 を志向していることも何らかの構造 物を伴っていた可能性を示すのかも しれない。

出土遺物(第 50 図3〜5)

 3は土師質の鉢とみられ、焼成は 堅緻である。内外ともヨコナデ後、

横方向のミガキを施す。4は防長系 の足鍋の脚部片で、焼成は瓦質であ る。縦方向のナデ調整で仕上げてい る。5は龍泉窯系青磁碗の小片で、外面は櫛描文、内面は劃花文を施し、釉は緑灰色を呈する。

 出土遺物は僅かであるが、時期は 12 世紀後半から 13 世紀前半頃と推定される(下原)。

32 号土坑(図版2、第 49 図)

 調査区の北東部に位置し、120・121 号住居跡を切り、18 号溝に切られる。規模は長さ 1.94 m以 上×幅 1.58 m、深さ 0.12 mを測る。底面では 20㎝大の礫が落ち込んだピットを検出したが、直接 関係ある遺構かどうかは不明である。

出土遺物(第 50 図6〜8)

 6は土師器高坏の坏底部片で、脚部は接合面で剥離している。坏部は水平で、口縁部は斜め上方 へ真っ直ぐ伸びる。外面にタテハケ調整がみられ、内面はナデ調整である。混入品である。7は瓦 質の擂鉢で、底部の小片のみが遺存する。焼成が不良で、やや土師質気味である。外面は摩滅して いるが、内面はナデ調整後、5本を単位とする擂り目を施している。8は施釉陶器の底部片で、胎 土は明灰色を呈し、内外とも薄い透明釉が掛かり、色調はやや暗い灰緑色を呈する。内外に胎土目 の痕跡が4つずつ残る。

 時期は遺物が少なく判断に苦しむが、12 世紀から 13 世紀頃であろうか(下原)。

33 号土坑(図版 14、第 51 図)

 調査区の中央やや東寄りに位置する。規模は 1.2 m× 0.8 m、深さ 0.16 mを測る楕円形土坑である。

第 48 図 Ⅳー B 区9号掘立柱建物跡実測図(1/60)

住133

住133

住133

0 2m

7.0m C′

7.1m B′

C B

A′

7.1m A

EEE′

DD′ 7.1m E′

7.1m D′D

B′

B

A A′

C C′

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