3-1 序
第 2 章では不揮発性溶媒を用いて分離した標準物質を直接 MS に導入可能な脱 塩技術を開発した。この手法を活用することにより、全自動で代謝物の構造を 解析することが可能となった。しかし、脱塩できない代謝物が一部存在するこ とも分かった。代謝物を分離する手段として、これまでイオン交換クロマトグ ラフィーが用いられており、これ以外に再現性と実用性を兼ね備えた分析法は 現在のところ見当たらない。
近年、分析カラムの充填剤表面に導入する官能基を設計する研究開発が盛ん に行われている。例えば、親水性相互作用クロマトグラフィーでは、諸言で述 べたアミドカラムや両性イオン型官能基を有する ZIC-HILIC カラム[Huang Y et al. 2012]、逆相クロマトグラフィーでは、C18 基よりさらに炭素鎖の長いドコ シル(C22)基や C30 基を修飾したカラム[Nagae et al. 2002]、炭素鎖の間に 極性官能基を修飾したカラム、フッ素化合物を導入したカラムなどが該当し [Needham et al. 2000]、様々な官能基を有するカラムが次々と開発され、分離 の選択幅が広がりつつある。これら官能基は特定の代謝物に対して、特異的な 保持や分離を示すものが多く、その用途は限られているものの、これらを活用 できる余地は十分あると考えられる。カラム技術の進歩により、Tolstikov らは アミドカラムを用いて、植物組織の 1 つである師部中のオリゴ糖、グリコシド、
アミノ糖、アミノ酸、糖ヌクレオチドの分離に[Tolstikov et al. 2002]、Bajad らはアミノカラムを用いて、Escherichia coli 菌中の糖、アミノ酸、ヌクレオ チド、糖リン酸、ビタミンの分離に成功しており[Bajad et al. 2006]、これら
35
の手法が基礎となり、LC-MS による代謝物の網羅分析が行われていることが最近 の研究動向である。しかしこれらは親水性相互作用クロマトグラフィーによる 分離であり、必ずしも再現性と実用性を兼ね備えた分析法ではない。
食 品 含 有 有 機 物 質 の 網 羅 分 析 に 関 す る 研 究 の 現 状 に つ い て は 、 ワ イ ン [Koundouras et al. 2006, Pereira et al. 2010, Welke et al. 2013]、グア バ[Lee et al. 2010]、チーズ[Ochi et al. 2012, Yee et al. 2014]、ぶどう [Ferrandino et al. 2012]、ホップ[Inui et al. 2013]、パイナップル[Steingass et al. 2015]、朝鮮人参[Cui et al. 2015]の風味や熟成を、ビール[Rodrigues et al. 2011]、ハム[Marušić et al. 2014]、ハーブ[Sgorbini et al. 2015]の 品質管理を、トマト[Socaci et al. 2014]の品種改良を、薬草[Lee et al. 2014]
の産地の識別を対象としており、主に GC-MS が用いられる。これは、GC-MS が最 も早くから進歩した技術であること、NIST や Wiley などの情報を利用すること により、マススペクトルの検索が可能であること、および多くの研究者らに信 頼されている技術であることによる。また研究の対象となる食品は欧米を起源 とするものが多い。これは、欧米では農業の盛んな国が多いことによると考え らえる。この分野における我が国の研究は欧米に対して後れを取っているのが 現状である。
そこで本章では、LC-MS による代謝物を網羅的に分析できる実用的な手法を開 発することにした。この目的を達成するために、代謝物を保持する要件を満た す分析カラムを探索することから始めた。また本章で開発した分析法を用いて、
日本を代表する伝統的な発酵食品である醤油の製造法の違いを最もよく映し出 す指標となる代謝物を解析した。製造法の違いは風味に影響を与える要素の 1 つであるものの、メタボロミクス研究はほとんどなく、ようやく研究が始まり
36
つつあることが現状である[Ko et al. 2009, Yamamoto et al. 2012, Shiga et al. 2014]。得られた分析結果を、多変量解析の一種である主成分分析を用いて、
解析した。
3-2 実験と方法 3-2-1 試薬・試料
純正化学㈱からアセトニトリル(高速液体クロマトグラフ用)を、シグマア ルドリッチジャパン㈱と和光純薬工業㈱から各種アミノ酸(特級)、有機酸(特 級)、核酸関連物質(特級)を、東京化成工業㈱からランチオニン、プロピオン 酸、酪酸、吉草酸、イソ吉草酸、コウジ酸、ゲンチジン酸を、バイオメディカ ルズ㈱からイソクエン酸三ナトリウムを購入した。
醤油に関しては各生産元から以下の商品を購入した。越のむらさき(新潟県)
から長生本醸造および富士新式、櫻井醤油味噌元(石川県)から櫻井本醸造お よび櫻井新式、高橋醸造(長野県)から蔵出し醤油および濃い口醤油新式、ヤ マモ味噌醤油醸造元(秋田県)からヤマモ本醸造、しょうゆの花房(兵庫県)
から金星花房本醸造、ヤマイ醤油(兵庫県)からヤマイ本醸造およびヤマイ新 式を購入した。
3-2-2 試料調製
アミノ酸、有機酸、核酸関連物質を精製水、0.1 %ギ酸水溶液、50 %アセトニ トリル水溶液で希釈し、これを測定試料とした。
醤油成分の定量分析では、以下の手順にしたがって前処理を行った。精製水
37
を用いて醤油を 10 倍希釈し、限外ろ過(分子量 5000)を行った後、正イオンと 負イオン検出による測定試料を調製した。正イオン検出の測定では、10 倍また は 100 倍の水で希釈した後、この溶液に内部標準物質として 20M バリン-d8 水溶液を同じ容量加えて、これを測定試料とした。負イオン検出による測定で は、水で 2 倍または 35 倍希釈し、この溶液に内部標準物質として 200 M メチ ルコハク酸水溶液を同じ容量加えて、これを測定試料とした。
醤油成分の網羅分析では、精製水で醤油を 10 倍希釈し、限外ろ過(分子量 5000)
を行った後、正イオンと負イオン検出による測定試料とした。
3-2-3 分析条件
移動相 A と B には 0.1 %ギ酸水溶液およびアセトニトリル溶液を用いた。グラ ジエント条件は、0 分から 15 分まで B 液 0 %、15 分から 35 分まで B 液 0 %から 30 %、35 分から 40 分まで B 液 30 %から 50 %、40 分から 62 分まで B 液 50 %と した。流速は 0.30 mL/min と設定した。分析カラムとして、疎水性相互作用、
相互作用、水素結合、分散相互作用、イオン結合を特徴とする PFPP シリカ
カラム Discovery HS-F5 (250 mm×4.6 mm、5
m、Bonded lot.5391、Supelco)、疎水性相互作用、相互作用を特徴とするフェニルシリカカラム Inetrtsil Ph-3 (250 mm×4.6 mm、5
m、lot. 7BI50021、ジーエルサイエンス㈱)、疎水 性相互作用を特徴とする C30 シリカカラム Develosil RPAQUEOUS-AR-5(250 mm×4.6 mm、5
m、野村化学㈱)の充填剤を用いた。試料の注入量を 5
L とした。PFPP シリカカラムの官能基を図 3-1 に示す。
38
図 3-1 PFPP シリカカラムの官能基の構造式
分析条件の最適化と正確度、再現性の確認には、LC-MS システム 1100Series LC/MSD Quadrupole SL massspectrometer(Agilent)を用いた。網羅分析では、
高速液体クロマトグラフィーに CLASS-VP 10AD Series (㈱島津製作所)を、質量 分析計に Q-Tof-2(Micromass)を用いた。
定量分析では、イオン化法として ESI 法を組み合わせた四重極分析計を用い て、正イオンまたは負イオン検出で測定を行った。キャピラリー電圧を 70 V、
インターフェイス電圧を 3500 V と設定した。また乾燥ガス流量を 12 L/min、蒸 発温度を 400 ℃、ネブライザー圧力を 35 psi と設定した。アミノ酸、アミン、
核酸塩基、ヌクレオシドは正イオン検出で、有機酸、ヌクレオチドは負イオン 検出で測定した。ピーク幅 0.3 amu と設定し、選択イオンモニタリング(SIM)
でデータを取得した。13 化合物と 2 種類の内部標準物質を測定するために、1 分析を 30 チャンネルとし、5 回測定した。データ収集には Chemstation プログ ラムを用いた。カラムからの溶離液の全量を MS に導入した。
網羅分析では、ESI 法を組み合わせた四重極飛行型質量分析計を用いて、正イ オン検出で測定を行った。キャピラリー電圧を 3.0 kV、コーン電圧を 20 V、コ リジョン電圧を 4.0 V、検出器電圧を 2200 V と設定した。ネブライザーガスと
39
コーンガスの流量を 500 L/hr、50 L/hr とした。デソルベーション温度とイオ ンソース温度は 120 ℃、80 ℃に設定した。質量走査幅をm/z 50-650 に設定し、
走査時間を 1 秒とした。データ収集には MassLynx を用いた。カラムから分割し た溶離液の 2/3 を MS に導入した。
本法において測定した醤油中のアミノ酸濃度の正確度を確認するため、アミ ノ酸分析計を用いた。分析カラム(60 mm×4.6 mm、3
m、三菱化学㈱)とガー ドカラム(5.0 mm×4.0 mm、5 m、三菱化学㈱)には、スルホ基を持つポリス チレンビニルベンゼン共重合体の充填剤を用いた。注入量を 10
L とし、生体 分析プログラムモードで測定した。分離の評価には 3 種類の異なる標準溶液を用いて実施した。第 1 はアラニン、
グリシン、セリン、プロリン、バリン、トレオニン、ロイシン、イソロイシン、
アスパラギン酸、アスパラギン、グルタミン、リシン、グルタミン酸、メチオ ニン、ヒスチジン、フェニルアラニン、アルギニン、チロシン混合標準溶液で あり、第 2 はウラシル、アデニン、グアニン、シトシン、アデノシン、グアノ シン混合標準液であり、第 3 はピルビン酸、酪酸、りんご酸、乳酸、クエン酸、
イソクエン酸、コハク酸、フマル酸、アデノシン一リン酸、グアノシン一リン 酸、シチジン一リン酸、ウリジン一リン酸、イノシン一リン酸混合標準溶液で ある。検量線の直線性を評価するために、0.01
M から 100
M の濃度の標準溶 液を用いて、測定を行った。このとき正イオン、負イオン検出による測定の内 部標準物質として、10
M バリン-d8 水溶液、50
M メチルコハク酸水溶液を用 い、強度補正を行った。面積値と保持時間の再現性は、濃度 1.0M を 3 回測定
して、相対標準偏差により算出した。検出限界は、それぞれのクロマトグラム においてシグナル/ノイズ比を 3 として算出した。正確度を評価するために、本40
法とアミノ酸分析計により定量したアミノ酸分析値を比較した。他の成分につ いては、添加回収試験により評価した。
Q-Tof-2 から得られたデータは、LC-MS に付随する Micromass MarkerLynx Applications マネージャープログラムによって評価した。保持時間とm/z の組 み合わせを 1 セットとし、全ピーク高さで各ピーク高さを規格化した後、主成 分分析を行った。
3-3 結果
3-3-1 分析条件の最適化
代謝物を分離するために、C30、フェニル、PFPP シリカカラムを用いて、18 種類のアミノ酸、4 種類の核酸塩基、2 種類のヌクレオシドの保持力および分離 を比較した。それぞれのカラムから得られた全イオンクロマトグラムを図 3-2 に示す。またカラムへの保持力を評価するために、図 3-2 に示した代謝物以外 に、7 種類の有機酸、5 種のヌクレオチドを加えて、保持ファクター(k’
=(tr-t0)/t0 、k’:保持ファクター、tr:化合物の保持時間、t0:化合物がカラ ムに保持されずに溶出する時間)を算出した。その結果を図 3-3 に、また評価 に用いた代謝物の構造式を図 3-4 に示す。カラムに保持されず代謝物が溶出す る時間は、試料を注入した後、全イオンクロマトグラムが乱れるところをモニ ターすることにより求めた[Needham et al. 1999]。その結果、PFPP シリカカラ ムは最も良く代謝物を保持することが分かった。