集落論の基礎的な方法論について
第2部 歴博研究報告第149集の意義と課題
司会・進行 石黒立人・若林邦彦
図1 九州北部の土器型式の炭素14年代値(弥生早期~中期前半)
2100
2000
1900
1800
1700
1 立岩式甕棺
2084 2080
5 須玖Ⅱ~高三潴式
2070
2000
2 高三潴式
1970
1930
5 下大隈式
1930
1860
3 西新式18601820 6 布留0・Ⅰ式
1815
1710
弥生後期古墳前期
こうした問題に既に直面し,対応が分かれておりま す縄文集落研究を紹介しましょう。大きく二つの立場 があるようです。一つはあくまでも同時併存遺構の認 定を求めていく立場。もう一つは物理的にも経済的に も不可能に近いことを求めていくのではなく,時間幅 が広くても累積結果が何を意味するのかを考えていこ うとする立場です。こうした議論は型式の存続幅が従 来の考え方より長くなった弥生中期後半以前が対象と なります。
考古学者のなかには絶対年代がわからなくても,相 対年代さえわかれば議論はできるという意見がありま すが,私がどのように考えているのかお話ししたいと 思います。図 1 は,入佐式(晩期初頭)から須玖Ⅰ式(中 期前半)までの九州北部における土器型式の炭素 14 年 代値を示したものです。測定数が統計的に足りないと ころもありますが,較正年代を求めていきますと,弥
生早期と前期の土器型式の存続幅を統計的に示すこと ができます(表 1)。土器型式ごとに存続幅がバラバラ であることがわかり,約 30 年から約 170 年と実に 6 倍 近い開きがあることがわかります。したがいまして前 期末のように存続幅が約 30 年のところは従来の存続幅 と同じなのでこれまでどおり同時併存遺構の認定をし ても,さほど問題はありませんが,存続幅が長くなれ ばなるほど難しくなっていきます。存続幅が約 30 年の 前期末に 10 棟の住居,約 170 年の前期後半に 10 棟の 住居ではおそらく意味するものが異なることが予想さ れます。
図 2 は縄文晩期末と弥生早期前半の境界を統計的に 示したものです。前 955 年から前 935 年の間のどこか で山の寺・夜臼Ⅰ式が出現して水田稲作が始まること を意味しています。こうした土器型式と土器型式の先 後関係,使用期間を前期末から中期前半を例に模式的 凡例 板付Ⅱ b 式では 20 点の炭素 14 年代値が得られており,上限が 2600,
下限が 2455(いずれも中心値)であることを表す 20 板付Ⅱ b 式
2600
2455
図1 九州北部の土器型式の炭素14年代値(弥生早期~中期前半)
2900
2800
2700
2600
2500
2400
2300
2200
炭素 14 年代 九州南部
3 入佐式
2990 2940
1 高橋Ⅱ式2380
有明海沿岸
1 黒川式古段階
2910
8 原山式
2595
2530
11 黒川式新段階
2810 2870
玄界灘沿岸部 九州東部
3 突帯文土器2765
2710
7 夜臼Ⅱa 式
2690
20 夜臼Ⅱb 式
2600
1 金海式古甕棺
1 城ノ越式甕棺 2354
2256
5 板付 34 次 9 層 2670 2600
3 板付Ⅰ式
2590
2620
7 板付Ⅱb 式
2415
2360
1 板付Ⅱc 式
2340
2 板付Ⅱc 式~城ノ越式
3 城ノ越式
2240 2270
2 前池式併行2940
2890
2 上菅生B式新2760
11 板付Ⅱa式
併 行 2510
2370 2600
2455
西部瀬戸内
2 前池式併行
2820 2780
4 黒土 B1
2950
2770
11・16 岡大・沢田式
2590
2480 2520
2440
11 前期末(愛媛Ⅱー1)
2310
2205
4 中山Ⅱ式
2470
2300 2420
2330
4 中山Ⅰ式
2100
2000
1900
1800
1700
13 粗製深鉢
2710
2790 山の寺式
6 突帯文土器
擬孔列文 2515
2450
2230 2 須玖式甕棺
1 立岩式甕棺 1 立岩式甕棺
2132 2084
1 汲田式甕棺
2165
2270
2140
22 須玖Ⅰ式
2244
2080 2240
15 須玖Ⅱ式 5 須玖Ⅱ~高三潴式
2070
2000
2 高三潴式
1970
1930
5 下大隈式
1930
1860
3 西新式18601820 6 布留0・Ⅰ式
1815
1710
1 中期初頭2230 1 安芸Ⅲー12170 10 安芸Ⅲー 2
2240
2160 縄文晩期弥生早期弥生前期弥生中期弥生後期古墳前期
こうした問題に既に直面し,対応が分かれておりま す縄文集落研究を紹介しましょう。大きく二つの立場 があるようです。一つはあくまでも同時併存遺構の認 定を求めていく立場。もう一つは物理的にも経済的に も不可能に近いことを求めていくのではなく,時間幅 が広くても累積結果が何を意味するのかを考えていこ うとする立場です。こうした議論は型式の存続幅が従 来の考え方より長くなった弥生中期後半以前が対象と なります。
考古学者のなかには絶対年代がわからなくても,相 対年代さえわかれば議論はできるという意見がありま すが,私がどのように考えているのかお話ししたいと 思います。図 1 は,入佐式(晩期初頭)から須玖Ⅰ式(中 期前半)までの九州北部における土器型式の炭素 14 年 代値を示したものです。測定数が統計的に足りないと ころもありますが,較正年代を求めていきますと,弥
生早期と前期の土器型式の存続幅を統計的に示すこと ができます(表 1)。土器型式ごとに存続幅がバラバラ であることがわかり,約 30 年から約 170 年と実に 6 倍 近い開きがあることがわかります。したがいまして前 期末のように存続幅が約 30 年のところは従来の存続幅 と同じなのでこれまでどおり同時併存遺構の認定をし ても,さほど問題はありませんが,存続幅が長くなれ ばなるほど難しくなっていきます。存続幅が約 30 年の 前期末に 10 棟の住居,約 170 年の前期後半に 10 棟の 住居ではおそらく意味するものが異なることが予想さ れます。
図 2 は縄文晩期末と弥生早期前半の境界を統計的に 示したものです。前 955 年から前 935 年の間のどこか で山の寺・夜臼Ⅰ式が出現して水田稲作が始まること を意味しています。こうした土器型式と土器型式の先 後関係,使用期間を前期末から中期前半を例に模式的 凡例 板付Ⅱ b 式では 20 点の炭素 14 年代値が得られており,上限が 2600,
下限が 2455(いずれも中心値)であることを表す 20 板付Ⅱ b 式
2600
2455
に示したのが図 3 です。
板付Ⅱ c 式が前 4 世紀の前半(A)に出現し,使用 期間が A ~ A’だったとすると,中期初頭の城ノ越式 がどこで出現するかが問題なのですが,板付Ⅱ c 式が 完全に終わって(A’で)から城ノ越式が出現すると考 えるよりは,板付Ⅱ c 式がすたれかけた頃(B)に城 ノ越式が成立したと考えると,実線(B)と破線(A’)
の間を移行期と考えることができます。先ほど図 2 で 示した縦の矢印は図 3 の実線(B)と破線(A’)の間 のどこかに型式の境界がくるということを意味してい るわけです。別の言い方をすればある土器型式の存続 幅と同じ土器型式の使用期間は厳密には同じではない ことになります。
こうした土器型式の変遷があった場合,同時期認定 をどのように考えればよいのでしょうか。たとえば板
付Ⅱ c 式が床面から見つかった住居跡が 2 棟(▲)あっ たとします。板付Ⅱ c 式の存続幅は約 30 年なのでこの 2 棟を従来通り同時併存と考えるわけですが,約 200 年 の存続幅を持つと考えている須玖Ⅱ式の場合,須玖Ⅰ 式新(★)と須玖Ⅱ式古(◆)が図のように関係にあ る場合は土器型式が違っていても同時併存と考えられ ることになります。逆に同じ須玖Ⅱ式であっても古の
(◆)と新式の(●)を同時併存とみることは出来ません。
墳墓の場合も同じです。今から 20 年前に「九州の甕 棺」という論文で九州における成人甕棺の分布と基数 を集成したことがあります[藤尾 1988]。九州北部の四 つの地域において弥生早期の突帯文土器段階から弥生 終末期までの壺棺と大形甕棺の基数の推移を調べまし た。従来の年代観,すなわち甕棺一型式 30 年の均等幅 で計算しますと表 2 の「従来の年代」のようになります。
表1 土器型式ごとの炭素14年代値と存続期間
図2 黒川新式と山ノ寺・夜臼Ⅰ式の 型式間境界
1
図3 型式間境界と土器型式の存続幅(較正年代)
図4 大形甕棺の時期別基数変遷(従来の年代観〈破線〉と較正年代〈実線〉)
表2 大形甕棺の存続幅の比較
Ⅱ期からⅢ期の間に福岡 ・ 春日地域では 14 基から 327 基に急激に数が増加することがわかります。
次に日常土器との併行関係を利用して甕棺型式の較 正年代を求めたのが表 2 の「較正年代」で,やはり甕 棺型式の存続幅は不均等であることがわかります。Ⅱ 期は 130 年,Ⅲ期は 250 年になりますから存続幅の割 合は約 1:2 です。存続幅が倍のⅢ期は当然Ⅱ期よりも 多くなるのは当たり前ともいえます。よって福岡 ・ 春 日地域で従来の年代観で見た場合の急増現象も,較正 年代では急増の度合いは少し鈍いものとなります。
これをグラフで表したのが図 4 です。地域ごとの基 数の時期別変遷です。従来の年代観と較正年代を使っ たものと比較しています。横軸の- 700 年とは紀元前 700 年という意味です。実線が較正年代,波線が従来
の年代観です。 弥生時代の存続期間が約 700 年の従来 の年代観と,約 1200 年間の較正年代にもとづく年代観 のグラフを比較すると,存続期間の短い従来の年代観 の方が増減が強調されて出てきます。急激な増加とか,
急速に衰退した,などという歴史的評価につながるわ けです。しかし較正年代を使うと,相対年代,均等幅 で考えていた時代に比べると,まったく別の評価につ ながる可能性も出てくるわけです。相対年代があれば それで事足りる,といった考えは,特に時期別の規模 や基数および変遷過程を問題にする場合には間違いで あることがおわかりになると思います。
先行している縄文研究の動向を見てみましょう。縦 切り派と横切り派に大きく分けることができます[小林 謙一 2009]。縦切り派は集落の存続期間をおおざっぱに