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戦後復興の伸びは山中温泉地区の大火災に起点がある

第 5 章 山中漆器の分析

5.4 非連続が発生する理由

5.4.1 戦後復興の伸びは山中温泉地区の大火災に起点がある

石川県にある金沢漆器・輪島塗・山中漆器における、戦後の生産額の推移は次 の図表15のとおり。確かに引用[22]――にあるように山中漆器の復興は輪島塗お よび金沢漆器より5年早い。

図表15:石川県漆器産地の戦争直後の生産額

だが、5.3で指摘したように線形補完すると、基点は第二次世界大戦の後にはな く、昭和6年の山中温泉地区の大火災まで遡ることができた。補間線は、ベーク ライトと近代漆器の普及が一体化したものとなっていた。これは、本漆の入手難 という漆器産地としては危機的な状況に対し、素地に使用する樹脂を工夫するこ とでうまく対応した結果といえる。戦中も生産額が続伸したのはどのような要因 があったのか。図表16のように、温泉客も同様に第二次世界大戦中も増加してい た。引用[19]――によると、山中温泉地区は、戦中軍の保養所となっていた。1937

年金沢陸軍病院の転地療養所となり、1938年金沢海軍病院が開院している。「各 旅館は全部海軍が借り、食器・夜具などすべて買上げられた」とある。

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生産額 10億円

図表16:漆器温泉対比1905_1950

引用[20]――にあるように漆器が統制品となり、漆器関係者全員が雇用され、

轆轤技術が旋盤に活かされた。このことで、産業機械を扱う訓練が漆器職人にお こなわれる。この訓練が、近代漆器への移行を円滑にした。当時、絶縁材として 普及していたのは陶器製碍子で、割れやすく、しかも重い。漆の塗られた戦闘機 の部品を、対戦国であった米国が研究していたことをを地元の人から聞いた。漆 は良質な絶縁材としても利用でき、戦闘機でも使われていた。第二次世界大戦の 間は、山中温泉地区に温泉観光があったことで他の漆器産地より経済状況は良好 で、かつ戦争による漆器職人の離散を免れた。

第二次 世界大戦 山中漆器生産額

1億円

山中温観光客 20万人

紙屋用水で電動轆轤 山中大火災

図表17:近隣温泉客戦後推移

近隣にある山代温泉および片山温泉と山中温泉の第二次世界大戦直後の温泉客の 推移は、図表17のようであった。グラフからすると、山中温泉は格別良好な状況と はいえない。第二次世界大戦の後も継続して温泉観光業と相乗効果があったとはい えない。図表181900年から2007年までの漆器生産額と温泉客の推移をみても、

常に温泉観光業との交流構造の相関があるようにはみえない。ところで図表18

ら、新たな事実を発見した。漆器関係者から、温泉観光は安定して推移しているが、

漆器の生産は変動が大きいと聞いていた。図表18をみるかぎり、漆器生産額のほう が安定して推移している。誤認が起きた理由を5.4.2で考察する。

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図表18:漆器温泉対比1900_2007