• 検索結果がありません。

① 羅錦秋の芸能は、それ以前の世襲巫覡(タンゴル)家系の芸能者たちや、湖南右道農 楽の男性奏者たちの脈を受け継いでいる。彼らからの学習を通じて、パンソリ、舞踊、

打楽器の演奏などのレパートリーを同時に習得したため、多様で包括的な芸能の基礎 が身に染みついており、それが農楽のカラクの特徴にも大きく影響している。女性農 楽団の巡業公演は、入場料をとってテント劇場などで観客に見せる「公演芸能」であ るため、それまでの村祭りの農楽とは時間性、空間性、見せる対象などの面において 大きく異なっている。内容としても、観客を飽きさせないように多様なレパートリー が凝縮されており、約束事の多い団体芸の美が特徴的だと言える。その中でも羅錦秋 は、農楽団を統率するリーダーのケンガリ奏者である「サンスェ」を担当し、農楽人 生のほとんどをこのサンスェとして過ごしてきた。

② 本章では羅錦秋の専門楽器であるケンガリおよびサンスェの技術に注目して、羅錦秋 が現在伝えているパンクッ(団体演技)とプッポチュム(個人演技)のカラクを分析 した。この分析は、羅錦秋個人の特徴だけでなく、農楽が持つ音楽的側面についても 明らかにすることを目的とした。分析の対象には2014年12月に国楽放送の協力 を得てスタジオ録音した音源を用いた。この音源のケンガリ演奏を聞き取り、井間譜チョンガンボ

(韓国音楽で用いられてきたマス目式の楽譜)に、口音ク ウ ム(ケンガリの口唱歌)を書き 入れる形で採譜した。これに加え、カラクと陣法の関係性を知るため、実際の公演の スクリーンショットや陣法の図解も合わせて記述した。羅錦秋のプッポチュムについ ては、舞踊の振りやプッポの動作とカラクが直接的に関係しているため、2011年 にソウルの劇場で行われた公演の現地録音を主な分析対象とした。国楽放送のスタジ オ録音音源でもプッポチュムカラクを座って録音したので、これは補足的に比較対象 として利用した。

③ 分析の結果は次のとおりである。羅錦秋および女性農楽団のパンクッは、全羅道に伝 わる湖南右道農楽(とくに井邑地方付近)のものをベースとしているが、それはその 地域出身の男性奏者たちに学んだためである。リズムと隊列の組み合わせによって構 成される「マダン」は基本的に、オルムクッ、オチェジルクッ、ホホクッといった湖

173

南右道農楽に典型的なものに加え、農夫歌マダンなどが追加されており、各楽器の演 奏者が個人技で舞踊的な演技を見せる場面が強化されているのが特徴である。パンク ッにおける羅錦秋のケンガリ演奏を分析したところ、各マダンに独自の特徴が表れて いた。例えばオルムクッマダンでは、単純な反復になりがちなフィモリのカラクに、

非常に技巧的で装飾的なフレーズを挿入しているのが見られた。また、オチェジルク ッマダンは、もともと複雑な拍構造を持つカラクによって構成されているが、徐々に テンポを速めるなかで、拍子をグラデーション的に移行させる高度な技術が見られた。

オバンジンクッマダンで最も特徴的だったのは、4小拍系のチノバンジンから3小拍 系のサムチェに移るときの鮮やかなブリッジ部分であった。ホホクッマダンは決まり ごとが多く、音楽的自由度は比較的低いマダンであるが、そのなかでもサンスェ(リ ーダー奏者、ここでは羅錦秋)がプッポの舞踊を見せながらケンガリで即興性の強い 独創的なリズム遊びを繰り広げるのが見られた。また、個人技である舞踊のプッポチ ュムではとくにカラクの演奏と身体の動きが絡み合っており、音が身体の動きを導き、

身体の動きから音が生み出されるという関係性が見えた。特に左右の足の重心移動を 明確に行うことで、プッポを回したり立てたりといった動作を力強く見せており、頭 拍を抜かすカラクによってこの動きに力を与えているなどの関係性が見えた。

④ 本章の最後にはこれらのパンクッ、プッポチュムでの採譜及び分析を通して、羅錦秋 のケンガリカラクの声音ソンウム(音色、奏法、装飾、フレージングなどを含む楽器のサウン ド全般)の特徴についてさらに深い考察を述べた。一般的に、羅錦秋の芸風は「洗練 されている」「華麗(派手)だ」「装飾的だ」などという評価を受けているが、それら の言葉による評価の原因になるような音響的特徴を、採譜の結果から探した。分析の 結果には以下のようなことが含まれる。

ア)羅錦秋には、ケンガリ(楽器)自体の趣向性が見られた。比較的低音で、音が拡散 するものを好み、これは全羅道の芸能者に普遍的な特徴だと言える。

イ)羅錦秋のケンガリの音色には一貫性があり、どんな音色であっても芯が通った音で あるのでうるさく聞こえないという特色がある。また一方で、羅錦秋は多様な音色

174

を変化させて用いることに対して強いこだわりを持っている。音色のバリエーショ ンのなかでもとくに特徴的な音のひとつに、拡散しながらもまとまりのある音や、

「トロドッ」「トゥルダッ」などの良く整った小粒の声音が挙げられる。また、ケン ガリを持つ手でマグムセ(ミュート)をごく微細に軽く入れる「半マグム」も特徴 的である。それらが両極端ではなく、グラデーション的に登場するのが羅錦秋の特 徴である。

ウ)これらの多様な声音の集合体を「ユニット」として認識することができる。これは リズム形式の異なるカラクにも共通してみることができる。特に、装飾的なユニッ ト、跳ねるユニット、弾力のあるユニットなどが特徴として挙げられる。

エ)さらにこれらのユニットがひとつのリズム形式のなかに配置されると「フレーズ」

が認められる。羅錦秋の場合、拍の感覚が非常に正確であるがゆえに、フレージン グを多彩に繰り広げることができ、また即興的に裏拍の遊びやシンコペーションを 作り出すことができるのだと言える。

オ)フレーズを組み合わせてひとつのパンクッの流れ、「文脈」を作って行くことにおい ても、羅錦秋の特徴がいくつか読み取れた。ひとつは、大小(高低)をつけること でフレーズにうねりを出している点、また「詰め」と「抜き」のフレーズを適所に 用いることによって緊張と弛緩の文脈を明確に出している点などである。

キ)羅錦秋のケンガリカラクの特徴の最も上のレイヤーにはサンスェ(リーダー)とし てのカラクの音の特徴がある。他の奏者の注意を喚起させて次のカラクに移る明確 な「信号カラク」を出すことや、それぞれのカラクのテンポをコントロールしてパ ンクッの流れを作ることはサンスェの力量にかかっている。羅錦秋は、それらの音 によるサンスェ術だけでなく、他の演奏者とのコミュニケーションの中で信頼感を 得ている。このようなサンスェとしての実力は、女性農楽団でのきわめてタフな活 動や、教育者、指導者としての経歴のなかで培われたものだと言える。

175

関連したドキュメント