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D/C % ) 高明治31年 1.007 1.460 572 39.2 2,256 112.465 0201112201111211 白●■①①巴⑪ccC■●●BG● 5351006361926110 32
33
1.279 793 62-0 4.935 3.826 77.5 3,186 4,07エ
163.093
1.745 1.196 6a5 2007 922 45.9 167.683
欝鯏鯛釦:町釧
1.623 1,1541.322
71.1 2.532 1.854 73.2 3.751 エ72 500 1.945 翻鎚 ●① 09 804
3,346 3.333
2,009 2.063
60-0 4.323 202 2.222 1,530
1.7期
61.9 4.952 210.659
2.552 70.1 10.659 9.133 85-7 6.323 352.887 196
280 767
8973757724 1112222233
3.552 2.569 72.3 10.824 IIT 9.185 84-9 7.587 404,518 4092 2.995 73.2 4.614 3.906 84.7 10.792 623.393 4,152
3,844
3,134 75.5 6.382 5.585 87.5 11.211 498.257 561 2,914 75.8 6,209 5,453 87.8 7.926 288 909
剛醐棚伽
4.488 3.395 75.6 5.130 4.113 80.2 8,539 342.883 5.070 3.882 76.6 7.363 5.980 81.2 9.946 370.203 5.619 4.992 889 9,779 8.298 84.9 10.817 401.554
6.235 6,156 98.7 5,813 4.304 74.0 12.224 382.480 1.431 6.660 6,645 99.8 4.658 3.647 78.3 12.831 379,978 1.822
大蔵省「銀行局年報」より作成
87成立期日本信用機構の論理と構造(完)
子付当座預金を解消しえず、,当座決済のための預金として純化しえていない。そのために普銀当座預金の支払準術金は無利子の日銀当座預金へは投ぜられず、利子付き資産とくに国債を中心とする有価証券へ振りむけられたのである。確立期をむかえた日本の預金銀行は一‐当座」預金銀行体系としては極めて弱体なしのであったが、のちにみるように大蔵省証券、国債を転回軸とする独特の預金銀行Ⅱ信用体系を創出していったのである。
(1)「交換所委員廻議」『渋沢栄一伝記資料」第七巻三二七’三三一頁(2)「東京交換所臨時総会録事」同第七巻一一一三一’一一一三二頁(3)「東京同盟銀行定式会録噸」『銀行通信録』第一二一号M二八・一二(4)「東京同盟銀行定式会録辮」『銀行通信録』第一四○号M三○・七(5)「録事」「大阪銀行通信録』第四号M三一・二(6)『東京手形交換所五十年史(未定稿)」二○一頁(7)「東京銀行集会所半季報告」「日本金融史資料明治大正編』第一二巻八四五頁(8)「大阪手形交換所九十年史」九七頁(9)「東京交換所組合銀行第七十七回定式集会録事」『渋沢栄一伝記資料」第七巻四○二頁、)『東京手形交換所五十年史(未定稿)』二○一頁(u)「録鞭」「大阪銀行通信録」第四号M三一・二(⑫)『東京手形交換所五十年史(未定稿)』二○五頁(皿)井上準之助「手形交換と現金取扱高」『大阪銀行通信録」第一○一号M三九・二(皿)「東京手形交換所五十年史(未定稿)」二○七頁(咽)「印紙税に関する全国各交換所の答申」『銀行通信録」第二五○号M三九・八B)「手形交換所連合会」『大阪銀行通信録』第二五号M四○・四一一一井銀行による先駆的な試承は小林緑「日本銀行と振替送金」(「大阪銀行通信録』第一二一一一号M四○・一二)がふれている。
88
まず第五四表によって明治一一一四年以降における日銀信用の供給ルートの推移をたどってゑるならば、次の諸点が 浮びあがってくる。第一に、手形割引が、一一一○年代初頭日銀信用の激しい収縮の直撃をうけ幾度かその座を明け渡
課題をなす。 三国償の累澗と日銀信用の変貌明治三四年金融恐慌を画期として、かっての日銀に依存する「鞘取」銀行Ⅱオーパーローンは次第に払拭されて いった。日銀による発券独占につづくこのオーバーローンの解消によって資金源を失った普通銀行群は、新たに当 座預金Ⅱ小切手流通を武器とする預金銀行へ転じ、自立的な色彩を強めてゆく。日銀信用の収縮にともなう普通銀 行群の自律的な経営基盤の確立とともに、形成途上の金融市場は次第に日銀信用から自立し、日銀は市中に対する 信用統制力を喪失してゆく。預金銀行体制の確立にともなう中央銀行としての無力化の見透しなかで、段後の伐手 という免れることのできない至上命令をまえにして、日銀は喪失するであろう市中への金融統制力を新たに開発 し、掌中のものとしなければならない。すなわち預金銀行主義の定着とともに、日銀信用は新たな課題に直面し、 変貌を余儀なくされる。この変貌の過程を日銀信用と金融市場とのかかわりのなかで明らかにすることがここでの
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「第六回手形交換所連合会」『大阪銀行通信録』第一二七号M四一・四「第六回手形交換所連合会」『銀行通信録』第二七一号M四一・五「印紙税に関する全国各交換所の答申」『銀行通信録』第二五○号M三九・八『東京手形交換所五十年史(未定稿豈二○八頁「日本銀行の当座勘定付替実施」『大阪銀行通信録」第二一四号T四・七小林緑「日本銀行と振替送金」『大阪銀行通信録」第一二一一一号M四○・一二『日本銀行沿革史」第一輯第一巻九五頁
89成立期日本信用機櫛の論理と概造(完)
第54表明治後期日銀信用の織成
(期末残高千円)