リミットサイクルモデルと第二章の結果をふまえた考察
多くの論文で,概日時計はリミットサイクル振動子と考えることができるとさ れている (Jewett et al., 1991; Johnson et al., 1992; Peterson et al., 1980;
Peterson et al., 1981; Winfree et al., 1970)。このとき,概日時計 (概日振動子) の 状態は,閉軌道として描くことができ,低振幅化 (及び短周期化) は閉軌道をもと の大きさよりも小さく書くことで表現される (Johnson, 1999; Lakin-Thomas, 1995)。仮に,大きな閉軌道を持つ振動子と小さな閉軌道を持つ振動子があるとす る。入力となる同じ強さの刺激をそれぞれの振動子に与えた場合,小さな閉軌道 の 方 が よ り 大 き な 位 相 シ フ ト が 観 察 さ れ る (Winfree, 2001; Vitaterna et al.,
2006)。本論文の結果も,一部はこのリミットサイクルモデルの考えをもとに議論
することができる。リミットサイクルの閉軌道を本論文では KaiC リン酸化リズ ムと仮定する。KaiCリン酸化リズムが暗期で低振幅・短周期化するときにはリミ ットサイクルの閉軌道が小さいと表現できる。そのような KaiC リン酸化リズム の状態のときに光刺激に対する応答性が変化し,大きな位相シフトが観察される ととらえることが可能である。ただし,ここで注意としては,KaiCリン酸化リズ ムは細胞を主観的夜明けから暗期に移行すると連続暗条件下でリズムの低振幅 化・短周期化とともに振動の減衰が観察されるため,完全な閉軌道とはみなせな い。よって,リミットサイクルモデルに完全に一致する現象ではない。しかしな がら,リミットサイクルモデルの考え方をある程度用いて本実験で見られたKaiC リン酸化リズムの脆弱化と位相応答の関係を理解することが可能である。
第二章の図 6 で示した光刺激に対する KaiC の脱リン酸化の原因について,現 在までの研究で,その機構は全く不明であるため,今回の研究は「概日時計の」
ではなく,「細胞の」光応答性自体が変化したために起こった現象である可能性を 否定しきれてはいない。しかしながら,図 5E,図 6Eに示したようにKaiA を過 剰発現した状態では暗期で KaiC リン酸化リズムの脆弱化が観察され,明刺激を 与えると,KaiCリン酸化リズムの脆弱化に依存してKaiCの脱リン酸化が強く起 こることから,細胞の光応答性自体の変化の議論を抜きにしても,KaiCリン酸化 リズムの脆弱化のみで本研究は説明できる。
第三章の結果と合成生物学的研究への発展に向けたアイディア
第三章では,時計遺伝子の転写・翻訳フィードバックの停止する暗条件下での 転写出力機構について解析を行った。その結果,転写・翻訳フィードバックの停 止する暗期においても,KaiABC (生化学) 振動子は概日転写リズムを調節してい ることが明らかとなった。KaiABC 振動子が暗期に概日転写リズムを調節する機 構は全く不明であるが,細胞内の転写・翻訳活性が劇的に低下し,細胞分裂も停 止する暗期において,転写出力機構に新規のmRNAや蛋白質が必要である可能性 は低いと想像できる。第三章の序論で示したように,連続明条件下で出力機構と して知られているSasA→RpaA経路はin vitroでKaiABC振動子の時刻情報を伝 達しうることが示唆されている。さらに,RpaA と相互作用し,kaiBC や rpoD6
(グループ 2シグマ因子) の転写を周期的に制御する RpaBが近年同定されたが,
このRpaA とRpaBの相互作用は,in vitroである程度再現されており,RpaAの 存在量に依存してRpaBの kaiBC遺伝子のプロモーター領域への結合能が調節さ れる (Takai et al., 2006; Hanaoka et al., 2012)。よって,KaiABC→SasA→RpaA
→RpaB→周期的な遺伝子発現という一連の情報伝達経路をin vitroで再現できる 可能性が出てきた。連続暗条件下では,kaiBC の転写が停止するため,KaiABC
→SasA→RpaA→RpaB経路が活性化しているかどうかは不明であるが,これと似
た蛋白質 (翻訳後修飾) レベルで情報伝達を行う出力系の存在は十分に想像でき る。また,今後研究が進み,KaiABC→SasA→RpaA→RpaB→リズミックな遺伝 子発現という一連の情報伝達経路が in vitro で再構成されれば,この系を用いて さらに翻訳などの機能を付加した発展研究や生体コンピューターの素子としても 利用できるかもしれない。上述の研究を達成するためには,KaiABC→SasA→ RpaA→RpaBの in vitro再構成の他に無細胞転写・翻訳系の確立と,それら全て のカップリングが必要である。無細胞転写・翻訳系は大腸菌のライセートを用い ておこなうことができるキットもすでに市販されている (フナコシ)。このような キットをうまく組み合わせながら系を立ち上げていくことは,ある程度実現可能 であると想像できる。また本研究室では,大腸菌にSasA→RpaAの二成分制御系 を組み込む試みが行われていたが (Tozaki et al., 2008),シアノバクテリアの生体 システムを他の細胞で駆動させる準再構成的なアプローチも非常に興味深い。本 研究は,このように合成生生物学的な研究への発展性も十分に秘めたものである。
今後の展望
本研究ではシアノバクテリア概日システムの入力・出力機構について取り扱っ てきた。議論の中心にあったのは「時計遺伝子の転写・翻訳フィードバックモデ ル」である。このモデルは Tomita ら (2005)のシアノバクテリアを用いた研究に よって一部否定されたが,当初はシアノバクテリアのみの例外事象として扱われ,
2005年以降も真核生物においては転写・翻訳フィードバックモデルは概日発振機 構を説明する最適なモデルとして採用されてきた。しかし 2011 年になって,
O’Neillら (2011) により真核生物で時計遺伝子の転写・翻訳に依存しない概日振 動現象が発見された。O’Neillらは真核緑藻 (Ostreococcus)とヒト赤血球を用いて,
それぞれにおいて転写・翻訳阻害下で酸化還元酵素であるペルオキシレドキシン
(PRX) の 酸 化 還 元 状 態 に 概 日 リ ズ ム が 見 ら れ る こ と を 示 し た 。 真 核 緑 藻 (Ostreococcus)では,暗期で時計遺伝子CCA1,TOCの転写は Synechococcusと同 様停止する。しかしながら暗パルス実験によりCCA1,TOCの転写が停止する暗 期においても時刻情報を保持していることが示唆された。そこで酸化還元酵素で あるペルオキシレドキシン (PRX) 蛋白質の酸化還元状態を連続暗条件下で検討 したところ,概日リズムが観察された。このことから時計遺伝子の転写・翻訳に 依存しない未知の翻訳後修飾レベルで駆動する概日振動子の存在が示唆された。
またヒト赤血球を用いた研究ではヒト赤血球は無核の細胞であるため,新規転 写・翻訳は行われない。O’Neill ら (2011)はヒト赤血球を採取した後 in vitro で
培養し Ostreococcus と同様に PRX 蛋白質の酸化還元状態を検討した。その結果,
PRX蛋白質の修飾状態に概日リズムが見られた。このことから真核生物の概日シ ステム研究においても,従来の「時計遺伝子の転写・翻訳フィードバックモデル」
を古典的ととらえ,時計遺伝子の転写・翻訳に依存しない発振機構を考慮した新 たなアイディアが必要とされてきている。 O’Neill らの研究に続いて,PRX蛋白 質の修飾状態に観察される概日リズムは,ショウジョウバエ,アカパンカビ,ア ーキア,線虫,シアノバクテリアなど高等動植物からアーキアまで様々な生物で 確認された (Edgar et al., 2012; Olmedo M et al., 2012)。現在では,転写・翻訳 フィードバックモデルに代わり,この PRX 蛋白質の修飾状態を24時間に調節し ている未知の翻訳後修飾レベルで駆動する振動子が,生物種を超えて保存されて いる概日発振機構の基盤システムであることが議論されている。
こうした一連の研究の流れの中で,古典的な転写・翻訳フィードバックと時計 遺伝子の転写・翻訳に依存しない翻訳後修飾レベルで駆動する発振機構との相互 関係は重要な研究課題の 1 つとなってきている。本研究では,シアノバクテリア 時計遺伝子kaiABC の転写・翻訳フィードバックと翻訳後修飾レベルで駆動する
KaiABC 振動子の関係性をシステマティックに示し,概日システムにおける転 写・翻訳フィードバックの 1 つの役割を示した。シアノバクテリアの持つ概日シ ステムは単純であり,たった 3 つの時計遺伝子を中心に構成される概日システム は,高等動植物のそれと比較すると非常に低レベルに見える。しかし,それゆえ 概日システムの基本要素が見えやすいと考えることもできる。本研究では,現在 の高等動植物において最新の実験技術を用いても到底到達しえないレベルでの解 析をシンプルな実験系を用いた解析により達成し,明確な結論を導きだした。今 後,本研究が他の概日時計研究の発展に寄与できれば幸いである。
シアノバクテリアの概日時計研究を通した活動は,もちろんそれ自体も非常に 意味のあるものだが,多角的な現象を様々な角度から覗き込む,新たな視野を与 える研究になることを望んでいる。
引用文献
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謝辞
本研究をおこなうにあたり,ご指導とご教示賜りました岩崎秀雄博士に深く感 謝申し上げます。伊藤浩史博士には,データ解析方法のご指導と研究を展開する 上でのご助言を頂き,多くの時間をとって頂きました。華岡光正博士には,共同 研究を通じて実験手法のご指導やご助言を頂きました。冨田淳博士には,特に二 章でおこなった研究に対するご助言を頂きました。村山依子博士には実験方法に ついてご指導頂き,研究を進める上でのご助言を頂きました。 徳永慎治氏と櫛笥 博子氏には,博士論文全体の構成についての意見や研究内容についてのご助言を 頂きました。これらの方々に感謝申し上げます。そして,本研究を行うにあたり 様々なご意見と,実験上の多岐にわたるご協力をいただきました,同研究室のメ ンバーに深く感謝致します。
研究業績
種 類 別 題名、発表・発行掲載誌名、発表・発行年月、連名者(申請者含む)
論文
講演
○Hosokawa N, Hatakeyama TS, Kojima T, Kikuchi Y, Ito H, Iwasaki H.
Circadian transcriptional regulation by the posttranslational oscillator without de novo clock gene expression in Synechococcus.
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America. 2011 Sep 13;108(37):15396-401.
Hanaoka M, Takai N, Hosokawa N, Fujiwara M, Akimoto Y, Kobori N, Iwasaki H, Kondo T, Tanaka K.
RpaB, another response regulator operating circadian clock-dependent transcriptional regulation in Synechococcus elongatus PCC 7942.
The Journal of Biological Chemistry. 2012 Jul 27;287(31):26321-7.
Ito H, Mutsuda M, Murayama Y, Tomita J, Hosokawa N, Terauchi K, Sugita C, Sugita M, Kondo T, Iwasaki H.
Cyanobacterial daily life with Kai-based circadian and diurnal genome-wide transcriptional control in Synechococcus elongatus.
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America. 2009 Aug 18;106(33):14168-73.
学会発表
・国際学会(ポスター発表)
○Norimune Hosokawa,Tetsuhiro Hatakeyama, Hideo Iwasaki.
Circadian transcription in the dark without cyclic kai gene expression I:
Clock-gating of dark-induced transcription in Synechococcus
The 12 th Biennial Meeting of Society for Research on Biological Rhythms, Florida, USA, 2010 May.
・国際学会(ポスター発表)
○Norimune Hosokawa,Tetsuhiro Hatakeyama, Hideo Iwasaki.
Kai-based circadian transcriptional regulation in the dark without transcription-translation feedback loop of kai genes in cyanobacteria International Symposium on Biological Rhythm and Photonic Bioimaging, Sapporo, 2009 Aug.