(株)野村総合研究所 社会システムコンサルティング部 上級コンサルタント 浅野憲周(Asano Kazuchika)
要旨
東南海・南海地震や首都直下地震発生の切迫性が高まる中、地域全体の災害対策を牽引 する上で、自治体に対して非常に重要な役割が期待されている。しかし、わが国の防災法 制度には総合的な減災対策を支援するしくみが不足しているとともに、災害前の減災努力 の程度に関わらず被災した地域の自治体に対する復旧財政支援が適用されるしくみになっ ており、このことが災害前の減災努力に対するインセンティブを低下させる一因ともなっ ている。また、自治体の防災力については、十分な評価と情報公開が実施されていないた め、行政と住民間で大きな情報格差が生じており、防災行政に対する適切なガバナンスが 機能していない。以上を踏まえると、来るべき巨大災害に備え、自治体による減災努力を 促進するしくみとして、災害前からの減災努力を要件とした災害後の財政支援制度への転 換を図るとともに、自治体の減災努力を監視・評価・改善するガバナンス改革が望まれる。
本文
1.はじめに
戦後のわが国の防災政策は、突然発生する災害に対して事後の特別立法による後追い的 な対応を繰り返し実施してきた。阪神・淡路大震災(1995 年 1 月)においても、想定してい なかった膨大な被害が発生し、事後の特別措置による対応が行われた。巨大地震は、発生 時期の予測が困難な不確実性の高い事象であり、一度発生すると膨大な被害が生じる。こ のような事態に向けて、巨額の投資が必要な減災対策を平時から行うことは、非常に困難 である。いつ発生するかわからない災害への事前投資を避け、事後の復旧費用に対する手 厚い支援を期待する「災害待ち」と呼ばれるモラルハザードが生じても不思議ではない。
実際に、阪神・淡路大震災の経験から 10 年以上が経過したにも関わらず、建築物の耐震化 や防災上危険な老朽木造密集市街地の整備が十分に進められているとは言い難い。今世紀 前半にも発生する可能性が高いとされている東海地震、東南海・南海地震や首都直下地震 では、阪神・淡路大震災を遙かに上回る経済被害額が想定されている。地方における減災 対策がこのまま進められなければ、災害後に求められる国の財政負担は増大する一方であ り、国の財政破綻リスクも伴う。このような状況を踏まえると、今後想定される巨大地震 に備えたリスクの低減を早急に図る必要がある。そのためには、自治体による事前の減災 努力を促進する国の災害支援制度改革のあり方について、十分な議論が必要である。
本章では、以上の問題意識に基づき、第2節では、わが国の災害支援制度変遷の経緯と 特徴について整理した上で、それが自治体の減災努力に与えている影響について述べると ともに、国の災害支援制度のあり方について論じる。第3節では、自治体の減災努力を促 進するしくみの一つとして、監視・評価・改善メカニズムを導入したガバナンス改革の必 要性について述べ、現状の取り組み動向を整理、検討した上で、問題点を指摘する。第4 節では、わが国の災害支援制度改革への示唆を目的に、米国連邦政府による政策動向に関 する事例調査を行い、その特徴を整理する。第5節では、以上の整理、検討を踏まえて、
自治体の減災努力を促進する上での現在の災害支援制度の問題点を再整理するとともに、
災害支援制度改革に向けた提言を行う。
2.国の災害支援制度が自治体の減災努力に与える影響と課題
阪神・淡路大震災(1995年1月)では、被災地の復旧・復興のために、想定していなかっ た膨大な財政需要が発生した。そのため、国は「阪神・淡路大震災に対処するための特別
の財政援助及び助成に関する法律」等の特別立法措置により、既存の災害支援制度では不 足する部分を補填する政策をとった。過去の大規模災害時においても、同様の事後対応が 繰り返し行われている。このような対応は、自治体に対して「もし被災しても、国が何と か助けてくれる」といった期待を抱かせ、そのことが地方における災害前の減災努力を阻 害する可能性がある。阪神・淡路大震災以前には、「関西では大地震は発生しない」と信じ られてきたこともあり、被災地において耐震化等の減災対策が十分に進められてこなかっ たことは否定できない。このような事前の減災努力の不足は、将来想定される災害時にお ける膨大な国の財政負担の要因になる。
自治体に対する国の災害支援制度は、「国の財政は破綻しない」ことが大前提となって いる。しかし、阪神・淡路大震災の経済被害額が約10兆円(兵庫県2005)との推計に対 して、今後想定される巨大地震では、このまま減災対策が実施されなかった場合、首都直 下地震で約 112 兆円(中央防災会議 2005)、東南海・南海地震で約 57 兆円(中央防災会議 2003)など、阪神・淡路大震災を遙かに上回る膨大な経済被害の発生が予測されている。
このような未曾有の被害をもたらす巨大災害に対しては、国による事後措置だけでは対 応可能な範囲や程度に限界があるため、国、自治体をはじめとする社会のあらゆる構成員 が総力を挙げて対処し、リスクを低減化させる必要がある。特に事前の減災努力と事後の 復旧・復興支援の観点から、国と自治体との役割分担のあり方について今のうちから十分 な議論を行う必要がある。
このような問題意識から、本節ではわが国の災害支援制度の特徴を整理した上で、それ が自治体の減災努力に与える影響について考察し、事前の減災努力を促進していく上で考 えられる課題について論じる。
2.1 災害対策基本法制定の経緯と特徴
わが国では、1953 年の台風 13 号や 1959 年の伊勢湾台風など、大規模災害が発生するた びに個別に災害特例法を制定することによって、想定していなかった膨大な復旧・復興需 要に対処してきた。実際に、1953 以降、1961 年までの 9 年間で 91 件にのぼる災害特例法 が制定されている1。しかし、このような事後的な対応は、特例法制定までに時間を要する ため、迅速な被災地支援が行えないこと、災害ごとに適用措置が異なり不公平が生ずるこ と、事業ごとに個別の立法措置がなされるため、事業間の調整がなされず全体として統一
された効率的な対応が行えないなどの問題点が指摘されていた。また、事後の立法措置に よる財政支援の強化は、自治体による計画的な被害軽減対策の実施インセンティブを阻害 してきたとも考えられる。
そこで、1959 年に発生した伊勢湾台風を契機に、このような問題点を是正するとともに、
わが国の災害対策全般について総合的かつ計画的な防災制度を確立するため、すべての防 災対策を包括する一般法として「災害対策基本法」が 1961 年 11 月 15 日に制定された。災 害対策基本法において、自治体による地域防災計画の策定と災害予防対策等の実施が定め られる一方で、激甚災害時における国の特別の財政援助又は助成の制度を定めた法律を制 定すべきものとし、1962 年に制定された激甚災害法の立法指針が明らかにされた。しかし、
災害対策基本法では、「ハードによる予防対策が法のカバーする範囲から除外されている。
2」との指摘があるように、災害応急対応の実施に必要となる施設や体制の整備・改善に関 する事項が定義される一方で、「災害に強いまちづくり」や「減災(mitigation)」の概念が 不足している。そのため、災害対策基本法を根拠に自治体において策定される地域防災計 画にも減災に関する記述が不足するなど、地方における総合的かつ計画的な減災対策の推 進における課題が残されたままであった。
2.2 阪神・淡路大震災を契機とした制度改革の特徴
阪神・淡路大震災(1995)では、全壊建物約 10 万棟、死者 6,432 人3にのぼる甚大な被害 が発生した。社会的、経済的にも影響は大きく、様々な制度改革が行われた4。特に死者の 約 8 割が家屋の倒壊等に伴う圧死・窒息死5であったこと、阪神高速道路3号神戸線が倒壊 するなど公共土木構造物の耐震性に対する信頼性が揺らいだこと、市役所の庁舎や病院の 建物が被災し、応急対応活動に支障が生じたことなどから、建物の耐震化や都市の構造改 革による減災対策の重要性が再認識された。このような教訓から、予防対策の強化を目的 とした地震防災対策特別措置法(1995 年 6 月 16 日法律 111 号)が制定された。また、静 岡県などの一部の自治体では、総合的な減災対策の推進に向けた独自の取り組みも実施さ れるようになってきた。
2 永松(2008),211頁より
3 自治省消防庁調べ(1999年1月11日)より
4 阪神・淡路大震災を契機とする制度改革の詳細については、災害対策制度研究会(2002),32 頁~45 頁に 紹介されている。