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「単位集団論」

第3部  総合討論

司会・進行 石黒立人・若林邦彦

 土器型式の幅より住居の耐用年数の方が短いと言い ました。これがその例ですが,同じ加曽利 E3 式土器を もっている住居群が 9 回の建て替えをおこなっていま す。土器型式が同じだけど住居の時期が異なる例です。

 この例では年代測定をおこなうことができまして,

100 年ぐらいの間に 9 回の建て替えをおこなったことが わかりましたので,単純に平均すると 1 棟あたり 13.5 年ということになります。したがって他の事例も含め て総合的に判断すると関東の縄文住居は平均 10 ~ 15 年で建てかわっていくのかなあ,という印象を持って いまして,土器一型式の存続幅よりも明らかに短いこ とがわかります。

 時間幅の差はいろんな内容と関わってきます。縄文 中期に属する東京都大橋遺跡では,住居出土土器 30 数 点を年代測定して,年代をプロットしていったところ,

年代値が集中するところとばらけているところのある ことがわかりました。私が 3 ~ 5 期とよぶところに固 まっているわけです。あまり時間差がないと思うわけ です。10 ~ 20 年の間に 3 ~ 4 期分が集まっている。さっ き言った 13.5 年の耐用年数よりもさらに短い期間で住 居が造られていることがわかります。

 それに対して 6 ~ 8 期はばらけています。どのくら いばらけるかは確実にはわかりませんが,少なくとも ばらけてきている。切り合いのスパンが長くなるとか,

13 期には断絶期があるとか,どこかに移動していて戻っ てきたとか回帰的なこともあるかと思いますが,少な くとも同じ集落の中での住居の作り替えのグルーピン グをしたとしても年代をきちんと重ねていかないと質 的な差があるかどうか判断はできません。

 最後,三つ目として,居住システムを見ているわけ ですから,集落群のあり方といいますか,この場合は 武蔵野台地の住居を集めて分けてみたわけですが,相 対的な時期区分で言えば住居の数は 12B 期に明らかに 大きなピークをもっていてもっとも住居が多い時期で す。例えば加曽利 E3 式の真ん中のころに住居の数が多 いという指摘は今村啓爾さんがすでにおこなっていま すが,年代測定によって土器型式の存続幅をみてみま すと,加曽利 E3 式は 70 ~ 80 年ぐらいの存続幅が長い 時期に当たります。他の時期が 30 年ぐらいですから長 いわけです。

 これを評価すると,実線は存続幅を気にしないで数 を埋めていった場合は 12B 期がもっとも数が多くなる わけですが,10 年ごとに基準化して考えると,11C 期

(E2 式後半)の方が同じ年代ごとにみれば住居の数が

多いことがわかります。居住のピークがずれてくる。

 相対編年と実年代では人口の増減とか居住の集中度 とかがずれてしまうわけですからなるべく細かい土器 型式で切っていく必要があるという点は変わらないわ けです。それとともに重複関係とか,縄文の場合でし たら土器の接合を使いますが,今日の濵田さんのご発 表では覆土の土の違いに注目されたように,対象によっ て基準があると思いますので,遺構の位置,入り口の 方向,建物の形式などによって細かく分けていくこと が肝要です。私はそれを集落編年と呼んでいる訳なん ですけれどもフェイズ,細かな時期を分けていく必要 があるわけです。

 さらになるべく年代測定をおこなっていって耐用年 数に起因する建て替えの間隔も重要ですし,我々が分 けている範囲が何年ぐらいなのか,押さえていかない と,居住システムの動態の復元には迫っていけないと 考えます。以上が私のコメントです。

 若林

 同時存在に関して,小林さんは,なるべく細かい土 器型式で切ってフェーズを設定するという見解を示さ れました。小林さんの言うフェーズって何?という問 題は出てくると思います。限りなく細かいということ はよくわかりますけれども,完全に同時な景観でもあ りません。それに対して濵田さんが見いだしておられ る細分は,小林さんのと同じなのか,埋没なのだから 住居が機能している時期,ある景観を同時に反映して いると考えてよいのでしょうか?妻木晩田で見るとき のフェーズってなんなんやろうか,あるいはフェーズ といえるのかどうか。

 濵田

 私のくくりはある一時期の集落景観を切り取ったも のではありません。どのくらいの幅でみていくかとい う点と関わるのですが,短くて十数年,長くて 40 年ぐ らいの幅の中で,あくまでも同時併存する可能性のあ る住居跡を拾い上げただけなので,ある一時期の組み 合わせは見えてこないですね。小林さんの言うように 同時機能住居や非同時存在住居が認定できれば絞り込 みはできてくると考えるんですが,現状ではなかなか 難しいと言うこともありまして,あくまでもある時間 幅の中で最大何棟が同時併存する可能性があって,そ の中の組み合わせをいくつかのバリエーションで拾え るという程度のもの,という認識です。

 若林

 その部分は発表の時も慎重にされていて,フェーズ

土器型式の幅より住居の耐用年数の方が短いと言い ました。これがその例ですが,同じ加曽利 E3 式土器を もっている住居群が 9 回の建て替えをおこなっていま す。土器型式が同じだけど住居の時期が異なる例です。

 この例では年代測定をおこなうことができまして,

100 年ぐらいの間に 9 回の建て替えをおこなったことが わかりましたので,単純に平均すると 1 棟あたり 13.5 年ということになります。したがって他の事例も含め て総合的に判断すると関東の縄文住居は平均 10 ~ 15 年で建てかわっていくのかなあ,という印象を持って いまして,土器一型式の存続幅よりも明らかに短いこ とがわかります。

 時間幅の差はいろんな内容と関わってきます。縄文 中期に属する東京都大橋遺跡では,住居出土土器 30 数 点を年代測定して,年代をプロットしていったところ,

年代値が集中するところとばらけているところのある ことがわかりました。私が 3 ~ 5 期とよぶところに固 まっているわけです。あまり時間差がないと思うわけ です。10 ~ 20 年の間に 3 ~ 4 期分が集まっている。さっ き言った 13.5 年の耐用年数よりもさらに短い期間で住 居が造られていることがわかります。

 それに対して 6 ~ 8 期はばらけています。どのくら いばらけるかは確実にはわかりませんが,少なくとも ばらけてきている。切り合いのスパンが長くなるとか,

13 期には断絶期があるとか,どこかに移動していて戻っ てきたとか回帰的なこともあるかと思いますが,少な くとも同じ集落の中での住居の作り替えのグルーピン グをしたとしても年代をきちんと重ねていかないと質 的な差があるかどうか判断はできません。

 最後,三つ目として,居住システムを見ているわけ ですから,集落群のあり方といいますか,この場合は 武蔵野台地の住居を集めて分けてみたわけですが,相 対的な時期区分で言えば住居の数は 12B 期に明らかに 大きなピークをもっていてもっとも住居が多い時期で す。例えば加曽利 E3 式の真ん中のころに住居の数が多 いという指摘は今村啓爾さんがすでにおこなっていま すが,年代測定によって土器型式の存続幅をみてみま すと,加曽利 E3 式は 70 ~ 80 年ぐらいの存続幅が長い 時期に当たります。他の時期が 30 年ぐらいですから長 いわけです。

 これを評価すると,実線は存続幅を気にしないで数 を埋めていった場合は 12B 期がもっとも数が多くなる わけですが,10 年ごとに基準化して考えると,11C 期

(E2 式後半)の方が同じ年代ごとにみれば住居の数が

多いことがわかります。居住のピークがずれてくる。

相対編年と実年代では人口の増減とか居住の集中度 とかがずれてしまうわけですからなるべく細かい土器 型式で切っていく必要があるという点は変わらないわ けです。それとともに重複関係とか,縄文の場合でし たら土器の接合を使いますが,今日の濵田さんのご発 表では覆土の土の違いに注目されたように,対象によっ て基準があると思いますので,遺構の位置,入り口の 方向,建物の形式などによって細かく分けていくこと が肝要です。私はそれを集落編年と呼んでいる訳なん ですけれどもフェイズ,細かな時期を分けていく必要 があるわけです。

さらになるべく年代測定をおこなっていって耐用年 数に起因する建て替えの間隔も重要ですし,我々が分 けている範囲が何年ぐらいなのか,押さえていかない と,居住システムの動態の復元には迫っていけないと 考えます。以上が私のコメントです。

 若林

 同時存在に関して,小林さんは,なるべく細かい土 器型式で切ってフェーズを設定するという見解を示さ れました。小林さんの言うフェーズって何?という問 題は出てくると思います。限りなく細かいということ はよくわかりますけれども,完全に同時な景観でもあ りません。それに対して濵田さんが見いだしておられ る細分は,小林さんのと同じなのか,埋没なのだから 住居が機能している時期,ある景観を同時に反映して いると考えてよいのでしょうか?妻木晩田で見るとき のフェーズってなんなんやろうか,あるいはフェーズ といえるのかどうか。

 濵田

私のくくりはある一時期の集落景観を切り取ったも のではありません。どのくらいの幅でみていくかとい う点と関わるのですが,短くて十数年,長くて 40 年ぐ らいの幅の中で,あくまでも同時併存する可能性のあ る住居跡を拾い上げただけなので,ある一時期の組み 合わせは見えてこないですね。小林さんの言うように 同時機能住居や非同時存在住居が認定できれば絞り込 みはできてくると考えるんですが,現状ではなかなか 難しいと言うこともありまして,あくまでもある時間 幅の中で最大何棟が同時併存する可能性があって,そ の中の組み合わせをいくつかのバリエーションで拾え るという程度のもの,という認識です。

 若林

 その部分は発表の時も慎重にされていて,フェーズ

ではなく結局は各時期の増減の差と言うことでお話い ただいたと言うことで,やっぱりかなり切り詰めていっ てもそういう方法で評価していくべきだとお考えです か。

 濵田

 そうですね。さらに絞り込みできればとは考えてい るのですが,今私がおこなっている分析でいえること は,ある時間幅の中での累積結果を見ているに過ぎな い。たとえば居住区の中にはたびたび拡張されている 住居もあり,なかには中央土坑の位置を変えずに拡張 している場合もあり,こうした住居は長い存続期間を 想定することもできますので,もう少し別の観点から 存続期間の長い住居や短い住居を抽出することができ ればさらなる議論を深めていけるとは考えていますが,

正直そこまで踏み込めていないというのが現状です。

 若林

 わかりました。それは非常に難しい問題です。住居 の同時存在については,演者ごとに一型式の存続幅を 何年ぐらいと想定して立論しているのかを聞きたいと いう藤尾さんの希望も聞いているのですが,それは難 しい質問ですので保留しておきます。遺構の共時的な 存在をどのようにみるかについて発表がありましたが,

会場から何かご質問などありますでしょうか。

 田崎博之(愛媛大学)

 同時併存の話というのは,結局,何を目指している のかが一番の問題でしょう。例えば,濵田さんの分析 は興味深いのですが,住居空間の専有が決して継続し ていないこと,つまり,そこに住む小集団が住居空間 を継続的に占有するのではないことを読み取れます。

土器編年なり遺構のあり方から時間を区切ったとき,

何が明らかになるのか。それを明確に述べないと,単 に同時併存が可能かどうかとか,土器型式が何年かと か,そんな些末な論議になってしまいます。

 (会場の)皆さん方どうでしょうか?

 若林

 私はむしろその話をしたくて議論をはじめにしたん ですが,小林さんが設定した,濵田さんのもそうした ニュアンスがあるとすると,時間で相対的に比べると か,濵田さんが設定した時間で各地区の中の増減を調 べるとか,いうやり方がとられます。結局,田崎さん がおっしゃったとおりで,一番細かく分けたものから どういう情報を引き出すのか,それは何なのかという 問題になるのかな,と個人的には思います。

 それでいくともう一度濵田さんに振って申し訳ない

んですが,妻木晩田では各地区の話がありましたけれ ども,どういう点がああいう方法によって導き出され たのか,セールスポイントになるとお考えですか。

 濵田

 こういった分析をしようと思った一つのきっかけは,

広域を調査している妻木晩田では,居住域の変遷と墓 域の変遷を同時に検討できるということでして,居住 域の動態が,墓域の動きとどのように絡んでくるのか を具体的にみる一つの基礎作業と考えています。

 明らかにできたと思っていることの一つが,私が設 定した 6 ~ 7 期に居住域の数が大きく減少しているこ とです。ただし 7 期に関しては仙谷地区で墳丘墓の造 営がまだおこなわれていますので,複数の集団を結び つける紐帯というのが,それなりに存在しながら居住 域が減っていっていること,集落規模が縮小している 傾向が読み取れる。

 従来は,今回の 8 期と 9 期をⅥ- 2 期(庄内後半)

という形でひとくくりにしておりましたので,仙谷地 区で造墓活動が終わると松尾頭地区に移動していき,

集落規模が再び拡大すると理解されていたのですが,8 期を設定することで,その間遺跡内に墳丘墓が見あた らないという状況が見えてきています。

 この間に居住域の数は微増しているわけですが,ま だ 7 期とさほどかわらない規模で推移している。それ が再び 9 期になると居住域の数が急増して 5 期や 6 期 と見た目には変わらない規模の集落になっていること がわかります。

 ただしそれまでは海岸線を意識した位置に立地して いたお墓が集落のかなり奥まった位置に移動したり,

お墓の規模が小さくなって,群を構成しないとか,お 墓のあり方がそれまでとは大きくかわっているので,6 期以降,7 期,8 期を経て 9 期になると一時的に集落の 規模は回復しますが,見た目には同じであっても質的 にはかなり様子の違う集落像が描けてくるのではない かと思います。

 したがいましてただ同時併存の住居を絞り込みたい のではなく,ある一定の時間幅の中で住居跡や居住域 の増減を確認するための手続きとしてこういった作業 を試みたのが,今日の話なのかなと自分では思ってお ります。

 若林

 弥生集落の中でできるだけ時期を切っていったとき にどうなるのか,現状を知ることができ,よくわかり ました。どういうところに生かせそうか,興味深いお

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