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2-1 演奏分析の方法と着眼点
2-1-1 女性農楽団のレパートリーとその特徴
第 2 部では羅錦秋が持つ農楽のわざとその音楽的特徴について分析していくが、それに あたりここではまずその対象となるレパートリーの全体像を把握しておきたい。
① 女性農楽団と羅錦秋のレパートリーの形成
第1部で見てきたとおり、女性農楽団の少女たちは農楽のパンクッだけでなくパンソリ
(および唱劇)や民謡、カヤグムなどの器楽、綱渡りを当時の一流の師匠たちから学び、
それらを舞台で上演してきた。初期の女性農楽団体は、女性農楽団以前に存在した社堂牌、
協律社のような放浪芸能者集団と同様にひとつのジャンルだけでなく多様なレパートリー を持っていた。それは奏者達とその師匠たちの大部分がタンゴル(世襲巫覡)家系の出身 であるため、非常に高度な芸能を家族や団体としての共同生活のなかで円滑かつ集中的に 伝習することができたために可能なレパートリーだったといえる。羅錦秋自身はタンゴル 家系の出身ではなかったが、他の団員たちの多くはそうした家の出身であり、羅錦秋もそ のような環境にあって多様なジャンルの技術と経験を身につけながら成長したのである。
そして、数えきれないほどの公演本番での百戦錬磨を重ねてきたためそれぞれの奏者が自 分の技術とスタイルを磨きあげていった。
② それ以前の農楽との差異
前述のとおり、女性農楽団のレパートリーにはそれまでの村祭りの農楽に見られる「堂山ダンサン クッ」のような儀礼的な農楽はない。また、村に入場する際に行われる「門ムンクッ」や家々 をめぐる門付け農楽の「メックッ(地神チ シ ン踏みパ ル ギ)」なども含まれない。その代わりに公演前に 宣伝のための街中パレード(キルノリ)である「マチマリ(町廻り)」を行ったり、劇場前 で公演開始を告げ、客の呼び込みをする「イリクミ(入込み)」を行った。これはやはりそ れまでの村祭りと違って女性農楽団が興行公演を目的にしていることから来る差異である。
ポジャン(テント劇場)の中に観客が満員に入ると、いよいよパンクッが始まる。女性 農楽団のレパートリーのなかで最も根幹を成しているのがこのパンクッである。「パンクッ」
とは、農楽の打楽器を身につけ、これを一定のカラク(リズム形式)で打ちならしながら、
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様々な陣法(隊列の組み換え)と舞踊を繰り広げ、サンスェ(ケンガリ奏者のリーダー)
の合図によってリズムパターンと隊列が次々に変化していく団体演技である。元来の村祭 りでのパンクッは、村の守り神への儀礼や、家々への門付けを終えた後に村の広場で夜通 し行われるものであり、演者は持てる技能の全てを見せ、見る者たちは一緒になって踊っ たり、たき火に当たりながら見て楽しんだりした。パンクッにも、村人たちの農楽隊によ る素朴な構造のものから女性農楽団のもののように複雑で非常に技巧的なものまで差があ る。女性農楽団が踏襲したパンクッは、湖南右道農楽と呼ばれる農楽のなかでも、全羅北 道の井邑、金堤などの「ウィンニョク」(北側)の地域周辺の専門芸能者たちが競演大会へ の出演や「ポジャンコルリプ」(テント小屋の巡業公演)を経て磨き上げて形成したもので あると考えられている。
③公演農楽としての特徴
女性農楽団、およびその師匠にあたる井邑地方を中心とする専門芸能者たちによって形 成されたパンクッは、観客から入場料をとって見せる公演としての性格が強い。そのため カラク(リズム形式)の組み合わせや順序に約束事が多く、全員同時にヨンプンデ(自転)
や横跳びをするなど、団体芸の美を追求している性格が強いと言える。
また、公演時間についてもそれまでの村祭りのパンクッのように夜通しやるわけにはい かず、適当な時間内に終わらせるために比較的短く、凝縮された構成になっている。その 分、観客の集中力を切らせないように派手な動きや速いカラクを叩いて見せるなどの「見 せ場(ポルコリ)」がちりばめられている。
また、公演を行う場所の空間性がそれ以前とは大きく異なるという点については先行研 究でも指摘されている。[權恩瑛 2004 : 90] それまでの村祭りの農楽では常に村のなかの広 場(マダン)で農楽が演じられてきたが、植民地時代に日本を通して流入した西洋式の劇 場空間の在り方が、農楽にも影響を与えた。女性農楽団やその直前に活動していた男性芸 能者集団による「ポジャン(テント劇場)」の空間は、まず天幕(帆布、キャンバス生地)
で覆われた空間が「会場」として外界と遮断されることによって、その狭い空間が特別な 意味を持つようになる。そして、観客は入場料を払わないと「キド」(木戸、入り口)を通 ることができない。女性農楽団のポジャン劇場は、地面は円形であり、観客は演者の正面 と左右の三面を囲む形で座るようにムシロが敷かれたと言う。背面には演劇を行うための
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小さな箱型の舞台が設置されたり、その手前に綱渡りの綱が設置された。これによって、
360度が正面であり背面でもあり得る村の広場(マダン)とは異なり、「正面性」が生ま れた。団体演技であるパンクッは、円陣を組んで回る場面が多いため、それほどまでに広 場での公演とポジャンでの公演に大きな差はないが、ソルチャング、ソゴチュムなどの個 人技や、ノレクッ(農夫歌)の場面では、正面の一方向に向かって演技をするようになっ た。また、舞台の空間変化に伴って、「入場・退場」の概念も新しく生まれたと言える。ポ ジャンの場合は背面の舞台の裏に控室があり、出演が終わるとここに退場することができ た。こうした空間の変化はパンクッや個人技における演者の立居振る舞いに大きな影響を 与えていると言えよう。
④ レパートリーの内容
パンクッの構成の大部分は女性農楽団の師匠にあたる世代の芸能者たちが公演していた 内容を踏襲しているが、それに加えて農夫歌を歌う「ノレクッマダン」と、退場の際のフ ィナーレの役割をする「トゥマチクッ」といった要素が挿入されている。
パンクッのすぐ後には、「個人ケ イ ン技ノリマダン」が繰り広げられる。個人の技芸にスポットを当 て、ソルチャング、プッポノリ、チェサンソゴチュム、ヨルトゥバルサンモなどを演奏者 のうち最も秀でた技術のある数名が見せた。前半の息の合った団体演技であるパンクッの 後に、個人の技芸や個性を見せることでさらに観客の視線をつかんではなさなかったであ ろうと想像される。
女性農楽団の巡業時代には、「個人技マダン」の間に他の奏者たちは衣装を着替え、個人 技が終わったら「トマク唱 劇チャングク」を見せた。これは「 春 香 伝チュニャンジョン」など、ある唱劇作品のうち 人気のある場面を1,2幕選んで見せる幕見形態の唱劇であり、これを見せて女性農楽団 の1セットの公演が終了したと言う。そうした公演を1日4、5セットにわたって反復し て行い、その度に会場の観客を入れ替えた。その時々の事情に従って、パンクッの中身の 順番を入れ替えたり、個人技の人数(演目数)を増やして時間を稼いだり、あるいは途中 の順序を抜いたりなど、団長とサンスェ、そしてその公演を主催する地元の有力者などの 判断により演目の順序と長さは可変的だったようである。
それらの女性農楽団のレパートリーの中で、2015年現在、羅錦秋が見せることので きる演目は、パンクッおよび個人技(プッポチュム、ソルチャング)が主であり、パンソ
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リ、民謡、口音サルプリ、流行歌やその伴奏も含まれる。「トマク唱劇」やパンソリなどの 声楽、演劇に関しては、現在羅錦秋のもとに集まる弟子たちのほとんどが農楽専門である ため再現することができず、羅錦秋がどのような演目をどういった特徴で歌うことができ るのかを把握するのが難しい。
2-1-2 羅錦秋の担当楽器
農楽にはケンガリ、チャング、チンなど様々な楽器があるが、羅錦秋の演奏の特徴を知 るためには、どの楽器の演奏に着目すれば良いだろうか。羅錦秋自身は、農楽人生のほと んどをサンスェ(ケンガリ奏者)として活動してきた。そのため、研究者や現場の伝承者 たちからは、その卓越したケンガリの奏法が注目されてきた。一方で、女性農楽団の特性 上、ひとつの楽器だけしか演奏できない奏者はあまり見られない。羅錦秋はチャングの演 奏にも長けており、パンクッのチャングだけでなく、チャングの個人技であるソルチャン グも演奏する。2009年頃まではチャングを装着して踊りながらの演奏もできたが、そ の後腰を患ったため2015年現在は座っての演奏のみ可能である。羅錦秋のチャングカ ラクはケンガリの奏法とよく似ており、非常に細かい装飾音がちりばめられている。また 器楽やパンソリの伴奏のように、拍を大きく取って演奏する特徴も見られる。ピアノ曲に おいてオーケストラの弦楽器や管楽器の奏法を模倣した作曲が見られるように、羅錦秋の チャングの場合はケンガリ的な奏法が見られる点は興味深い。本来ならばケンガリ、チャ ング両方の演奏を比較しながら分析することが理想的であるが、本論文では範囲が膨大に なってしまうためチャングカラクの分析は次の機会に譲り、羅錦秋の主な専門楽器である ケンガリに集中することにする。ただし、パンクッにおいて、ケンガリの進行やパターン に大きな影響を与える部分に関しては記譜の備考欄で触れている。
その他のチェサンソゴ、コッカルソゴ、ヨルトゥバルなどについても、羅錦秋が以前に 担当したこともあっただろうが、現在は羅錦秋がそれらの芸をするところは見ることはで きない。ただし、昔ほかの仲間や後輩たちがパンクッのなかでどのような動きをしていた かを記憶はしており、根本的な呼吸法や舞踊はケンガリのそれと共通部分があるので、弟 子たちへの指導や助言は可能である。綱渡りは例外で、羅錦秋は試みたことが無い部分で ある。