教師の基礎的修業についての一考察 35 そして「僕は学問としては形而上的なものとして哲学,形而下として数学がやはり君に はよいと思う。哲学は誰もが必要で,全職員に奨めているが,数学は君の授業で子供が教
えてくれているoすなわち君の数学の授業には子供が特に活発に動いているようであるか ら,この長所を伸すようにするがよい。」といわれた。
こうして私は,自分の学問を子供に教わり,校長先生によって見出していただいて,は じめて自分は数学が特長であるのかと気が付いたのである。
そこで月別細案を表にして見ていただいたところ「これは計画的でよい」とおほめにあ ずかったが,赤鉛筆で削除され,三種の勉強の第1年目の月別紳案は次のようにしていた だいた。
第2表 昭和9年度三種の勉強実施細案
(む哲
学(夜9時‑11時)4月‑8月 9月‑12月 1月‑3月 豊かさの部 ①経
典(登校前)書
名 語
自‑至
また小学校教員に賜わった勅語下賜記念日には定まって「諸君はこの山中へ何を求めに釆
たか。何の楽しみのないこの山中で唯一の土産は学問をものにして山を下ることである.」
と諭された。
また,一人一人職員の勉強を指導した先生は,またよく学問を尊重され「数学の問題ほ, これはどうして教えたらよいか。」とよくお聞きになった。また講習会などにはきまって,
「村田君一寸来い。」と言われ,講師に紹介され,問題を出すことを喜ばれた.こうして淡 中益郎*先生,西尾突先生,金子大栄先生,高坂正顕先生らの一流の学者に紹介され質問 を奨められたのほ,一にはわれわれの勉強の批判を,一にはそれらの学者は今教育問題と
して何を考えているかを聞かしめ視野の拡大と見識を高めようとする念願の表われであっ た。また見識を高めるという点では, 「今こんな本が出たが」と新刊本を講読会へ買求め
られ,長期休暇には「諸君は一学級きりでお山の大将になってはいけぬo」と,他校の参 観や,県内の上田,長野,県外の東京高師女高師へと参観をすすめ,帰校後ほ必ず報告を 求められ批判をしていただいた。こうして年々を経ると部下の三種の勉強も先生の手に負
第3表 第7年(昭和14年)度の月別細案
*淡中益郎,長野師範教諭(数学)。
教師の基礎的修業についての一考察 37 えなくなってくると学者にも相談して今度は単に書物の理解だけでなく,テーマを与えら れそれを以て学校の教育課程の資料に採用されようと企図されたので,われわれは永年手 をとっての指導の恩返しと,自分の学問を物にするにはこの時ぞと,精魂を傾倒して当ら ざるを得なかった。今最後の7カ年目の三種の勉強紳案と先生の命ぜられた研究題目は次
〔前頁〕のようである.
私はこうして7カ年問夢中で日々新しい創造的な喜びですぎてしまったが,私は先生に ほ,随分叱られた。また先生も, 「僕は君を一番叱ったし,元来君は要領が悪いので叱ら れ易くできている.」と, 7カ年問の泉野生活のお別れに際して笑いながら述懐された。
しかし私は一度だけ,失礼な質問をして叱られると覚悟していたのが,却って大変先生に 喜ばれたことがある。これが三種の勉強である。
(4)
「先生は,随分長い間,全信州教育者に向って三種の勉強を唱導されているが,今まで これを実践した者の批判と感想を一度も聞いたことがないので是非聞かせていただきたい。
私も7カ年問実践したが,感想だけは申上げられる。」と申したところ,先生は,
「実は僕はまだ聞いたことがないのだ。君,一つ7カ年問実践の感想を聞かせてくれな いか。」 「そうだ,これはとても重要なことなので職員会を開くので発表してくれo」と大 変喜ばれた。そこで私は「三種の勉強と実施上の感想」という要項を印刷し,臨時職員会
で発表することにした。その大要ほ,
まず三種の勉強の第一の確かさについては,教師の基本的教養の型で,かかるものほ斯 道の開祖といわれるものは皆持っていた実践的鋭矩(形木)であるとして確信を以て唱道
された。道元では打座,親驚では称名念仏,世阿弥では二曲三体と,教師を成長させ子供 を導く力の源泉,これが確かさであり,その確かさは科学的正確さでもなく,却ってその 根底たる情意的正確さであって,単なる認識理解を越えた人格的力の寵ったものである。
このゆえに学生的精神を要するという点に確かさの本義がある.第二ほ豊かさについては, 確かさの裏をなすもので,確かさの人格的匂いが鯵透し,文学的表現をとったものである.
例えば論語は学生時代堅くてとても嫌いであったが孔子と弟子との問答を「劇文学」とし て読むことによって尽きぬ興味が湧き,教具抄は仏の顔を中心としての「告白文学」とい
うことができる。確かさを求める学問は疲れるという特長を持つに対し,豊かさを求める 経典文学書は激励慰撫されるという特長をもっている。
第三は直接教授については,前二者がいわば普遍的伝統的方向とすれば,後者の教授は 特殊的創造的方向である。そこに結晶した教授の成立する根拠がある。すなわち自己の確 かさ,豊かさの実験室が教場であるに依って,教室体験の裏付桝こよって,却って確かさ, 豊かさが確立されて行く。以上がその時述べた三種の勉強の自分ながらの解釈の要点であ
る。
次に実施上の感想としてほ,自分が順調に成長しているときは,三種の勉強ほ滞然一体 何ら矛盾なく行なわれるが,一度破綻を来し集中を欠くと,まず学問が崩れ残るものほ修